71.トラ猫王子は諦めない

「やめて……!」

 彼がふっと息継ぎで唇を離した隙に、心優はやっと叫べた。


「もしかして……さ、おまえの『ケジメつけたい男』って、城戸大佐?」

 心優はそうだ――とはすぐに言えなかった。


「おまえが撃たれそうになった時、あの人すごい顔で心優のところに向かっていったな。あれ、自分があの傭兵にどんな攻撃されても構わないって顔だった。俺が助けた後も、怪我をしているお前を、すんげえ泣きそうな顔で抱きしめていたし。おまえも『ごめんなさい』とか可愛い顔しちゃって……。俺が小笠原で見ていた心優の顔じゃなかった……」


 あれ? その時に気がついたの?? ふとそう感じた。


「通気口ていつもシドが警備しているの?」

「時々。トラップを見直したり、仕掛けを変えたりしていたからな」


 あそこをうろうろされていたなら、雅臣との密かな触れあいを目撃されていた可能性もある。でも、シドが気がついたのは、昨夜の戦闘後。

 でもこれでわかった。シドは、心優と雅臣が警戒区域に入る頃に『陸に帰るまで職務に全うする』と誓い合って、あまり触れあわなくなった後に潜入してきたのだと――。


「もしかして……シド。広報の撮影が終わった頃にここに来たの?」

 警戒区域入る頃だった。言い当ててしまったのか、シドが驚いた顔をした。

「まあ、その。広報撮影チームが帰る時に、小松から物資補給の護衛艦が来ただろ。広報部がそれに乗船して陸に帰るだろ。その時、入れ替わりで俺とフロリダの先輩隊員が紛れて乗り込んだ。それは最初から指示されていたことだよ。俺はフロリダで研修していることになっている。でも、本当はずっと日本にいたよ」

「そ、そうだったの?」

 駒沢少佐が率いる広報撮影クルーがこの艦を降りて、陸に帰った頃。御園准将が電波の遮断を不定期に開始した頃だった


「ああ、そうして『表向き』の行動もでっちあげて、本来はなにをしているかを伏せるんだよ。表向きは、俺はフロリダで研修中、日本にはいません――、でも本当は艦を秘密裏に警護するため、小松に暫く潜伏していたんだよ。そういう命令だったんでね」

「その間、シドはこの艦のどこにいたの」

「警備隊員に紛れて、ネームを伏せて、なるべく顔を見られないようにして、夜間の警備をしていたよ。人知れず使わせてもらう部屋を割り当てられていて、日中はその部屋からはあまりでない。シャワーもトイレも完備されている部屋でおとなしく待機。警備隊長と数名の警備隊員が俺達の潜入を知っていて、部屋に籠もっている間はサポートしてくれているんだ」


 つまり、ずうっとこの艦に乗っていたわけではなかった。

 佐渡島の撮影が終わってから、警戒区域に入る前に潜入していたということになる。


「あの、助けてくれて……、ほんとうに、ありがとう。それに、シドに会いたかったのもほんとうだよ」

「そういう気休めいらねえよ。もうおまえはほんっとに俺のものにならないんだな」

 この男はまだ、心優のことに望みを持っていてくれた。フロリダの研修に行ったのではなくて、本当は艦が小松沖に来るまで潜伏していて、そこで心優に会えると心待ちにしてくれていた?


 ならば、いまこそ、はっきり言わなくてはいけない。


「ごめん、シド……。ケジメつけたよ。横須賀で抱えていた想い、彼に通じた……。終わったと思っていた恋、終わっていなかったの」


 今度は心優の目が熱く揺らめく。涙が浮かぶ。

 シドの腕に抱かれたら、どんなに楽だったか。そう思った夜もあった。そうすれば良かったと迷った時もあった。それでも、二度と雅臣に顔向けできないまま、あの恋が終わる方が嫌だった。もう一度、大佐殿に会いたかったから、それを貫いた。


 やっとシドが心優の身体の上から起きあがる。そのまま静かにベッドを降りた。


「わかったよ。そんな前からあの大佐を想っていたなら、しかたない。あの人、おまえを護衛官にと抜擢してくれた横須賀の元上司だよな。しかもあの『ソニック』だろ。横須賀マリンスワローのエースだった男じゃん。年上の頼もしい上司がさ、男慣れしないおまえの面倒をみてくれていたなら、そりゃあ、惚れるよな」

 自信過剰の王子が背を向けて、俯いている。

「シド……、でも、あの、」

 彼の寂しそうな背中に手を伸ばして、そっと触れる。

 なのに彼がくるっと振り向いて、またニンマリとした自信たっぷりの笑み。


「んな、わけないだろ!」

 またそのまま心優に襲いかかるようにベッドに飛び乗って覆い被さり抱きついてきたので、心優は思わず『きゃあ』と叫んでしまった。


「俺の方が若いし、強いと思うな。俺、奪うのも、横取りすんのも気にしない質だからさ、これから毎日心優と一緒でいつだってこうして――」

 本気の眼差しで、シドが心優が着ている紺のジャケットを上へとめくったので、心優は思わず、足を折り曲げ思いっきり彼のお腹へと蹴りを入れていた。

 

 でも強靱な彼には効き目ナシ。心優の足首を掴んで、不敵な微笑み。

「いいカラダしてそうだな。鍛えた女って、イケルからな」

 足首を掴まれ、そのまま上へと持ち上げられる。心優の足がまだ着衣とはいえ思いっきり開かれた。

「や、やめてよ! 本気で大っ嫌いになるからね!!」

「一度でいいから俺を試してみろって。あのおじさんパイロットより、めちゃくちゃいい気持ちになると思うんだよ。俺、自信ある」

「若いとか若くないとか関係ないから!」

 なのにシドは本当に心優の腰にあるベルトを外そうと手にかける。

「一回だけでいいから、抱かせろ。黙っていてやるからさ」

 

 もう~。ここをどこだと思っているのか。お猿も猛攻だったけれど、こっちのチャトラもなかなか強気!


「み、皆さんが帰ってきちゃうでしょ!」

「あ、それもそうだ。そろそろだな」

 本気でハッとしたチャトラ君が、そこでパッと心優の足首を離し、サッとベッドから飛び降りた。


 それもものすごい素早い切り替えで、あんなに猛攻撃だったのに、ケロッとした顔でやめてしまった。

 心優はホッとしたものの、そういう子供っぽいところが、まったくあのシドのままで逆に唖然としてしまう。


 でも、彼はさらにニヤニヤして心優を見下ろしている。

「――ということだから。諦めていないし」

「だから。他にもっと素敵な女の子がいっぱいいるでしょ」

「なんだっけ、日本語でもいうだろ。『別腹』って」

 は? 別腹? どっちが別腹? 心優に断られて遊んだ女性が別腹? それとももう他の男のものになった女を一時でも食べちゃうのが別腹? 相変わらずの、王子っぷり!


「もう、ほんと。やめて。わたし、陸に帰ったら大佐と……」

 一緒になるんだから。そう言いそうになって心優は口をつぐむ。まだ堂々と、自信を持って何故か言えない。陸に帰るまで、安心できないから。


「とにかくさ。おまえはまず休んで、体調を整えながら護衛をして航海をまっとうする。だろ。俺も今日からは表の顔で一緒に護衛するから、心優もこれ以上指令部に迷惑がかからないよう乗船し続けるんだいいな」


 急に真面目な中尉になってしまった。やっぱりからかわられただけなのかと心優は困惑する。

 でも……。シドが側にいるのは確かに頼もしい。


「うん。わかった。……フランク中尉、横須賀に帰るまでよろしくお願いします」

「おう。夜がまた楽しみ」

 またニンマリされて、ほんとこの王子油断ができない。


 でも、再会できた。そして、ひとまずケジメについて報告できた。できたんだけど、あまり意味のない報告だったような気がしてやっぱりなんとなく、心優の気持ちがざわついている。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 昼まで自室で休ませてもらい、午後になって心優は艦長デスクへと戻ろうと小部屋を出る。

 艦長室のデスク室へ行くと、艦長デスクには准将ではなく、夫の御園大佐が座っていた。


 眼鏡の横顔で、ノートパソコンで何かを打ち込みながら、書類を眺めていて既に仕事に取り組んでいる。


「園田――!」

 そこに静かに心優がいて、とても驚いた顔をしてる。

「大変な時に休息をいただきまして、申し訳ありませんでした。あの艦長はどちらに」

「海東司令に付き添って、調査団の現場検証に同行している。シドが護衛についている」


 シドが護衛と聞いて、心優はホッとする。


「園田、礼を言いたかった。妻を護ってくれて有り難う」

 御園大佐から立ち上がり、お辞儀をされたので心優はびっくりしてしまう。

「やめてください。職務を全うしたまでです。ハワード大尉だって、きっとそう言います」

 御園大佐が申し訳なさそうに黒髪をかき上げる。

「まったく、その通りだったよ。アドルフも同じ事を言ってくれた」

 妻が無事でよほどの安堵を得たのか、あの御園大佐が疲れた顔を見せて、艦長デスクに座った。


「暫く、俺がいることで葉月が乱れるかと思うけれど、そこは知らぬふりで放っておいてくれていいからな」

「……はい、そういたします」

 わかっているんだな、この旦那さん。夫がいると彼女が妻の顔になってしまって、戸惑ったり、心を乱してしまうことを。

 でもそれって、旦那さんが胡散臭い笑顔で、いちいち意地悪をするからだよね? とも心優は思ってしまう。


「園田に聞きたかったんだけれどな」

「はい」

「早速、警備隊の数名から聴取をしたんだ」

 仕事、素早いな――と思った。調査団も既にクルーから侵犯時の聴取を始めていることは心優も倒れる前に聞かされた段取りで知っていた。

 こちらの大佐は不審者侵入から聴取を始めている。


「大佐は、不審者聴取が担当なのですか? 司令が御園大佐には違う視点からの聴取を頼んでいると仰っておりましたが……」

「いいや。まあ、園田には話してもいいかな。調査団には表向きの返答だけしかしないこともあるだろうから、顔見知りの親しいクルーからは『本音』を聞いて、それは調書に残さず、報告してほしいという司令からの指示だよ。俺が聴取のために来たというカモフラージュをするために『艦長代理』とかいう強引な指令を与えてくれたわけ」


 なるほど……と、言いたくなったが、心優はまだ釈然としない。どうして夫の大佐をわざわざ司令は選んだのだろう? 御園大佐しか適任が思い浮かばなかったとか言っていたけれど、横須賀司令部にいれば、山ほど適任のエリート隊員がいるだろうに。


「それで。少し聴取をして知ったんだが、侵入してきた男はナイフを手にしていたんだって?」

「は、はい……」

 ナイフ――。その一言で心優は嫌なことに思い当たった。傭兵がナイフを振りかざす。それって御園准将にとっては恐怖の象徴だったではないか?


「その時、葉月は動けたのか。園田を危険な目には遭わせないと、出発前にあいつとても力んでいたよ。娘のように思っているところがあるからな。その娘が、自分よりも侵入者の目の前にいて、ロッド片手に戦闘態勢に入って、うちのじゃじゃ馬はなにも行動を起こさなかったのか」

「一瞬の出来事でしたから、艦長が動ける動けないではなかったと思います。距離的にも、わたしが手前にいたので傭兵に向かうことになっただけです……」

 そうではない――と心優は思いたい。まさか、あそこで御園艦長が『恐怖で動けなくなっていた』なんて思いたくない。あれほどの女将軍様が、そんなことはないと……、言いたいのに、心優の中に不安が渦巻く。


「俺が思い浮かぶ御園葉月は、そんな時こそ目を光らせて前に向かっていく、卑劣な男を叩きのめそうと瞬時に前に行ってしまう軍人だよ。それが、他の警備隊員も確かに園田が艦長を立派に護ったと説明してくれるが、では、艦長はどうしていたと聞くと、突入した時には既に園田が制圧をしていた後で、艦長はびっくりした顔で立ちつくしていた。さらにアドルフが盾になって護った後も、彼が『出て行ってはいけない』と抑え込んでいたから艦長は動けなかった――と言うことだったね」


「あの、艦長が動けなかったことについて、なにを仰りたいのですか」

 眼鏡の大佐が、艦長デスクに座り直すと溜め息をつく。

 その横顔のまま、静かに心優に告げた。


「悪い。園田。今夜が危ないと思う。怪我をして熱を出して辛いところ申し訳ないが、葉月がバランスを崩したら決して外に漏れないように俺と護って欲しいんだ。シドも知っているから、一緒に頼むつもりだ。橘さんには既に注意するよう頼んである」


 今夜、また。駐車場で痙攣をおこしていたあの症状がでるかも?

 心優は震える。あの時のミセス准将はとても痛々しかった。それに症状も激しく現れていて、ひと晩、寄宿舎の心優の部屋にいなくてはならないほどだった。


 そうか。だからこの人が来たんだ。海東司令も、その為にこの旦那さんを無理矢理に任命して連れてきたんだ――。やっとわかった。


「承知いたしました。わたしも気を配ります」

「やはり、園田を護衛につけて正解だったよ」

 少尉まで叩き上げてくれた恩師の笑顔に、心優もやっと笑顔になれた。


 


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