57.おかえりなさい、ソニック
さらに翌日。ダメ出しの予行飛行から三日が経ったこの日。鈴木少佐が再びネイビーホワイトのコックピットに乗り込む。
「昨日の感触、忘れるなよ」
『イエッサー、キャプテン』
空母の指令塔であるブリッジ(艦橋)の管制室。今日、指揮カウンターで鈴木少佐の監督にあたっているのは、雅臣だった。
鈴木少佐も違和感なく従っている。それだけ二人の間が、昨日の調整で通じあっているのだと心優は思っている。
この日、指揮カウンターにはインカムヘッドホンをした雅臣だけが立っている。今日、橘大佐は御園艦長と共に一歩下がって事の成り行きを見守っている。艦長も副艦長も、雅臣ひとりに指揮を任せていた。
「雷神7号 バレット行きます」
管制員の報告に雅臣がうなずく。
鈴木少佐の白いバレット機が、今日もカタパルトから軽やかに飛び立っていく――。
海面の真上を滑らかに飛ぶ映像が、ブリッジの指揮カウンターモニターに届く。
「いいぞ。落ち着いていけ」
白い戦闘機の機首が上がる。いよいよ、昨日の成果を試す時! 心優も祈った。雅臣の懸命の指導が、鈴木少佐の飛行に現れますように。悪ガキパイロットと呼ばれている鈴木少佐が、謙虚に懸命に指導を受けた成果が出ますように! バレットがする飛行は、ソニックの飛行そのもの。いま雅臣は、鈴木少佐のコックピットにいて操縦桿を握っているのも同じ。心優は成功を祈る!
海面から上昇する白いバレット機がループを描きはじめる。
「ん?」
ミセス准将の隣で静かに控えていた橘大佐が一歩踏み出す。ミセス准将も……。
「橘さん、これは……」
二人が揃って雅臣がいる指揮カウンターのモニターへと寄っていく。
鈴木少佐のループが上空で頂点に達する。
ここから降下、そして横回転二回転半――。
「この、やろう……」
橘大佐からまた悪態が出てくるかと心優は怯えたが、でもその顔は先日怒っていた時とは異なるもの。今日の大佐は、クソガキが描いている空のループに見入って茫然としている顔。
御園艦長も同じだった。空をきらっと光る琥珀の目で、じっと見つめている。
「雅臣……、いま、あなたがあそこにいる……」
ミセス准将の言葉、あそこで飛行しているのは雅臣ではないけれど、雅臣そのもの、鈴木少佐に乗り移って飛んでいる。そう言っている。それを聞いた心優も、感動してブリッジの展望窓から空を仰ぐ――。
帰ってきた。ソニックが空に帰ってきた! 心優の目に涙が滲む。
それでも雅臣は笑わなかった。
鈴木少佐が最後海面に戻ってくるまで、絶対に彼から離れないとばかりの険しい顔で空とデータから目を離さない。
甲板と管制室から大空に出来上がった白煙ループの演技に『おお!』と歓声が響いた。
「くっそ。あの悪ガキ、やりやがったな」
ローアングルキューバンテイクオフの演技が終わると、橘大佐が額に汗を滲ませていた。ふうっとどこか興奮しているようにも見えた。
「一発で修正してきたわね。城戸大佐、お見事よ」
艦長から直々のお褒めの言葉に、やっと雅臣も笑顔に輝く。
「いえ。一発で感覚を掴めたのは、バレットの感性です。そうでなければ、もう少し時間がかかったでしょう。やはりエースですね」
そこに険悪だった二人はもういない。優しく柔らかな、でも強固な新たな絆があると心優も微笑ましく思う。
―◆・◆・◆・◆・◆―
艦長室に戻ると、心優はある包みを開けるように指示される。
その包み開けて出てきたものを知って、心優は驚きで固まる。
艦長、まさか。これって?
それを艦長席に並べるように言われ、心優は言われたとおりに準備をする。
「失礼いたします」
呼ばれた雅臣が管制室での仕事を終え、艦長室にやってきた。
「城戸大佐。こちらに」
「はい」
雅臣が神妙な様子で艦長席の正面に立った。
彼も気が付いた。目の前にある『二着の飛行服』に。
その飛行服は、浅葱色(あさぎいろ)。そしてもう一つは真っ白。
「どちらも貴方が袖を通したことがある飛行服ね」
「はい……」
心優がドキドキしたのは、艦長がそれを準備した上で雅臣を呼んだから。
明るい浅葱色(あさぎいろ)の飛行服は、『横須賀マリンスワロー』の飛行服。
真っ白でふちに紺色のマリンラインがあるのは『小笠原雷神』の飛行服。
「撮影の日、貴方はこれを着るように」
艦長が差し出したのは、真っ白な『雷神の飛行服』だった。
もう心優は泣きそうになる。艦長の側に控えていたが、必死に堪えている。雅臣は茫然としている――。
「貴方のために新しく作っておいたの。出航に間に合わなくてね。先日の物資補給の便で届いたわ」
艦長がそっと、雅臣に白い飛行服一式を差し出した。
「お帰りなさい、ソニック。雷神へ、お帰りなさい」
艦長が微笑む。そして、彼女の琥珀の目も少しだけ濡れて見える。それでも笑顔が輝かしい。
「あ、ありがとうございます……御園准将……」
雅臣の手がゆっくりとそれを手に取った。
「今日、ソニックを見たわ。数年ぶりに……。あそこに貴方がいた」
「はい。俺も空にいました」
「ほんとうに、お帰りなさい。ソニック」
「ただいま戻りました。マム。今日まで、待っていてくださったこと。心より感謝しております」
敬礼をした雅臣の目もうっすら濡れている。二人の視線がいつまでも離れない。きっとあの悲惨な事故の哀しみが二人に降りそそいだ日から、離れてしまった日々を思い巡ってそこにいるに違いない。
心優が入る隙はない。でも、心優はもう泣いていた。泣いて微笑んで、二人のそばにいる。そんな二人を見届けられた一人になれたのだと思っている。
「これからの雷神をお願いしますね」
「はい、御園准将。自分の誇りになるよう護っていきます」
御園准将が母親か姉のような優美な微笑みを見せる。それは艦長の顔ではなかった。彼女の笑顔だった。
白い飛行服を受け取った雅臣だったが、もう一つの飛行服を見下ろした。
「では、こちらのスワローの飛行服は、もしかして」
「そうよ。橘さんに着てもらおうと思って」
だが雅臣は自分が受け取った白い飛行服を見つめて心配そうに言う。
「しかし。今現在、橘大佐は雷神の指揮官です。雷神の男ですよね」
「そうね……。パイロットなら誰もが元来の『雷神』に憧れた。そのチームがなくなり伝説になった。そしてわたし達の世代でまた復活した。雷神のネームが欲しくて、いまやシアトルと小笠原にある雷神を狙ってくる男がどれだけいることか」
「パイロットにとって、雷神であることがどれだけステイタスになることか」
「雅臣はほんとうにそう思っているの? 雷神でなくてはだめ?」
雅臣が黙る。言いたいことがあるようだけれど、それを言えずにいるようだった。
でも、しばらくして雅臣が思いきったように告げる。
「いえ……。俺の記憶に残っている最高の橘隊長は、いまでもスワローの飛行服姿です」
御園准将も静かに頷いた。
「スワローの代名詞のような男だもの。これを着て飛んで欲しいと思ってね。彼はもうスワロー部隊に籍はないけれど、そこは現隊長の相原中佐からも、大隊長の長沼さんからも、そして海東司令からも、スワローの男として飛ぶことを許してもらったのよ。相原さんも、長沼さんも、橘さんがスワローに選ばれるまでは一緒に飛んでいた仲間だし、海東司令に至っては橘さんは先輩でもあるから憧れでもあったのでしょう。皆、快く承知してくれたわ」
雷神が白にネイビーラインの飛行服に対し、燕男は浅葱色。それがスワローの特徴だった。
「俺も、それでよろしいと思います。俺達の記憶にある橘隊長は、浅葱色のパイロットですから」
和やかになってきた空気をかんじた心優も、浅葱色の飛行服を見て話す。
「橘大佐が着たら、格好いいですよね。小笠原の女の子達も見たかったでしょうに」
「横須賀のパイロット達もね。もちろん、小笠原の空の男達だって。それだけ橘さんは、アクロバット部隊を築き上げてきた人なのよ。私のために、除隊させてしまったから……」
PTSDという症状を隠して艦長に就く。なるべくリスクを減らす為に、いざというときの男に側にいて欲しい。そして、自分が去った後を任せられる男が欲しい。そうして御園准将が横須賀から引き抜いたのが橘大佐だった。それまではスワロー部隊の隊長で、若いパイロットにアクロバットを仕込むベテランパイロットだった大佐
自分の引き抜きのために、彼の生きる場所を奪ってしまった。そう言いたそうだった。
「そうそう。女の子達が騒ぐといえば、橘さん『本命の恋人』がいるのよ」
しんみりとした話ばかりが続いていたのに、突然の秘密暴露に心優と雅臣は揃って『ええ!?』と驚いてしまう。
「た、隊長って……。特定の女性がいたんですか」
「いつも葉月ちゃん葉月ちゃんって危ないお誘いばっかしてしつこいのに」
「あれは私を誘うなら他の女の子が文句の言いようがないからカモフラージュに利用しているだけなの。そういう『軽い男』と見せかけて、どの女の子が気になるか本心は見せない。彼女を女性の妬みから守っているのでしょう。ここ半年ほど、女の子達と遊ぶ姿も控えめだし、引退を決めたのも彼女のためなんだと思う」
雅臣が『知らなかった』と唖然としている。しかもそれだけで終わらない。
「えっと。あなた達にこのことを話しておこうと思ったのはね……。実はね……。ええっと……」
どうしたことが艦長がちょっと恥ずかしそうにうつむいてしまう。
まだなにか? 雅臣と心優はその言葉の先を待っている。
「橘さん。秋にはパパになるのよね。その彼女のお腹に赤ちゃんがいるんですって」
「はあ!?」
「え、パパって……」
再び、雅臣と心優は揃って真っ白になったかのように絶句した。
「つまりー。引退の理由はそれが一番ってところかしら。これ極秘にしているから口外しないように。橘さんにはこの情報開示は私の判断で任されているけれど、橘さんはあまり探られたくないようなので極力触れないように」
そして艦長の顔に戻った御園准将が雅臣と心優の顔をそれぞれに確かめて言う。
「英太のほうが落ち着いたと私は思っている。だから英太は雅臣に任せるわ。今度は橘さんをコントロールしたいので、私は彼のそばに付きます。事故がないよう、彼を陸で待っている彼女のところへ返したいと思っている。そして、生まれてくる子供にパパの雄姿を残しておきたい」
艦長のさらなる本心を告げられ、飛行隊指揮官と秘書護衛官の二人は秘密を任され共にうなずく。
「了解しました。撮影、絶対に成功させましょう」
「わたしも、どんなことでもお手伝いいたします」
やっと、そんな小さな秘密も話してくれるようになってくれたようで、心優は嬉しくなってしまった。それまでは、話しても見通しが利かない新参者として、どこか蚊帳の外に置かれていた気がしていたから……。
「あの、葉月さん。聞いちゃってもいいですか」
急に砕けた雅臣が葉月さんにそっと『彼女は小笠原の女性なんですか』と。
「うん。四中隊にいる……さん、」
その彼女の名も教えてもらって、心優は衝撃を受ける。
「わ、わたし。彼女とよく話します。だって、わたしとおなじ歳で――。え、もしかして、大佐と彼女は、十七歳差?」
「じゅ、十七歳差……だと? 心優は会ったことがあるんだ。俺は帰らないとわからないってわけか」
「とっても真面目で、おとなしめで目立たない、でもきちんとお仕事ができる眼鏡のおっとりした方です」
雅臣がさらに絶句する。
「わー、実はそんな女性がタイプだったのか~。いや、それともそうではないからコロッと虜になったとか?」
「私も、四中隊はかつていた部隊なので、彼女のことは山中隊長経由で知っていたんだけれど……。まさか十七歳差で若妻を娶るとは、やっぱり橘さんねと感心しちゃったわよ。でも、カモフラージュが始まってからすさまじく利用されて頭痛がしちゃってもう……」
それで、最近は特にカモフラージュのために『葉月ちゃん、デートして、食事いこう、俺と寝よう』とあからさまにうるさくしてくるんだとか。わかっていたから御園准将もしらっと流していたんだとやっとわかった。
いつのまにか、葉月さん、雅臣、心優――と普段の呼び名での会話になって和やかに。でも心優はやっぱりまだ人前で臣さんとは言えない。だって秘密の呼び名、ふたりだけの……。
あの橘大佐がお父さんに――。どうぞ格好いいパパの姿が撮影で残せますように。
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