81.ただいま、横須賀!
ホットスクランブル!
太平洋上を航行中でも、東シナ海や房総沖への侵犯措置への指令が飛んでくる。
「キャプテン。ビーストーム1号、2号、行けます」
「1号が措置、2号に撮影を。いつもの『ご挨拶』も忘れるなよ」
そこに一人で立って出撃命令を飛ばしているのは、雅臣だった。
その後に、御園艦長と橘大佐がやってくる。
「どう、雅臣。いつものスホーイかしら?」
「大丈夫です。今日は水曜日なので、急行なのでしょう」
「相変わらずだな。しかし、水曜日の急行に出会えるってことは、東に帰ってきたってことだな」
橘大佐もそろそろ横須賀だと、どこか嬉しそうだった。
東京方面へと決まった曜日に南下してくる北方の偵察飛行は、随分と昔からお決まりだった。
しかしもうアジアの大陸国とのミグやスホーイ接触ではなく、北方大国のスホーイとの接触になってきている。
空母はもう伊豆沖まで来ていた。
そして雅臣も管制室を一人で任されるまでになっている。
『キャプテン。捕捉されました』
「やり返してやれ。いつものようにな」
『ラジャー、キャプテン』
雅臣はパイロット達が憧れたエースパイロットだった男、その男が声だけでも側にいる、空母艦のブリッジから自分たちを見守ってくれている。その信頼がこの二ヶ月ですっかり出来上がっていた。
「ソニックの声が、どれだけ最前線に生身で向かうパイロットの助けになっているか。わかるかしら?」
満足そうな艦長の笑み。
「コックピットではなくても、空を飛んでいる。そんなことあるものかと思っていましたが、間違いでした」
無線のインカムヘッドセットをした雅臣のシャーマナイトの目は、パイロットと同じヘッドマントディスプレイのデータを見据えている。
「彼等と一緒に、俺もいま領空線にいます」
「そうね。彼等と飛んでいるわ。私達……」
二人が指揮カウンターで並んでいる姿を心優も見つめる。
もうすぐ艦長と副艦長という師弟になる二人は、いま一緒に空へと飛んでいる。
伊豆大島が見えてくると、横須賀はもうすぐ。
今年の桜は早かった。心優がいない花見もいままではあったが、それでも母さんが今年は今まで以上に寂しがっている。
沼津の家の庭には、母さんの薔薇が咲き始めた。いつになったら心優が帰ってくるのかと、母さんは季節の移り変わりがいまは辛いようだ。
メールだって送っても届かない時がある。心優の返信が半月後に来たこともある。手紙はもっと時間がかかるとお父さんが言うし、電話だって通じない時がある。こんなの『送ることができる』だけで、届かないなら意味がないと機嫌が悪い。
父さんも海軍の端くれ。航海はそんなもんだと母さんを宥めている。
横須賀の帰還には、母さんと行くからな。御園准将と橘大佐、そして城戸大佐にもよろしく。
「もう知らせも届いたよね。お父さん」
太平洋上の航行は順調に進んだ。艦長の電波遮断も僅かになり、メールが送りやすくなると父からそんなメールが届いた。
父から送ってくれることは初めてだった。母がそれだけ心配しているのだろう。
怪我をした腕も癒えて、傷跡が少し残っているだけ。
母には艦で起きたことは業務上伝えることはできないが、伝えたとしても『もう空母には乗らないで』と泣きつかれそうだから、どちらにしても言えないなと心優は溜め息。
父は知っているのだろうか。知らされているのだろうか。こうしてメールを父から送ってくれたのがちょっと気になっている。
――心優、支度はできたのか?
ベッドルームの外から、シドの声。
「はい。ただいま」
ひさしぶりの白いシャツ、黒いネクタイ。鏡に向かい、心優は白いジャケットを羽織る。そして黒いつばの白い制帽を被る。最後に白い手袋をはめて部屋を出る。
その時、心優の片手にはスーツケースとボストンバッグ。
小さな小さなベッドルーム。お気に入りは空が星が月が夜明けが夕暮れが見えた丸窓。ドアを開けて外に出る時、心優は振り返った。
ついにこの部屋を後にする。本日、正午に横須賀港、横須賀基地に帰還する。
「おまたせいたしました」
艦長デスク室に行くと、そこにはまばゆい『真っ白正装服』に整えた上官達の姿が揃っている。
御園艦長はもちろん、もうすぐ婚約者に会えると男前に整えた橘大佐。ラングラー中佐も奥様と息子さんが迎えに来るんだと、今日は怖い顔ではなくてパパの顔になっている。さらにシドも。伸びた金髪の前髪を綺麗に横流しにしてかっこつけて、引き締まった肉体を真っ白な制服で包みこんだ黒ネクタイ黒肩章の姿は、やっぱり王子様。これはまた女の子達が大騒ぎだなと心優は苦笑いになってしまう。そして、心優が最後に惚れ惚れみとれてしまうのは、やっぱり旦那様になる雅臣殿。なんといっても、愛嬌ある爽やかな笑顔、エースパイロットのまま保ってきた肉体の凛々しい立ち姿。
そんな心優の視線に、誰もが気がついて、やっぱりニンマリした顔を揃えられていた。
「葉月ちゃん。お出迎えの時の並びは、中央が葉月ちゃん、両隣が俺と雅臣。で、雅臣の隣はもちろん心優ちゃんで決定だよな」
「そうね、異存なし」
シドは未だに面白くなさそうな顔をするけれど、ラングラー中佐は『いいですね』と優しく笑ってくれている。
雅臣も嬉しそうで、心優はまだちょっと照れくさい。けれど、大佐殿の隣で敬礼をして横須賀に帰れることは感慨深く、そして、やっぱり幸せ……。
「あと一時間で横須賀沖よ。まず迎えの護衛艦に乗り移り、護衛艦で横須賀港に入ります。そこで家族の出迎えがあるので、また甲板に整列するように」
今回、この空母は小笠原には帰港せず横須賀に帰港づつ。その後、御園艦隊は任務を終えるが、フロリダ基地港のドックに入るため、空母はフロリダ基地出身のアメリカ人艦長と交代し、数日後に出航する。
フロリダから来た隊員達はその艦長と共にフロリダに帰還する。ここでお別れだった。今朝も心優はカフェテリアに出向いたが、そこで仲良くなったアメリカ人の女の子達と涙の別れをしてきたばかり……。
「私達指令部と管制室にいたクルーは、すぐには小笠原へは帰還せず、明日からの査問会に行きます。そこで一ヶ月前の侵犯措置と不審者侵入時の査問が行われます。思ったままを見たままを報告して結構です。それで大丈夫です。後のことはわたくしが引き受けます」
『イエス、マム』指令部の男達が声を揃える。
その査問の為に横須賀に二泊することになってしまった。それぞれ寄宿舎の部屋を用意されている。出迎えの家族に港で出会えるけれど、査問が終わらなくては基地の外に出してもらえない。
「査問後、私達は十日の休暇が与えられるけれど、皆はその後はどうするの。私は横須賀の実家に寄ってから小笠原に帰るわ」
「自分は家族と共にすぐに小笠原に帰ります。准将が留守の間に秘書室を整えておきますのでご安心ください」
ラングラー中佐は査問が終わってすぐに直行便で帰るという。
「俺は真凛の実家に挨拶をして、俺も横須賀が実家なんで母親に会ってから小笠原に帰る」
橘大佐も家族との時間を過ごしてからの小笠原帰還。
「自分も家族に会ってからにします。あとで御園のおじ様にご挨拶に行くと伝えてください」
シドの家族とか実家の形態がよくわからないけれど、シドも横須賀で用事を済ませてから帰るとのこと。
そして、雅臣は――。
「査問が終わったら、園田と共にすぐ小笠原に帰る予定です。一緒に暮らす準備をします」
心優も一緒に頷いた。
そこで御園准将がちょっと心配そうな顔をする。
「あなた、浜松のご両親はどうされているの。それから……、お節介だと思うけれど……。心優のご両親には……?」
「港ですぐにご挨拶するつもりです」
そこにいる雅臣の先輩方が面食らった。
「おい、雅臣。俺だっていまから彼女の実家に日を改めてご挨拶に行くんだぞ。おまえも沼津まで行った方がいい」
「母にはもうメールで伝えています。園田のご両親は本日の帰還出迎えで港に来るとのことなので、日を置かずに伝えるつもりです」
そして雅臣が笑顔でミセス准将に伝える。
「夏の長期休暇で、園田を連れて浜松の実家に帰ろうと思っています。その時に挨拶に行きます」
雅臣が実家に帰る決意をした。心優を連れて結婚の報告をすると。
やっとミセス准将が安心したのか優しく微笑んでくれる。
真っ白な正装姿の凛々しい大佐殿。彼が白い手袋の手で、心優の手を握ってくれる。
「さあ、帰ろう。心優。お父さんが待っている」
「はい、大佐」
そんな二人を、准将も橘大佐もラングラー中佐も、そしてちょっと口を尖らせているけれど見守ってくれているシドも。笑顔でこれからの二人の出発を見届けてくれる。
甲板で艦長の交代式を済ませ、アメリカ行きを任せる金髪の准将と御園准将が交代をした。
空母は明日から艦載機の入れ替えをするため、暫く停泊をしてからフロリダへと帰路の出航をする。
今日は雷神のパイロットも相棒である戦闘機を置いての下船となる。まずは査問委員会へと彼等も招集されていた。
鈴木少佐も真っ白な正装服で、今日はひとまず艦を下りる。相棒の『バレット機』は明後日に雷神のコックピットに乗り込み空母から発進し、そのまま雷神機のフライトで小笠原に帰る予定だった。
あの日を思い出す。真っ白な正装をして、初めて甲板に立った日を。すれ違う護衛艦から見えたお世話になった上司の敬礼と、父の敬礼。そして、見送りの汽笛。
まだ春が来たばかりの三月だった。でも、今日の甲板は暑い。横須賀の陽差しはもう初夏。
「全員、整列!」
ラングラー中佐の掛け声で、下船する隊員が甲板や上階のデッキへと並ぶ。
御園艦長を中央に、両脇には大佐殿二名。その大佐殿の隣に心優も並ぶ。
「ほら。見えてきたわ」
アイスドールだった艦長の頬が緩む。凍っていた琥珀の瞳が温かな潤みをみせる。
「全員、敬礼!」
今日は『ただいま』の汽笛が青空と海原に響き渡る。
護衛艦が人々が群がっている桟橋へと徐々に徐々に近づいていく。近づいてくると、家族が出迎えている先頭に見慣れた眼鏡の人がいた。その人も今日は白い正装で、こちらに敬礼をしている。艦長の家族が先頭、御園大佐がそこにいた。その人の隣には若白髪の海東司令もいて彼も真っ白な正装で待ちかまえている。
彼等の表情がわかってくると、眼鏡の大佐の隣には栗毛の少年が静かに立ってこちらを見ている。御園家長男の海人だった。御園大佐の隣にはさらに、少しお腹が大きくなっている女性も立っていた。
「真凛……」
橘大佐が彼女を見つけた瞬間だった。初夏の清楚なワンピースを着ている彼女は基地で心優が見ていた仕事真面目でキャリア女子の彼女の雰囲気ではなかった。すっかり優しい女性の顔になっている。
彼女も橘大佐を見つけたのか優しく手を振っている。
「真凛!」
いてもたってもいられなかったのか、橘大佐が敬礼を解いて制帽を手に取り派手に振り始めた。
「ちょっと橘さん。海東司令がいるのに……」
そういった御園准将も次には悪戯っぽい笑みを浮かべて『私も』と制帽を取りさってしまう。
「海人ーー。ただいまーーー!」
御園准将自ら、敬礼をといて息子の名を呼んだ。
「もう。いいんじゃないかな。俺も見つけた」
心優の隣で規律正しく皆を整列させていたラングラー中佐までもが制帽を手にとって、桟橋に叫んだ。
「小夜、友朗ー。パパ、帰ってきたぞーーー!」
指令部幹部が叫び始めたため、他の隊員達も次々と制帽を手に振り、家族の名を叫んでいる。
「心優。あそこだろ」
隣にいる雅臣が、制帽を被ったままの凛々しい横顔でそっと心優に身をかがめて囁いた。
心優も雅臣の視線の先を見る。そこに白い正装をした体格のよい父とスーツ姿の母が並んでこちらを見ていた。御園大佐や海東司令と並ぶのは遠慮したのか後方にいた。
母はもう泣きそうな顔でこちらを見ている。父もどうしたのか神妙な面持ちだった。
「ほら。心優も手を振ってやれよ」
「臣さんは……。お母様は……」
「うちの母親は俺がパイロットの頃から航海に出て行くことに慣れていたから、もういちいち出迎えなんて来ないよ。そのかわり、夏は心優を連れて浜松に行くと伝えたら喜んでいたから、よろしくな」
家族の出迎えがない大佐殿。でも、彼は晴れやかな笑顔で制帽を取りさり、心優より先に沼津の両親へと心優が見つかるようにと振ってくれる。
心優もやっと制帽を取りさり、青空へと振りかざす。
「ただいま! お父さん、お母さん!」
無事に還ってきたよ。殉職しそうだったけれど、なんとか帰ってきたよ。心優の目から涙が溢れる。
父と母も気がついてくれ、二人一緒に手を振ってくれる。
雅臣と一緒に心優は笑顔で制帽を振る。
桟橋は家族で溢れ賑やかな歓声に包まれる。初夏の青空が懐かしい色。この人と出会った横須賀に帰ってきた。
心優は叫んだ。
ただいま、横須賀!
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