55.ローアングルキューバン・テイクオフ!

 オホーツクの流氷が徐々に北上していくのに合わせ、艦も宗谷岬まで到達。

 いよいよ日本海へ。そして、広報の撮影日も決定し、その準備が進められている。

 日本海へ入る時となって、広報撮影の予行飛行も開始する。


 空母甲板には真っ白な戦闘機が、発進準備を始めている。

 甲板はいつもと違って、撮影クルーも幾つものカメラをセッティングしている姿も見える。


 鈴木少佐が真っ白な飛行服で、ネイビーラインの白い戦闘機へと乗り込んだところ。


 心優は御園艦長と共に、管制室の指揮カウンターにいた。でも御園艦長は後ろに控えて、通信をする姿ではなかった。


 インカムヘッドホンを頭にセットして、フライト監視のモニターに向かっているのは、大佐の二人。

 橘大佐と雅臣が紺の指揮官服の背を揃えて並んでいた。


「雅臣。あいつには、怒らせるぐらいにはっきり言ってやれよ。甘やかすな。甘やかすのは、後ろにいる姉貴の仕事になっている。ただし、それはバックヤードの話で、彼女もここに立ったら誰よりも冷静だ。英太は指揮的信頼は御園准将に置いているが、技術としては『彼女は女だったから、俺のように飛びもできなかったくせに』と未だに思っているところがある。しかも彼女は厳しい指示も淡々としていて、あいつが熱くなっている時は効かない時もある。普段、あいつに即効的に脅威を与えるのは男の俺達だ。いいな」


「ラジャー、隊長」

「英太は、おまえの精密的な飛行を目の当たりにしているから、ソニックの言葉は確かなものだと感じるはずだ。自信を持って行け」

「イエッサー」


 コックピットの鈴木少佐が、キャノピーを閉めた。

 戦闘機の噴射口が大きく広がり、真っ赤に燃える。尾翼と翼のフラップをぱたぱたと動かして動作の確認。

 管制員との通信。もう飛び出す準備を終えているカタパルトからも、湯気が揺らめいている。

 黄ジャージの『航空機誘導士官』が跪き、まっすぐに腕を海へ。

 『GO Launch』、行け、発射!

 その合図と同時に、鈴木少佐を乗せたネイビーホワイトの七号『バレット』機が甲板から飛び立った。


 弾丸:バレットと名付けられた彼は、いつものように上昇して旋回はせずに、そのまま海面と平行する低空飛行のバランスに整えている。

 橘大佐と雅臣が、一緒にモニターを睨む。二人とも無言で、でも、鈴木少佐のヘッドマウントディスプレイに反映されているデータを読みとっている。パイロットの目だった。


 心優はそんな雅臣を見て、ドキドキ。あのデータとかレーダー数値ってパイロットじゃないと読みとれないものよね、コックピットにいなくても、いまの大佐殿は『パイロット』。あのシャーマナイトの眼差しが、空を司る姿にときめいてしまう。それに先ほど橘大佐が言っていた『ソニックの精密的な飛行』。素晴らしいアクロバットをしていたエースだったとわかる言葉。


 だがそれは猛禽のような目の橘大佐も一緒で、もっというと、彼等の後ろに控えて壁際でじっと黙っているミセス准将の琥珀の瞳もおなじく。パイロットの目線がモニターに集中している。


「行くぞ」

 橘大佐の声。雅臣もモニターに身を乗り出す。

 彼等が見ている映像は、バレット機が急上昇をはじめたところ。広報のカメラから中継されてきた空と大海原を飛ぶ姿も映し出される。


「行け、いいぞ」

 白い戦闘機が低空飛行からループを描くようにして上昇していく。半円のループができたところで、機体が背面になる。そこから急降下しながら、横に二回転半、そのまま急降下。それが『ローアングルキューバンテイクオフ』というアクロバット飛行。


 鈴木少佐の機体も半円ループを描いた頂点で背面になっている。そこから横に二回転半回りながら降りていくところ……。


 春の大空に、白煙を引きながら綺麗なループにダイナミックな横回転をしながらの急降下――。『すごい、もうあそこでどれだけのGがかかっていることか』。心優も息を呑む。綺麗な白煙ループが青空に映え、とても美しい。


 でも隣にいるミセス准将は硬い表情。さらに雅臣も――。

「あー……、ちょい惜しい……」

 雅臣が拍子抜けした声を漏らしたかと思うと、橘大佐も『ドン!』と拳をモニターに叩きつける。驚いた管制員たちが通信ヘッドホンをつけたまま振り返ったほど。


 拳を握ったまま、橘大佐がギリギリとした恐ろしい顔に豹変していた。獰猛な梟のようにぎらついた目。

「悪くはないけれど。スワローだったら、失格ってとこですね」

 雅臣から見ても、目の前にできたループは精度に欠けるという判断のよう。


 橘大佐も空に出来上がった白煙ループを睨み付けたまま黙り込んでしまう。

 やがてインカムヘッドホンのマイクを口元に近づけ、橘大佐が低い声で言った。

「おい、クソガキ。おまえ、やっぱりスワローから追い出して正解だった。スワローの時も教えたよな、俺が雷神に来てからも教えたよな」

 元隊長からの厳しい評価。コックピットにいる鈴木少佐はどう受け止めたのか。

「クソガキ、戻ってこい。もう着艦だ」

 低く響く声に、静かな怒りが秘められていた。


 雅臣も沈痛な面持ちのままだが呟く。

「英太はスワローにいた頃から、こういう『決まり事がある飛行』は苦手でしたね。コンバットでは身体能力とずば抜けた勘で最強でも、精密を求められるアクロバットは苦手――。しかも、他の機体との協調性も欠かせない。そこも苦手」

 雅臣のもっともな見解などもうわかりきったことと言わんばかりに、橘大佐はインカムヘッドホンを取り払うと無言で管制室を出て行ってしまった。


「今日は終わりのようね」

 御園准将も冷たく呟いて、管制室を出て行った。


 艦長の付き添いをしていた心優は、彼女を追いかける前に雅臣に振り返る。彼と目が合う。致し方ない笑みを見せて、雅臣が溜め息をついた。

「これから甲板は修羅場だ」

「え、そうなんですか」

「そう。オヤジと息子みたいな荒っぽい喧嘩が盛大にはじまりそうだな」

 雅臣がそう教えてくれると、キャットウォーク沿いにある階段から橘大佐の姿が現れる。もの凄い形相で甲板を突き進んでいく。


「うーん。パイロットの中ではレベルが高い演技だけれど。問題は『さらに精密的な橘大佐と飛ぶ』ことになると、不合格なんだよな……」

「わたしから見れば、とてもダイナミックで充分見応えありましたけれど」

「単体ならね。でも大丈夫。英太なら、細かく教え込めば一発で調整ができるだろう。でも、まずそこからだな。なんだよ、もう。一発で飛べないなんて、ほんと、スワローを追い出されるはずだ。雷神のエースはコンバット方式で決めることになっているから、英太には最適な戦場だったのだろうけれど、雷神のエースならアクロバットもできて当たり前。これでは駄目だ」


 雅臣も今日は見切りをつけたのか、管制室から出て行く。心優も管制室を出て艦長室に戻ろうとする。


「艦長。失礼いたします」

 だが雅臣も艦長室に入ってきてしまった。御園艦長は今日もデスクでひとり考え事をしているが、雅臣が正面に来て姿勢を正した。


「なに、雅臣。橘さんと英太の仲介ならやらないわよ」

「そんなことわかっていますよ。橘さんへの餞とおっしゃりながら、英太にも試練をお与えになりましたね。師匠から生で指導してもらう最後のチャンスってところ。それをご自分で企画すると英太が貴女に甘えようとするから、俺に任せてくれたのですよね。貴女はノータッチを決め込んでいるのですね」


「そうね。スワローの男だけで揉めてみたら、と思ってる。お父さんと、優等生で完璧パイロットだった雅臣兄様と、手に負えない悪ガキの末っ子英太君」

「そうなるように、俺達をまんまと揃って男だけの舞台にあげられたのですね。なんというか、相変わらず……敵いませんね」


 そういう意図もあったらしい。心優には見当もつかない指揮官達の思考。それを見事に見抜ける雅臣もやはり指揮官だった。


「橘さんは乗り越えなければならないお父さん。雅臣は、英太にとってはもう永遠に敵わない『優等生の兄貴』なのよ。お兄ちゃん、弟のこと頼んだわよ」

「あんなめんどくさい弟なんて要りませんよ。まったく。ですがお任せくださるのなら、安心しました。とことん、たたき直そうと思えました」

「もちろん。撮影のことは雅臣に一任したから、口だしする気はまったくないわよ。撮影の当日は、私は橘さんの機体に付くから。英太のことは雅臣に任せる」


 雅臣が少しだけ黙って。でも言い返した。


「ですがバレットは、貴女の指示だけは絶対的に守ります。力を発揮するのは、艦長がついてこそ。よろしいのですか」


 御園艦長もすぐさま言い返した。


「私はいなくなるの。いまから、私がいないシーンにも慣れてもらわないと困る。やがて、英太も雷神も橘さんが艦長となる艦に乗るでしょうし、雅臣が艦長となった艦にもね。いまから、そうしていくの」

「艦長……」

 陸へ帰る支度をはじめている。やっと再会できた雅臣の雷神隊長殿。でも、彼女は入れ替わるようにして海から去ろうとしている。そんな雅臣の寂しそうな顔。


「日本海に入るから、警備隊の強化を忘れないで」

「わかっています」

 艦長の眼差しが急にピリッとしたように心優には見えた。その警戒してる波動のようなものが、心優にも伝わってしまう。


 せっかく眠るようになって、ゆったりと業務をするようになったのに。今度は違う緊張感を漂わせている。

 でも、きっと。准将殿の側近というものは、常に緊張している上官につていることになるのだろう。これが現実――。


 気になるのは、艦長日誌を隈無く読み返していることだった。気になる出来事は、些細なことでもメモに書き出している。


 彼女の側にいるとひんやりとする。でも、時々微笑んでくれると、とても優しく時には面白おかしい冗談も言ってくれて素敵なお姉様になる。


 お遣いで、艦長室から出ると、雅臣が指令室の外からドアの隙間を覗いているところだった。

「城戸大佐、どうかされたのですか」

「しっ! いま英太が橘さんにこってりしぼられているところ。英太が聞き分けよく説教を聞いているから逆に怖くて見張っている」


 心優はそっと笑う。


「お兄さんも大変ですね」

「ほんっとだよ。急にスワロー家族みたいにされてさ。しかもお母ちゃんは不在で、艦長室で『私、男の人間関係にはノータッチ』って顔なんだもんな」

「御園艦長がお母さん、って……」

 いつのまにか『スワローファミリー』みたいな相関図が出来ているようで、心優も笑ってしまった。



「なあ。知ってるか。昨日、物資補給の輸送機が来ただろう。その中に『オホーツクの塩ソフトクリーム』があって、今日の十五時からコンビニで販売なんだ。艦長にも差し入れで、そして、心優の気分転換でご馳走してやるから行ってみよう」

「でも、」

「そのお遣いが終わったら、コンビニで待ち合わせ。俺、いま外に出されて中に入れないし、心優も艦長に付きっきりばかりではなくて上手く気分転換した方がいいぞ。あ、そうだ。葉月さんに教えて、買い物に行く許可ももらっておこう」


 雅臣はそう言うと、心優が戸惑っている間に、艦長室のドアを開けてしまう。


「葉月さん」

 艦長ではなく、名前で呼ばれたせいか、御園准将が目を丸くしてこちらを見た。


「昨日届いた物資の中に、オホーツクの塩ソフトクリームがあって、もうすぐコンビニで販売開始なんです。俺、差し入れますから待っていてくださいね」


 それまで冷ややかな横顔だった彼女がパッと笑顔になる。


「ほんと? 嬉しい。あ、心優と一緒に行ってきたら。彼女も連れて行ってあげて」

 雅臣がニンマリとしながらドアを閉めた。まるで、葉月さんならこう言ってくれるとわかっていたかのように……。なんという確信犯。


「許可も取った。じゃあ、待ってるからな」

 あっという間の手際に心優は唖然とするしかない。


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