79.【 拡散しろ 】この子は先約済

 航海は長い。家族とも思うように連絡が取れず、いまどこにいるとも告げられず、いつ戻るとも明確にできず数ヶ月単位での任務。

 だから艦の男達も女達も、他愛もないことで遊びたがるもの。橘大佐が先導していた『園田少尉が大佐殿を選ぶか若き海兵王子を選ぶか』なんて賭け事で盛り上がるように……。


 御園大佐が本日の午後、補給艦に乗り換え、一足先に陸に帰る。

 本日も心優は朝方早くに、シドと護衛の交代をした。

 徐々に明るくなっていく艦長デスク室の清掃を早めにして、自分のデスクと艦長のデスクの書類を整え、始業前に夜の間に各部署でアップされた必要なデーターを拾い上げ確認をして揃えておく。


 時計を見ると六時半。そろそろどちらかがこの艦長室にお姿を現す頃……。

 だいたいが奥様が先に起きてきて、その後、ご主人があくびをしながら艦長室にやってくる。奥様は軍人体質で決まった時間に目を覚ましてしまい、ご主人は若い頃から宵っ張りとのことで深夜まで事務仕事をしていることが多い。


 奥様にまずは冷たいレモンウォーターでも……。心優は氷を準備し、レモンをスライスして、ウォーターピッチャーにミネラルウォーターを注いで、ミセス艦長がやってくるのを待つ。

 六時半、六時四十分、六時五十分……。

 あれ? どうしたのだろう。心優は首を傾げる。


 ついに七時になってしまう。是枝シェフが朝食を持ってくる時間だった。今朝もご夫妻二人だけで食事をしてもらい、心優はカフェテリアで食事をする予定。

 早く行かないと、数が少ない和食のメニューがなくなってしまう。

 御園家の朝は洋食のようで、是枝シェフもそれに習って航海中はほぼ洋食で準備をする。

 確かに美味しい。優雅な朝を満喫できる。海外生活が長かったファミリーらしい朝食ばかり。でも心優は日本食が恋しくて恋しくてたまらない。夕食で和食も出る。そうではなくて、『日本の朝ご飯』が食べたい!

 しかも物資補給をしたばかりで、きっと目新しいメニューが出てくるはず!


「おはよう、園田。悪い……。遅くなった」

 眼鏡をしていない御園大佐が、あまり身なりも整っていない状態で現れた。

「おはようございます。いつもの起床時間ではなかったので、どうされたのかと案じておりました」

「あー、大丈夫。寝過ごしただけだ」

 寝過ごした? うん、御園大佐は夜更かしをするからそれもアリかと心優は思う。

「艦長はいかがされましたか」

「あー……、うん、寝てる、かな」

「そうなのですか。滅多にないことです。やはりまたどこか具合でも」

「いや、それは大丈夫!」


 妙に力んだ返答だった。しかも御園大佐はバツが悪そうに眼鏡をかけると、やっとなんとか心優にいつもの余裕の笑みを見せてくれる。


「いいよ、ここは。葉月も俺がたたき起こしておくから。もう今夜のうちに補給艦に乗り移ろうと思っているんだ。だから、昨夜のうちにいろいろと話していたら遅くなってしまってね」

「左様でございましたか。了解しました。それではお願いいたしまして、わたくしも食事に行ってまいります」

「おう。ゆっくりしておいで」


 ゆっくり? 食事が終わったら朝の仕事で忙しくなるのに? 機敏に行動しろと言いそうな大佐らしくないと思いつつも、心優の身体がいま一番欲しているものへとまっしぐら。日本の朝ご飯を目指してカフェテリアへ向かった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 やっぱりあった! さすが岩国基地から届いただけある。瀬戸内産の『釜揚げしらすの大根おろし』! しかも香川のダシ醤油付。

 デリカテッセンビュッフェになっているカフェテリアの朝食。和食コーナーにも金髪茶髪のアメリカンもちらほら。


「へえ、ミユはそれを取るんだね。よし、俺も挑戦しよう」

 並んでいた後ろからそんな声が聞こえてきた。

「ラミレス中佐、おはようございます」

 いつもブリッジで舵を握っている航海士長だった。彼もトレイを持って、白飯や温泉卵や筑前煮を並べていた。

「中佐も和食ですか」

「うん。ミセス准将と同じ艦になった時の楽しみだよ。今日は物資補給で、きっとまた見たことがない和食が出るだろうって楽しみにしていたんだ」

「わたしもです」

「それで、その白いちっこい魚?? 白い雪のようなのは大根おろし?」

「そうです。これを干したものが『ちりめんじゃこ』と呼ばれています。お醤油をかけてそのままでも、ご飯にかけて食べてもおいしいです」

「よし、それにチャレンジしてみよう」


 同じ時間に出会ったので、そのまま航海士長と一緒に食事をすることになった。

 並んで食べていると、父親と娘のよう。

「昨日は大騒ぎだったけれど、ミユ、おめでとう……でいいかな」

「ありがとうございます。ですが、もう……本当に申し訳ありません。皆様がご家族と離れてぐっと堪えて航海をしているのに、個人的な城戸大佐との関係を目につくようにしてしまって」

「いやいや、なかなか楽しかったよ。ああいうのも、限られた海上生活をしている男達の楽しみ方でもあるんだよ」

「はあ……。でも、お恥ずかしい限りです」


 それでもラミレス航海士長は、優しく笑っている。


「ほら。橘大佐のせいだね。クルー達もミユを気にしている」

 本当にカフェテリアに来るクルー達が、ちらちらと心優を見たり、にっこり微笑んでグッジョブサインをくれたりしてる。もう頬が熱くなる。


「今回の航海での、話題賞はミユに決まりだな。傭兵を制圧し艦長を護った凄腕で空手家の新人護衛官。エースパイロットだった大佐殿のハートをメロメロにして射止めた女の子」

「もう~。ほんとうにお許しください。こんなプライベートなことで話題になっては、任務遂行中になにをしているのかと艦長にも叱られてしまいます」

「まさか。ミセス艦長が実はいちばん喜んでいるんじゃないの。しかも、副艦長の橘大佐が認めた話題(噂)なんだから、いいんじゃないのかな」


 実は『流れてもいい噂』として橘大佐が『これ以上雅臣が他の男に嫉妬しないよう、心優ちゃんは先約済みってことで拡散しちゃえ』とわざと管制員クルー達にやらせたことだった。


 昨夜、それを橘大佐から聞かされて、雅臣と一緒に『なにをするんですか!』と抗議をしたけれど、雅臣はまんざらでもない様子で『まあいいか。腹括ろう』なんて言っていた。その後も、御園准将に呼ばれ『管制室のクルーから聞いたわよ。雅臣が盛大なサンセットプロポーズをして、約束のブラックオパールを貴女にプレゼントしたんですってね』と、とっても嬉しそうな笑顔で聞いてきた。プロポーズはその前に正式にもらっていたが、こうなると昨夜のサンセットプロポーズが正式のようにしてクルー達が盛り上げてしまっている。雅臣はもうただただデレデレしているだけで、『臣さん、大佐殿じゃなくて、クルーの前でもお猿さんの顔になっちゃってる』と心優はちょっと心配していた。


 ミセス准将が『雅臣ったら、やる時はやるわね。女の子にとっても疎そうだったのに』なんて、雅臣の男性としての本質を見抜いていたのでやっぱり雅臣よりずっと年上のお姉様なんだなあと、心優は感心するばかり。


 しばらく、呼び止められるたびに、このことをクルー達に聞かれたり説明しなくてはならなくなりそう。


 ラミレス航海士長との朝食を終えて食器を片づけ、そこで別れた。士長がいなくなったのを見計らったようにして、航空燃料給油係のパープルベストを着ている甲板要員の女の子達が心優を見つけて近寄ってきた。


「おはようございます。園田少尉」

「今朝はこちらで食事なのですか」

「おはようございます。今朝は御園のご夫妻だけで、ゆっくりお食事をとってもらうことにしています」


 非番の日、心優は時々共用のランドリーに足を運んで彼女達と交流していた。そこで、空母で働く女の子達の本音を聞いてミセス艦長に報告するとすぐに改善してくれたりするし、ミセス艦長も配下の女性達の意見を参考にしていることが多いためだった。

 彼女達も『園田少尉に相談すれば、艦長まで直通』ということを良くも悪くも心得ていて、でも、そのパイプを上手く使ってくれている。心優はそれでいいと思って交流してきた。


「少尉はお一人なのですか?」

 彼女達がキョロキョロと見渡す。どうしてなのか心優はわかってしまい、密かに苦笑い。

「フランク中尉なら、いま仮眠中なの」

 彼女達が一気に残念そうな顔になる。

 でもそのうちの一人が元気を取り戻したように笑顔になり、そのまま心優に詰め寄ってくる。


「あの、管制室のクルーが昨日賑やかにしていたのですが、園田少尉と城戸大佐が結婚を約束されたって本当なのですか?」


 ああ、やっぱり。艦の中でも、男でも女でも、優秀なクルーであっても、『噂』ってあっという間だなあと、心優はげんなりしてしまう。


「そうなの。陸に帰ってからと思っていたのに、橘大佐が面白がって騒いでいるの」

「いいじゃないですか~! 聞きましたよ。ブリッジの夕暮れの中、素敵なペンダントをプレゼントしていたって。城戸大佐ってロマンチックなんですね」


 あのお猿さんがロマンチック? 今回はたまたまそうなっただけで……。ううん、やっぱりお猿さん、頑張ってくれたんだと心優もその気持ちがやっぱり嬉しい。

 でも。女の子達が一緒に嬉しそうにしてくれるのは、祝福だけではないことを心優はわかっていた。彼女達が目を輝かせて、心優に確かめる。


「フランク中尉は気にならなかったんですか? 城戸大佐より若いし、金髪とアクアマリンの目をした王子様みたいで、でも凄腕の海兵隊員で、養子とはいえ大将のご子息なんですよ」

 やっぱり彼は王子様と彼女達が色めき立った。遠くから眺めていると、シドは凄く素敵な男性に見えるんだろうなあと思うし、実際に魅力的な中尉であることは心優も認める。でも!

「うん。わたし、年下の男性より、大人の男性がよかったの。城戸大佐は上司でもあったし、その頃から憧れていたから、フランク中尉はまったく……。時々、気が合わなくて喧嘩もしちゃうし」

「でも、フランク中尉と園田少尉は、とても息が合っているようにお話しされていますよね。フランク中尉、普段はとっても無口なのに……。それだけ気があっているのかなってみんなと言っていたんです」

「からかっているだけよ。女性をからかって楽しむところがあるのよ。あなた達も気をつけてね」


 えー、それでもいいから話しかけて欲しい! と彼女達は言いながらも、心優とシドの関係がなんでもないと知ると『城戸大佐とお幸せに』と祝福をして行ってしまう。

 はあ、シドなんか相手にしたら、どれだけの女の子が泣くことやら。危険な男だから夢見る女の子のうちにやめておいたほうがいいよ――と言いたいのに言えない。

 どんな年代の女性も経験してきた守備範囲の広い、強引な男だとまだ誰も知らないんだろうなと、彼女達がシドと接触しないよう祈ってしまいたくなる。


 でも女の子達は、シドが誰とも結婚しない間は王子様に恋をしていくだろう。シドは餌食にするんだろうなと思いついてしまうところが、もうシドという男を知ってしまった心優の感覚。やっぱりあの男は誰も自由にはできないだろうと思ってしまう。


 彼にも幸せになって欲しいのだけれど……。

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