82.お父様に、ご挨拶

 艦長を始めとする指令室幹部のクルーは、意外にも他の一般乗務員がすべて下りてから、最後の下船となる。


 その間、そこに見えているのになかなか降りてこられない心優を見て、母がとても焦れているのが見て取れた。

 御園准将はやはり艦長を務めただけあって最後に降りたいというので、心優は彼女の前を歩いて桟橋へ、二ヶ月ぶりのおかへと一歩を踏みしめる。


「心優!」

 紺色のスーツ姿の母が飛びついてきた。心優を同じぐらいの背丈の母が子供の頃以来かというほどに、娘にがっしりと抱きついてきて驚いた。

「お母さん、ただいま」

「まあ、髪が伸びたわね」

「空母にも理髪店があるんだけれど、べつにいいかなって自分で前髪を切ったくらい」

「大丈夫? なにもなかった?」

 やはり母はなにも知らないんだなと思った。だから心優は敢えて晴れやかな笑顔を見せておく。

「うん。大丈夫。准将のお側にいるし、優秀な幹部の先輩ばかりだから無事に還ってこられたよ」

「はあ、よかった。ニュースで大陸国の戦闘機が東シナ海で墜落をしたけれど、側にいた空母艦が救助をしたというニュースがあって……。あなたの艦なんじゃないかしら、そろそろ東シナ海にいるんじゃないかしら、大陸国と何かいざこざにならなければいいけれどと思っていたのよ」


 そんなニュースが国内で流れていたのかと心優は言葉を失う……。でも、大陸国の戦闘機が墜落したならば、それは空母艦の出来事に決まっている。でも墜落と救助というニュースに留まっている様子。

 ありのままを伝えないのも平和を守るうちなのか。母の心配は娘がその側にいるという程度のようだが、それだけでもこんなに不安に思っている。


 そんな母を、逆に心優は背を撫でて労っているぐらい。そして心優は母の後ろで黙ったままの父とやっと目が合う。


「お父さん。ただいま戻りました」

 白い正装姿の父が、少佐の父が、そんな娘に敬礼をしてくれる。

「園田少尉、航海任務ご苦労様でした。そしてお疲れ様です」

 父が娘を立派な海軍人として認めてくれた姿。心優も改めて敬礼をする。

「園田少佐。有り難うございます。とてもよい経験になりました」

 母が『そこまで改まらなくても』と、やっと笑ってくれる。でも今度は父が浮かない顔。


「心優……」

 なにか言いたそうにして、でも娘を見下ろしたまま、まだ表情が堅い。

「やだ。お父さんったら、どうしちゃったの。もう心優は大丈夫ってわかったじゃない」

 それでも父は黙っている。そして、心優も悟った。父は今回の航海で、空母で何が起きたか知っている。知らされていると――。

「お父さんが守ってくれているんだなって……。最近、そう思っている。お父さんがカラダに叩き込んでくれたことが、役に立っているよ」

 遠回しに、その技が技能が自分を守り、艦長を護ったと告げる。すると父が泣きそうな顔になって、あの父がやっと心優をがっしりと抱きしめた。


「よくやった……、本当によく頑張った!」

 そして母に聞こえないよう、父が心優の耳元で囁く。『怪我はもういいのか』と――。心優も母に悟られないよう『うん』と頷いた。

 やっぱりいつまでも娘。心優も年甲斐もなく涙が出て困ってしまう。


 そんな父と母と帰還の対面。母が『休暇をもらえるのでしょう。沼津には帰ってこないの』とか『今夜は一緒に食事をしたいけれどだめなの』と聞いてくる。


「ごめんね。お母さん。艦長と業務をしていた指令室の隊員は、横須賀司令部に航海業務の報告のために二日間残らなくてはならないの」

 それが事故と事件が起きたための『査問委員会』とは言えなかった。

「そうなの。残念ね……。お母さんも明日には沼津に帰る予定なのよ。その後に寄ることはできないの」

「うん……」

 帰ってすぐに彼と結婚の準備をすると言わなくては。色恋も音沙汰なかった娘が急に結婚するってどう思うのかな。心優は少し躊躇う。


 だけれど、家族の迎えもなく一人で離れていた雅臣と目が合い、ようやっと彼がこちらに歩み寄ってきた。

「園田教官、ご無沙汰しております」

 まずは雅臣から父へと声をかける。父もそこはキャリアを積んできた大佐殿からの声かけだったので、敬礼をして改めてくれる。

「城戸大佐。防衛任務、ご苦労様でした。この度は、空母への復帰、おめでとうございます。また、娘が横須賀の准将秘書室勤務の頃から大変お世話になっております」

 父の丁寧な挨拶に、母もハッとした顔で、白い正装服の大佐殿を見上げた。

「心優の母でございます。主人から城戸大佐のことはよく聞いております。横須賀の秘書室、または今回の小笠原の秘書室勤務になっても、空母でご一緒になったとお聞きしておりまして、お世話になっております」


「心優さんのお母様ですか。初めまして、城戸雅臣と申します。私こそ、頑張り屋の彼女に随分と励まされ、事故でコックピットを降りてから暫くは航海ができなかったのですが、元より望んでいたパイロットを護る業務に復帰することができました。それも、彼女のおかげなのです」

 父は知っているだろうが、急な大佐殿の過去を知らされた母はきょとんとしていた。


 でも、雅臣が心優の隣に並び、制帽を取りさった。そして、父と母の顔を交互に見つめて緊張した面持ち。

 ついに。臣さんが言うんだ。ついに父と母に知られてしまうんだ。心優も緊張する。


「園田少佐、いえ、お父さん。お母さん。彼女と結婚の約束をしております。どうか、私と結婚することをお許しください」

 軍人は敬礼をするもの。でも、雅臣は制帽を取りさった黒髪の頭をふかぶかと父と母に下げた。


 心優は両親の顔を見る。二人とも唖然としている。

「あはは。心優、なんだこれ。ただいまのドッキリなのか?」

「あら、やだ。海軍さんって航海から帰るとこういう遊びをするものなの?」

 母までうふふ――と、ちょっと困った顔で笑っている。


 逆に雅臣が唖然とした顔で頭を上げた。

「いえいえ。ドッキリでもなんでもなく、本当にお嬢様と一緒になりたいと思って、本日ご報告をしている次第です」

「城戸大佐ほどの男性が、うちの娘をですか? 一緒に秘書室にいたからご存じでしょう。道場で汗まみれになって空手ばかり、女らしいところなどひとつもなく育ってきたんですよ」

「お父さんったら。そこまで言いうの。……ですが、大佐さん。ほんとうにうちの心優よりも、もっと他の女性がいらっしゃるのでしょう」

「いえいえ。本気です! あの、その、」


 流石に雅臣が困り果てた顔を心優に向けてきた。


「どうすればわかっていただけますか。本気なんです。心優さんと航海の間にいろいろと話し合って、結婚しようと約束をしました。ですから、空母を下りたらすぐにお父さんとお母さんに報告しようと決めていたんです」

 そこでやっと、両親が黙った。二人揃って心優をじっと見て、そして背が高い白正装の雅臣を見て……。


「え、心優も、本気、なのか」

「はい。お父さん。大佐と結婚したいです」

「え、心優ちゃん。ほんっとうなの? 嘘じゃないの」

「うん。お母さん……。わたし、城戸大佐と結婚したい」


 『えっ!?』やっと両親が驚きたじろいだ。


「え、ええ? み、心優ちゃん?? 城戸さんは大佐さんなのよね?? あなた、そんなすごい上官さんの奥さんになるっていうの?」

「うん。城戸大佐をこれから支えていきたいの」

 何故か母が青ざめた。

「ま、待ってください。城戸大佐。うちの娘はなにもできない、最近、ようやっと軍人として働けるようになった、女らしさもない、空手選手あがりの事務官ですよ?」

 大佐夫人など娘には荷が重いと父が面食らっている。


 でもこんな時こそ、雅臣は、誰もを笑顔にさせてしまう爽やかな愛嬌ある微笑みを見せる。


「園田少尉は、いえ、心優さんは立派な秘書官で御園准将の護衛官ですよ。いずれお父様のお耳にも入るかと思いますが、今回の航海での彼女の働きぶりはとても評価されるものでした。ミセス准将がいつも彼女をそばに置いて信頼している女性護衛官です。女性としての気遣いも、指令室にいた男性隊員に聞けば、誰もが園田のことをよく言うと思います」

「そんな、娘はそんな出来のよい軍人では……」

「もしお父様がいままでそう思われていたのなら、心優さんはここ一、二年でとても成長されたのです。御園准将の側にいて、少尉まで叩き上げたのはあの御園大佐ですよ。それだけで彼女がどれだけのものを得たのか、おなじ横須賀基地にいるお父様ならお判りですよね。何も得ようとしない者は御園大佐は切り捨てますよ」

 父が黙りこくった。そして神妙な面持ちで俯いてしまう。


「お父様。私、とても嬉しく思っているのですよ」


 そんな女性の声が聞こえて、父が振り返った。そこには真っ白な正装姿の御園准将が立っていた。


「御園准将! この度は防衛任務、ご苦労様でございました!」

 あの女将軍様が現れて、さすがに父も驚いている。母も話で聞いているのか、また丁寧に頭を下げてくれている。


「園田少佐。素晴らしいお嬢様を有り難うございます。このたびの航海では彼女がいなくては無事に終われませんでした。長く男性の中で軍人として務めてきましたが、やはり側に女性がいると安心するものです。私も随分と年齢を重ねましたので、時折ほんのちょっと体調がよくない日があります。そんな時は彼女がよくお世話してくれて安心してすごしておりました」

「そんな滅相もない……」

「園田少佐の教えが、お嬢様を助けて私を助けてくださったんですよ。感謝いたします」

 栗毛の楚々とした准将からの静かな感謝に、父が茫然としている。


「城戸から結婚のお話をお聞きになられましたか? お父様より先に知ってしまい申し訳なかったのですが航海中に二人の決意を聞きまして、指令室でも祝福していたところです」

「では、本当に……」

 ようやっと父が『娘が結婚をする』と飲み込めたようだった。そして母は心優を見て微笑んでくれたが、でもどこか心配そうで複雑そうだった。


 それでも御園准将がにっこり微笑む。准将が微笑んだので父もちょっと驚いたよう。

「私、二人の結婚の立会人になりたいと思っておりますのよ」

 ね、あなた。

 准将は後ろにいた夫に振り返る。御園大佐がいつのまにかそこにいて、やはり眼鏡奥の黒い瞳でにっこり微笑んでくれる。

「是非、私達夫妻に、立会人をさせてください」

 御園夫妻が娘の結婚の立会人。ここまで来れば、父はもう何も言えないようだった。


 そして心優も御園夫妻が立会人のことまで考えてくれていたと知り、驚きを隠せない。でも、嬉しい!


「……本当に、結婚、する気と言うことなのですね」

 手放しで喜ばない父を見て、御園夫妻も顔を見合わせた。

 御園大佐が父親の顔で言う。

「自分も娘を持つ父親なのでわからないでもないです。心配もございましょう」

 それは母も同じで、まだ喜びが湧かないようだった。

 両親の反応に心優は不安になる。結婚、許してくれないのかな……。


 そこで雅臣が父に神妙に告げた。

「すぐに許していただこうとは思っておりません。自分もこれから航海に出て行く身なので、ご両親としては心配でしょう」

 そこは父が首を振る。

「いえ。私も海軍の端くれです。娘が軍人になった以上、この覚悟を早くに持つべきでした。特に、秘書官となった以上は、むしろ上官殿に嫁にやったと思うくらいの覚悟が必要だったのです」


 それを今更思い知るとは、至らぬ少佐であって、父親であったといいたげだった。


「ですけれど。少佐も、海軍の隊員として、また父親としてのお気持ちもありますでしょう。本日は報告だけでもと思って伝えました。お許しはまた改めて沼津のご実家にご挨拶に出向いた時にいただきたく思っております」

 時間をおいて、お互いに娘の結婚のことを考えましょうと、雅臣はとても落ち着いていた。こんなところ、お猿さんは大人だった。


 それで父と母も納得してくれたようだった。


「ひとまず、結婚を前提に小笠原でも準備を進めたく思っております。夏にもう一度、ご挨拶にまいります」

 雅臣が深く頭を下げると、父と母もようやっと……。

「よろしくお願いいたします。城戸大佐」

「至らぬ娘ですが、よろしくお願いいたします」

 二人が雅臣に深く礼を返してくれた。


「よかったわね、心優」

「これからだな、園田」

 ミセス准将と御園大佐もほっとしたようだった。心優もミセス准将に微笑み返す。


「聞いちゃった。園田さんとソニック、結婚するんだ」

 白い正装姿のミセスと御園大佐の後ろから、背が高い栗毛の男の子がひょっこり出てきた。

「ソニック、ひさしぶり!」

 栗毛の貴公子のような男の子が、雅臣ににっこり微笑んだ。逆に雅臣はびっくりしている。


「わ、海人? おっきくなったなあ!」

「そりゃ、もうハイスクールだもん」

「ハイスクール!? 俺が以前、小笠原にいた時は、まだこんな小学生の男の子だったのに」

 雷神のパイロットとして小笠原にいた時から顔見知りのようだった。

「あれから何年かな? 俺だってでかくなるよ」

「いやあ、もう大人の顔だなあ」

「そうなんだ。鎌倉に行くと、俺と右京おじさんの後ろ姿が似て来ちゃって、母さんがよく間違えるんだ」

「ちょっと、海人。よけいな話はしちゃだめでしょ」

「うーん、母さんがいないあいだは、家の中が綺麗に整頓できるんだよね。母さんて無頓着だから、ここに置いてねっていうのに決まったところに置かないで、なんでも気分で置いちゃうから、探すのが大変なんだ。この前なんて、洗面所にクッキーの缶が……」

「もう、やめてっ!」

 お母さんが自分より背が高くなった息子の口を必死で塞ごうとしていた。


 あのミセス准将が、またらしくなく慌てる姿に、父が面食らっている。心優も初めての姿ではないけれど、今度は海人君と准将ママの関係に目を丸くする。心優の驚きは『海人君、姿はお母さんにそっくりだけれど、中身は大佐お父さんにそっくり! ウサギさんをおちょくる姿がそっくり!』だった。


 ついに心優の父が笑い出してしまう。

「いやー、ミセス准将殿も、息子さんには可愛いお母さんになってしまわれるのですね」

 少佐の父に言われ、あのミセス准将が真っ赤になったので、また周りにいる人々がその視線を集めた。


「海人のせいだからね」

「知らないよ。母さんが普段からつんと澄ましているからいけないんだろ。愛嬌ないとだめだよ」

 なんという生意気なおぼっちゃま。心優もクラクラしてきた。アイスドールだからこそ海兵隊員を束ねているお母さんに、ツンと澄ましているからいけない愛嬌大事なんて説くなんて。


「うわ……。俺がいない間に、海人君すっかりお父さんにそっくりになりましたね。びっくりです」

 雅臣も呆気にとられている。雅臣の記憶では海人君はちいさな小学生のままだっただけに、余計に驚くようだった。


「ソニック、これからも小笠原にいるんでしょ。英太と一緒に甲板にでるんでしょ。ソニックがバレットの教官みたいにしてアクロバットしているところ見てみたいよ!」

「それなら。今度の広報映像の英太の飛行は、俺が教えたアクロバットだ」

 うわ、マジで! やったー! 今度は無邪気になって飛び上がるので、やっぱりまだ子供なんだなとも思える。


 それでも、栗毛で琥珀の瞳を持つ日本人離れした顔立ちの母親と息子が並ぶと、なかなか優雅なもの。その栗毛の母子がまた黒髪の眼鏡のお父さんを真ん中にして、にっこりと幸せそうに微笑んでいる家族の姿。ミセス准将もやっと帰還できたんだなと心優も思える。


 そのミセス准将が賑やかさに紛れて、少佐の父にそっと何かを耳打ちした。

『お父様。査問の後にご報告したいことがありますので、よろしいですか』

 心優にはそう聞こえた。父が無言で頷いたのも見逃さなかった。きっと父には詳しい経緯を、准将は心優のために伝えるのだと思った。

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