67.いまこそ、護衛官ガール
おそらく『シド』だと思われる、突然現れた黒い戦闘員。
あっという間に中年らしき侵入者を制圧する。その強さに、エネルギッシュな闘志はこの場を圧巻する。
その男が心優を見た後は、ミセス准将へと視線を向けた。
「アドルフ、アドルフ――。しっかりして!」
あの艦長が、何年も側に置いてきた大事な護衛官が負傷して、やや取り乱していた。
「じゅ、准将……。だ、大丈夫ですよ……」
「なんて馬鹿なことするの。命を落とすようなことは、護衛でもしないって約束……」
「艦長の負傷は、俺達護衛官の不名誉……です、か……ら……。そんなこと……になったら……自分から退官、する……て決めて……い・・」
ハワード大尉の眼差しが、ふっと閉じられてしまう。
「アドルフ……!」
あの艦長が、大きな身体の男に抱きついて泣きそうな声。
「ミセス。すぐにドクターも警備隊長も来ます。大丈夫ですよ」
黒い戦闘員の男が日本語でそう言った。
若い男のその一言を聞いただけで、ミセス准将がふっと我に返ったように落ち着きを取り戻す。涙を見せても、横顔が瞬時に凍った。いつものアイスドールの顔に戻ってしまう。
でも、心優はここでも確信する。その声、話し方。ぜったいに『シド』だって!
「心優――。大丈夫か、これ」
側に来てくれた雅臣が心優の腕を手にとって、凍り付いた声――。
言われて雅臣が大事そうに抱いてくれている肩の下を心優も見下ろすと、そこの訓練着が切れて血が滲んでいる。
「え、気が付かなかった」
切られたばかりだからなのか、痛みがない。それとも浅い傷? よく見ると、紺の訓練着がところどころ切れている。
男のナイフの刃先だけでも触れていたことになる。ロッドで切り返しが間に合わなかった時は、さっと瞬時に避けていたが、それが紙一重でかすっていたようだった。ということは、ほんとうに危なかった。ロッドで切り返すタイミングがずれていたり、少しでも避けるのが遅れていたら、心優は八つ裂きにされていたのかもしれない。
初めてゾッとする。だが雅臣は青ざめている、そして特に切れている腕のところを急いでめくって傷を確かめてくれる。
「出血している。待ってろ、止血する」
心優のことを一生懸命になって、なんとかしようとしてくれている……。
雅臣がねじったハンカチを腕に結んでくれる。
「……死ぬかと思った……。俺が……。銃を向けられた時、間に合わないと思った」
彼が泣きそうな声で、唇を噛みしめる。
「でも、すごかった。本物の護衛官だ。すごかったけれど……、すごかったけれど……」
護衛官として讃えてくれる大佐殿。
「頼む。これ以上……、人を亡くしたくない……」
密かに彼が、ロッドを持っていた心優の手をぎゅっと握りしめ、心優の肩の上に額を付けて泣いているような息づかい。
「大佐、心配させてごめんなさい。でもわたしも、ハワード大尉と同じです。艦長を負傷させることが、わたし達の不名誉であって職務怠慢なんです」
「わかってる。よくやった。全うしたな」
雅臣がそこでやっと、心優が秘書官時代から憧れていた上司の顔で微笑んでくれる。でもうっすらと目尻に涙がくっついている。複雑そうな眼差しは変わらない。
「艦長――、大丈夫ですか!」
ドクターが駆け込んできた。
「ドクター、アドルフをお願い! 意識がないの」
ドクターも驚いて、ベッドの下で座っているハワード大尉へと駆けていく。
すぐに診察、触診を始める。
「大丈夫でしょう。命に別状はないと思いますが、弾が貫通していないようなので、すぐにオペに入ります。よろしいですね、艦長」
「もちろんよ。おねがい、アドルフになにもないようにしてあげて!」
ドクターも頷くと、すぐに処置をするため、看護官を集めはじめる。
警備隊長も、警備隊を引き連れて到着した。
その警備隊長は他の隊員に、シドが制圧している男の拘束を命じると、すぐに御園艦長のところへと跪いて、床に額が付くほど頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。艦長の護衛に間に合わず……」
「いつからなの!」
普段もそれほど怒りもしない艦長が、さすがに今回は警備隊長に吼えた。
「艦長室側に二人、『チャトラ』が発見しました。いつからかは判明しておりません。ここは『チャトラ』が阻止しています。警備1班からもブリッジ下の甲板レベル3に侵入者を発見したと報告があり、艦中枢を死守するため、そちらを優先しておりました。『チャトラ』が艦長が医療セクションの侵犯パイロットのところに向かった後を追ったのですが、『チャトラ』が到着した時には、あの不審者が病室に侵入した後でした――。後手になりまして、申し開きできません」
「ブリッジも狙われていたの……?」
「なので、こちらのパイロットも狙っていたとは予想外で手薄になりました。また、艦長が医療セクションに向かっている最中の出来事だったので、艦長室への報告が届かず……、申し訳ありません」
「もしかして。パイロットの彼が目覚めて、私が艦長室を離れるタイミングを狙ったのかしらね……」
艦長が次に睨んだのは、シドらしき、黒い戦闘員だった。そこで水色の目の彼が、初めて申し訳なさそうに俯いた。
「後は艦長室でゆっくりと事情を聞きます。金原隊長、パイロットの彼を別室に移します。警備の強化を。そして不審者拘束の体勢を万全に整えてください。明日、司令部にパイロットの彼と併せ、不審者の引き渡しをします。その後、艦長室へ」
「かしこまりました。明日、無事に引き渡せるよう万全に遂行いたします」
「お願いね」
艦長はそれだけ言うと、床に置かれたままのパイロットのところへと駆けつける。
寝たまま茫然としている彼を、艦長が自ら起こしあげる。
「大丈夫よ、貴方を絶対に国に帰してあげるから」
茫然としたパイロットが、艦長をそっと見上げる。
「いつ自分がどなるかわからないのは覚悟の上です。大丈夫です。祖父も父も兄も軍人です。家のために巻き込まれることもあるだろうと……」
それでも彼が愕然とした様子で俯いた。
「国のためというなら、あの時、死んでも良かったのですが……。あれが父の考えている作戦なら、甘んじて受け入れても良かったのですが……」
「あの男が、お父様の手先だと思っているの? そういうお父様なの?」
子息は即座に首を振った。
「そつなく済ませようとする穏便派の父は、それを良く思っていない過激派と対立しています」
艦長が『やっぱり』と憤った。
「つまり。今回、大量出撃はするがこちらが乗らなければ即撤退という穏便に済ませる作戦を執られたお父様を良く思っていない過激派が、お父様の作戦決行日に合わせてこの艦の隙を狙っていたということね」
「なにもかも、父がやったように仕立て上げたかったのではと、瞬時に思い浮かびました。祖父の代から、一家揃って妬みもかわれることもよくあることで、自分が日本国内で死亡すれば、父にも日本にも打撃を与える。そこを狙い目にしたのか……と瞬時に思い浮かびました」
「私もおなじよ。祖父も父も、兄も姉も軍人でしたからね。私が狙われることもままあったわ。家柄的に大変ね。派閥摩擦はどこにでもあること。そういうことね。よくわかったわ。こちらの警備の詰めが甘く、申し訳なかったわ。これからさらに強化します。二度とこのようなことがないよう、明日の朝、無事に貴方を信頼している司令へと届けますから」
そんな艦長の頼もしい言葉に、彼もしっかりと頷いている。
そのパイロットが、遠くにいる心優を見た。
「素晴らしい護衛官をつけていらっしゃるんですね……。女性艦長だから、ただ女性の補佐を側につけているだけかと思っていました」
「彼女、空手の選手だったのよ。もしかしたらメダル選手だったかもしれない」
彼がそれを聞いて『凄い、道理で!』と目を丸くした。
「国に帰ったら……。父に貴女達、女性の活躍のことも伝えたいです」
すごいものを見た――と彼がまた心優を見て微笑む。でも心優は微笑み返せない。
現場がまた騒然としている。
ドクターがストレッチャーを持ってきた看護官と共にハワード大尉をオペ室へと連れていく。
警備隊員が暴れる男を数人かかりで拘束し、連行していく。
「心優、貴女も治療してきなさい」
だが心優は毅然と答える。
「嫌です」
側に寄り添ってくれている雅臣が『は?』と目を丸くしている。
なんでも従うばかりの素直なばかりの心優が艦長に楯突いたからなのだろう。
心優は側にある頼もしい男の胸を突き返した。雅臣がびっくりして離れる。
立ち上がって、自分の足で艦長の目の前へ――。
「わたしは軽傷です。ハワード大尉が艦長の側にいられない以上、いまいちばん側にいなくてはいけない護衛官はわたしです。治療が必要ならば、艦長室にドクターを呼んでください」
「園田少尉、私の言うことが聞けないの?」
ほぼ同じ身長である女二人が、そこで鼻先を合わせるように向かい合う。
「准将が、わたしを娘のように大事にしてくださること感謝しております。わたしのことを『娘』だと思ってくださるなら、言わせてください」
初めての航海。まだ少尉になったばかりの、未熟なばかりの、未経験ばかりの軍人とは言い難い娘のような女。空手の選手という枠から抜け出せず、軍隊ではおろおろしてばかりいた。そんな娘を気遣って、ミセス准将は包みこむようにして大らかに暖かく見守るだけ。
そんな娘としてぬくぬくしてきた。でも、もう違う。心優は冷たい琥珀の瞳に真向かう。
「娘だって母親を全力で守ります」
それを聞いた琥珀の目が、ふっと緩んで熱く溶けてしまうのを心優は見てしまう。
彼女の目がすこし潤んでいる。
「そうね……。頼もしい娘だった。でも、母親はそれでも娘が心配なのよ。でも、アドルフを負傷させてしまったのが、不甲斐ない……」
「わたし達、護衛官の気持ちを察してください。艦長。ハワード大尉は、艦長が負傷することの方が『癒えない負傷』になります」
「わかったわ……。ならば、今後は護衛官としてしっかり護ってもらうことにする」
やっと、ミセス准将が納得したのかふっと僅かに微笑んだ。
「金原隊長、彼をお願いします」
「イエス、マム」
警備隊長にパイロットの彼を任せると、御園艦長は跪いてただ待機している水色の目を持つ男を見た。
「チャトラもご苦労様。艦長室に来て、私の護衛を」
「イエス、マム」
彼が眼差しを伏せ、跪いたまま頭を下げた。
艦長がこの病室を出て行こうとする。心優は切られた腕を押さえながら、歩き始める。
今になってズキンズキンと脈打つような痛みが襲ってきた。
でも堪えて、心優は艦長の背を追う。
御園艦長がやっぱり振り返る。心配そうに――。
「心優――」
「大丈夫です」
意志が固い心優に溜め息をついて、どうしようもなさそうな顔をする艦長。
「雅臣。心優のためのドクターを選んで連れてきて」
「イエス、マム」
雅臣もホッとしたようにして、心優のために一刻も早く医師を連れてこようとしてくれたのか、サッとドクタールームへと走っていく。
『オペにはいるぞ!』
遠くでは、ハワード大尉がドクターと看護官に囲まれ、オペ室に入るのが見えた。医療セクションの通路は騒然としていた。
そんな中、黒い戦闘服の男が側にいたはずなのに、いつのまにか消えている。心優はハッと我に返ってあちらこちらを見渡す。
艦長がなにもかもわかったようにして、ふっと笑い心優に教えてくれる。
「チャトラは『猫』だから、往来の通路は眩しすぎて歩けないのよ」
そういうと、彼女が天井を見上げる。
「私と心優より早く艦長室に着くはずよ。素早いわよ」
彼は人目につくような場所には姿は現さない――ということらしい。
また通気口や人気のない通路を見計らって艦長室へ行くということらしい。
「そのチャトラでも間に合わなかったのだから、こちらのちょっとした隙を上手く突いてきたところは、あちらも上手のプロ集団だったわね。危なかった」
シドとは言わない艦長。『チャトラ』って、ほんとうにシドなのか心優は少し疑いたくなってきた。
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