65.鼠がいた
「よろしいのよ。横になっていて」
無表情に英語で話しかけながら、御園艦長はベッドの横へ行くとそこにあるパイプ椅子に座った。
横たわっている大陸国のパイロットは若く、日本人とおなじ容貌のアジア人。
「ご気分はどう」
彼は初めて見ただろうミセス准将をじっと見つめている。不思議なものをみるかのように。
「女性の艦長だと知っていましたが……。本物、ですね……、本当なんですね」
それがパイロットの第一声だった。
「生まれた時から女よ。女に見られているかどうかはわからないわね」
冗談も無表情に言ったのに、それでも彼が少しだけ微笑んだから心優はそちらに驚く。
「日本人だと、聞いていたのに……。日本人ではないんですか」
彼が艦長の瞳と髪を交互に見ている。
「その情報は持っていないの? 父親が日本人とのハーフ。私はクウォーター。生まれたのは日本、国籍も日本よ」
「そうなのですね。父にそこまでは教えてもらっていなかったので……」
「貴方のお父様が、指揮をされていた総司令という報告を受けています。お父様が、こちらの司令部にすぐさま緊急通信を届けてくれて、侵犯ではない迎撃はしないで欲しいと伝えてきてくださったのよ」
「父が……」
こみ上げるものがあったのか、彼が顔を背けた。
それを見た御園准将が雅臣を見る。二人が一緒になにかを確信したかのように頷いた。
「貴方も国の任務を遂行しただけなので、話せないこともあるでしょう。ですが、質問させていただきますね。言いたくないことは黙っていて結構よ」
雅臣が艦長の側に立ち、手帳を開いてボールペンを握った。細長いICレコーダーにもスイッチを入れて、そっとベッドの上に置く。これからの会話を記録する準備が整う。こんな時の雅臣は、秘書室長だった時の風格を醸し出す。
「今回の貴方の任務は、侵犯でもなく、空母撃墜目的でもなく、単にこちらを牽制するための大量出撃だったのよね」
彼はすぐには返答せず、迷いを見せていた。だが暫くすると――。
「はい。いつもの牽制に、出撃機を増やしただけです。それだけでも驚かれるでしょう。貴女の艦がいつもギリギリの領海を通過することは、こちらでも有名な話です」
「こちらもそう判断しておりました」
「貴女はとても落ち着いた方なのですね。通例対処以上のことはしようとしなかった。いえ……、父もそう予測していました。これで慌てるような彼女ではないだろうと。でも慌てたらそれはそれで面白いと笑っていました」
「まあ、悪戯なお父様ね」
艦長がそこでやっとくすっと笑った。その顔を、彼も楽しそうに見上げたので、心優は逆にびっくりしてしまう。
なんだろう、一歩間違えれば自分たちがどうなるか判らなかったのに、お互いがしたことが命を奪う行為だったのかもしれないのに。これが軍人というものなのか、圧倒させられる。
「ですが、自分たちパイロットはそんな父の余裕を不甲斐なく思っておりました。ちょっと派手にして向こうのパイロットを焦らせてやる。出撃の命を受けたパイロット達は囁いていました。相手のパイロットをパニックに陥れた者がこの作戦の一番手柄だと――。自分は総司令の総指揮官の息子ということで、いちばん張りきってしまったところがあります。いまは冷静ではなかったと不甲斐なく思っている……。結局は父の命に背いたことになります。西方十機は粛々と父の指揮に従って撤退したところ、自分の編隊は自分がいることで指揮に従わなかったことになりますから」
「なるほど。それでドッグファイトを持ちかけるような動きをした訳ね。あの四方の方向が判断できない中で、派手に旋回し上下飛行を繰り返して、こちらのパイロットを脅し続けた結果、貴方はバーティゴを起こしてしまった」
「脱出するまで、バーティゴになっているだなんて思っていませんでした。いえ……、計器が不具合を起こしているんだとばかり……」
「つまり、ご自分の体感を優先していたのね」
「そのうちにどちらが本当か判らなくなりました。レーダーを見ると、国を離れて、日本国内に入っていました。それを知って、とにかくここから離れようとしたのですが、結果的には帰ろうとしていた方向が、海面であったり、日本国内へと向かい、なおかつ、貴女の艦へと向かう結果となったようです」
バーティゴは正真正銘、彼の身に起きたことで、そしてなんの悪意のないもののようだった。彼が素直に話してくれたのも、自分の身の潔白を証明する方が先決だと思ってくれたのだろう。ここでお国柄の意地を張ると、悪意があってこっちに来たことになり、それこそ父親の判断ミスと取られかねない。
「話してくださって、ありがとう。もう充分よ。貴方は総司令のご子息であると既に判明しておりますし、事情も不慮の事故として扱う予定です。身柄はいったん横須賀司令部の上官に引き渡しますが、無事に帰還できるよう手配する予定です。安心して過ごしてください。ただ、わたくし共にも『国を護る』使命があります。正式な入国者ではない以上、この部屋から出ることは許されません。ですが困っていることは、医師に、または警備をしている隊員に遠慮無く申しつけてください」
「有り難うございます。あの……、貴女があの時、声をかけてくれなければ、脱出を決意していなかったと思います。きっとこちらにも多大なる迷惑をかけたことでしょう」
「脱出する際、操縦桿を空母から逸れるように操作してくださったのよね?」
「せめて、それだけは――と。方向感覚がなくなっていたのですが、雲間が切れると本当に目の前が海面で空母が見えたので驚愕しました。それを見て、貴女が言っていることは本当だったと、無我夢中で脱出を決意して、咄嗟に操縦桿を空母の反対に逸れるよう切っていました」
「本当に助かりました。撃墜なんて事はしたくはなかったので、私もほっとしております。それから……。私のところのパイロットが、貴方がこちらに侵犯してしまった後、領空線ギリギリのところで一機いつまでも待機していたのを目撃しています。暫くして撤退したと聞いています」
「自分の僚機だと思います。彼は編隊のリーダーでもあります」
「貴方を置いて帰れなかったのね」
そこでお互いの言葉が止まる――。
「お腹は空いていない? 食べたいものはありませんか」
艦長の声が途端に優しくなった。意外だったのか、若いパイロットの彼が艦長の顔を見上げて、涙をこぼしていた。
「せっかく……、この国に来たから……、この国のオススメを……」
「オススメ? 私のオススメは、艦のシェフがそっくりに再現してくれる『ママのパンケーキ』だけれど。それでもいい?」
「パンケーキ? ママって……。日本の食べ物ではないですよね。自分の国でも食べられますよ、それ」
「では。夫のオススメである、トマトソースの讃岐うどんかしらね」
「サヌキウドン?? 料理をしてくれるご主人がいらっしゃるのですか……」
「貴方は?」
「まだ独身です。が、フィアンセはいます。家に勧められた女性ですが、仲良くやっています」
「それなら、早く帰ってあげないとね……。彼女の所に」
「はい……。もう、それだけです……」
彼がまた涙を浮かべた。
もうその姿を信じたい。大陸国のお国柄はいろいろと耳にして、個性を殺さねば生きていけないところだとわかっていても、彼は自分たちと同じ普通の人なのだと信じたい姿だった。
「アドルフ。シェフに彼の口に合うような消化の良い日本食を作ってきてもらうよう頼んできて」
「イエス、マム」
ハワード大尉がドアへと向かっていく。中からノックをすると、外にいる警備隊員が鍵を開けてくれる。ハワード大尉が出て行った。
雅臣がICレコーダーのスイッチを切って胸ポケットにしまう。手帳も閉じた。
これにて、後は明日、滞りなく司令部に引き渡すだけになった。
「疲れたでしょう。明日は横須賀までの輸送機になると思うので、今晩はゆっくり眠りなさい。眠れないならドクターを呼びましょうか」
「いいえ、大丈夫……で、」
ベッドにいる彼が何かを見つけたかのようにして、ハッと大きく目を見開いたのを心優は見る。そして心優も背後に何かを感じた。目の端に黒い……
「な、あれ、あれは……!!」
パイロットの彼が寝たまま叫んだ。だが心優は既に振り返って、それを目視確認している。
戦闘服を着た黒い男。黒い目出し帽。その男が壁下にある通気口の蓋をいつのまにか開けて、音もなく床に這い出てきたところ。黒い戦闘服は埃で白く煤けていて、通気口を這ってここに侵入成功したところか。手には既にナイフを持っている!
その男の目が心優を通り越して、冷たく艦長を見据えている。
――艦長が目的!?
だが男は負傷しているパイロットにも目を向けると、ニヤッとした目元を見せた。
――総司令子息が目的?
わからない! それだけで、心優の身体が硬直する。手は、三段ロッドを取り出すよう動かしたのに『抜けない』。
『国籍不明の傭兵と母艦内で突然かち合っても、おまえの命を差し出して准将をお守りするということなんだぞ』
父の声が蘇る。本当にこんなことがある! 命を差し出して……? あんなプロの男なんかと闘ったことがない。絶対に、殺される! 心優はもうガタガタ震えていた。
「雅臣! 彼を守って!」
やはりこんな時も『いつも通りの人』がいる! 御園准将がパイロットの彼を起こしあげ、ベッドから引きずり降ろそうとしている。
「アドルフ、アドルフ!!」
心優ではない。先輩のことを必死に呼んでいる。
だが目の前の男がナイフを片手にスタッと立ち上がると、目線をまず左右にキョロキョロとさせた。四方を確認して状況判断をしている?
心優の頭の中に、ふとひとつのことが浮かんだ。
――こいつ。手強そうなハワード大尉がこの部屋から出て行って、『役立たずのような女護衛官』だけになったから、そこから出てきたんだ!
おまえみたいな小娘。相手じゃない。一発で吹っ飛ばして、『対象者』を頂く。
そういうバカにした目。心優なんか通り越して、艦長とパイロットの彼を見ていた。ここにはもう護衛官がいないのも等しいと判断されているも同じ!
『死ぬ覚悟で行ってこい。ドッグタグ(認識票)を忘れずに首にかけておけ』
『お父さんにドッグタグを握らせたりしないから』
父との約束。
『園田少尉、艦長に何事もないよう頼んだからな』
橘大佐に託されたこと。
『なにがあっても絶対に奥さんを護れよ』
シドとの約束。
『大丈夫よ、心優!』
母親のように、守ってくれた艦長。
「心優、危ない! さがれ!」
雅臣の切羽詰まった声が背中に届く。パイロットの彼を艦長と共にベッドから降ろし、襲われないよう必死に体勢を整えている。
そして、雅臣もあの時は、女二人をガラスの破片から守ろうとしてくれていた。
震えが止まる。
「そうだ。プロなら、シドを相手にしていたじゃない」
心優はそれだけ呟くと、相手の男を『シド』だと見据え、腰の三段ロッドを抜いた。瞬時にシャキンと長くする。その時にはもう男がこちらへとナイフを片手に心優へと振りかざしているところ。
真剣のナイフは怖くない! シドのナイフはもっと高いところから、もっと早く振り下ろされてきた。
その高さを見定め、心優はロッドをその軌道に振りかざす。
―― キン!
大きなサバイバルナイフとロッドがぶつかる金属音が響く。
くっ!
男が思わぬ心優の対処が予想外だったのか、そこでナイフごと一歩退いた。
心優にとってその『一歩退く』というのは、最大のチャンスで、恰好の隙を見せてくれたも同じ。ロッドを片手に、今度は心優から踏み込む。一歩退いたそこに、小娘ごときの心優がさっと踏み込んで懐に入ってきたので、目出し帽の男の目がギョッとしているのを見る。
ロッドを真一文字に両手に持ち、男の顎に当てた心優は下から上へと押さえつける。下を見ることが出来なくなった男がのけぞる。その瞬間、腹が出る。そこが狙い目!
そこに心優はおもいっきり膝蹴りを入れる。男がぐふっと呻き、さらに二、三歩、後ろによろめいた。
でもまだまだ! この男は体格や肉付きを見ても、プロで屈強な男。
――でも、お兄ちゃんに体型が似ている!
瞬時に心優はロッドを背中へと差し込み、素手でよろめいた男へとさらに踏み込む。
兄が『俺のような男を投げる時』を何度も教えてくれた、投げ飛ばさせてくれた、何度も。思い出さなくても、身体と手がなにもかも覚えている!
よろめいて立ち直ろうとしている男の戦闘服の衿、ナイフと拳銃を備えているベルト。柔道着よりも掴みやすいものが沢山ある! 二点を抑え、心優は叫ぶ。
「ヤアーー!」
男の太い足を蹴り上げると、ふわっと男の身体が浮く。身体を捻ると男が心優の少し下でくるっと回る、その瞬間を逃さず、心優は床へと落とす! 男がずっしりと重く床にうつぶせに叩きつけられた音。
すかさず、倒れ込んだ男の背に心優は乗り上げ、背中のロッドを再び引き抜くと、背中から男の顎下に回し、そのままぐっと左右同時に引っ張り上げる。いつか心優がシドに首をぐいぐいと締めつけられたあの恰好で、男を捕らえた。
「っぐあっ、Shit!」
男の口から出たのは、英語……。
男の制圧に成功をした心優は、やっと周りがどうなっているか見ることが出来る。
「み、心優……」
御園艦長が脱力した様子で、ベッドに手をついてよろめいていた。
おかしいよ……。あんなに冷静な人が、なんで今、そんな焦った顔で今にも倒れそうになって震えているの?
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