51.じゃじゃ馬は、突然に


 しばらく二人は黙ってサーモンサンドを頬張る。お互いに食べ物には食いつきが良いので、あっという間になくなってしまう。

「いいなー。是枝さんのサンドを独占で食べられるなんて。うまかったー」

「そうなんですよ。わたしったら、初めての航海で、艦長同様の優遇をいただいてしまって、本当に良いのかと思ってしまっています」


 雅臣が笑う。


「それだけの素質と実力がもともとあったんだろう。それに、俺にも御園大佐にも、『はっきり言う』ことが出来る女なら、じゃじゃ馬のミセス准将の護衛としてピッタリじゃないか。もう誰も、心優のことをボサ子だなんて思わない。心優は自分で持っていたものを、自分で使いこなせるようになったんだ。全日本三位、一時は止まっただろう栄光だろうけれど、それが心優を何年も助けてくれたんだろう」

 横須賀で心優を励まし続けてくれた年上の頼もしい上司。そんな雅臣の言葉も蘇ってきて、心優は嬉しく感じながら頷いた。


「臣さんだって、戻ってきたでしょう」

 同じだよ――と、彼のことも励ましたかった。それでも雅臣は気恥ずかしそうにして、でも苦い笑みを浮かべて俯いてしまう。


「御園家は独特の世界をファミリーで作っている。その中へ入るには、彼等が示しているボーダーから向こうへ招き入れてもらわないとできない。心優はミセス准将を必死に守ったことで、夫の御園大佐に見初められ御園ファミリーの囲いに入れた。俺は違う。そのボーダーから向こうへとミセス准将が手を引いてくれたのに、自分から振り払い、俺が彼女が近づいてこないようボーダーを引いた。だから彼女は俺に近づけなくなった。なのに俺は……『今度はそっちが俺を取りに来いよ』と傲っていたんだ。そんなボーダー、御園家には見向きもされないものだったのに。だから、俺は己の過ちをとにかく認めて、自分が張りめぐらせた結界を解いて、自らの意思と足で、御園に向かわなくてはならない。そうでなければ、もう二度と心優には近づけない。そう思った」


「臣さんが、長沼准将に秘書官を辞したのは、その為だったんですか」

「そう。心優のためも勿論だったけれど……。心優がなにもかもを振り払って前に行こうと雄々しく決したのに、男の俺はいつまでもうじうじとこのままかと、初めて自分に憤った。もう、いてもたってもいられなかった。でもボスには『感情的すぎる』と、心優との恋仲も見破られていて却下されたよ。だけど……、不思議なんだよな。ボスは小笠原には、俺が秘書官を辞めたがって現場に行く気になったことなど連絡はしていないと聞かされていたのに、まるで俺のことを知ったかのようにして、葉月さんから『やる気があるならこれが最後、現場に戻りたいなら、いますぐ岩国へ転属しろ』なんて言われたんだ」


 やる気があるならこれが最後。もう後は手を差し伸べない。御園准将がある意味強制的に雅臣を促していたことを初めて知り、心優は驚いてしまう。


 でも、ハワード大尉が教えてくれたとおり。雅臣が『不思議なことに』と思っていることは、心優がきっかけだった。


「あの……。それきっとわたしです。臣さん……、事故の後に連絡船で吐くようになってしまったこと。本当は小笠原で極秘扱いになっていたのに、横須賀でも長沼准将以外は知らないことだったのに。どうしてわたしに話しちゃったんですか。葉月さんと臣さんの話題になった時に、わたし、うっかり言ってしまったんです。知らなかったから、『城戸中佐が、もう小笠原の連絡船に乗っても今なら吐かないと言っていた』と――。その時に葉月さんもびっくりしていました。小笠原のごく一部の者しかしらなくて伏せてきたことなのに。横須賀でも長沼さん以外は知らないのに。どうして雅臣は心優には教えたのか。それだけの関係だったのね……と、それから准将と秘書室には、わたし達の横須賀での関係はばれちゃったといえばいいのでしょうか」


「マ、マジで……。それが葉月さんが急に動いたきっかけ?」

 『そうです』と心優は応える。


「いや、極秘にしてくれていることはわかっていたけれど、心優なら口も堅いし、俺のこと知って欲しいと思って自然に話せただけなんだけど……」

「それを知って、わたし、臣さんがわたしのことを大事にしてくれて、本気で側にいさせてくれていたんだって知ったんです。臣さんの気持ちを踏みにじって、信じていなかったこと、ごめんなさい」


 また雅臣もバツが悪いようにして『もういいって、俺も独りよがりだったんだから』と言ってくれる。


「では、心優がそれを言わなければ、葉月さんはまだ俺に警戒していたってことか」

「わかりませんが。長沼准将が臣さんにひとまず冷静になるように却下したのに、すぐに葉月さんが動いたことで、少なくとも時は早まったかも。臣さんの決意が固ければ、いずれはその時が来たかもしれませんが。今回、一緒の任務で同じ艦には乗っていなかったと思います」


「うわー、だから葉月さんが俺と心優に気遣っているのか」

「あの日、ご自分が駐車場で倒れなければ、わたし達を引き裂くような転属はさせなかったのに――と思っているようです。そして、つきあっていたこともそれで察してしまったようです」

「マジかよ~。もうあの人の顔が見られなくなるじゃないかー」


 雅臣が頬を染めて顔を覆った。気遣う年上の女性に、なにもかも見透かされていたことは、たとえ年下で部下でもとてつもなく恥ずかしいようだった。


 でも心優は笑っていた。そんな可愛い弟のようになってしまう雅臣も、姉御肌で澄ました顔であれこれ手を焼いてくれたミセス准将のそんな師弟関係、いまは微笑ましく思える。


「良かったですね。臣さん。葉月さんの側に戻れて――。これから、臣さんは艦長修行ですね」

「うん。そうだな。あの人に安心してもらえるよう、あの人が花道を歩いて陸に戻れるように頑張る」

「わたしは、あの人と一緒にどこまでもついていこうと思います。あの人が陸に帰るなら、私もその時は陸に帰ります」


 飛行隊指揮官と女性護衛官としての道を互いに決意した姿を示す。


「わかった。俺も、心優がそうなれるようこれから一緒に住むようになっても協力する」

「臣さん……。わたしも、陸で待っています。あなたがこれから長く海の男として留守になっても……。陸から、准将と一緒に艦を護れるように」


 燦々とした日射しが丸窓から入ってきて、デスクの上で手を取り合うふたりを照らした。


 そして、まるで誓いのようなキスも――。


 この航海が終わったら、この人のパートナーになって一緒に暮らせる。これから毎日一緒。


 もうそれだけで、心優は満たされてしまう。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 デスクの上には、艦長が希望した資料のデスクが積み上げられ、そして、サンドがなくなった空っぽの皿があるだけ。


 心優の気持ちも落ち着いたので、積み上げているディスクファイルを胸に抱いて立ち上がる。

「大佐。艦長室に持っていきますね」

「うん。わかった」

 お互いに上官と部下の顔で別れる。


 もしかすると、少しだけうとうとしているかもしれない。そう思った心優は、そうっとドアを開け、『ただいま』の声はかけないように入った。


 艦長室に入ると、その通りに、御園准将はマウスを握りしめたまま、じっと俯いているところ。栗毛の中にお顔が隠れていて、まったく動かない。

 心優は気配を殺して、そうっとそうっと艦長席の前を通り過ぎようとしたのに。彼女がまた気配を感じたのかハッと顔を上げた。


 もう、どうしてこんなに感が強いのだろう。それが彼女を准将にまでした才能でもあるだろうに、心優は残念にも思ってしまう。


「やだ、いつの間にかこんな時間」

 はあとため息をついて、麗しい栗毛をかき上げている。その目元が少しだけ疲れが癒されたようにも見えた。


「仰せつかりましたもの、城戸大佐と揃えました。こちらに置いておきますね」

「ありがとう……。雅臣と話せた?」

 デスクの脇にファイルの束を積み上げたまま置くと、さらっと准将が尋ねてくる。

「はい。ありがとうございました。別れた時のわだかまりも誤解も解けました」

 これ以上の気遣いは無用。そうとも伝えたくて、今日の心優はいままでぼかしてきた態度を改めて、はっきりと返答していた。


「そう。良かった。この航空祭のディスクを日付が古い順から並べておいて。それから、雅臣を呼んできて」

 素っ気ない返答の後は、もう仕事の指示。でも心優は返事をして言われたとおりに、いつものアシスタントに徹した。


 ファイルのアシストが終わり、管制室で監視をしている雅臣を艦長室へと呼んだ。

「お呼びですか、艦長」

 デスクの前に立った雅臣に、御園准将が冷めた目つきで告げる。

「これから展示飛行のプログラムを作ってくれる。対象パイロットは、雷神のバレットと、スワロー元隊長のエンブレム」

 雅臣がハッとした顔になる。


「英太と、橘隊長の……ですか」

 『エンブレム』は、橘隊長のスワロー時代からのタックネーム。俺こそがスワローの男という象徴、彼こそがスワローの代表という意味でつけられたらしい。


「そうよ。橘さんがコックピットを降りる決意をしたの。最後に華々しい飛行をさせてあげたいと思っている」

 さらに雅臣が息を止めるような驚きを見せた。


「雅臣、手伝って。広報室が企画した空母艦載機の広報映像撮影で、教え子だった英太と、直属の上官だった橘さんが一緒に飛行しているところを撮ってみようと思っているの。ネイビーホワイトと、F/A18ホーネットの競演よ。弟子と師匠の競演でもある。航空マニアはよろこぶでしょう。そういう『広報的で華々しい展示プログラム』を、スワローの男だった雅臣に作って欲しい。わかるでしょう。貴方なら。スワローの男がどうすれば格好良く見えるのか。飛行マニアが惚れ惚れするようなプログラムを作って」


 そして艦長は、あの凍った琥珀の眼差しで雅臣を貫く。


「これが、橘さんへのはなむけよ。彼にはそんなことは相談していない。いきなり企画に上げるから、私と雅臣とで極秘にやるわよ。いいわね」

 雅臣の表情もひきしまった。

「かしこまりました、御園准将。ぜひ、マリンスワロー部隊にいた俺にやらせてください」

 そして艦長は心優も見た。

「心優も手伝ってね。いまから橘さんが飛んでいた時の飛行カットをプリントアウトするから、雅臣はそれを参考にプログラムの企画を二日で作って。次の広報のミーティングでサプライズ提案するからね」

「はい。了解です」


 これぞ『じゃじゃ馬台風』と言われる、『いきなりはじまる彼女の提案』。雅臣のシャーマナイトの目が輝いた。師匠になる彼女と初めての仕事。台風のお仕事にさっそく携わることができて嬉しいに違いない。


 

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