第7話 裸のオオカミ

 セルジュは銅の剣でヒュドラに必死に抵抗したが、かたわらにウルファングが居ない状態では防戦一方。

 まるで恐怖演劇のヒロインのように叫びまくる。

 もうダメかというところで……


「ウオーーーーーーー!!」


 ヒュドラの背後に回り込んでいたウルファングが、渾身のパンチを決めた。

 セルジュが叫び続けていたのは、鎧が立てる押さえきれない金属音をヒュドラに気づかせないためだった。


 電撃が走り、ヒュドラが動かなくなる。

「どうやったの?」

 セルジュが目をキラキラさせて尋ねる。

 ウルファングは、何の武器も持っていなかった。

「竜殺拳ってんだ。結構、珍しい技らしいぞ。俺の故郷の近くで行き倒れてた旅人が、助けたお礼にって伝授してくれてな」

「すごーい!」

「で、好奇心に負けて獲物を探して、ちょうどいいのが見つからなくて、食えねえ種類の竜に使っちまって集落追放」

「あらら……」


 ヒュドラに目をやる。

「せっかく呪いを解くチャンスだったのにね」

「それで死んじゃあ、お互い意味がねえだろうが」


 そのヒュドラの目が、カッと開いた。

 全て同時に。

 無数の首の全てが同時に撃ち出した炎が、一つに固まり、渦になってセルジュに襲いかかった。


「!」

 ウルファングがセルジュの襟首を掴んで遠くへ放り投げた。


 セルジュは茂みがクッションになり、かすり傷だけで済んだ。

 慌てて起き上がった視界の中で、ウルファング一人が炎に焼かれていた。

 セルジュの絶叫が響いた。




 時間が経って、炎が収まる。

 鎧は黒焦げになり、ところどころ溶けていて、風に吹かれて崩れ落ちた。


 ウルファングは、居ない。

 遺体すら……骨のカケラすら残っていない。


 ヒュドラもまた黒い炎に包まれて、体がどんどん縮んでいく。

 黒い炎が消えると、そこにはロニーが倒れていた。


「なん……で……」

 セルジュはよろよろとロニーに手を伸ばした。

 辛うじてまだ息をしているようだ……と思っていると……

 ロニーはバッと起き上がり、紫色の液体が塗りたくられたナイフでセルジュに斬りかかった。


 セルジュはとっさに判断が遅れて立ちすくむ。

 しかしそこに灰色の何かが飛び出してきてロニーを押さえつけた。


「……おじさん……?」

「この姿は見せずに消えるつもりだったんだがな」

 昨日から聞き続けてきた、だみ声は、バカでかいハイイロオオカミの唇から放たれていた。

 これがウルファングの本来の姿……

「今さらだけど、なんで鎧を着ようなんて思ったの?」

「今さら何だよ? サイズが合ってたからだよ!」




 ロニーは奇声を上げながら暴れ続けている。

「姫」「忠義」「護衛」

 言葉の端々から推察するに、ロニーこそが、姫を守れず自分の鎧に呪いをかけた騎士なのらしい。

「そっか……ロニーさんは、自分でかけた呪いを解くために解呪師になったんだね……

 それで、解呪に必要な“本気の攻撃”をするために、今度は自分自身を呪って狂わせたんだ……」

 ロニーは毒のナイフを離さない。

「くそっ! 止められねえ! トドメを刺すしかないぞこれは!」

 ウルファングは重い鎧から開放されて、嬉しいはずだが、身を守るものがなくなっている。

 少しでも力を抜けばウルファングが刺されそうだし、今のロニーは自分で自分を刺しかねない。


「待って。僕に任せて」

「……?」

 セルジュの声からは今までの甘ったるさが消えて、落ち着き払ったものになっていた。


 セルジュの両手から光が溢れ出してロニーを包む。

 ロニーの傷が癒えていく。

「……まさかこれ……フルヒールってやつか?」

 ウルファングがつぶやく。

 名前を聞いたことがあるという程度の、伝説の術。

 回復魔法自体が素人が簡単に扱えるようなものではないのに、その中でもとんでもなく高度な術だ。


「……セルジュ……お前、何でこんな力を……?」

「記憶が戻ったんだよ。おじさんの呪いが解けたから、僕のも解けたんだ」


 ロニーが静かにナイフを投げ捨てた。

「お前さん……何て奴じゃ。解呪までしおるとは。しかもこんなにもあっさりと……ワシゃ解呪一筋でこの年まで学び続けてきたが、それでもこんな真似はとてもできんぞ。セルジュよ、お前さんはいったい何者なんじゃ?」

「言えません。言えばあなたたちまで厄介事に巻き込んでしまう」

 今までの甘えたような笑顔ではない、高貴さをたたえつつも儚げな微笑みは、どこの王子さまだと言われても足りないほどで……

 ウルファングは、突然感じた近寄りがたさに、思わずセルジュから後ずさりした。




 廃城に戻って着替える。

 セルジュの革鎧は安物だが、下に着る服は、普段着でありながら、変装で使ったドレスと並べても違和感がないほど上品なものだった。


「お世話になりました」

「…………おう」

 ハイイロオオカミのウルファングと、お手のような握手を交わし、セルジュは大きな街道のある方角へと去っていった。


「お前さんはどうするんじゃ?」

 未だ呆けた表情のハイイロオオカミに、解呪師の老人が尋ねる。

「人間の居ない方向へ行くよ。獣族ってのはそういうもんさ」

「うむ。達者でな」

「じいさんは?」

「このままここで暮らすよ。ここはワシの故郷じゃからな」

「そっか。じゃ。元気でな」

 そう言いつつウルファングは、セルジュの足音が消え、木の葉のこすれる音が消えるまで動き出せなかった。


 さびしい。

 ただ、さびしい。

 だけどそれ以上の何があるというわけでもない。

(どこの王子さまか知らないけど、俺みたいな薄汚れたオオカミなんかと関わってたら、それだけであいつの立場を悪くしちまうよな)






「おい! まだおるか!?」

 城内に引っ込んだロニーが大慌てで飛び出してきた。

「思い出したぞ! セルジュのことを! 修行の旅の途中で噂を聞いたんじゃ! あやつは暗殺されたはずじゃ!!」

「なっ!?」


「何の後ろ盾もない孤児院の出でありながら教王を凌ぐ神聖魔法の使い手で、ほんの子供であるにもかかわらずコスモス教団の覇権を巡る陰謀に巻き込まれて……

 呪い殺されたと聞いておったが、持ち前の魔力でもって耐え抜いて、記憶を失うだけで生き延びておったのじゃな……

 あやつは教団に巣食う悪党どもと、一人で戦うつもり……じゃ……ぞ……」


 コスモス教団といえば、大陸諸国の王族も信仰する巨大宗教団体だ。

 その教王を超えるものなんて、王子さまどころの話じゃない。

 ロニーの言葉をウルファングは、最後まで聞いていなかった。

 ウルファングはセルジュを追いかけて走り出していた。


(俺みたいな薄汚いオオカミがそばに居たところで何になるとも思っちゃいないが、それでもそばに居てやりたい。

 必要なら教団の奴ら全部食い殺して、あいつをさらって逃げてやるッ!!)


 木の葉が鳴り響く。

 風の音が、二人が踊るための音楽に聞こえた。

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ノロイのヨロイを脱がせてあげる ヤミヲミルメ @yamiwomirume

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