11.叔父の結婚(後編・下) ~殺したいほどに~
「では、始めましょう」
「天秤の長耳族」イルニスの厳かな声を合図に、父王ララマとクラノは剣を構える。
それだけで、ラニは場の空気がピリつくのを感じた。
「いい闘気だ」
満足そうに、父王が口を開く。
「『刈り姫』の名を聞いても臆さないだけはある」
「……どーも」
巫女が、絶妙な機転でヒスイの両耳をふさいだ。ヒスイは驚いたようだが、特に抵抗は見せない。
クラノはといえば、普段の饒舌さと余裕はどこへやら、慎重に間合いを探っているように見える。
「我が娘の『武功』は、あのころ王宮内では薄々感づかれていてな。王都に
「その話、今必要ですか?」
無礼とも取られかねないクラノの言葉に、父王は笑い声で返す。
ラニは、父王の言葉にもクラノの態度にもハラハラしどおしだ。しかし、王族としてこの場にいる限り、それを表に出さないよう努力する義務がある。
この出来事を引き起こした原因は、ラニにあるのだから。
「いや、すまない。娘がどういった男に
「正直興味はありますけど、今は試合の最中でしょう。王様が余裕なのはわかりましたけどね」
「ふむ、そうだったな。無粋な真似をした」
父王は軽く詫び、剣を横に振り払った。
目で捉えられる速さのそれは、剣圧が可視の刃となってクラノに襲いかかる。
クラノは即座に剣で両断し、ふたつに割れた衝撃波は元・魔王討伐隊の仲間たちへと飛んで行く。
ひとつはイルニスの真横を突っ切って木を斬り飛ばす。イルニスは動じず、「ふむ」とふたりの動きを注視している。
もうひとつは幼なじみ三人衆へと向かった。女魔導士ミストが魔法をぶつけて威力を削ぎ、少女治癒術士キララが防壁でさらに相殺し、最後に少年剣士スカイが剣で叩き壊した。
観戦者たちに武装が許されているのは、こういった事態を想定しているためだ。父王の技をいなせるとは、さすが勇者たちである。
これをきっかけに、父王とクラノは互いに前へと踏み込んだ。
打ち合わされる剣と剣。
気を吐くような雄叫び。
どちらかが受けるたびに、受け止めた方の足が地にめり込み、石床がひび割れる。
甲高い金属音とともに流せば、逸れた剣先から剣圧が飛び、あるいは石床を豪快に抉って大きな傷を作る。
ふたりはほぼ互角に渡り合っている。
一手繰り出されるたび、試しの場は削られていった。
「ラニ」
ラニの母である王妃ノエナニが話しかけてきたのは、そんなときだ。
「私とあの人の馴れ初めを話したことはあったかしら」
「いいえ……」
こんな時に何をと思わなくもないが、王女が王妃の言葉を聞かないわけにはいかない。
ラニは少し視線をずらし、母を見る。
「私はあの人の命を狙ったことがあるの」
微笑みを浮かべて試しの場を見下ろしたまま、母はとんでもないことを口にした。
「それは、……夫婦喧嘩の延長戦で、ですか?」
自然と「延長線」ではなく「延長戦」と言ってしまったことは頭の隅に追いやって、ラニは慎重に問う。
「いいえ。王妃となる前の私は、王太子ララマを屠るために放たれた暗殺者だった」
「!?」
さすがに驚愕を表さざるを得ない。
母はふふっと笑い、
「先代の王と王妃も、その先代もその前もずっとずっと。砂漠の国の王族は、そうやって命を繋いできた一族よ。相手の強さに臆さず、向かっていった者をやがて伴侶とした」
懐かしいわねと、母は穏やかな顔で。
ラニには、母が言わんとしていることがまったくわからない。
「ラニ。お前とあの客人の事情は少し違うようだけど。数々の男を『殺してきた』お前が好いた相手よ。あの人と互角に渡り合うだけの強さがあって、お前が一度でもその手で『殺したい』と思ったのなら、それで十分だわ」
「お母様、それは……」
「ごらんなさい、そろそろ終わるわよ」
言葉は遮られ、ラニは試しの場に再び目をやる。
ひびだらけでもはや原型を留めていない石床の上で、互いの剣が「ギンッ!」と折れて宙を舞った。
「そこまで!」
イルニスの鋭い声で、試合は終わりを迎えた。
「この勝負、引き分け!」
折れた剣先二本がそれぞれ、父王とクラノを掠めて地に刺さる。
心に公正なる天秤を持つエルフが下した判定に、異を唱える者はない。
「ははは、楽しめたぞ、クラノ殿」
「『試合の範疇』で、ですけどね」
笑みだけで答えて、父王は鎧を脱ぎ捨てる。クラノの鎧も、留め具が壊れて肩から落ちた。
「さあ、
「そういうことだろうと思ってましたよ。……ラニ!」
クラノが声を張る。
ラニは思わず姿勢を正した。
「あの話な、受けてやるよ!」
いつもの笑顔で、たったそれだけ。
堪らなくなってしまって、ラニは観覧席の窓枠に足をかける。
「いってらっしゃい」
母の声を背に受け、ラニは勢いよく跳躍する。
そのまま、やや慌てた様子で両手を広げるクラノの胸へと飛び込んだ。衝撃を殺すように、クラノはラニを抱き止めてくるりと回る。
その肌はじっとりと汗ばんでいるが、もはや気にならない。
ピュイっと指笛が聞こえた。きっとミストかバーニスだ。
「ところでよ、俺は二十九、お前は十六だろ。そんな離れててもいいのかよ?」
「それくらい、砂漠の王族だと普通だよ。お父様とお母様だってね。だから気にしないで。クラノさん」
ラニはクラノの首に回した腕に改めて力を込め、
「大好き。殺したいくらいに!」
大きな声で宣言すると、歓声と指笛、悲鳴(スカイだろうか)と興奮は最高潮になったのだった。
◇ ◆ ◇
ふふ。と、娘は笑った。
「そのあとは、師匠ともども湯浴みに突っ込んだりしましてね。いえ、大丈夫です。ちゃんと男女は別れていました。師匠は王様の背中を流すことになりましたが」
「またお前の悪い癖が出たかと思ったぞ」
竜は呆れを隠さない。
「
最近はルリも遠慮がない。娘はそれくらいでちょうどいいと考えている。
「その日は王宮で宴でしたね。私たちも交えて。それから婚礼の準備で色々と。やはり王族ともなると時間も手間もかかるようですが、だいぶ急いだようで、
その間、クラノが国王直々に王族の作法を叩き込まれたり、ラニが一度本気でクラノを殺しにかかったりしたのだが。
今ではすべて笑い話だ。
「私たちは仲間ともども引き留められまして。式からさらに半年ほど、師匠とラニの話相手などしていました。さすがにそれ以上の長居は悪いだろうということで、元・魔王討伐隊の面々は解散です。無事、お世継ぎにも恵まれましたし」
「なんだかんだ、仲は良かったのだな」
ルリが訳知り顔で頷く。
その様子がおかしくて、娘は軽く吹き出した。
「物好きというものは、どこにでもいるものか」
竜はふんと鼻を鳴らす。
娘は過ぎた日々を懐かしむ。
また会いに行こうと思いながら。
◇ ◆ ◇
ラニは目立つようになった腹を撫でる。
「あ、蹴った」
「本当か! 見せろ見せろ」
「偶然かもよ? あ、また蹴った」
「今度は俺にもわかった」
クラノは子供のように無邪気な笑顔で、ラニの腹に触れる。
「姉貴にこどもができたときのことを思い出すなー」
「それって、巫女さんが生まれる前のこと?」
今から一年前。
ラニは、巫女とクラノとの血縁関係を聞いている。
「おう。姉貴の初めての子供が
「へえ……」
ラニはクラノと自分の腹部を見比べる。
同じ血筋で、この夫の教えを受けるとしたら、産まれてくるこの子も?
末恐ろしさを感じる話だった。
「ところで。私も身重なんだから、なるべく側にいて欲しいの。どこにも出かけるなとは言わないから」
ラニは改めて「お願い」をする。
「まったく。浮気かと思ったら賊の討伐に夢中になりすぎてほったらかし、とかもうイヤだからね?」
「あー、肝に銘じる。あんときのお前は動きにキレがあったよなあ。新婚で殺されかけるとか勘弁だからな」
うんうんと、クラノはなぜか満足げに笑って頷いた。
「浮気とどっちがマシなのかなあ……。三人産んでまだそんなことがあるようだったら、今度はわからないからね」
「三人?」
「三人。私は四人でもいいけど」
そいつぁー参ったなあと、クラノは苦笑いを浮かべる。
「俺とお前の子だ、絶対かわいいぞ。あいつらにも見せてやりてーなぁ」
「そうだね……手紙でも出してみようか。王族の紋章入りの」
新婚夫婦は笑いあった。
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