53.ミセス艦長の思い通り
全ての作業が終わる。
「艦長、先に休みます。お疲れ様でした」
雅臣が艦長室での作業を終え、就寝の挨拶をする。
「お疲れ様、園田。おまえも早く寝ろよ。明日の朝、これの手配手伝ってくれ」
「はい。かしこまりました、大佐」
いつもの部下の顔で返事をした心優だったが、大佐殿が艦長室のドアを開けようとしているのに、そのままジッと心優を見つめている。でも一時だけ――。
そんな雅臣に艦長がひとこと。
「夜は駄目よ。彼女は私の側にいるようにしてちょうだい」
雅臣がびっくりした顔をする。しかも、真っ赤になった。
「いえ、そ、そういう、わけでは……」
「非番の日を合わせてあげるわよ。その日なら、夜遅くまでどうぞ。ただし、雅臣ももう飛行隊の指揮官であって、艦長補佐だから足下をすくわれないようにしなさいよ」
そこまで言われて、艦長室から出て行こうとしていた雅臣が、御園准将の目の前へと戻ってきてしまう。しかも、ものすごく強ばった顔。心優は自分たちの恋仲に言及してきた艦長に対して、彼がなにを言うのか胸騒ぎ。
「御園准将。そこまでおっしゃるのなら、言わせて頂きます」
心優はハラハラ――。
「彼女のことは、真剣に考えています」
心優はびっくりして目を見開いた。そんなにはっきりと『真剣交際宣言』をしてくれるとは、まだ心優も望んでいたわけでもないし、思ってもいなかったから。
でも。嬉しい。横須賀にいた時は『たまたま側にいた気易い彼女といるだけ』だと二人揃って流されていると心優は不安になったものだった。でも、もうあの頃とは違う。
「この任務を無事に終えたら、お知らせするつもりでしたが――」
「ああ、もう。私ったら、やんなっちゃう。おばさんのお節介でした。いいわよ、雅臣にそこまで言わせるつもりはなかったのに。ほんと、ごめんなさい」
心優も御園艦長の側で、顔が熱くなるほどだった。また雅臣と目が合う。今度は彼の真剣な眼差しが心優を捉えたまま離さなかった。艦長の前でも、心優を見つめてくれている。
「おやすみ、心優」
「は、はい……。おやすみなさい、大佐」
心優自身はまだ、人前で『臣さん』とは言えなかった。
「では」
雅臣が落ち着いた横顔を取り戻し、艦長室を出て行った。
静かになったが、すぐに御園准将のくすくす笑う声が聞こえた。
「離れたくないなーって顔していたから、つい。案外、わかりやすいのよね。雅臣は素直だから」
「そ、そうですか?」
わかっていて、でも心優は頬も耳も熱くなってしまう。
「雅臣って優等生なのよね。上の言うことをよく聞いてくれる。でも匂いが『英太』と一緒。秘めた野生を感じる。飛行にもそれがよく出ていた。おりこうさんの飛行をしているようで、彼等だけが得た身体能力がパイロットの潜在意識を目覚めさせて、爆発するようなワイルドな飛行をする」
優秀なエリートマンの仮面の下が『お猿』だということを、御園艦長が見事に見抜いていたので、心優はドッキリしてしまう。
「マリンスワロー隊出身の男はそういう性質の男が多いわね。そんなコックピットにいた時のような、ひたむきなでも滾った熱い目で心優を見ている。欲しいって」
つまり……。コックピットに全てを傾けていた情熱と同じぐらいに、心優を熱く欲してくれている。
彼のなかでなによりも一番だったものと心優がおなじぐらいに想われている。大人の女性からの言葉に、心優はつい嬉しくなって笑顔を見せそうになったが、なんとか堪える。
「余計なお世話だとわかっているけれど、変な噂を流されないように気をつけてね」
もう、どんなに誤魔化してもダメだろうと心優も降参する。
「はい。気をつけます」
「なんかねえ……。心優が来たせいかな。貴女ぐらいの年頃だった自分をよく思い出しちゃって……」
そんな艦長が席を立って、艦長室の丸窓へと向かう。
生憎、ここ数日は強風が吹き荒れる春の嵐で、海が荒れていた。そのせいでスクランブルもなく、ゆっくりと北海道知床半島のあたりを北上中だった。
「出会った時から、意地悪な眼鏡のお兄さん。なんか会いたくなっちゃった」
それって。ご主人の御園大佐のこと? いつも冷たい上司の顔をしている女性が、少しだけ一人の女性になれた瞬間。
「艦長でもそう思われるのですね」
「でも旦那さんである今の彼じゃなくて。出会った頃のあの人かな?」
「隼人さんはお幾つぐらいだったんですか」
えーっと、と彼女が宙を仰ぎながら、思い出している。
「私が二十六歳で、彼がちょうど三十歳になったところかな。会った時からすんごい意地悪で、私の方が上官でも『そっちはお嬢さん、俺は兄貴』て感じだったわね」
いまのご夫妻の様子からも『お嬢さんと兄貴』になることがあるので、心優も『わかる』と少し笑ってしまう。
「でも。誰よりもいちばんに、私のこと心配してくれた人。『生きている』と教えてくれた人。『生きてることを自分で選んでいる』とわからせてくれた人。だから、私はコックピットを一度降りようと思えた。彼の子供が欲しかったからよ」
いままで、このご夫妻が結婚するまではとても苦しい道のりしかなかっただろうとしか想像が出来なかった。でも、そこで彼の子供が欲しいと思えるほどの愛に出会えたことは、とても素敵なことだと心優は思う。
艦長はそのまま、小笠原の明るい海で待っている夫を想っているのか、春の嵐に荒れる波をみつめて黙ってしまった。
「では、艦長。今夜はわたしも休ませて頂きます」
「おやすみ、心優」
今夜も彼女は眠らない。隣に夫の御園大佐がいれば眠れるのだろうか。
心優はふと、そう思ってしまう。
―◆・◆・◆・◆・◆―
午前十時。艦長室の隣にあるミーティング室に幹部と、撮影に携わる隊員が集まる。その中には、雷神のキャプテンであるウィラード中佐と、橘大佐と競演をさせられることを知りもしない鈴木少佐も連れられて座っていた。
ミーティング室に入って来るなり、悪ガキパイロットの鈴木少佐は一目散に姉貴分である御園艦長へとすっ飛んできて、『どうして俺が? 朝から会議に? なんかあるの?』と捲し立てていた。
だか、お姉さんの御園准将はいつものアイスドールの冷めた横顔で『大人しく座っていなさい。終わったら一緒にランチをしましょう』ときかん坊の弟を諫め、なんなく大人しくさせてしまった。
「それでは、広報による空母展示飛行撮影についてのミーティングを開始します」
ラングラー中佐が進行をする。
「小笠原広報室の駒沢少佐より、今回の撮影の概要について説明があります」
心優が広報誌に掲載される時に担当してくれた駒沢少佐が席を立つ。
「お手元の資料に従って説明させて頂きます。プロジェクターの映像と併せてご覧ください」
用意されていた資料と映像で、広報少佐の説明が続く。
ひと通り説明が終わったところで、橘大佐が挙手をする。広報の駒沢少佐が驚いて『どうぞ』と促した。
「無難でいつも通りだな。これなら新しく撮り直さなくても、同じだと思う」
「いいえ。今回は空母から雷神チームが発進するということに重点を置いています」
「それだけだろ。空でのアクロバットに関しては、飛行マニアならもう見慣れたものばかり。雷神のアクロバット映像も既に公開済みだ」
「新規の閲覧者も見込んでいます」
「あ、そう」
どこか不満そうな橘大佐だったが、これも上層部の意向なので、広報用の新しい映像は撮影するのも今回の航行での仕事ではある。
「はい、少佐」
ついに御園准将が手を挙げた。皆の視線が一斉に『御園艦長』へと向かう。
どうしたことか誰もが緊張した顔。そして心優もここでドキドキ。いよいよ雅臣がつくった企画を提示する時。
駒沢少佐も、橘大佐の次は空母トップの艦長が意見があると知って顔色を変える。
「か、艦長。ど、どうぞ」
なにを言われるのだろうと、不安そうな駒沢少佐。
ミセス准将が、男達を従えているデスクの上座で立ち上がる。
「今回の広報撮影は、雷神とスワローの競演にしたらどうかと、新たに提案します」
男達が揃って『はあ?』と呆気にとられた顔を揃えた。
「はい! 艦長!!」
鈴木少佐が恐れずに、艦長へと食いついてきた。
「なに、鈴木少佐」
「マリンスワローは今回は搭乗していないのに、どうして競演を」
男達の視線を集めて立っている御園准将が、こんな時に笑みを見せる。だがそれは不敵な笑み。彼女が微笑んだのに、男達がさっと顔色を変えて青ざめている。彼女についてきた幹部なら知っているのだろう。『ミセス准将が笑う時、とんでもないことが起こる』と。
心優のドキドキは緊張していたものから、なにかが起こるというわくわくした気持ちに変わっていた。
これがいままで上司、先輩達が言っていた『じゃじゃ馬嬢様の台風』? こんなふうにして男達を驚かせて、巻き込んでいくの?
「マリンスワローのパイロットならここにいます。皆さんよくご存じの……」
御園准将はそのまま隣に座っている橘大佐を見下ろした。あの橘大佐もさすがにギョッとした顔に変貌する。
「は? 俺、俺のこと? なにいってんの、艦長さん」
だが御園准将は今度は真顔で、幹部の男達に言い放った。
「橘大佐と鈴木英太少佐の競演を提案します。どちらもアクロバットのトップ部隊、横須賀マリンスワローに所属していたパイロット。いまや雷神のエースでもある男の上官で師匠でもある橘さんと、教え子であったエースの鈴木少佐。ホーネットとネイビーホワイトの競演。それを見てみたい」
ミーティング室はシンとした。突然すぎて、どう返答してよいのか戸惑うしかないらしい。艦長はその隙も上手く使ってしまう。
「城戸大佐。お願いします」
「かしこまりました」
雅臣も立ち上がると、心優を見た。
「園田少尉、お願いします」
「はい」
朝いちばん。雅臣と打ち合わせをしたとおりに、昨夜出来たばかりの企画書をミーティング室にいる幹部に配る。
そしてこちらもプロジェクターの準備。雅臣に指示されたとおりの映像が出るようパソコンのセッティングをする。
「ホーネットとネイビーホワイトの競演。そのプログラムと撮影メニューを、こちらもスワローに所属していた城戸大佐に企画してもらいました」
今度は幹部達から『おお!』と感嘆のどよめきが起きた。
「スワローにいた男達の共作ということでもありますね!」
駒沢少佐がそれを聞いただけで、嬉しそうに飛び上がった。
「プログラムを作らせて頂いた城戸です。艦長からの指示で作らせて頂きました」
雅臣もおなじく、手元の企画書とプロジェクターの映像で今回のプログラムの説明をはじめる。
「マリンスワローの男ならではの演目で行こうと思います。美しいループ軌道を描く『ローアングルキューバンテイクオフ』、そしてパイロットの能力を極限まで駆使し回転上昇をする『バーティカルクライムロール』。どれも隊長であった橘大佐が得意としていたものであり、雷神の鈴木少佐がいまは展示飛行のメインとして演技をするもの。それを、並ぶようにして揃って飛ぶ」
同じ演技を二機で揃って飛ぶ? 他の幹部達がさらにどよめいた。
「城戸大佐」
手を挙げたのは、雷神のリーダー、『スコーピオン』であるウィラード中佐。
「中佐、どうぞ」
「揃って――というのは、ホーネットとネイビーホワイトが平行して、つまり左右対称になるように演技をするということですか」
「そうです」
迷いのない返答に、パイロットであるウィラード中佐が面食らった。
「はい、城戸大佐!」
隣にいる鈴木少佐がまた手を挙げる。
「どうぞ、鈴木少佐」
「お言葉ですがー」
悪ガキパイロットと呼ばれる鈴木少佐が、ちらっと上座にいる橘大佐を見た。
その眼差しが畏れを見せるどころか、どこか生意気な眼差し。
「橘大佐が素晴らしい飛行をしていたのは、自分もよく覚えておりますし、目標でもありました。ただ……いまと昔では……」
もう四十も後半にさしかかっている男と、毎日空を飛び、パイロットとして最盛期ど真ん中の若きエースでは、同じように飛べないのではないのかと……。悪ガキは恐れもせずに、相手になろうかという大佐に突きつけている。
「あんだと、このクソガキ」
現役エースに挑発をされ、ついに橘大佐が立ち上がる。
だが橘大佐が先に苛ついた様子で矛先を向けたのは雅臣。
「おい、雅臣。葉月ちゃんとなにかこそこそしていると思ったら、こんなことしていたのか」
雅臣も動じずに『はい、そうです』と答える。
「艦長と共に、隊長が横須賀で飛んでいた頃の展示飛行映像を見ました。そして、ここ数年の訓練飛行も確認しました。若さでは出来ないものがあります。確実な軌道と描くのは、現役の鈴木少佐よりも、積み重ねた技術をお持ちである橘大佐です。リードをお願いしたいのですが、いかがでしょう」
雅臣の提案に、橘大佐がニンマリとした笑みを浮かべ、今度は悪ガキへと挑発をする。
「おい、クソガキ。おまえ、好きなように飛んでいいぞ。俺がおまえが飛んだ軌道をきっちりトレースして、いかにもシンクロしたかのように見える飛行をしてやるからよ」
今度は悪ガキの鈴木少佐がカチンとした顔をあからさまに見せた。
「そうっすか。ちょっと緩めに飛んでやってもいいんすよ。五十前のおじさんにはきついだろうし」
流石、悪ガキ。負けていない。どちらの男の目も急にぎらぎらしていて、心優は取っ組み合いの喧嘩にならないだろうかと不安になるほどだった。
そこですうっと、また御園艦長が静かに立ち上がる。
「どうやら、どちらもその気になったようね。駒沢少佐、許可が出るように手配をお願いしてもよろしいかしら。城戸大佐と共に企画を進めてください」
駒沢少佐が飛び上がったように興奮する。
「スワローの男が企画した、スワロー出身の男達が飛ぶ空母上空ですね! 空母からのカタパルト発進、滑走路ではなく海面すれすれの低空飛行からのローアングルキューバンテイクオフで上昇、回転、それを二機が揃って飛ぶ。しかもホーネットとネイビーホワイトの競演! どれもパイロット目線で組まれたせいか、広報では思いつかないアングルばかりです! 広報としてはこんなにレアな撮影はありませんので大歓迎です!」
最後に、御園艦長が男達に向かって優雅に微笑む。
「では、決まりね。撮影日を決定し、広報映像撮影に向けた準備を、皆様にもお願いします」
『イエス、マム』
男達が声を揃えた。
雅臣が企画するものが、映像になる。これで雅臣が少しでも、パイロットだった時の気持ちを戻してくれたらいいのだけれど……。心優はそう思わずにいられない。
またもや、じゃじゃ馬嬢様、ミセス艦長殿の思い通り。
どうなるのか楽しみだ。
幹部の男達は口々にそう囁いて、ミーティングは解散となった。
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