7.旅立ちの日

 ふた月という日々は、瞬く間に過ぎていった。


「それでは行ってきます、お母さん」

「ああ、気をつけて行ってこい」

「はい!」


 娘は普段よりも少し多いくらいの旅支度で、兄竜と、叔父兼師匠だという男と旅に出た。


紅玉こうぎょくさま、わたしもでかけてくる」

「お前もよく気をつけて行け、ルリ」

「こころえている」


 娘たちの後ろを、ルリが小走りでついていく。

 今日は、ルリが「紅き竜の巫女の代理」として麓の村々に顔見せに行く日でもあった。

 六つの村すべてを回るまでは、娘たちと行動を共にする。


「何もなければいいがな……」


 竜は、だんだん小さくなる四つの影を見送りながらひとりごちた。



 ◇ ◆ ◇



 そのとき、赤い髪の女――アカネは自宅で皿を拭いていたのだが、


「こちらはルリ。私の子です」

「……は?」


 アカネの手から皿が滑り落ちる。

 それを、黒髪の巫女がごく自然な動作で受け止めた。


 ここは治癒術士ヨハンとアカネ夫婦、そしてヨハンの妹リリアナの家だ。

 応接用の部屋には住人であるアカネと、「紅き竜の巫女」であり「竜の娘」である黒髪の巫女、そして巫女が連れてきた藍の髪の女の子がいる。

 アカネたちの結婚式以来、巫女がこの村に訪れたのは初めてだ。


「ですから、ルリは私の子なのですよ」


 巫女は、穏やかな笑顔でとんでもないことを口にする。

 その隣で、齢五つほどの女の子――ルリが、腕を組んで無表情に頷く。後頭部の高い位置でふたつに結った藍の髪が、さらさらと揺れる。

 胸元に下がる紅い鱗の首飾りが、巫女の言葉を裏付けていた。


「え、だって子供って、なん……アタシだってまだ臨月……え?」


 アカネは何度も、巫女とルリ、そして大きく膨らんだ自分の腹を見比べる。


「まあ、いいじゃありませんか。細かいことは」

「いや全然細かくねーよ」

「それより、お子さんそろそろですね。少し早いですけれど、お祝いの品を持ってきました。香炉に使える香料も」

「ああ、これはどうも……って、香料は余計だよ!」


 満面の笑みで片目をぱちんと閉じた巫女に、アカネは思わず突っ込んだ。


「まあまあ、遠慮なさらずに。これは私とルリの挨拶も兼ねているのです」

「挨拶?」


 大きな突っ込みどころを流されたが、とりあえずアカネは首を傾げる。

 ルリのお披露目であることはわかるが、巫女の挨拶とはどういうことだろうか。


「実は私、これからしばらく旅に出るんです」

「旅?」

「ええ。そのあいだはルリが代理として村々を回ることになるので、どうぞよろしくお願いします。見ての通りまだ幼いので、今までより麓に下りる間隔は空きますが、薬の原料など扱う品は変わりません。それに、仕事についてはちゃんと教えましたから」

「うむ。しんぱいはいらない」


 不思議な虹彩を持つ幼い代理巫女は、大義そうに頷いた。


「いやでも、いくら巫女様の、子? って言ってもさ、こんなに幼いと……なんていうか……」


 アカネは言葉を濁す。

 アカネたちの結婚式の日に明らかになった、「竜の娘」という事実。それは、紅き竜を敵視する輩からの注目を、以前よりも集めることにもなった。

 すでに何組か、標的に巫女を含めた過激派が山に踏み込んでいる。


 巫女は強い。その辺のゴロツキ数人程度なら軽くいなしてしまえるほどだ。

 ここ数ヶ月は、山で遭遇した謎の大男によって、全てが返り討ちにあっているという話も聞く。

 しかし、この幼い代理巫女がそういった輩に襲われてしまったら。


「巫女様、わかってるとは思うんだけどさ……」


 アカネが言いかけたとき、部屋の戸が慌ただしく開けられた。


「巫女様!」


 後ろ手で勢いよく戸を閉めたのは、栗毛の少女――リリアナだった。

 肩で息をしながら、リリアナの目はルリを捉えて「誰?」と言いたげな顔をする。しかしすぐに気を取り直したようで、


「巫女様、少しここにいて! 静かにして、ここにいるって気づかれないようにしてて!」


 切羽詰まりながらも声量を絞り、リリアナは戸に鍵をかける。


「どうしたんだよリリアナ。髪すげーことになってる」

「それはあとで直すからいい! それよりもねアカネちゃん、大変なの! あいつらが外にいる!」


 それを聞いて、アカネはあからさまに顔をしかめた。


 このあたりで「あいつら」といえば、竜と巫女たちを狙う過激派のことだ。

 巫女たちが挨拶回りをしていることを、どこかで聞きつけて来たのだろう。

 最近は村々で大きな顔をし始めていて、アカネをはじめ、村人たちの頭痛の種になっている。


「こんなときに……。巫女様がここにいるっていうことは知られてな……うげっ」


 窓からそっと外をうかがったアカネの目に、信じられないというか、ある意味でお約束の光景が目に入った。思わず片手で眉間を押さえる。


「アカネちゃん? あ」


 リリアナも一気に渋面を作る。


「なんで絡まれてるのお兄ちゃん……!」


 外では、アカネの夫である治癒術士ヨハンが、いかにもな外見の男たちに囲まれていた。


「ちょっと用事を思い出しました。ルリ、ここで少し待たせてもらってください」

「あ、ちょっと巫女様!?」


 巫女は静止も聞かず、静かに裏口の戸を開けて外に出た。



 ◇ ◆ ◇



 治癒術士ヨハンは今、肝を冷やしていた。いわゆる「過激派」に四方を固められているのだ。


 誰かに逃げ道をふさがれること自体は、これが初めてではない。

 険悪な雰囲気の女たちに囲まれて冷や汗をかいたこともあれば、なにやら青筋を浮かべた男たちに取り囲まれ、笑顔でどつきまわされたこともある。

 いずれも修羅場とかいうものだったらしい。それも一度や二度ではない。


 アカネと結婚してから頻度は減ったが、それまではしょっちゅうそういうものに巻き込まれていた。

 アカネやリリアナ、友人たちに言わせれば、ヨハン自身が中心だったそうなのだが。

 ともかく。治癒術士ヨハンは、久しぶりに剣呑な雰囲気の男たちに囲まれるという、全く喜ばしくもない経験をしている。


「なあ、治癒術士さんよぉ。あんた、『竜の娘』と仲いいらしいじゃねえか」


 男のひとりが、ヨハンの肩に腕を乗せて体重をかけてくる。ゴツい男にくっつかれても嬉しくない。

 この男たちは過激派というよりゴロツキだ。単に暴れたいだけの素行のよろしくない連中が、過激派の名を借りて幅を利かせることが増えたのだ。


「いや、普通に薬草を売ってもらっているだけで……」


 ふいと、さり気なさを装って顔を背ける。その先にも別の顔があったわけだが。


「んなこたねえだろうが。よく家に上げてるって聞いてるぜぇ?」


 はあーっと、男はヨハンの顔に息を吐いてくる。

 行動の意味がわからないし、積極的に避けたい類の臭いであることがよくわかる。不本意ながら。


「それは僕が治癒術士だから、薬草を運んでくれたりするだけで」


 引きつり笑いを浮かべながら、ヨハンはメガネを直すふりをして両手で押さえる。

 こういった連中は、必ずと言っていいほどメガネを奪いにくるからだ。


「かーっ、まどろっこしいな! さっさと『竜の娘』を出せってんだよ! いるんだろ!」


 ヨハンの密かな抵抗も虚しく、メガネは別のゴロツキによって奪われてしまった。

 一体、メガネに何の恨みがあるのか。

 相棒メガネと引き離されたヨハンの視界がぼやけた、そのとき。



「これは返してもらいますね」



 メガネを奪った男の手が弾かれたように跳ね、ヨハンは誰かに手を引かれる。

 ざわつく男たちの中心から大股で五歩ほど離れたところで、


「はい、お返しします」


 ヨハンの視界に、輪郭のある世界が戻ってきた。メガネをかけてくれた巫女の、整った顔立ちもはっきりと見える。


「巫女様!」

「『竜の娘』っ!?」


 巫女は、ゆっくりと男たちの方へ振り返る。

 独特な意匠の巫女装束に身を包み、胸元には巫女の象徴ともいえる紅い鱗の首飾り。右腕に炎をかたどった刃の薙刀を持ち、左腕には、流行病はやりやまいが終息したころから身に着け始めた、見事な刺繍の飾り布が巻かれている。

 口元に微笑みを浮かべた巫女は、今日も美しかった。


「そうそう。今あなたに投げた破片ですが、毒が塗ってあります」

「なんだとっ!?」


 ヨハンのメガネを奪い、巫女の攻撃を受けた男が慌てる。


「と言っても、弱い弱ーい、痺れ薬ですけれど」


 ふふふと、巫女が朗らかに笑う。

 対照的に、男たちはまなじりを釣り上げて得物に手をかける。


「ふざけやがって! ここで討ち取ってやるよ、『竜の娘』!」


 頭に血が上ったらしい男が、腕の長さほどある剣を抜いて巫女に斬りかかった。


「巫女さ……」


 ヨハンは巫女に右手で突き飛ばされる。

 巫女は守りの体勢に移れず、男の剣が無防備な左腕を切りつけた。

 精緻な刺繍の飾り布は無残に切り裂かれ、その下の鮮烈な赤が露わになる。


 左腕をびっしりと覆う、紅い鱗・・・が。


 まったくの予想外。

 たじろいだのは男たちだけでなく、ヨハンもだ。目を見開き、声にならない悲鳴を上げた。


「うん、さすが。傷ひとつつきませんね。少し響きましたけど」


 巫女は、左手を握ったり開いたりして具合をたしかめている。

 男の一撃は効かなかったのだろう。


「そうだ、大丈夫ですか?」


 こちらを向いた巫女の目を見て、ヨハンはまた息を飲む。

 巫女の瞳孔が、爬虫類を思わせる縦長のものになっていたからだ。

 それを見たゴロツキのひとりが叫ぶ。


「ば、化け物っ!」

「あら」



「『紅き竜の娘』が人間だと、誰が言いました?」



 巫女は柔らかく、しかし凄みのある笑みを浮かべた。

 いつの間にかアカネとリリアナもその場にいたが、ふたりとも、目の前で起こっていることに反応できていないようだ。


 その場の誰もが巫女を凝視して動けない中、何者かが男たちの手を打ちつけて得物を叩き落とす。


「かあさまのこどもであるわたしも、にんげんであるとはいっていない」


 自在に伸ばした藍の髪・・・・・・・・・・を縮めて戻しながら、瑠璃玉のような目をした女の子が歩いてくる。手には濃い空色の紐を持ち、


「かあさま、またほどけてしまった。むすんでほしい」

「いいですよ」


 優しい笑みを浮かべて紐を受け取る巫女の目は、いつの間にか元に戻っている。


「おいコラ、俺の愛弟子たちに手ぇ出してんじゃねーよ」


 新たな声に振り返ると、金属製の鎧を身に着けた大男が、両手にひとりずつゴロツキの首根っこをつかんで乱暴に揺らしているところだった。

 顔には迫力のある笑みを浮かべていて、威嚇された男たちは先ほどまでの威勢はどこへやら、すっかり縮み上がって怯えている。


『おじさん!?』


 大男に、別の意味で驚いたのはアカネとリリアナだ。声に懐かしさと困惑が混じっている。

 ヨハンも、この大男には見覚えがある。

 アカネのふたりめの母親の弟、「おじ」のクラノだ。


「おー、お前らでっかくなったな。ヨハン、お前よーやく男を見せたか!」


 アカネの大きくなった腹を見て大声で笑いながら、クラノはつかんでいた男たちを放り捨てた。

 男たちは二、三度跳ねて転がる。

 なんとか身を起こすと、身体に付いた土も払わず、「覚えてろよ!」と捨て台詞を吐いて、全員逃げて行く。


「なんだよ、みんな派手にやったなー」


 と、今度は高めの青年の声。どこからともなく尾が二本の猫が現れた。

 巫女、女の子、クラノと続いたあとだと、いささか印象が弱い。


「あれ、なんかオレだけ反応薄くない?」

「にんげんたちがおどろくようすをみたくば、しゃべるだけのねこになど『ぎたい』しなければよかったのだ、コハクさま」

「ま、そうだな」

「そうですね」


 巫女をはじめとする驚きの一行は、女の子を除いて、しゃべる猫を前に笑いあった。


「さて、騒いでしまった手前、長居はできないようですね。ここが最後の村でしたし、行きましょうか」


 巫女はぐるりと村人たちを見回して、


「みなさん、お騒がせしました! 私が不在の間、ルリをお願いします。それでは!」

「かあさま、おげんきで」


 巫女は丁寧にお辞儀をすると、クラノから荷物を受け取る。そしてしゃべる猫を加えたふたりと一匹で、一度も振り向かずに村を出て行く。

 残された女の子――ルリは、無表情に手を振りながらその後ろ姿を見送った。


「さて、わたしもかえるじかんのようだ」


 手を振るのをやめたルリが呟くと同時に、地面に影が現れた。

 それはどんどん大きくなり、形がはっきりとしてきて、


 ずどん! と、大きな音と衝撃、熱風。

 その巨体はルリの側に着地する。

 それは、まだ村人たちの記憶に新しい、紅き竜そのものだった。


紅玉こうぎょくさま」

「やはり面倒ごとが起こったか。帰るぞ、ルリ」


 紅き竜はルリの巫女装束の端を咥え、ぽいと上に放る。

 ルリはきれいな放物線を描いて、器用に竜の背に着地した。


「よく聞け、人間ども」


 羽ばたき、巨体を浮かせて村に熱風を打ちつけながら、紅き竜は口を開く。


「『紅き竜の巫女』である我が娘と、その子であるルリに仇なすことはこの私が許さぬ。良いな」


 地響きと炎を伴うその声は、逃げた男たちにも十分届いたことだろう。

 そして紅き竜は、一瞥もくれずに山へと飛び去ったのだった。

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