2.紅き竜と押しかけ娘
紅き竜は鼻から長く、長く息を吐く。
その風圧で、先ほど「生贄」から「押しかけ娘」に転身した人間が、ころころと地面を転がっていく。
いや、自ら受け身をとる要領で転がっている。そのまま勢いを利用して、くるりと起き上がった。
「やはりある程度、流れに身を任せるのが肝要ですね。へたに踏ん張っても、転んで怪我をするだけだと実感しました」
服についた汚れをぱたぱたと叩き落としながら、娘はなにごともなかったかのような顔をしている。
「今からでも遅くはないぞ。家に帰ればいい」
「いいえ、帰りません」
娘は、生贄の上等な衣ではなく、食物や宝飾品など貢物とともに紛れ込ませたという村娘の服を着ている。
もしものために用意していたというが、他にも狩りに必要な弓矢や小刀などが出てきた。
万が一生贄が生き残れたならばと、村の人間たちが用意したものかもしれない。いやしかし、この娘に限ってはそうとも言い切れない。
改めて聞く気にもなれないが。
「今日のところは貢物の調味料で肉に味を付けましたが、明日からはさっそく麓に物資を調達に行ったほうがよさそうですね。麻酔に使えそうな植物も見つけましたから、売ればそこそこになるでしょう」
宣言どおり、娘は、見事な手際で兎を狩り肉と毛皮を処理した。そして、簡易ではあるが、山から採取した香草とで手際よく料理と食事を済ませていた。さらに、人里で売れそうなものの目星も付けたらしい。
「肉はもっと手をかけたものが好みなのですけれど、贅沢は言っていられません。さて。今日の腹ごしらえは終わりましたし、温泉の前に寝床を整えますか」
娘は昼間目星をつけていた小さな岩の洞穴に、山から集めた葉を敷き詰める。そして貢物の輿から大きな布と毛布を持ち出し、てきぱきと寝床を作り上げた。
「近くにあなたがいることですし、あまり冷えることもないでしょう。我ながら上出来です」
両手を腰に当て、娘は満足そうに頷いた。
「逞しいことだな」
「いえいえ、それほどでは。少し、人よりも必要に迫られることが多かっただけで」
謙遜などではないようだ。この娘にとっては、今まで過ごしてきた日常と大して変わらないのだろう。
本当に逞しくなったものだと、竜は過ぎ去った日に思いを馳せる。
二年前、生贄が運ばれてきた日のこと。
いつものように、生贄の一行に紛れて来た男どもを竜が追い払う。
静かになったあとで、びくびくしながら輿から出てきたのがこの娘だった。
年齢は十三だったはずだ。
悪竜と呼ばれる竜を目の前にして怯える生贄は珍しくないが、この娘は目に見えて怯えていながらも、竜から視線を外さなかった。
いつもなら、生贄とは簡単な会話をしてから忘却の魔法をかける。しかし竜は、この娘に興味を持った。
何か言いたいことがあるなら言ってみろと促すと、娘は堪えていた涙をこぼし、しゃくりあげながら話し始めた。
「せ、先日……ひっく、おか……母が、病気で死ん、で、ひっく、しまっ、て……!」
そう言うと、娘は堰を切ったように大声を上げて泣き始めた。
生贄として連れてこられた娘たちが泣くことは、特に珍しくない。そして、それを竜がなだめることも。
竜は、娘が落ち着くまで何も言わずに待った。
泣き疲れて落ち着くと、娘は掠れた声でぽつりぽつりと身の上を話し始めた。
元々、身体が丈夫でない母親だったこと。
母親の死は悲しかったが、娘たちは家族が多く、父親と兄や姉たちだけでは生活が苦しいこと。
悲しみから立ち直れず、生きていることも辛くて、口減らしにと年に一度の悪竜の生贄に自ら志願したこと。
元々美しかった娘は、すぐに生贄に選ばれたこと。
ひととおり話し終えるころには、娘は気を張っていたのと泣き疲れたのとでぐったりしていた。
竜は娘が体を休められるような場所を見繕い、高温の体表で火傷をさせぬように気を付けながら、娘に横になるよう伝えた。
少し離れたところで、竜も座る。娘が冷えぬよう、紅き竜の体温で暖まるように。
「今は悲しいだろうが、
娘は微笑みながら、ゆっくりと瞼を閉じて眠りについた。
翌朝、目を覚ました娘は、幾分すっきりとした顔をしていた。
「私の話を聞いてくださって、ありがとうごさいました……。いくらか気持ちが軽くなりました」
「そうか」
「それで、あの……」
娘はもじもじと、上目使い気味に竜を見て、
「また来ても、いいですか……?」
竜は絶句した。そんなことを言ってきた生贄は記憶にない。
「お前は何を言っているのだ」
竜は問答無用で魔法をかけ、いつも生贄たちにするように、娘を自分の村に帰した。
悲しさを全て消化できたわけではないだろうが、あれだけ泣いたのだ。あの娘はちゃんと生きていけるだろう。
だというのに。
翌年、娘は再び竜の前に現れた。またしても生贄として。
しかし、それ自体は珍しいことではない。
生贄に選ばれるような美しい娘は、再び生贄に選ばれることも多いのだ。竜が村ごと忘却の魔法をかける弊害とも言える。
一年前とは違い、娘には悲壮感はなかった。ただし、どこか
「父が死にまして……」
悪竜に臆することも忘れたと言った
父親は食中毒で、娘が
二年連続の不幸というわけだ。
そして呆然としている内に、今日このときを迎えたという。
「母親のときもかなり堪えましたが、どうやってか立ち直って……。私もいくらか、仕事を手伝って生活をしていました」
あのあと、どうやらそれなりにうまく生活していたのだなと、竜は話を聞きながら思っていた。
「ところで、あの」
娘はやや困惑した、不思議そうな面持ちで竜を見上げた。
「あなたとお話するのは初めての気がしません……。なぜでしょうか」
その言葉を聞いた瞬間、竜は反射的に魔法をかけた。何かとてもまずい予感がしたのだ。
娘は再び村に帰され、竜は今までの生活に戻った。
まさかみたび
しかし、これが因果というものか?
また翌年、生贄を見た竜は我が目を疑った。
「私はただ、あなたにもの申すために生贄に名乗り出たのです」
見間違いかと思ったが、堂々として貫禄すら感じさせる生贄は、間違いなくあの娘だったのだ。
この一年で何があった?
少しばかり興味を引かれ、娘の話を聞いてしまったことがそもそもの間違いであったのかもしれない。
「人里に戻らず、あなたと暮らすとしたら楽しそうじゃないですか?」
好奇心で目を輝かせる娘に、竜ははっきりとわが身に迫る危険を感じ取った。
慌てて話を切り上げ、魔法をかけようとして、
「私は何度でも生贄として来るでしょう」
竜は戦慄した。
すでに三度も
結局、竜は娘のしつこさに折れ、こうして側で生きることを許してしまったのだ。
竜は深く、深くため息をつく。
炎が混じるその息を、連続後方倒立回転跳びで娘が避けていく。
泣き虫な娘がどうしてここまで逞しくなったのかとか、そんな面倒な跳び方よりも走って避けた方が速いのではないかと思って、やめた。
この娘に関しては考えるだけ無駄な気がしたのだ。
「ところで、生贄はふた月ごとでしたか?」
手に付いた土を払いながら娘が聞いてくる。
「そうだな。間が詰まっていても面倒だ」
「実際にはいらないのですよね、生贄は。しかも、あなたを狙うならず者たちまでついてくる」
「何度も脅しているのだがな。忘却の魔法の弊害か。ある程度の立ち入りを許した方が楽かもしれんが」
「そうですか……」
娘は顎に手をやり、何やら思案していた。
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