69.黒猫部隊

「シド……!」

 だけれど、シドは『御園の奥さん』の前だからなのか、心優を見てもじっと黙っている。


「そろそろシドも『黒猫』でもいいはずなのにね。厳しいわね、特に貴方のフランスのおじ様」

「……ですが、今回、侵入を許しました。それを思えば、自分はまだチャトラということなのでしょう」

「あら、チャトラにしては素直でおとなしいわね。心優がいるせい?」


 彼女が少し笑うと、心優の足下にいるエドも少し頬を緩ませている。そしてシドはもう子供のようにぷっくり頬を膨らませていた。やっぱり子供っぽい王子様のシドだと心優もちょっと頬が緩んでしまう。


「侵入に関しては、あの騒ぎだったから仕方がないこと。貴方達の落ち度ではない。不審者が作戦を決行し動き始めたことはすぐに察知して、最小限の被害に食い止めてくれた。これで充分な功績。気に病まぬように。特にチャトラ。艦長室を狙った不審者を捕獲した上で、私がいる病室まで迅速に移動し、私の護衛官の危機を救ってくれた。感謝しています」

「奥様……、有り難うございます。奥様が艦長室から離れていることを知って、無我夢中で追いかけました。間に合ってホッとしております」

「あれほどの男に隙も与えずに屈服させたわね。流石だったわよ、チャトラ」

「はっ」

 跪いたシドが恭しく頭を床に床にと下げる。その様は、もう上官にというより、『お仕えしている奥様』という雰囲気だった。


 この艦長のベッドルームが、海軍の部屋に見えなくなってくる。闇の世界で暗躍する男と、その男を束ねている女主人という異様な光景だった。


 だから、心優はやっと悟る。

 この世界についてこられるのか。貴女の上官は、これから護ろうとしている上官は、そんな危ない橋を渡りもする女主人。そんな裏の顔を持つ。


「では、そちらの男性達のことは『黒猫』とお呼びすれば良いのですか」

 どこか覚悟を決めたように問う心優を知って、御園准将が少し意外そうな顔をする。

「急がなくていいのよ。艦を降りるまでに、今後のことを考えて決めて、」

「わたしは御園准将の護衛官です。他の上官の下で仕えることなど想像もつきません。では、なんの為に、わたしを横須賀の城戸秘書室から引き抜いてくださったのですか!」


 今夜の心優は気持ちのまま、上官にぶつかっている。今夜だ。今夜がこれからを決める。この身に起きたことは、御園葉月という闇の男達に虐げられてきた女性には日常に起きていることであって、そして、彼女が一人で苦しんできたこと。それを同じ女性として思う。『一人の平凡な暮らしを望む女性として』、艦長はそう言って心優のことを思ってくれていた。それならば、心優も同じ思い!


 そして心優がこの世界に身を投じようと思うもう一つの思い。――『これから臣さんが向かう防衛最前線の世界は、こんなにも危うくて厳しい現場』。その世界を、これから一緒に生きていくと誓った女として知っておきたい。見ておきたい。彼の力になりたい!


「わたしもまだ未熟です。彼が助けてくれねば殉職していたことでしょう。それでも、もう既に経験しました。見させて頂きました。艦長の防衛最前線の現実を」


 心優は、御園葉月という女性の琥珀の眼差しを捕らえる。


「これからも、わたしは、御園葉月准将のいちばん側にいる護衛官です」

 心優もそっと、エドやシドのように跪く。

「お願いです。准将。お側に置いてくださいませ」

 それはある意味『御園家に仕えることを誓う』ようなものだった。


 でも、心優はさらに思い描いている。『これ、きっと……。これから艦長になる臣さんにも必要な後ろ盾だ』と。御園派である以上、御園准将の愛弟子になる以上、雅臣にもこのバックアップは必要だ。


 だからパートナーになろうと誓い合っている心優も、そこにいて役に立ちたい。そんな想いだった。

「ありがとう、心優。それならば、改めて紹介するわね」

 そうして御園艦長は『黒猫』について説明してくれる。


「黒猫。私の祖母がつくった『私設部隊』なの。以前は父が権限を持っていたけれど、いまは私と主人が同等の権限を譲ってもらって、彼等を従えている」

「私設部隊……? お祖母様の代からの?」

 とてつもない話を明かされ、心優は茫然とする。


 この人、とんでもないお嬢様。お金持ちとかそんなものじゃない。ひとつの部隊を従えてしまう、そういう力を持った資産家の娘。

 彼女が軍人で居続ける訳、その秘密も知ってしまった気がした。身体の傷を見ているから、彼女自身も身体を張ってここまで上りつめてきたのだろうが、それだけではなかった。


 実家で脈々と受け継がれてきた『軍人』としてのなんたるかを、この人は丸ごと継承している人。

「私が重宝されるのは、この男達が秘密裏に動いてくれるから――というのもあるのよ」

「では、司令はそれを知っていて、御園准将を利用しているということですか」

「むしろ『利用してください』と告げている。もし、うちの黒猫たちがどこかで捕獲されても司令には『知らない』と通してもらうことにしている。その時は、心優も知らないと言って欲しい。あってないものとして扱うの」

 それを聞いて、心優はやっと理解する。海東司令がなにやら、御園准将に躊躇って頼んでいたことを。


 彼からあからさまに頼めないのだ。頼んだ証拠を残してはいけない。でも、秘密裏に部下である御園准将が実家の力を使って海東司令をバックアップしてくれる。それを頼りにしている。


 御園准将の指揮官としての実力は本物。でも、裏に手を回せる『コネクト』も持っている。デメリットもあるが、メリットが大きすぎる。そういう『使える隊員』として重宝している。

 そして、今回も……。『君ならなんとかしてくれる』。そう思って、彼女に一任した。『猫を使ってでも、なんとかしてくれ』という期待でもあったのだ。


 そこでノックの音がした。

 雅臣が帰ってきて、この部屋にやってきたようだった。

「城戸です」

 雅臣はどう受け止めるのだろう? 心優は自分と同じように受け入れられるのか心配になってきた。


 しかも! シドと雅臣が対面する時――。


「どうぞ。城戸大佐」

 雅臣も、どうしてここに呼ばれるのかと、恐る恐るといった様子で艦長のプライベートルームに入ってきた。


「入って、雅臣」

「失礼いたします」

 雅臣が艦長室に入ってくる。そうして、心優の足下にいるエドを見つけて驚いた顔。


「あ、やはり。彼も来ておりましたか……。そんな気がしていました」

 雅臣は心優ほど驚きもしなかった。

「長沼さんから聞いているのでしょう」

「おおまかには……。そちらの御園のボディガードさんとは何度かお会いしておりますし、きっと『裏方』としてフロリダとも繋がっていると感じていました」

 そうだった。雅臣は横須賀准将の秘書官、しかも室長だった男。そして御園とは関わり深い『長沼准将』付きの主席秘書官だった。御園の事情も既に知っていたのだから、もうこれぐらい察していたということらしい。


 それはわかった。では、シドとはどうなのか。

 心優は雅臣がシドを見つけどう感じるのか。またシドが雅臣を見てどう思うのかハラハラしながら――。

「あら。いまそこに……。チャトラがいたのに……」

 どこにも逃げ道も侵入口もないはずなのに。先程までそこにいたシドがふっと姿を消していたので、心優はとてつもなく驚く。


 黒猫と認めてもらえない、ガキ扱いのチャトラ君なのに。まるで忍者のよう! 御園准将もキョロキョロしていたが、ミスターエドはくすっと少しだけ笑っていつもの澄まし顔に戻ってじっと待機している。


「チャトラ――とは准将がフロリダから手配していた秘密隊員のことですか」

「ええ、そうよ。心優を助けてくれた。え、どこに行っちゃったの? やだ、あの子。雅臣に紹介しておこうと思ったのに」

 雅臣もどこかおかしそうに笑った。

「かまいませんよ。秘密隊員ならば、顔を見られたくないのでしょう。また紹介してください」

 『逃げた』。心優はなんとなくそう思った。あの子供っぽい反応も厭わないシドがやりそうなこと……。


 まるで雅臣と心優の関係をもう知っているのかよう……。そこで心優はドッキリしてしまう。


 だとしたら? シドはいつから艦に乗っていて、心優と雅臣のことを見ていたのだろう?


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 午前八時。横須賀司令部、調査団の艦上輸送機を管制室から確認。


 青い空の向こうから、灰色の飛行機がきらりと現れる。

「横須賀司令部、調査団の輸送機です」

 その輸送機着艦の準備へと、また甲板が騒がしくなる。甲板要員があちこちへ動き回り、艦上輸送機を誘導しはじめる。


 その輸送機が、空母甲板へと無事に着艦。

「行きましょうか」

 管制室で着艦を確認した御園准将が動き始める。心優もその後をついていく。

 これまでよりもすぐ後ろに彼女について、心優は四方に神経を尖らせた。これまでとは心持ちが異なっている。


 今日もまだ油断が出来ない。不審者は警備隊が滞りなく拘束を維持しているが、あんなのが艦にいる以上、これからだってどうなるかわからない。


 甲板に出て、調査団が輸送機から降りてくるのを待つ。そのお出迎えだった。

 翼の下で回っていたプロペラが少しずつ回転速度を落としていく中、輸送機の後部のドアがあけられ階段のタラップが甲板へと降ろされる。


 調査団数名と、そして護送警備の隊員が次々と降りてくる。

 御園准将がそちらへ迎えに行こうと歩き出す。心優も周囲を警戒しながら艦長の背後を護衛する。その後を、雅臣と橘大佐と、ラングラー中佐もついてくる。


 そこで、御園准将が足を止める。

 最後に降りてきた男性、二人。その男性を見て、御園准将がギョッとした顔をしている? 心優も驚き足を止め、雅臣も『え、まさか』とこぼして立ち止まった。橘大佐も『嘘だろ』と仰天している。


 調査チームの後に現れた男――。若白髪で、肩に少将の肩章を付けているあの人が目の前に。

「海東司令――、どうして」

「御園艦長。昨日はご苦労」

 海東司令が直々に来てしまった。だが、御園艦長が驚いているのは、海東司令がわざわざ来てしまったことだけではない。もっと驚くこと、それは海東司令の後ろにいる男。


 その男を隣に従え、海東司令が面白そうにしてミセス准将に引き合わせる。

「アドルフが負傷し帰還することになった以上、手薄になるだろうから、彼を連れてきた」

 海東司令のその横で、『眼鏡の男』がにっこりとミセス准将に微笑む。

「お疲れ様です。御園准将。昨日は侵犯措置と不審者の侵入制圧、大変でございましたね。ご無事でなにより、ホッとしております」

 にっこり微笑むその男は、『御園大佐』。


 海東司令が直々に来ただけでも驚きなのに、その司令が艦長の夫である御園大佐を連れてきてしまった!

 管制センターでは彼も精神をすり減らしているのかあんなにやつれていたのに、海東司令はもういつもの余裕ある穏和さに戻っている。そんな穏やかな落ち着きに戻った司令が、潮風に若白髪の髪をそよがせながら告げた。


「御園准将の空母指令部をさらに強固にするため、本日付で御園大佐には『艦長代理』に就いてもらうことにした」


 艦長代理――!?

 そこにいた幹部達が、仰天の声を揃える。

 御園艦長が不機嫌そうに海東司令に言い放つ。


「どうして夫なのですか?」

 なのに御園大佐は相変わらず、眼鏡の胡散臭いにっこり笑顔。

 クルーには空部隊の女王と畏れられるミセス准将。そんなミセスを『ウサギ』と呼んでは彼女の心をかき乱す男が来てしまった。

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