63.Hard a starboard!回避せよ!

 なのに、管制室にいる男達はその危機も感じさせず、いつもの訓練と変わらぬ落ち着きでミセスの指示に従っていく。


 それから艦長の指示が矢継ぎ早に飛ぶ。


「雷神、1号スコーピオンと2号機ドラゴンフライを発進させて。念のため、空母の迎撃ミサイルの準備をし、指示が出るまで待機。ゴリラとマックスには追跡を――」

「ラジャー、ミセス」

「城戸大佐。消火隊と救助隊の手配を。甲板要員には雷神を発進させた後は艦内に避難命令を」

「イエッサー、キャプテン」

「ハワード大尉、警備隊に非常事態の体勢をとるように指示をして。それをテッドにも報告して」

「イエス、マム!」

 ハワード大尉も管制室を飛び出していく。

「ダグラス中佐、撃墜を想定し、どこの位置であと何分で撃墜すればこの空母が無害であるかすぐ計算して!!」

「イエッサー、キャプテン!」


 そして艦長が最後に叫んだ。

「面舵いっぱい! 墜落撃墜から回避! Hard a starboard!」

(Hard a starboard/ハード・ア・スターボード=面舵いっぱい)


「イエッサー、ミセスキャプテン!」

 航海士長のラミレス中佐が『Hard a starboard!』と叫び、木製の蛇輪を右へといっぱいにまわす。


 その中、甲板では1号機のスコーピオンと2号機のドラゴンフライがカタパルトから、紅い空へと飛び立っていく。


 ブリッジ目の前の景色も徐々に徐々に右へと移動している。それでも、ゆっくり……。大きな空母だから、舵をいっぱいに切ったからとてすぐに曲がれるわけでもない。


「お嬢、出た。あと1分48秒、ここが空母に被害が出ないギリギリのタイムだ!」

 ダグラス中佐からの報告に、御園准将がうなずく。

「クリストファー、カウントをお願い」

「ラジャー。あと、1分42秒……41、40、39……」

 その時を告げるカウントも始まってしまう。


「橘さん……。撃墜命令をまかせていいかしら……」

 人の命を奪う許可をする号令を任せるため、気まずそうな艦長の声。でも、橘大佐は真顔で頷いた。

「もちろん、任せろ。葉月ちゃんは、全体指揮に専念しろ。撃つのはバレットでいいな」

「お願いします」


 橘大佐がチャンネルを切り替えた無線インカムヘッドホンに話しかける。

「バレット、1分後、その侵犯機が空母を避けれなかった場合は、パイロットが搭乗していたとしても撃墜をする。俺の合図で迷わず撃墜しろ。艦を護るためだいいな」

『ラジャー。では、ロックオンに移行します』

 あの鈴木少佐まで、まるで機械のような返答で気持ちのブレをかんじなかった。

 しかも鈴木少佐は数秒後には急降下で追いかけている侵犯機を、ロックオンしてしまう。


 あとは橘大佐が許可すれば、鈴木少佐はあの侵犯機を撃てる状態になった。


 ――お願い。大陸国のパイロットさん! 正常飛行に戻ってなんとか空母を回避して、国に帰って!!

 心優は祈る。そして心優は艦長を見る。アイスドールのいつものお顔のままの彼女を。パイロットを救助すると言っていたが、どうやって? それが出来るなら、早くして欲しい。でもあと1分ほどで撃墜されてしまうし、もし大陸国からきた彼の飛行機が海面に落ちたとしても、生きてはいられないと思う。それに艦の左舷に落ちてきたら、ブリッジにいる自分たちもただではいられない。この管制室のガラス窓が木っ端微塵に割れるだろうし、甲板にある艦載機も何機か犠牲になる。海面に落ちたとしても空母にその爆風はくるだろうし、炎に襲われるかもしれない……。


 しかしミセス准将は、次の手にでていた。

「国際緊急チャンネルに切り替えて」

 管制員への指示で、ミセス准将が違うヘッドセットを頭に付け替えた。

「管制、侵犯機の機体番号をスプリンターから聞いて」

「イエッサー」

 すぐに侵犯機の機体番号がミセスに報告される。


「こちら日本国、」

 御園准将が冷たい声で、この空母の空団名を告げ、侵犯してきた戦闘機の機体番号を告げる。

 国際緊急チャンネルは、どこの国のものでも非常時に使える共通のチャンネルだった。

 それを使って、御園准将は大陸国のパイロットとのコンタクトを試みている。

「お願い……。このチャンネルに気がついて……」

 やっと艦長に表情が……。悔しそうな顔をしている。


「無理だろ。バーティゴを起こしているなら、きっとパニックになっているはずだ。感覚が狂って、うっかり侵犯。それだけでかなり焦って冷静さを失っているだろう。だからあのスピードで逃げ道を探しているんだ」

 橘大佐はもう腹をくくっているように心優には思えた。撃墜の命を下す覚悟。パイロットの命を奪う行為への覚悟。


「こちら日本国、」

『……頼む、撃たないでくれ……』

 弱々しい英語の声が聞こえきた。撃って欲しくないことを訴えるために、あちらも藁を掴む思いで、国際緊急チャンネルに合わせてくれていた!


『意図して侵犯したわけではない。でも、いまどこにいるのか、わからない。海面も水平線も見えない。霧ばかりだ』

「貴方はバーティゴを起こしている可能性がある。計器を信じなさい。いますぐ機体を正常に、コックピットを上にするのよ。半回転すればいいの。そしてすぐに旋回しなさい」


『嘘だ。いま上に向かって飛んでいる。海面はちっとも現れないから、上昇しているはずなんだ』

「違う! 貴方は急降下をしてもうすぐ海面に激突する! もうすぐ脱出する限界高度に到達するから、いますぐコックピットを上に……」

『嘘だ! そんなことをしたら、海面に落ちるじゃないか』

「いまのままだと、海面に落ちるか、こちら空母に激突する。計器をよく見て、計器を優先しなさい!」


 駄目だ。こちらの言うことは信じてもらえないし、あちらの感覚がまさに麻痺してしまっている。

 ――『見えた』

 管制員の一言が聞こえ、でも心優はブリッジの窓を見て愕然とする。


 きらっと光るランプを翼に点灯させている戦闘機が、ほんとうにこちらに向かってきている!


「最後の通告をする。いまの高度で脱出をしない場合は、こちらの空母に衝突墜落するものとして、乗員の安全を守るため、迎撃撃墜を決行する」

『うわーーーーーー!』

 パイロットの悲痛な叫びが聞こえた。


 でも心優も叫びたい! 戦闘機がこちらに向かって本当に落ちてきてる!! 面舵いっぱいの回避も間に合わない!


「バレット、ロックオンしたか」

『いつでもOKです』

「54秒、53、52、」

 撃墜の体勢に入った。そして、カウントが近づいてきてる!


「脱出しなさい!」

 艦長の最後の叫び――。


『こちら6号スプリンター、脱出、確認!』

『7号、バレット。パイロットの脱出を確認! コックピットを上に戻した状態での脱出を確認!』

「了解。スコーピオン、ドラゴンフライ。脱出したパイロットの着水位置を確認して報告を!」

 ―― イエッサー、キャプテン!


 一瞬、誰もが『良かった』と囁きあった。でもそれまで。そして心優はそうは思わない、だって、目の前に乗り捨てられた戦闘機がコントロールを失って回転しながら、まだこちらに落ちてきている。


「お嬢! パイロットがいなくなったことで、対象機がかなり左に逸れた。脱出する時にパイロットは操縦桿を右に切った形で脱出してくれたんだろう。空母に激突しなくて済みそうだ。それでもギリギリだ。空母左舷、300m海上と推測! かなり間近での墜落に警戒を――!」


「わかったわ、クリス――。橘大佐、バレットにロックオンを解いて撃墜はせず、着水爆破に備えて上空に避難するよう告げて! 雅臣! 他の雷神にも空母から遠ざかる指示を。ただし、6号スプリンターには遠くからでもいいから出来る限り、対象機がどこに着水するかの撮影の指示を。ゴリラとマックスには領空線でのパトロールを命じて!」

「イエッサー、艦長!」

「了解しました。艦長!!」

 橘大佐と雅臣も、各々の指示に従ってパイロット達に避難を告げる。


 迷いのない、でも次々と下されるミセス准将の指示に、心優は鳥肌になるほどゾクッとした。


 これがきっとあれだ。雅臣が見てみたかったとかいう『御園葉月准将。彼女の土壇場の判断は、神懸かっている』――というものが、きっとこれなんだと心優の心に激震が走っている。


 この人は、ほんとうに『根っからの海軍艦長』! 男達がこの人の指示を待って、この人の指示に従って、そうしてなにもかもを護ろうとしているひたむきな姿がここにある!


 ――こちら雷神1号、脱出したパイロットを発見。2号と共に着水するまで待機中。

 ――こちら雷神6号、上空より最低限の撮影を続行します。

 ――こちら雷神7号、ロックオン解除、上空に回避。対象機が空母左舷海上へ向かって墜落していくのを確認。

 ――こちら雷神3号、侵犯パトロール中。

 ――こちら雷神5号、共に飛んでいた大陸国機の同僚が案じているのか、一機だけ退去せずに目の前を飛行中。侵犯確認せず。続けて警戒、牽制します。


 出動した雷神機からもそれぞれの報告が届く。彼等の安全も確保された。だが、こちら空母はいま危機目前!


「全クルー、避難せよ! 対象機が墜落するまで、安全な場所に待機!」

 艦内に非常事態に備えるためのサイレンが鳴り始める。

 もう甲板には誰もいない。甲板要員も艦内に避難完了した模様。


「管制室クルーも同じく。対象機着水時には、伏せるように!」

 そして艦長は心優を見た。

「私の足下に伏せていなさい。ガラスが飛んでくるかもしれないから」

「でも……艦長は」

「伏せていなさい!」

 母親が叱るような声に、心優はついに負けて言われるまま伏せようとする。


 でも、もうブリッジの窓には、翼を左右に揺らしながらくるりと回って落ちていく戦闘機が過ぎったところ。


「侵犯機、着水します」

「全員、伏せなさい!」

 管制室にいるどの男も、椅子から立ち上がりその床に伏せる。


 心優も言われたとおりに伏せると、御園准将も床に伏せる。

「大丈夫よ、心優!」

 本当に……。母親のようにして、心優を守るようにして抱きしめてくれている。

 艦長の背後には雅臣も、でも今度は雅臣が、その准将の背を守るようにして、上に被さっているのを見てしまう。

 女二人を守ろうとしている雅臣の姿が――!


 わたしは護衛官なのに……。どうして、この二人に守られているのだろう? 本当は逆なのに!


 情けなさが湧き上がる。それと同時に、ドーーーーンという大きな音が響き渡る。管制室の窓がビリビリと揺れ、何枚かパリンと割れた音。爆風を僅かに感じる。そしてオレンジ色の閃光が管制室をビカビカと照らした。


「侵犯機、墜落。海上にて爆破」

 管制長はもう椅子に座り直し、状況報告をはじめている。それと同時に、ミセス准将も立ち上がる。

「消火隊出動、救助隊も出動! 墜落機からの燃料漏れで、海面から空母へ引火しないよう防止して!」

 ミセスの指揮再開に、大佐二名も立ち上がる。

「わかった! 俺が消火隊を動かす。雅臣、おまえはパイロットを収容する救助隊を出動させろ」

「イエッサー! 1号スコーピオン、着水確認次第、位置の報告を。救助隊、救命艇出動の準備は出来ているか」


 まだ対処が続く。そこへ、指令室に下がっていたラングラー中佐が帰ってきた。

「艦長。横須賀の海東司令に繋がりました。管制、チャンネルを合わせ、准将に通信を!」

 ラングラー中佐から届いたチャンネルを元に、ミセス准将に新しいインカムヘッドホンが管制長から渡される。

「司令からの衛星電話、入ります」

 ミセス准将のモニターに、ヘッドセットをして大きな中央管制室にいる海東司令が映し出されれた。あの若白髪の落ち着いた男が映っただけで驚きを隠せない表情を見せていた。


『大事な時になにもしてやれなくてすまなかった。艦は無事か』

 慌てた様子の海東司令がまず発した言葉はそれだった。

「ご安心ください。艦も雷神のパイロット達も無事でございます」

『そ、そうか……』

 あの海東司令があからさまにホッとした顔を見せた。それだけの非常事態に対処していたということらしい。


『侵犯までは私も指令センター管制室で監督していたので確認していたのだが、その直後に司令総監直々の連絡があり、そちらの対応に追われていた。異例の伝達があって揉めていた』

「左様でございましたか。おそらく、そうであろうと思っておりました。故に、こちらの一存でありましたが、時間がないために許可無き指示をしました」

『そうだな、数分という時間との戦いだった……。間に合わないと思っていたが、君のことを信じていたよ』


 海東司令でさえ、どこか慌てて憔悴したような顔をしているのに。やはりこのミセス准将の方がいつもの氷の眼差しでおちついている。


『よくぞ、撃墜の判断を避けてくれた』

「いいえ、紙一重でございました。こちら空母に墜落する軌道であったため、一度はバレットに撃墜の体勢を取らせました。でなければ、艦の左舷に墜落したら、こちらも大規模な被害は逃れられないという判断にて指示しておりました。が、相手国のパイロットが無事に脱出をしたため、そのまま着水させました。ですが機体は爆破、ただいま脱出したパイロットの救助を指示したところでございます」

『こちらからは、なにも手を出していないのだな』

「はい。弾一発とて撃っておりません」

 そこで海東司令が若白髪の前髪をかき上げ、ふうっと安堵の溜め息をついた。


『よくやってくれた! それで良かった。実はあちらからも迅速な申し出があり、侵犯した機体のパイロットがバーティゴを起こして帰還する方向を見失い侵犯に至ったという通信があった。なんだって、そちらは四方真っ赤に染まる夜明けだったそうじゃないか』

「左様でございます。わたくしどもも、出撃の際、パイロットにはバーティゴに注意するよう激しい飛行を避けるようにさせました」


『不慮の侵犯だから迎撃はしないで欲しいと司令部に異例の伝達があった。しかし、それを受けた時点で、空母にも危機が迫っているのであれば迎撃も逃れられない、間に合わないだろう――という話になっていたのだが、あちらが食い下がる為に揉めていた。こちらで待機ができず、君に判断を委ねる形になってしまった』

 ――すまない。

 あの司令が、モニターの向こうで頭を下げている。


「司令のご意志は常々、お聞きしてきました。司令ならば、このように望まれるだろうと思ったことを判断したまでです」

『いつもの侵犯措置で、通例である迎撃を実行していたら、国際的に大問題になるところだった。迷いもあっただろう中、敢えての選択と判断に感謝する』

「司令の思うままにしたまでです。ですが、これからパイロットの治療に当たりますが、彼の処遇についてはよしなにお願いいたします。脱出する際に、空母に激突しないよう操縦桿を切ってルートを変えてくれた痕跡が窺えます。彼も空母の損害を考慮してくれたのです」

『わかった。司令総監にもそう伝え、これからそのパイロットの処遇を決める。まずは調査官が行く。査問はそれからだ。その時にパイロットをこちら横須賀司令で引き取ることになると思う。それまでは、治療と待遇をよろしく頼む』

「かしこまりました、司令殿」


 まったく表情を変えないミセス准将を、海東司令が暫く黙って見ている。話は終わったのに、電話を終えるのを名残惜しそうにして彼女を見ている。御園准将も訝しそうに首を傾げる。


「海東司令?」

『いや……。また今回のクルーが言うのだろう。神懸かった指揮だったと。側で見てみたかったよ。撮影した映像を早急にこちらに送信するように。判断に使わせてもらう』

「かしこまりました。空軍管理長のダグラスにすぐにさせます。しばしお待ちくださいませ」

『あとを頼んだよ。明日か明後日には調査官を派遣する』

「お待ちしております」

 司令はそれだけ言うと、いつもの鋭い眼差しに戻ってサッと電話を切ってしまった。


 徐々に甲板にもクルーが出てくる。

 ―― パイロットを収容、救助完了。治療のため、医療チームに引き渡します。

 無事にパイロットも救助され、艦はひとまず通常運行を取り戻しはじめる。


 でも、これから調査官が来て査問委員会にも呼ばれるだろう。他国籍のパイロットがこの艦に乗船する。どうなってしまうのだろう?


 あんなに紅色だった空も海も、もういつもの蒼い海に青い空、そして白い雲という爽やかな色彩に戻っていた。

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