66.船は、猫も鼠も住んでいる

「心優、だ、大丈夫か」

 床に降ろしたパイロットを抱いて守っている雅臣とも目が合う。

「心優、そのまま……。待ってろ。警備少佐を呼ぶから」

 艦長より雅臣が迅速に行動に移った。パイロットの彼をそっとベッドの影、床に寝かせてドアへと向かっていく。


「Shit、Shit!!」

 男が腕をじたばたさせているので、心優はそれも足で踏みつけて押さえたが、今度は背筋を使って心優を背中から振り落とそうとしている。


 ダメだ――。心優にあるのは『技』であって『力』ではない。女の細腕で、横幅もがっしり体型の男を何分も制圧状態にしておくのは無理。はやく、同じような体型のハワード大尉が来てくれないと! 或いは、凄腕の警備隊の少佐が来てくれないと!


「小娘だと思っていたら……。おまえ、とんでもない使い手だな。だからか、だから、艦長に付き添っていたのか」

 男が心優に押さえつけられたまま、やっと英語で喋ってきた。

 でも心優は答えない。

「だが嬢ちゃん、ルールなしのタイム制限なしの『戦闘』はしたことがあるか?」

 男がニヤッと笑った息を心優は感じる。ゾッとした。一瞬、男が抵抗を緩め静かになる……。だが心優は警戒する。こういうの、戦闘態勢前の静けさというのか。


「少佐、不審者侵入を確認!」

 雅臣が外から鍵をかけられているドアをドンドンと内側から叩く。

 カチャン――と鍵が開く音。それとほぼ同時。男がありったけの力を込め、背を反り身体を跳ね上げる。背中に乗っている心優は振り落とされそうになったが、ぜったいに顎にかけているロッドを外すまいとした。それでも、男の腕を踏みつけていた足が浮いてしまう。その瞬間だった。男が腰の銃を引き抜いた。床に腹をつけたまま、心優を乗せたまま、顎を押さえつけられたまま、自由になった片腕だけを御園准将へと向けてしまう。


 ――准将が撃たれる!! でも、自分がここで降りてミセスのところへ駆けつけて『盾』になるのは間に合わないし、この男の背から降りたら、この男が自由になってしまう。間に合わない!!


「何事ですか!」

 警備隊の諸星少佐がドアを蹴破るように入ってきた。状況を瞬時に把握した諸星少佐がジャケットの下から銃を抜き、男へと向ける。男もそれに気がついたのか、即座に標的を変え、ミセスから少佐へと銃口を向ける。


「少佐、伏せて!」

 少佐は男の背に心優がいるせいか発砲を躊躇っていた。だが男はサイレンサーが付いている拳銃の引き金を引いてしまう。『プシュン』と軽い音が男の手元で発しただけなのに、銃口からは硝煙が立ちのぼっている。


 少佐に命中した!? 心優が見ると、少佐は床に平たく伏せていて無事だった。だがそのせいで体勢を崩してしまっている。それを見て心優が次に危機を持ったのは、男が向ける銃口が、またミセスに戻ること!


「臣さん! 艦長を……」

 パイロットの元に急いで戻った雅臣だったが、艦長ががら空き。

「ヒヒッ、まずはあの女! あいつもいなくなれば、手柄だ!」

 彼がそう呟いたのが聞こえる。

 ついに男がミセス准将へと向けて発砲をしてしまう!

 ―― プシュン!

 何が狙いか不明のまま。男の弾丸がミセスへ――。


「艦長!」

 大きな男が駆け込んできて、ミセス准将の姿がふっと消えた。

 うあっ!!

 心優はハッとする。弾丸の先にいるのは大きな男。艦長を大きな胸の下へと隠し、そこに飛び込んで『盾』になった男。彼の背、紺色の戦闘服に赤黒いものが滲んで広がっていく――。


「アドルフ――!」

「ダメです。艦長! 俺から離れないでください!」

 ハワード大尉が御園艦長の下に駆けつけ戻ってきて、瞬時に盾になってくれていた。でも弾が背に当たってしまった!


「ハ、ハワード、大尉……!」

 心優は驚き、うっかり腕の力を緩めてしまう。その瞬間を男は逃さなかった。床の上で身体を大きく捻り、うつぶせから仰向けになろうと転がる。そこで心優は背中からついに落とされ、顎のロッドも外してしまった!


 立ち上がろうとしている男が次に見据えたのは、艦長ではない。雅臣と大陸国のパイロットがいるベッドの向こうだと心優は気が付く。

 心優もすぐにロッドを握り直し、立ち上がろうとする。だが男は心優の目の前から腰を上げただけの低姿勢の体勢でも、シュッと走り出してしまう。


 凄い瞬発力、陸上選手のスプリンターのようなダッシュ! それでベッドへと向かっていくと、縁に足をかけベッドの上に乗ってしまう。


 しまった――! それでも心優も走り出す。男はスプリングがあるベッドの上に駆け上がると、その反動を利用して上へジャンプする。跳ね上がったそのまま、ナイフを手にして、雅臣とパイロットの彼の方へと飛び降りようとしている!?


 ベッドの端では負傷したままのハワード大尉が艦長を抱きしめたまま動かない。だから艦長も身動きが取れていない状態。

「国のために死ね!」

 その言葉に心優は悟る。『英雄死に担ぎ上げることができる』。どこの誰に指示されたのかわからない。でも男は明らかにパイロットを狙っている。ここでパイロットが死亡したら、今度は日本の管理ミスを問われる。そして、可哀想な彼は国で英雄死――?


 そして心優は見る。ベッドから飛び降りナイフを振りかざす男を見上げ、パイロットをかばって臣さんが上になってしまったのを!

 臣さん、臣さんが刺される!!

 間に合わない。でもいま心優の目の前にはベッドのパイプ。それを握って、思いっきり動かした。


「臣さん! 頭下げて!!」

 息が合うとはこのことか。心優がベッドを前にグッと押した瞬間、雅臣がパイロットと一緒に床に伏せてくれた。だから彼等はベッドの下にサッとくぐる形で入ってくれる。


 ベッドの下に飛び降りたはずの男は、またベッドに着地した形になり、なおかつナイフがグサリとベッドのシーツに突き刺さった。

「また……おまえか!!」

 ナイフを引き抜いた男が、今度は迷わず心優へと襲いかかってきた。

 ――心優!

 ハワード大尉の身体に守られている艦長が腕を伸ばして叫んでくれている。

 ――心優! 心優、心優!! 逃げろ!!!

 ベッドの下からは雅臣の案ずる声!


 逃げない、わたしは護衛官だから!!


 ナイフを振りかざす男、ロッドを構える女護衛官。

 二人の武器が火花を散らす。キン!と再度甲高い音の激突。

 今度の男は容赦ない。素早いナイフ裁きで心優に迫ってくる。でも心優も的確にロッドで切り返している。


 シド、シド! 心優は心の中で彼を思い出している。そして感謝している。あの時、彼が手厳しい現実を突きつけてくれたから、あの訓練をすることができた。彼が本気で付き合ってくれたから今、これが出来ている!


 だけれど、まだ心優は未熟だったのか――。

「っつう、ああっ!」

 男についにロッドを弾き飛ばされてしまう。

 サッと心優から下がって、男と間合いを取る。

「まだちょっと甘かったな。お嬢ちゃん」

 こんな時だけ、日本語で話しかけてくる。


 男が真っ正面、銃を構えた。まだ諦めない。あの銃を蹴り上げれば、きっと間に合う……、きっと……

 いや、無理。

 男の目を見た瞬間、心優は死を覚悟する。間に合わなかった。男の銃口は心優の眉間――。


 心優。

 心優――!

 ベッドの下から雅臣が出てきたのが見えたのを最後に、心優の思考は停止する。

 瞬間、襟首をひっぱりあげられた感覚、首元がぎゅっと締まり息苦しくなる。そして身体が浮いた? でも直後には、なにかに身体ごと叩きつけられた衝撃。そして頬に冷たい感触。


「心優!」

 気が付くと、雅臣が側にいた。心優は床に叩きつけられて倒れている。しかも立っていた位置からかなり後ろ。

「え、なに。なにが……」

 しかし、雅臣もとても驚愕した様子で心優ではない、男の方を見て青ざめている。

 キン、キン、キンキン!

 ナイフとナイフがぶつかり合う音が、凄まじく鳴り響いている。正気になった心優が男を確かめると、その男ともうひとり、黒い戦闘服の男が互角の戦闘を繰り広げている。その男も目出し帽で顔が見えない。


「え、誰……? 誰なの?」

 ふいに出た呟きに雅臣が答える。

「あそこから、急に飛び降りてきた。心優をひっつかんで、後ろに下げて銃弾から助けてくれたんだよ」

 雅臣が指さしたそこは天井の通気口。そこの鉄格子が外されている。心優が立っていた真後ろ。


「あれだ。御園准将が前もって忍ばせていた秘密隊員だ。きっと……」

 秘密、隊員? それを聞いて、心優の心臓が急にドキドキとしてきた。

 いつか、御園大佐が言っていなかった? そんな男がいることを覚えておいて欲しい……。シドに嫌味を言われたそのすぐ後に……。もしかして、もしかして……?


 その男の強さは尋常ではなかった。あの男を押して押して、どんどん部屋の鉄壁際へと追いつめている。しなやかな身体が、厳つい男に有無を言わせない程に。

 うぐあ――!

 侵入してきた男が、心優を助けた黒い戦闘員の強靱な蹴りをくらい、後ろに飛び床に叩きのめされる。


「おい、ネズミ。ちょろちょろすんなよ。他のネズミは全部捕獲したぞ」

 さらに心優の心臓がドクンと跳ね上がる。その自信満々の、生意気そうな声。

 彼が倒した男の目出し帽をひっつかんで、脱がしてしまう。厳つい、眉が太い肌が浅黒い男。アジア人なのか西洋人なのかわかりにくいエキゾチックな顔立ちの、四角い顔の男。


「艦には猫もいるんだよ!」

 男の背中を踏みつけ、心優がやったように男の顎を背中から締め上げた。

「……くっ」

 男の顔が歪む。そして、制圧した目出し帽の男が、心優を見た。


 その目。明るい水色、アクアマリンの瞳。

 心優を見た途端、目出し帽から見える彼の鋭い眼差しが、ふっと緩んだ。

 ―― シド!!

 間違いない、彼だった。彼がこの艦に乗っていた!?

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