59.ありがとう、ティンク
「ローアングルキューバンテイクオフ」
艦長の指示。『ラジャー』。パイロット二名の揃った返答。もう既にシンクロをしているかのよう。
まっすぐに海上へと滑り出していった二機が、あの演技をはじめる。
「海上艇カメラ。全体が入るようにカメラを引いて」
駒沢少佐も撮影クルーへ指示をする。彼の目の前のモニターは各アングルに設置されたカメラ映像が映し出されている。
ブリッジの目の前、少し離れた海上。海面すれすれに二機が同時に並列で現れる。
御園艦長と雅臣が一緒にうなずく。
「Go Now!」
艦長の号令! 心優の周りにいる男達をとりまく空気が、ここで一気に緊迫したのがピリピリと伝わってくる。
「機首が上がった。きっちり撮影しろよ」
駒沢少佐が画面を食い入るように凝視する。心優の心臓も爆発しそう。リハでは上手くいっていた。あの通りになりますように! 雅臣と御園艦長もモニターとブリッジの展望窓から見える実際の二機の飛行を交互に確認している。
真っ白な白煙が、真っ青な空に美しいループを描く。白い戦闘機とホーネットがきっちりと並んで。本当に『美麗な燕の飛行』!
いつもは何事も無言で任務にあたっている官制員達も『Great!』と思わずと言った歓喜の声を漏らした。
美しいループが綺麗に二重になって、上空での背面も二回転半も綺麗に揃い、白いスモークもぴったり一致していた。
「す、素晴らしい!」
『やった』と駒沢少佐も思わずガッツポーズ。緊張していた堅い顔から、いつもの広報で見せている明るい笑顔をやっとみせてくれている。
心優も感動!
「艦長! みてください。ほんとうにスモークがあんなに揃って……。ほんとうに燕が二羽一緒に飛んでいるように見えました!」
心優の感動に、御園准将も少しだけにっこりしてくれたが、それでも本番中だから両手を挙げて喜びはしない。それは雅臣も一緒で、彼はまだ二機を見守っている。
「今日は冴えているわね。鳥肌が立ったわ」
ミセス准将の小さな囁き。雅臣もそれをそばで聞いて、笑顔ではなくても頷き返している。
「俺もです。リハ以上の出来上がりです。まさか、あそこまでシンクロさせてくるとは」
成功したのに、雅臣はどこか不服そうだった。そして残念そうな溜め息。
「俺、いま『くっそ!』と思っています。俺がやりたかったって……。俺だって出来たのに……って」
「雅臣……」
御園准将が彼のそんな気持ちを労るように、そっと彼の背を綺麗な手で撫でた。
まだパイロットとしてのコックピットへの羨望を捨てきれていない雅臣の悔しさ、嫉妬。それをいま彼は感じている。心優は不安になる。またそこに気持ちが戻ってしまうのかと――。
だが次には、雅臣はいつもの愛嬌ある爽やかな笑顔をみせてくれる。
「それぐらい素晴らしい演技です。その指揮が出来たことを、いま光栄に思っているところです」
「そうよ。今日のあの最高品質の二重ループは、悪ガキの末っ子をあそこまで調整してくれたソニックがいなければ成り立たなかったのよ。あれはソニックの演技でもある。バレットが貴方の軌道を描いている。それを、これから感じて、忘れないで」
「はい。准将」
「ソニックを悔しがらせるだなんて、バレットも成長したもんね」
本番中で絶対に集中力を切らすまいとしていた二人だったが、そこで軽やかな笑い声をたてている。
「次。タッククロス行くわよ」
「ラジャー、マム」
力みがとれたのか、こちらの師弟の息も合ってきていると心優は感じている。
「空母を周回、呼吸が整ったら再開します」
―― イエッサー。キャプテン。
二機のコックピットからも落ち着いた応答有り。
しばらく二機の戦闘機が空母の周りを回遊する。二機から呼吸が整った声が届き、また御園准将が姿勢を改める。
「タッククロス、開始」
艦長の指示に、また男達が緊迫する。
今度の演技は、二機が左右に分かれた上空から急降下し、海上でクロスする演技。こちらもタイミングが合わないとあわや衝突というスリルある演目。
二機が上昇をはじめる。
雅臣の目の前には鈴木少佐の飛行中データと、コックピットから撮影されている海を見下ろす映像。御園艦長の目の前には橘大佐の飛行中データと、おなじくコックピットから撮影されている海の映像。
そのモニターの端に、左右対称に空母の船首が映っている。
「見事に揃えていますね」
「こんなの、スワローにいた男なら出来て当たり前でしょう」
雅臣とミセス准将の会話には余裕がある。指揮なんてしなくても、あの二人ならやってくれる。そんな余裕に見えた。
駒沢少佐の指示が飛ぶ。
「空母船首を目印に、左右に降下してくる二機がそこでクロスする。甲板アングルカメラ、空母甲板の向こうでのタッククロスの瞬間、そのアングルカットを逃すなよ」
そう、今から左右に上昇した二機が空母の船首目の前まで急降下し、そこでクロスして上昇をする『タッククロス』の演技が始まる。甲板の向こうで二機がクロスするアングルカットは、雅臣が提案したもの。きっと絵になるとしたものだが、その位置で必ずクロスをせねばならず、これもパイロットには高度な要求となる。
雅臣と艦長のモニターには、ハイスピードで降下してくる映像と、忙しく動くヘッドマントディスプレイの高度計データ。そして、コックピットから聞こえてくるハイGに耐えるパイロットの息苦しそうな呼吸音。
――来る!
駒沢少佐が身を乗り出す。雅臣と御園准将はモニターだけをみつめている。
駒沢少佐のモニターは甲板奥から、空母船首を焦点にしたカメラアングル。そこで、左右から降下してきた白い戦闘機とスワロー機が見事にクロス!
今度はブリッジ階下にある甲板要員達の歓声が聞こえてきた。
「マジで冴えてる。俺も鳥肌立ってきた」
流石のソニックも『すげえ』と感動している。
「カメラの焦点を狙ってクロスなんて、なかなか出来ないと思いながら自分が企画しましたが、ほんとうにやってのけてくれて!」
「橘さんの経験値が如何に高いか。そして未熟な英太が、師匠と先輩のアドバイス一つでここまで調整できる感性あってこそこね」
エンブレムとバレットだからこその、神業。カメラに収められていく映像は、加工されたものでもなんでもない。真のフライト映像。スワローにいた男達の職人技!
その後も、『スローロール』に『4ポイントロール』などのシンクロしてこそ美しく見える演目も続いた。どれも、今日のスワロー師弟は『冴えている』演技。あちこちから聞こえてくる歓喜の声が徐々に大きくなってきている。
「すごいですね。こんな目の前で見られるだなんて。ほんと感動です」
成功が続き、管制室は歓喜の熱気に包まれはじめていた。心優のその熱さに感化され、嬉しさしか感じない。
最後のバーティカルクライムロームでは、艦長と雅臣が指揮を入れ替わった。
御園准将は最後はスワローの男だけでまとめようとしている。
「バーティカルクライムロール、開始」
――イエッサー。
スワローだった男達の全てを詰め込んだ瞬間が始まる。
「海上艇クルー、絶対にアングルを外すな。一発勝負だ、わかってるな」
駒沢少佐も、今まで以上に怖い顔をしてモニターを睨んでいる。
海上艇のカメラが上空に焦点を当てている。いまからそこに二機が飛び込んできて真っ直ぐ上昇しながら四回転、それが二本並ぶ絵図を狙ってそこにいる。
御園准将も駒沢少佐のそばに行き、もう飛行データは雅臣に任せ、カメラアングルを見守っている。
ブリッジの目の前、二機が上昇するためのラインで現れる。
上昇時のタイミング、掛け声、一秒でもズレたらパイロットの操作に影響が出る。今日、二機は隣接した状態で上昇回転をする。そのリスクを持って『美麗と迫力のアクロバット』を追究する。
その時、橘大佐から一言だけ届いた。
『ティンク。いままでありがとうな。最高のパイロット人生だったよ』
いまから最大難関へ、そしてパイロット人生最後の演技フライトをする男から、ミセス准将への御礼だった。
「こちらこそ、有り難うございました。サイクロン。貴方のおかげで、私もここにいられる」
おふさげの返事はなかった。
浅葱色の燕は最後のフライトへ向かう。
そして、その成功への一声が雅臣にかかっている。彼が二機のヘッドマントディスプレイのデータを眺め、息を潜めている。
「Go Now!」
雅臣の声が凛と響く。
インカムヘッドホンをしているが黙って見守るミセス准将の視線はブリッジの外へ――。
官制員の目線も一斉に海上へ。甲板要員達も、キャットウォーク沿いに並んで空を見上げている。
駒沢少佐の目線はモニターから離れない。
キャプテンを引き継いだ雅臣の目線もヘッドマントディスプレイのデータに釘付け。
でも心優は駒沢少佐が見ているモニター、二機のコックピットからの映像に驚愕する。
同じ映像かと思うほどに、二機コックピットからの映像が揃っている!
上昇回転をはじめた機体を操っているコックピット。橘大佐と鈴木少佐のヘルメットの頭が上昇と回転をするため重力で揺さぶられ、でもそれにパイロットの二人が耐えながら、コックピットの下を見下ろし、空母の船首を目印に回転数をカウントする姿。よほどのGなのか、酸素マスクを吸う息づかいが今まで以上に辛そう。上昇時のコックピット音も間隔短く『ピピピピ……』と二機同時に鳴り響く。そして、上空から見下ろしている空母がクルクルと回転をする位置とそのスピードが……『シンクロしている』!
「ス、スゲエ……!」
モニターを見ていた駒沢少佐も絶句している。そして心優と駒沢少佐はここではじめて、ブリッジの展望窓から見えている『燕のスモーク』を見る。
同じ位置からのスモーク発煙、同じ高度での回転コイル! またもや、美麗な軌跡が二本並んでいる!
コックピット内のコピーをしたような映像にも驚愕したし、外観から見る二機のコイルも見事にシンクロしている。
「や、やった。マジで、やってくれた。マジで、マジで! やったーーーー!!」
一番最初に飛び上がったのは、駒沢少佐だった。
「うっわー。まさか、まさか、ほんとにやってくれるだなんて……。うわー、マジかよ……俺、もう広報やめてもいい!」
喜んだかと思ったら、駒沢少佐はそこで涙を流して泣き崩れてしまった。
「少佐。おめでとうございます。素晴らしい広報映像の仕上がりになりますね。いまから楽しみです」
「ううう、有り難う。園田さん!」
駒沢少佐だけではない。管制室も甲板も歓喜で湧いている。
涙に潤む目で、さらに駒沢少佐が言う。
「それに俺……。変更に反対はしたけど、ああいうの弱いんだよ~」
元スワローにいた男達のそれぞれの思い。エンブレムのラストフライト、雷神の若きエースが最後に伝授したもの、そしてソニックの復活。スワローで飛んできた男達の全てが凝縮された集大成。
「そんな男達をここまで導いたのも、ミセス准将の成せる技。あの人はこうして男達を引き立てるんだ」
成功の賑わいの中、涙を拭いた駒沢少佐がミセス准将を……、探して……。
「あ、准将……?」
心優が彼女を見つけた時は、ひとり静かに管制室を出て行くところだった。
駒沢少佐が致し方なさそうに笑う。
「ミセス准将らしいですね。人がはしゃいでも、あの人はいつも静かで……。だから『アイスドール』、『甲板のロボット』。でもきっと心では感動していることでしょう。俺はそう思ってるんだ」
誰とも喜びを分かち合わずに出て行ったので、心優はびっくりして後を追う。
「待て、園田」
なのに指揮カウンターでまだ飛行中のパイロットを監視している雅臣に腕を掴まれてしまう。
「ですが、大佐。この撮影が成功したのはミセス准将の……」
「あれがあの人の喜び方なんだ。そっとしておいてやれよ。お二人は、艦では夫婦みたいな関係だ。あの人が主人で、橘大佐が女房役という関係だけどさ。艦の相棒が、最後の飛行を成功させたんだ。喜びもあるし、寂しさもあるんだと思うよ」
「わたしがそばにいては、ダメなのですか」
どんな時もお側に。どんな時もその気持ちを一緒に。心優の護衛官としての気持ち。
「その時はそばに来て欲しいと言ってくれる。ほんの十分間でいい。思いきり、泣かせてあげろよ」
――『泣かせてあげろ』に、心優ははっとする。アイスドールの艦長殿は人前で泣いてはいけない。歓喜で湧いていても個人的な感情を見せてはいけない?
『おい、キャプテン。どうだった』
平常飛行に戻った橘大佐からも出来具合を案ずる通信が聞こえてくる。
「素晴らしいシンクロでしたよ。広報少佐が感動で泣いたほど――」
『マジで! うおっ、やった! 俺、おっちゃんだけどやったぞ!!』
「エンブレムのラストフライト。これも伝説になるでしょう。お疲れ様でした。お好きなだけ飛んだら声を掛けてください。最後のコックピットを楽しんでください」
『ソニック、ありがとうな。俺も、お前が空に戻ってきて安心した』
「こちらこそ。お世話になりました……」
雅臣もそこで目頭を押さえ、黙り込んでしまった。少しだけ涙声……。自分をエースになるまで叩き込んでくれた恩人がコックピットを降りる日。
それでも雅臣が顔を上げて告げる。
「隊長。貴方の今日の姿を見届けて、いま、俺もやっとコックピットを降りられた気がします。最後はこんなふうにしてシートから降りる。俺も今日、一緒に降ろしてください。そうしたら、明日から俺は甲板から空を護る男になります」
その言葉を心優は隣で聞いて、また涙をもらってしまう。
『そうか。俺の引退がお前のためにもなったみたいで良かったよ。俺の教え子の中で、お前ほど優等生で、精密的に飛んでくれたパイロットは他にはいなかったからさ』
「ほんとうに、お世話になりました。今後はおなじ指揮官としてよろしくお願いいたします」
『おう! 俺も明日から甲板がコックピットだぜ。えっと、あのさ。そこにティンク、いるんだろ? 声が聞こえないけど』
「感動されたのか、お姿を消してしまいまして……」
『あ、そうなんだ……』
橘大佐も寂しそうな声。
「あとはお二人で語り合ってください。艦長室で一人感動と寂しさを噛みしめていらっしゃるかと思いますから」
『わかった。じゃあ、最後のフライトしてくる』
「いってらっしゃいませ。ここで待っています」
駒沢少佐がまだ見守っている撮影モニター。エンブレム機のコックピットが斜めに傾いた空の映像が見えたかと思うと、空母を見下ろしながら周回をする映像が続いた。
「最後のフライト、空からの景色を楽しまれているんでしょうね」
駒沢少佐も、一人の男が味わう最後の上空を静かにみつめていた。
管制も甲板の歓声も収まってきて、いつもの落ち着きを取り戻しはじめている。
雅臣も成功を勝ち得た二機の着艦まで監視を続けている。そこにミセス准将がいないせいか、本当に雅臣が『キャプテン、艦長』に見えてしまった。
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