72.また国境で会いましょう

 午後になり、また甲板が騒がしくなる。ついに不審者四名が、精鋭部隊の警備で艦上輸送機に連行されていく。


 これから基地へと向かい、彼等も取り調べを受けるのか、あるいは元の大陸国に連行されるかになるのだろう。


 護送の輸送機が飛び立った三十分後に、今度は海東司令を乗せるためのもう一機の艦上輸送機が空母に着艦する。

 甲板には、ストレッチャーに固定されたハワード大尉と大陸国のパイロットも運び出されていた。


 御園准将がハワード大尉の側にずっと付いている。

「アドルフ、小笠原で会いましょうね。ソフィアとアリッサに心配かけないよう、大人しくしているのよ」

「艦長……。最後までご一緒できなくて残念です……」

「貴方、私を護ったのよ。これ以上の功績はないし、使命を果たしているわ……。お願い、また私の准将室で一緒に元気に仕事をして……」


 ひとときの別れを前に、ハワード大尉がそっと目を閉じ泣いていた。

「無事のご帰還、お待ちしております。約束ですよ、艦長」

 肩から包帯を巻いている患者服のままの大尉が、ミセスの側に控えている心優をみた。


「ミユ、艦長を頼んだぞ。シドも頼んだからな」

 そこに並んでいた心優とシドはしっかりと頷く。

 とうとうハワード大尉が輸送機へと搬送されてしまう。


 その後は、精鋭部隊の警護をつけている大陸国総司令の子息。彼も御園准将を見て名残惜しそうな顔をしていた。

「艦長、有り難うございました」

「お元気で。お父様とフィアンセのために生きるのよ」

「はい……。ですが、また国境でお会いしましょう」

 そこまで元気に言い返せるようになったパイロットを見て、御園准将もおかしそうに微笑んだ。

「もうこっちに来ないで。近寄らないで」

「そちらも、近寄らないでください。酷い目に遭いました」

「それは、あの紅い朝のせいよ……。空が私達を見てあのようにしたのよ。空には勝てない。そうでしょう」

「そうでした……。俺も貴女も、空には敵わない。思い通りにならない」

「また国境で会いましょう」

「いつか、また、空で」

 それが、ギリギリの空域で遭遇してしまった国籍が異なるパイロット同士の別れだった。


 最後、御園准将の前に海東司令が立った。

「それでは、私は帰るよ。現場も確認したし、空母クルーからの生の声も一応聞けた。後は調査団に託す。彼等の迎えは一週間後。それまで頼んだよ、御園准将」

「海東司令、こちらまで来てくださいまして、有り難うございました。お気をつけておかえりください」

 御園准将が敬礼をすると、後ろに控えていた御園大佐、橘大佐、そして雅臣も敬礼を揃えていた。


 海東司令も大佐達に敬礼を見せる。最後に、心優を見た。でもそれだけ。それでも心優には司令の言葉が伝わってくる。


 ―― 夜が危ない。特に今夜。知らぬ者には知られないよう細心の注意を払うように。


 密かに御園大佐に託したこと。それを無言で司令は心優にも託してくれたような気がした眼差し。心優は敬礼をしたまま、黒曜石の目を見つめ返すだけだった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 さて。この艦に入ってはいけない異国人はいなくなった。

 ほっと一息、静かな夜を迎えられそうだった。


 護送や司令の見送りで、指令部も今日は大忙しでバタバタしていた。心優も雅臣と話す間もない。


「なあ、心優。この書類はなんだっけ」

 しかも、ちょっと邪魔なヤツが増えた。

「もう、中尉。触らないでください。それ、わたしがやりますから」

「えー、俺も手伝いたいよ。いちおう秘書官なんだけどな」

「それなら、指令部のラングラー中佐のお手伝いをどうぞ。中佐が忙しそうにしていらっしゃいますから。今回の騒動で、手続きに手配に奔走されていますよ」

「えー、テッドの手伝いかよ」

 あの鬼中佐のことを、ケロッと呼び捨てにしたので、心優はギョッとしてしまう。


「ちょっと、シド。いつからラングラー中佐と顔見知りか知らないけれど、ここでは中尉と中佐なんだから弁えなさいよっ」

「あー、心優だって、俺より下官のくせに、呼び捨てにしただろ」


 このガキ王子め……。心優は事務作業もろくにしようとしないシドを睨んだ。


「シドって……。小笠原の細川連隊長の秘書室で、本当に秘書官としてお仕事していたの?」

 彼がムッとした顔になる。

「してたに決まってんだろっ。あのおっかない細川のオジサンが小言を言い始めると、めちゃくちゃねちっこくて死にそうになるんだからな。表向きの職務だって、俺は完璧なんだからな」

「……だったら、これ、今日の艦内全体業務のブリーフィングを艦長が就寝するまでに提出して」

 心優は一枚の書類を差し出す。

「データにして、艦長用のクラウドに送信してくださいね、中尉」

「わかったよ、ふう、艦の事務は勝手が違うなー」


 御園艦長はいま入浴中だった。その間に、護衛の二人は艦長室業務をこなす。


「なあ、俺専用のデスク、いつ出来るんだよ」

 応接ソファーでノートパソコンを与えて臨時デスクにしたのに、シドは不満たらたら。

 ほんとに子供ぽくってイライラしてくる。あの機敏で凛々しい海兵王子はどこにいった?

「我慢してよ。明日には出来るって言っているでしょ!」

「もう腹減ったよ。俺達、いつ食事出来るんだよー。もう二十時だぞ」

「だから。艦長が落ち着くまで待ってよ。艦長は昨夜は一睡もされていないんだから、今夜は早くおやすみになってもらって、わたし達が艦長室を交代で夜間は護衛するって決めたでしょ!」

「はいはい、はあ、もう心優もなんでイライラしてんだよ。アレの前なのか」

 もう頭に血が上りそうになった。金髪王子め、一緒に仕事はできない間柄だと悟った!


「あはは。どっちが上官かわからないな」

 いつのまにか、雅臣が指令室から艦長室へ入ってきていた。

「た、大佐……」

 いまのシドとの気兼ねないやり取りを見られたと知り、心優は硬直してしまう。

 シドも途端に白けた眼差しになって、雅臣を目の前にすると黙り込んでしまう。その時の不機嫌な顔。


「フランク中尉、お久しぶりです。今日からは同じ指令部ですね。初めて一緒になりますが、よろしくお願いします」

 大佐なのに、雅臣はシドがフランク一族の養子のせいか、ご子息に接するような丁寧さだった。

 雅臣はどこまで、シドの事情を知っているのだろう?

「こちらこそ、よろしくお願いします。城戸大佐」

 それでもこちらは、艦長も目の前の上官。シドもそこは大人の顔で、きちんと立ち上がって敬礼をした。


 雅臣が、そんなシドをじっと見つめている。お猿さんの愛嬌ある笑みを静かに見せてそのまま。

 心優はドキドキしてくる。シドとのこと、雅臣にはなにも話していない。でも、小笠原ではとても親しかった男の一人。心優に恋を引き寄せそうになった男。


「昨夜、会ったよね。侵入された病室で。艦長のベッドルームでは会えなかった」

 思わぬことを言い出した雅臣の言葉に、心優もシドも揃って目を丸くしてしまう。

「小笠原から海東司令が急遽連れてきた――は嘘だよな。本当はもうだいぶ前からこの艦に乗っていた。昨日までは人知れずの任務をこなし、今日からは司令の指示で表の顔で御園艦長に付き添うことになった、だろ?」

 まったくその通りを雅臣が言い当ててしまう。艦長から既に聞いている? でも艦長は今日は司令に付きっきりで、雅臣とはゆっくりと話す間もなかったはず。それならば、何故?


「シド=フランク中尉が、どうして養子なのか。それは誰もが知りたいところ。でも誰も知らない」

 素性を探られることを気にするシドが、ここでは上官でも雅臣を睨んだ。

「人の素性などどうでもいいでしょう。フランク大将が自分を養子にしてくださった時点で、自分の素性は確かなものだという証明です」

 心優は彼が『御園黒猫部隊』に若い頃から所属しているナタリーという母親の息子だと知っている。きっと裏世界で育ってきたシドだから、表世界で生きるために養子にしたのだと思っている。


 なのに雅臣が、久しぶりに秘書室長の険しい顔になった。

「こちらも御園と関係が深い上官と共にあったが為に、本当に御園にどこまでついていっていいか――というのは、秘書官の『危機管理』として必要だったので、粗方はこっそり調べたりしたもんだよ」

「俺のことを、調べた?」

 雅臣が上官だと言うことを、シドにはもう関係なくなっている。心優はハラハラしてくる……。


「そう。ロイ=フランク大将が養子を取り、その養子がフロリダの特別訓練校に入校。優秀な戦闘員として卒業。まるでそう育てたいが為に引き取ったかのような経歴。いったい何のために養子を取ったのだろう? みんなそう思っている。大将は『幼い頃から知っている。素質があるから我が家の名で活躍してもらうことにした』とか言っているようだけれど? 御園准将と長沼准将は提携はしているけれど、いつだってギブアンドテイクでバランスを取ってきた。それ以外は腹の探り合い。こっちも御園准将のやろうとしていることに、言われるまま巻き込まれないような危機管理ってことだよ。フランク大将が養子をもらった。その養子が急に小笠原の細川連隊長室に配属された。フランクと細川とくれば、御園の匂いがする。それぐらいは嗅ぎ取れるよ。でも、やっぱり君の素性までは辿り着けなかった。でもやっぱり君は、御園艦長の艦に乗っていた。その水色の目を見てわかった。艦長が信頼して艦に乗せた若い海兵員、水色の目の男とくれば一人しか思い浮かばない。あの手懐けるのが大変そうなお坊ちゃんかなってね、『チャトラ』君」


 シドが呆気にとられている。そして心優も。臣さんったら、やっぱり秘書官で、これからこの艦の長になる人だった。


「横須賀の長沼准将も予測していたよ。あれは、フランク一派がこれから使おうとしているシークレット隊員の候補生だってね。素性が知れぬのなら、一派の裏方を担っている男達の匂いがする。そうあのミスターエドのような匂い。そこから調達してきたのだろうと秘書室でも予測していた。案の定、昨夜は艦長のベッドルームというプライベートの強い空間に、ミスターエドと一緒にセットでそこにいた。もう間違いない。エドの仲間だと確信した。君の素性は、御園家の影にある」


 すべて言い当てられてしまい、あのシドが黙り込んでしまう。


「昨夜の強靱な制圧、素晴らしかったよ。そして、有り難う。園田を助けてくれて……」

 雅臣は神妙な眼差しでシドに礼を述べているが、頭を下げたりはしなかった。そこは大佐の威厳を譲らない姿。


 シドも、負けず嫌いの気迫を漲らせて、雅臣を大佐としてみようとしていない。

 そうして、シャーマナイトの目とアクアマリンの目、彼等の視線がぶつかり合っている。


 そんな緊迫する男の視線を投げかけたまま、雅臣から言い放った。


「心優はこれから俺の女房になる女だから、感謝している」

 女房になる女!? それまでなんとなく遠回しに言ってくれていたけれど、こんなにはっきり言ってくれたのは初めて!?


 でもシドも負けていなかった。


「結婚しても女は女。ベッドに寝かせて奪うことはできますよね、大佐」

 わー、こっちも負けていなかった!

 今度は違う目眩がしてきた。

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