68.コードネーム『チャトラ』

 でも。御園准将と心優が艦長室へ戻っても、『チャトラ』はいなかった。


「葉月ちゃん」

 心優ははやく『チャトラ』にもう一度会いたいのに、艦長が帰還したせいか、橘大佐をはじめ、次々と艦長室に幹部が駆けつけてくる。


「葉月ちゃん、間に合ったか。ブリッジの下、レベル3に侵入者がいて、ブリッジと艦長室を狙っていたと警備から報告があったが、艦長が医療セクションに向かっている途中で、俺が連絡を受けたんだ。でも、ここから離れるわけにもいかないし、どうなったかと心配したじゃないか」

 橘大佐の目の前では、艦長は本当に冷めた顔を保ち続ける。

「心優とチャトラが制圧してくれた。後で説明するからブリッジをお願いします。ただいまから、海東司令に報告をする」

「わ、わかった。引き続き、管制は俺がみておく」

「お願いします」

 橘大佐が管制室に戻っていくと、艦長がドアを閉める。


「艦長――!」

 指令室へ続くドアがすぐに開き、ラングラー中佐がとても慌てた様子で入ってきた。

「アドルフが怪我をしたと、警備からの連絡を受けました。艦長と園田は、大丈夫でしたか」

「アドルフは命に別状はないとのことよ。でも弾丸摘出のためのオペに入ったわ。私は大丈夫。心優は少し怪我をしている。雅臣がいま、ドクターを連れてくるところ」

「そ、そうですか……」

 ラングラー中佐がホッとした顔をする。


「チャトラが、ブリッジを狙っていた侵入者を仕留めた後に、私の後を追ってくれたけれど間に合わなかったのよ。でも制圧はしてくれた。心優も身体を張って、私を護ってくれたわ」

「自分もついていくべきでした」

「いいえ。それでは指令室が手薄になるからと、雅臣と心優とアドルフで大丈夫と判断したのは私よ。それより、テッド。海東司令にすぐに報告するから衛星電話の準備をして――」

「イ、イエス、マム」

「心優は座っていなさい。ドクターが来たらすぐに治療を受けるのよ。わかったわね」


 ラングラー中佐が艦長デスクのパソコンを立ち上げ、衛星電話の準備を始める。艦長デスクに衛星電話の小型機器をセッティングして受話器を取る。


「こちら、・・・航空団指令室、」

 ラングラー中佐が中央指令センターへと電話を繋げる。

 心優は言われたとおりに自分のデスクの椅子に座って、痛む腕を押さえながら、やっとひと息ついた。


 まずはラングラー中佐がヘッドセットを頭につけ、モニターの調整をはじめる。

 その向こうに、ヘッドセットをつけた指令センターの隊員が映し出される。

「緊急事態の発生です。海東司令をお願いします」

『ただいま参ります。少々お待ちくださいませ』

 男性がヘッドセットを取り払うと席を立つ。空いた席の向こうは、現在海にいる船を表す緑ランプが点灯している電子航海図の壁が見える。大きな室内の、中央官制センター。沢山の隊員がヘッドセットをして様々なレーダーやデータを眺めて、空と海の防衛のため監視をしている場所。


「艦長、司令が参ります」

 こちらの中佐もヘッドセットを取りさり、艦長へと差し出す。御園艦長もすぐにヘッドセットをして艦長デスクに座った。


 少し遅れて、海東司令もモニターに現れた。

『どうしたミセス。もう調査員派遣の準備も整ったが、なにかあったのか』

 明け方のバーティゴ侵犯騒動を切り抜け、これから収束へと動いていた海東司令も少し不精ヒゲというやつれた姿で現れた。


 それでも御園艦長は、間髪入れず淡々と告げる。

「司令。不審者が侵入いたしました。四名です。既に制圧し拘束しております。明日、こちらにこられる際には『護送』の準備もお願いいたします」

『は……?』

 この上、まだそちらで騒ぎが起きたのか。そう言いたいのに言えない様子。海東司令はもう絶句していた。朝方の侵犯騒動だけでも手一杯なのに、この上、またかと言いたそうだった。


『すでに制圧はしているのだな。……厳戒体勢でも駄目だったのか』

「制圧はしております。警備隊と、わたくしの護衛二名がすべてを阻止してくれました」

『負傷者は!』

「ハワードが私を銃から護り、負傷いたしました。ただいま弾丸摘出のオペにはいっておりますが、命に別状はないとのことです。他は、園田がパイロット暗殺を試みた不審者から護ってくれました」

『パイロットを……暗殺、だと?』

 海東司令がさらに絶句し、今度はさっと血の気が引いたような顔色になった。


 彼もきっと、瞬時に悟ったのだろう。もしパイロットが暗殺されていたら。大陸国内の派閥争いの末、同志の諍いで起きた死亡という結果になっても、日本国内で他国籍のパイロットを拘束中に死亡したとあれば、こちらでどのような管理と扱いをしていたかと延々と責められる『きっかけ』を作ることになっていただろうと。


「並びに、わたくしのことも狙っていたようでございます。こちらは予測済みでしたが、あの侵犯機墜落の騒ぎに乗じて艦内に侵入された気がしています。あの時、消火隊救助隊と出入りが激しかったので便乗された恐れがございます」

『警備体勢は完璧だったのか!?』

 あの海東司令までもが吼えた。

「完璧でございます。侵入は見逃しましたが、即刻対処はしております」

 海東司令の息が荒くなっているのが見て取れた。本当にこんなことが起きてしまったという驚きと、その危機が知らぬ間に起きて、知らぬ間に終わっていること、そして、本当に危なかったことが今やっと彼に襲ってきているようだった。


 そんな海東司令が御園艦長を睨んだ。

『御園准将――』

「はい」

『トリプルAの継続をするように頼んでもいいか』

 なにかを躊躇っているような言い方に聞こえた。

「それでよろしいのですか。司令」

 海東司令は彼女の顔をみつめ、まだなにか躊躇っている。

 ミセス准将はいつもの淡々とした横顔のまま。


 そうして二人の沈黙が暫し続いたが、御園艦長から口火を切った。

「司令、あとのことはわたくしにお任せ頂けませんか。報告はいたします」

『わかった。君に一任する。護送の件も了解した。明日、午前中にはそちらに到着する』

「今度こそ、滞りなく警護いたします。お騒がせいたしました」

 そこで衛星電話を終える。モニターも消された。


「テッド。暫く、ベッドルームにいるから誰も近づかないようにして。これから『猫』を増やす」

 ラングラー中佐も少し驚くと、サッと頭を下げて従う姿を見せる。


「かしこまりました」

「雅臣が帰ってきたら、同じくベッドルームに来るように伝えて」

 艦長のベッドルームに雅臣を入れる? 心優はびっくりする。艦長のベッドルームに入れる男は限られている。長年の秘書官であるラングラー中佐と、家族同然で弟分である鈴木少佐ぐらい。そこに、雅臣を……。


「……城戸君に知らせるのですね」

「雅臣には知っておいてもらうのに良い機会でしょう」

「了解です。では艦長室の留守を守っております」

 艦長はベッドルームでなにかをしようとしている?

「心優も来るのよ。ドクターが来る前に教えてあげたいから、いらっしゃい」

 え、わたしも? 心優も呼ばれる。

 御園艦長が艦長デスクを離れて、ベッドルームへと向かう。心優も後をついていく。


 艦長が自室へのドアを開ける。すでに灯りがついていた。

「遅くなってごめんなさいね」

 そして御園准将が、誰もいないはずの部屋なのに、誰かに話しかける。


 心優はそこでやっと『彼』を見つける。


 部屋の奥に、目出し帽をかぶったままの戦闘員の彼がいた。跪いて艦長を見るとお辞儀をする。

 艦長がドアを閉める。心優はやっと彼に会えて、やっと知ることが出来ると心臓をドキドキさせている……。


 だが艦長がまた天井を見上げた。

「エド」

 また心優の心臓がドキリと蠢く。

「どこにいるの、エド」

 天井に変化はない。特に艦長室は侵入を防ぐため、天井に通気口の鉄格子はなく、全て壁の床上という細いところに設置されている。


 なら、彼はどこにいるのか。いや心優はその時点で驚きを隠せない。あの人! 諜報員でもあると聞いていたが、この艦の中にいた? 艦長に付いてきていた? でもそれは軍として許されること? 御園家の私用のボディガードなのでは?


 その時、心優は背中にすうっとした涼しげなものを感じた。

 振り向くと、先ほど閉めたはずなのにベッドルームの扉が静かに開いている。

「お嬢様、ここでございます」

 心優の足下、下から声がする。そっと肩越しに確かめると、そこにスターライトスコープをしている黒い戦闘員がいる!


 彼が跪き、下を向いたままそのスターライトスコープを目元から額へと移す。その顔が心優にも見覚えのある栗毛の男性。


「はいって」

 艦長の言葉に、その低い姿勢のままエドが入ってきた。

「お嬢様、申し訳ありませんでした。侵入に気がつかなかったこと、申し訳なく思っております」

「仕方ないわ。今朝方、騒然としたもの。さすがのエドでも外をうろうろ警備することは難しかったでしょう。恰好の侵入のチャンスだったことでしょう」

「そのようでございます。その後、隈無く警備をしたはずでしたが、この時間までどこに潜んでいたのか。把握できず不甲斐なく思っております」

「この広い空母に、エドと、こちらでフロリダから配備してもらった極秘隊員、チャトラと他の二名だけでは通気口全て調べろは無理だと思う」

「ですが『チャトラ』が前もって、ブリッジ付近の通気口を重点的に仕掛けておいたトラップにまんまとひっかかってくれたので動き出したことを感知することが出来ました」


「助かったわ。そのトラップによくかかってくれたわね」

「そこは巧妙なトラップを仕掛けられるようになった『チャトラ』を褒めてあげてくださいませ。さらに報告ですが、お嬢様に知らせず勝手に判断しましたが、『空母の外』では三名ほど動いておりましたので捕獲しております。おそらく『帰りルート確保の見張り』だったかと。水中ジェットを数台所有して見張っていたので、侵入は水中からだと思われます。部員に捕獲させ、こちらで拘束しております。必要あれば、横須賀司令部に送りますが……」

「それは司令に報告してから判断する。やはり外をうろつかれていたわね」


 この『エド』という男性は、本当に諜報員並の傭兵。しかも現役だった。

 『お嬢様』のために、密かに付き添ってきていた。御園准将のその用意周到さにも心優は驚きを隠せない。


「陸で、ボスが、大陸国の派閥事情の調査を開始しております。二日ほどお時間をください。大陸国海軍総司令の子息が狙われた経緯を裏付けます」

「ありがとう。でも『ボス』には深入りしないように伝えて。あとは軍側の仕事になると思う。フロリダ本部が処置出来ることは、本部にいる兄様たちに報告して」

「イエス、マム」

「それから、私の一存になるけれど、猫を増やして欲しいの。配置と人数はエドに任せるわ」

「イエス、マム」

 『猫』を増やす? 心優は艦長が勝手になにかをはじめているようで、少し怖くなる。


 しかも心優に『実家の秘密』をわざと見せている。その意図は……?

 エドへの指示を終えると、御園艦長が心優を見た。

「心優。貴女、これからも私の側にいると、こんなふうに危ないことも引き寄せて巻き込まれるわよ」

 だから、これからどうする? そんな問いだった。そしてその問いの意味を心優もきちんと受け止めている。


「それはこのように、軍の指示なしにご実家の力を使って勝手に動くこともある。それを黙って見ているように――ということですか」

 はっきりと突きつけた。これからもミセス准将のいちばん側にいる護衛官でありたいから、誤魔化して付き合っていきたくないから。


 それはミセス准将も同じ。

「そうよ。海東司令の知らぬところとして、このことに関して問題が起きれば、全て御園が勝手にしたこととして処罰を受ける覚悟ってこと。側にいる貴女もただでは済まない事態もあるかもしれない。軍人としても、一人の平凡な暮らしを望む女性としても」

 心優はその投げかけに、すぐには返答できなかった。

「いいのよ、それで。今回は貴女と航海が出来て楽しかったし……。『娘だって母親を全力で守る』と言ってくれて嬉しかった。初めての航海でこれだけのことが起きた。でも、私にとってはこれはもう日常なの。どうしてって?」

 心優が問わずとも、でも心優が知りたいことを御園准将は静かに言う。左肩に手を当てながら。


「十歳で、闇を好む男に虐げられたからよ。いまもずっと、あの男は私に巣くって心を蝕む。だから、私はそんな男達にまだ向かっている。私と共にある『黒猫』達は、私と同じように心から血の涙を流して悶えてきた男達ばかり。だから、彼等が祖母のところに集まった」


 また心優には解せない話が始まった。

 御園艦長が、やっと静かに奥に控えている『チャトラ』を見た。


「彼の現在のコードネームは『チャトラ』。猫の茶色毛のトラ猫って意味。彼の母親が栗毛で息子の彼が金髪だからそういう名になったの。でもね、このネームは彼にとってはまだまだ不名誉なのよ」

 またここでも『猫』と関係する話が出てくる。そして彼の名は『茶色のトラ猫』という意味だった。

「逆に、そこにいるエドは『黒猫』と呼ばれている。『チャトラ』は、母親が黒猫だったので、黒猫二世ね」

「黒猫――」

 確かに猫のようだった。暗闇に潜み、息を潜め、飼い主が呼んだらひっそりと音もなく現れる黒猫のよう。


「彼等は『黒猫』と呼ばれて一人前なの。『チャトラ』は、まだそこまでに至らないから、年配の黒猫たちに『まだ黒くなれない、金茶縞のトラ猫』と揶揄されて『チャトラ』とつけられたの」

 ミセス准将が少し笑って『チャトラ』を見た。

「フロリダでは優秀な戦闘員なのに、おじ様達がなかなか認めてくれないのよね。ね、『シド』――」

 准将がそう呼ぶと、目出し帽を被ったままの彼が怒った眼差しをミセスに向けている。


「もういいわよ。シド。会いたかったでしょう、心優に」

 夜な夜な訓練をして、一緒に食事をして日々を過ごしてきた仲。訓練の相棒は、心優が昇進試験を受ける前に何も言わずにフロリダに行ってしまった。会えるのは帰還後だと思っていた。でも、いま、その彼が目の前に。彼がそっと静かに目出し帽を脱ぎさる。


 最後に会った時は短髪だった金髪が、少し伸びていた。そして金色の不精ヒゲ。なのに、金色の中で澄んで光る明るい水色の輝石。


 間違いなく、シドだった!

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