46.やはり、あなたはパイロット

 大佐殿は、出航後最初のホットスクランブルの指揮に立ってもまったく動じていない。


 任務展開中の空母艦がいちばん近い位置にいたということで、対領空侵犯措置のスクランブル指令が、横須賀にある中央管制センターから送られてきた。


 ホットスクランブル。雷神の6号機『スプリンター』と、7号機『バレット』のエースが一番手に待機していた編成として空母から離艦していく。


『不明機を目視で確認』

 ネイビーホワイト機に備えられている撮影用のカメラが、不明機を捕らえ、その映像が雅臣の目の前にあるモニターに映し出される。


『Su-27、国籍は……』

 鈴木少佐の落ち着いた声で、捕らえた戦闘機の機種と国籍と、機体番号が報告される。

 モニターに写し出された他国籍の戦闘機には、最北にある大国の国旗がペイントされている。

 雅臣も落ち着いていて『よし、いつもの接近で間違いない』と、一人で頷いている。


「スプリンター、いつも通りに送り返せ。バレットは背後で備えてくれ」

『ラジャー』

『イエッサー』

 二機のパイロットからも落ち着いた返答が無線で返ってくる。


 だが、心優は入り口のドアでひとり冷や汗をかいていた。心優にとって『本番』である侵犯措置で、外国の戦闘機を目にするのは初めてだからだった。


 静かに暮らしているつもりで、本当にギリギリの領空のところに頻繁に諸外国機がやってくる。そして、自分と普通に親しくしてくれていた男達がそれを当たり前の顔で対処してくれている。

 目の前の、自分を大事にしてくれた男もまた、復帰したばかりだというのに当たり前の顔でなんら焦ってもいない。


 そんな心優がドアが開いているそこで立ちつくしている姿に、無線のインカムヘッドホンを装着している雅臣が気がついてしまう。

「園田。大丈夫か」

 心優もなんとか気を確かにして頷く。

「そっか。本物は初めてか、本番も……」

 落ち着いていないのは心優だけ。レーダーに向かっている管制官も、雅臣も、甲板にいるスタッフも、誰もがいつもの訓練通りの顔をしていて誰も慌てていない。


 それでも雅臣がふと、懐かしい微笑みを見せてくれる。

「大丈夫だって。ここのあたりでは良くあることなんだ。俺も現役の時はここに何度も飛んできたし、ミグにもスホーイもギリギリに接近したこともある。向こうも同じだ。きっとこの空母がどの航空団で、どんな飛行隊を艦載しているのかチェックしに来たんだろう。近づいてこちらの戦闘機を上空まで誘っての偵察ご挨拶。もちろん、俺達もそうだ。近くを通るけど『そっちには入らないし、そっちも入ってくるな』という牽制にすぎないよ」


「そうなんですか……」

 指揮指令のレーダーとモニターがあるカウンターにいる雅臣がにっこり頷く。

「こっちに来てみるか。ほら、いま6号機スプリンターのクライトン少佐が退去のアナウンスをしている」

 雅臣にもうひとつの無線インカムを差し出され、心優もドアから管制室にはいる。そっと大佐殿からインカムを受け取り耳に当てると、『こちらは日本国――』と、6号機のフレディ=クライトン少佐が英語で外国籍機にむかってアナウンスをしているところだった。


 それでも、雅臣の目の前にあるモニターにはクライトン少佐の『6号機、スプリンター』の少し離れた、でも近しいところにスホーイSu-27が悠々自適といわんばかりの姿があり、退く気配もない。


「バレット、ギリギリに寄ってみてくれ」

『ラジャー』

 鈴木少佐の『7号機、バレット』が退去する様子もないSu-27へと少しずつ寄っていく。


「おまえが侵犯するなよ」

『わかってますよ、キャプテン』

 空母にいる指揮官のことはそこに誰がいても『キャプテン』と呼ぶことになっているらしい。


 モニターに映っているSu-27に接近し、その機体が大きく見えてくる。他のモニターには、クライトン少佐と鈴木少佐がヘルメットに装着しているヘッドマントディスプレイで写し出されているメーター数値が映っている。

 これもホワイトシステムの成せる技だった。コックピットにいるパイロットの目線がそのままモニターに送られてくる。彼等がいまヘッドマントディスプレイで見ているフライトのデータやメーター値が見えるので、そこで指揮する元パイロットの上官もそのコックピットを体感できるようになっている。


 その鈴木少佐の目で見えているヘッドマントディスプレイの映像に、黄色のリングが点滅した。同時に、そのモニターが『ピピピピ、ピー』と異様な音を発信する。


『捕捉された』

 鈴木少佐のバレット機の背後にいたもう一機のスホーイが、バレット7号機をロックオンしようとしている。

 また心優の身体が強ばり、汗がドッと滲む。『うそ。まさか、近づきすぎて、本当に本当に鈴木少佐が空でドッグファイトに展開!?』


「か、艦長を呼んで参ります!」

 一大事だと思った心優はインカムヘッドセットを放って、飛びだそうとした。

 なのにその手を掴まれたのでびっくりして、心優は立ち止まり肩越しに振り返る。

「いい。休ませてあげろ。これぐらいなんでもない。良くあることなんだ。パイロット同士の『茶化しあい』なんだよ」

 そういうと、雅臣はインカムのマイクを口元に寄せると――。

「いいぞ、バレットもやってやれ」

 なんて、とんでもないことを言いだした!


『イエッサー。待ってました、大佐殿!』

 やんちゃが本性の鈴木少佐が嬉々として機体の片翼を下げ、大きく旋回したのか、空と雲が斜めになる映像が見えた。


 捕捉をしたSu-27の背後へと、『弾丸』という名の7号機バレットが急降下をする。ヘッドマウントディスプレイと同様のものが映るモニター、鈴木少佐が空の気流と雲を切り裂いて、どんどん高度を落としていく水平メーターが忙しく動いている。

「無茶すんなよ。そこで体力使うな」

 雅臣の先輩らしいアドバイスに、鈴木少佐は――。

『先輩、うるさい。先輩だって、これぐらいやっていただろ』

 生意気な通信が返ってきた。なのに、雅臣はそこで顔をしかめるどころが、楽しそうに笑っている。

「早く背後を取って、捕捉しろ」

『ラジャー』

 それでも、急降下の急速Gの負担で息苦しそうな鈴木少佐の声が届く。


 降りたと思ったら、やがてバレット機は急上昇を始める。蛍光グリーンで示される水平計と高度計の定規のようなラインが、今度は上昇の数値を弾き出し、ラインが急速に動き始める。


 モニター横のスピーカーから、鈴木少佐の苦しそうな息づかいが聞こえるが、雅臣は止めない。おそらく、これがパイロットの常。いまの状態で最高8Gの世界。それを動じずに見守っているのは、雅臣もまったく同じ世界で飛んでいたから。


 心優は黙ってバレット機のメーター表示を眺めている雅臣を見つめる。その険しい横顔は、秘書官だった男の顔ではなかった。


 彼はいま、パイロット。パイロットになって、鈴木少佐と一緒に空を飛んでいる!


『見えた』

 カメラ映像のモニターに、再度Su-27が現れる。しかも今度は、尾翼が見える背後。

「行け。バレット」

 雅臣の声が重く響いた。

 鈴木少佐目線のヘッドマウントディスプレイのモニターに、Su-27を捕らえようとする捕捉リングがくるくると回り始める。Su-27に重なったり、外れたり、動いている戦闘機を狙っている。そのうちにそのリングが赤く変化する。

『捕捉』

 これでいつでも迎撃撃墜ができる体勢。


 だがこれは『茶化しあい』だから、鈴木少佐もそれだけでなにもしない。そして、それもわかりきったようにして、Su-27が片翼を下げ旋回し、急降下をしてカメラ映像のモニターから消えてしまう。


 それでSu-27は退去したものと、心優は思ったが、雅臣はまだじっと黙ってモニターを見たままで警戒を解かない。

 またモニターのスピーカーから『ピピピピ……』と捲し立てるような警報音。

『捕捉されました』

 今度は、退去せよ――のアナウンスをしていたクライトン少佐の報告。


 鈴木少佐がやったように、急降下をした上で姿をくらまし、上昇して相手の背後を取る。まるでコピーするかのようなやり方。

 まさか。これも『茶化しあい』のひとつ? 俺も出来るぞ、おまえと同じ事。バカにすんなよ――と、Su-27が言っているように心優には見えてしまう。


「かまわない。スプリンターはそのまま、退去勧告を」

『ラジャー』

 だが、6号機から捕捉の追尾は終わらない。

 子供の喧嘩とは思いたくはないが、茶化し合う小競り合いがちょっとしたきっかけで喧嘩になることも。

「キャプテン、退去する様子がありません」

 管制官からの報告に、雅臣が苦虫を噛み潰したような顔になる。


「相当、バカにされているな」

 雅臣が考えあぐねている横顔――。

 もう一度『茶化しあい』をしても大丈夫なのか。心優は『もうそこそこでやめて。臣さん、危ない橋は渡らないで』と思ってしまう。そして心優は踵を返す。御園艦長を今度こそ呼ぼうと……。


「一度では駄目よ。三度ぐらいやってやんなさい」


 振り向いたそこ、目の前に紺の指揮官訓練着に着替えたミセス准将がいた。

 慌てて着替えてきたのか、白いタックトップの上に上着を羽織っただけの恰好で、心優が先ほど手放したインカムヘッドホンを手に取った。

「スプリンターはそのまま退去命令を。バレット、あと三度ほどやってやんなさい」

『キャプテン、どこ行っていたんだよ!』

「私の指示がないと、怖くてできないの?」

『バカにすんな』

 コックピットにいる鈴木少佐は、噂通りの『悪ガキ』だった。心優の目の前では気の良いお兄さんの顔をしていても、パイロットになった彼は荒っぽい男に変貌する。


「艦長。申し訳ありません。俺だけでできればと思って……」

「いいのよ。ありがとう、雅臣。上出来よ。向こうにはこれぐらいやってやるのが『礼儀』だって、覚えていたのね」

 同じ紺の指揮官服、そしてインカムをセットしたキャプテンとして御園准将と並んだ雅臣は嬉しそうだった。本当に彼が復帰した喜びを噛みしめている。前だったら『ミセスのことは女性としてみている訳ではないけれど、でもやっぱり女として辛い』と思っていたのに、いまはそうは思わない。


 雅臣の満ち足りた微笑みを見ただけで、心優も嬉しくなる。彼が望んでいたことがいま実現している。彼はあのパイロット部屋から出てこられたのだから。


「バレットを一番手に配備しておいたのは、出航後、必ず北方から偵察に来ると思ったからよ。そして『ネイビーラインの白い戦闘機』が飛んできたと言うことは、雷神を艦載している『私』が乗っている艦だと認識してもらえる。私の癖も知っているでしょう。本国にそう報告して『いつもの対応をしてくれる』はず。さらに、白い戦闘機の7号機がエースだという情報も既に持っているはず。エースを最初に送ればそれだけ自分たちに警戒してくれているという敬意にもなり、または、エースをからかってみたいというお遊びも、ご挨拶というもの」


「なるほど。承知しました。では、バレットを自由にさせていただきます」

「貴方が現役だった時のようにね」

 そこでミセス准将がインカムはつけたまま、指揮カウンターから一歩下がった。代わりに雅臣がモニターに手をついて身を乗り出す。艦長が愛弟子にしようとしている男に指揮を譲った瞬間を心優は見てしまう。


 だがその男は雄々しく、インカムマイクに告げる。

「バレット、もう一度捕捉してやれ。二機、両方ともだ。出来るな」

『もちろんっすよ。よっしゃ、行ってくる!』

 悪ガキのエンジンが全開になる。

 二機、両方とも――。その指示通りに、鈴木少佐のバレット機は自由を得た鳥のように軽やかに気流をかき分け、スプリンター機の側から離れない一機を捕捉する。その一機が気がついたのか、片翼を下げ降下をはじめた。


「行け、バレット。逃がすな。執拗に追ってやれ」

『ラジャー、キャプテン』

 鈴木少佐も再度の急降下。またモニターに雲を切り裂いて高度を下げていく映像と、忙しい水平高度メーターの目盛りが動く。


 カメラモニターが降下して逃げたSu-27を写し出す。鈴木少佐が容赦なくロックオン捕捉をする。そして今度はロックしたまま外さない。もういつでも撃ち落とせるという脅しでもあった。


 スプリンター機は冷静に退去のアナウンスを続けている。パイロットのクライトン少佐は、悪ガキの鈴木少佐とは対照的にクールな男性で、熱くなりすぎる悪ガキをコントロールするお兄さんと言ったところ。だからこその役目ではあるのだが。

「スプリンターも、やり返してこい」

 雅臣の大胆な指示に、心優は目を丸くする。退去命令を続けなくてはいけないのでは? でもミセス准将は雅臣の後ろで、ふっと静かに微笑むだけ。

『ラジャー、キャプテン。待ってました』

 あのクールなクライトン少佐まで。鈴木少佐より落ち着いた冷たい声なのに、その返答には闘志が秘められていた。


 パイロットにとって、上官の命令が第一ではあっても『からかいのご挨拶には腹が立つ』というところなのか。そして雅臣はそんなスプリンターの隠し持ったパイロットとしての気持ちもわかっている。


 二機のモニターが揃って、捕捉を仕掛けてきたSu-27に完璧に、おなじ捕捉でやり返した。だが、その捕捉から逃れたSu-27も負けずに雷神二機を追っては捕捉するの繰り返し。それが本当に三度ほど。


「もういいだろう。スプリンター、再度の退去勧告をしてくれ」

 再度の退去のアナウンス。クライトン少佐の声が淡々と流れる中、二機のSu-27がモニターから消える。


「二機とも、退去。ADIS(アディス/防空識別圏)から出ました」

 管制官の報告に、雅臣がほっとひと息ついて項垂れた。それなりの緊張はやはりあったようだった。

「スプリンターにバレット、着艦だ」

『ラジャー』

『ラジャー、キャプテン』

 雷神二機も旋回をして空母へと帰ってくる。


「初仕事、お疲れ様。城戸大佐」

「ありがとうございます。艦長」

 御園准将が彼を労うと、雅臣も嬉しそうだった。


「いまの映像データ、あとで私のところに持ってきて」

「ラジャー、艦長」

 ミセス准将はそれだけいうと、艦長室へと戻っていった。心優も後を追う。


「艦長。すぐに報告しなくて申し訳ありませんでした」

 だが彼女が意味深な笑みを浮かべる。

「私が眠らないという話をテッドから聞いたのでしょう」

「は、はい……」

「私がいなければ、雅臣が駆けつけると思ったのよ。橘さんも来なかったでしょう。二人で決めていたの。先ほどのような北方の偵察がよく通るエリアは、横須賀のパイロットだったなら慣れた相手に仕事だから、Su-27が来たならば、雅臣に任せてみようってね」

 そう聞いて、心優はハッとした。

「え、では……。眠るというのは見せかけで……」

「うとうとはしちゃったけれどね。雅臣なら出来ると思っていたし、心優も側にいるからね。安心はしていたわよ」

 それでも、眠ったふりをして、どうしても『俺がやらなくてはならない』という雅臣の為の状況をわざと作っていた??


 そんな密かな作戦に心優は唖然としてしまう。

 ああ、でも。それならば、心優がいるから安心して眠れる――というのは嘘なんだと、ちょっとがっかりした。


「あー、今度こそ眠らせてもらうわね。ちょっとうとうとしていたのに、もったいなかったなあ。でもこれで暫くは来ないでしょう。よろしくね~、心優」

 伸びをして欠伸をして、ミセス准将は艦長室に戻ると、またベッドルームに入ってしまった。


 今度こそ『心優が側にいるから眠ってくれる』そう思ってほしいから。心優は、艦長室で事務仕事をしながら、しっかりと守ることに専念。


 少しでも、眠れますように。そう願いながら。


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