45.艦長に花道を――。

 艦長の秘密がついに雅臣に明かされた。

 雅臣が心優がそれを知っているのかどうかを知りたがっている。


「いえ。園田は既に知っております。そのつもりで、常に御園准将に付き添っています。もともと、女性である御園准将のより側にいられる護衛官をということで、同性の護衛官として園田が望まれたんです。ですから、艦長室にある小部屋は、いままでは側近の私がいつ何時でもミセスをサポートできるように同室内の別室ということで寝起きをしていたのですが、今回からはミセスの夜のサポートは同性である園田に任せることにしました」


「……知っていた、ということですか。それとも引き抜きの時にそれを告げて、園田は承知の上で小笠原に?」


 ラングラー中佐がそこは黙ってしまう。そして心優を見ている。やや戸惑いが、マラカイト色の瞳から見て取れてしまう。言っても良いのかという、個人的な事情を案じてくれている眼差し。


「まあ、そういうことになりますね。園田もそのつもりで、小笠原に転属してくれたわけです。これからどんな時も女性として女性を守るという信念で、少尉になるまでの半年。厳しい訓練にスケジュールに邁進してくれました」


 雅臣がまた黙り込む。だけれど、その表情が尋常ではない。なにを思っているのか、ものすごく強ばっている。心優にはわかる。つきあっていた彼女が、御園准将の望みに応えるようにして転属をする決意をした。その時、俺のことをどう考えて決意したのか。そう考え込んでいる横顔。


 その隙を見計らったようにして、ラングラー中佐はさらに話を進めていく。

「お二人には、これを覚えていて欲しいのですが」

 スチールデスクの上に、ラングラー中佐が『薔薇模様のモザイク』がある白い小物入れを差し出した。とても綺麗で、本物のモザイクが施されている高級品だった。


「これを、ご主人の御園大佐は『花のお守り』と言って、航海中は私に預けてくれます」

 その『花のお守り』の蓋を、中佐が開けると、そこから心優も見覚えのある薬がいっぱいに詰められていた。


「小笠原のご自宅では、御園大佐が『夫』として常備しているものです。主にベッドルームに保管しているとのことです。奥様の准将は、寝付きが悪く、夢見が悪い。夜に発作が起きることが時々あるようで、夜は特に精神が不安定になりやすくなる。これを航海に出るたびに、いちばん側にいた私にいつも預けてくれました。これは過呼吸を起こしたり、痙攣を起こしたり、パニック症状になった時に使ってください。特にミユ、今日からはミユに預けるから夜は頼む」


 それを中佐は心優へと差し出した。心優は驚き……でも、今までラングラー中佐がやってきたことを『女性だからこそ引き継ぐべきもの』として、いま目の前に差し出されていると理解することができた。


「承知いたしました」

「薬の種類と、症状に合わせた分量と用途だ」

 メモも渡される。


「城戸大佐も頭の隅に置いておいてください。万が一、一般隊員の目の前でこの症状があからさまにでたとしても、なんとしても誤魔化してください」

「それも、海東司令の知るところなのですか」

「なにもかもご存じです。もちろん、小笠原連隊長の細川少将も承知しています。その上で、海東司令は御園准将に艦長を任命してくださるのです。それだけ、准将の経歴を買ってくれているということです」

「これが明るみになれば、海東司令も細川連隊長もただでは済まないと思いますが」

 雅臣は手厳しい。ここで御園准将は、艦長としてはリスクが大きい爆弾を持っているし、ふさわしくないと判断しているかのようで容赦ない。


「リスクはある。でもメリットの方が大きいと思っておられるのでしょう。特に司令は、沈む時は彼女と一緒だとおっしゃっております」

「そこまで……!」

 爆弾を抱えている艦長ではあるが、彼女が艦長なら間違いない。自分にとってメリットのある女。だから全てを承知で、もし彼女の秘密が綻びをみせて露見し責任を取らせられるなら、その時は一緒に沈む覚悟。そうでなければ、彼女を使って俺は上に行く――。それが海東司令のやり方。


「わかりました。司令がそこまでおっしゃるのなら」

「そして、もう一つ。これも大事な『秘密』を、二人に預けます」

 そこでラングラー中佐が少し躊躇った。言いにくいのか、それとも、言うことに勇気がいるのか。


「実は、御園艦長は二年前から、この体質のリスクを考慮して『なにも起きないうちに、艦長を辞退したい』と希望しています」

 御園准将が、艦長を辞退しようとしている!?

 彼女だからこそのポジションなのに、悪魔のような男に押し付けられた傷を憂い、その為に彼女の生き甲斐であろう空の世界から身をひこうとしている。


 ――え、じゃあ。わたしはこれからどうなるの?

 一瞬、心優はそう思ったけれど、でもすぐにその先が見えた。准将がこれからどこへ行こうとも、そこへついていくのだと。


 だがそこで心優はもっと哀しいことに気がついてしまう。その時、心優はもう隣にいる雅臣を見上げていた。

 思った通り。彼は気が抜けたようにして呆然としていた。


 ラングラー中佐も、そんな雅臣の気持ちが痛いほど解ってしまうのか、眼差しを伏せている。

「それは本当ですか」

 雅臣の声が震えていた。

 やっと、一緒に前へと進んでいきたい上官の下へ帰ってこられたのに。その彼女が見据えている前進の果てには、もう甲板はなくなっている。


 俺はなんのために、戻ってきたのか。そんな、また裏切られたような顔。


「その為の準備を、二年前から少しずつ進めています。海東司令もそのつもりです。その為に、橘大佐が御園准将の補佐として横須賀から来てもらいました。橘大佐もそれを知ったからこそ、来てくださったんです。橘大佐なら、雷神の指揮官としても申し分ありません。いちばん手のかかる、でも実力はいちばんのエースである鈴木少佐も上手く扱ってくれるだろうという御園准将の狙いです。そして、城戸大佐……。准将は城戸君が帰ってくるのを待っていました。存じていないかと思いますが、貴方がコックピットを降りて数年。その間、貴方が少しずつ海に戻れるよう、距離は置いていましたが、長沼准将と連携して見守っておりましたよ。横須賀で長沼さんの補佐官になり、小笠原で連絡船に乗れなくなり、横須賀で再度連絡船に乗って空母へと付き添いをすることになった。あの日、長沼さんも貴方の前では澄ましたなんでもない顔をされていたとは思いますが、貴方が船に乗る瞬間はとても緊張されていたようですよ。貴方が無事に空母と陸を行き来することが出来たと、横須賀から小笠原の葉月さんのところに連絡が着た時には……」


 そこでラングラー中佐がまた、言葉を少し止め、また思い切ったようにして雅臣に告げる。


「葉月さんは『良かった』と『ソニックはまたいつか空と海に戻れる』と泣いておられました」

「わかっています。どれほど心配をかけたのか。気遣って頂いていたのか。なのに、自分は小笠原を出て行く前、准将にひどいことを言いました。なので、許してもらえても自分が自分を許せず。あまつさえ、変わりなく接してくださる准将にも素直になれず……」

「そんなことは、数々の経験をされてきた葉月さんだからこそ。痛いほどわかっておりますよ。あの方も、城戸君と同じように自分の心を慰めるために人を傷つけてきた、相手の気持ちをうまく受け入れられなかった若い日々がありますから。今度は自分がいつまでも待つ番だと思っておられたようですよ」


 若き日からミセス准将と共にあった側近の言葉だからこそ、雅臣は痛み入るものがあったのか沈痛な面持ちで俯いている。


「城戸君。あなたもミセス准将になにかを返したいのなら、あの方の後を継いで頂けませんか」


 唐突に出てきた言葉に、雅臣だけはない、心優も驚き言葉を失う。


「ミセス准将は、本気……なのですね」

 気が抜けたような雅臣の言葉に、ラングラー中佐は無情に頷く。

 心優もショックで、ただ上官二人のやり取りの間にいることしかできない。


「もうひとつ。知っておいて欲しいことが」

 まだあるのかと、心優はもう耳を塞ぎたくなってくる。


「葉月さんは、艦長業務を辞したいことを、ご主人の隼人さんにはまだ告げていません」


 心優も雅臣も『何故』という思いが先だった。


「ご夫妻でこそ、話し合われるべきことではないのですか」

 

 まったくなにを考えているのかわからないとばかりに雅臣が尋ねても、ラングラー中佐もどうしようもない溜め息をこぼしている。


「そうですよね。大事なこと、ご夫妻で話し合うべきと私も最初は思っていました。ですが、私も思うに……。澤村大佐は、どんな手を使っても、補佐官の人数を増やしてでも、奥様の症状をカバーしてこの職務を全うさせてやりたいと強く思っているかと。もっと先を言えば、きっと奥様が司令に昇格されることまで計算されていると思います。奥様はもうそんな職務から降りて、今度は、パイロット達をサポートする教育隊に退きたいと思っておられるのです」


「ご夫妻で話し合われないのですか」

「これに関しては、ご夫妻――という関係性だけでは決着がつかないでしょう。上官と部下でもありますし、戦友でもあります。奥様の准将は、ご主人が一生自分の影で縁の下の力持ちで生きていくと誓っていることをよくご存じです。一筋縄でいかない強敵だから、二年も極秘にして事を進めているのです。ですから艦長という跡継ぎは、橘さんと城戸君になって欲しいと御園准将は望まれています」


 資料室が静かになった。

 雅臣は膝の上で拳を握りしめ、項垂れている。だが嘆いている横顔ではなかった。

「俺がもっと早く、その気になっていれば……」

 その言葉に心優は彼を哀しく見つめてしまう。


「もしかすると。こんな苦しい帰り道にしなくて良かったのかもしれない」

「城戸君……。仕方のないことだったと、俺は思っているよ」

 ラングラー中佐の口調が、対等の男に変わっていた。


「俺も、空母に辿り着けず連絡船で苦しむ君を見ている。そして『幽霊』と名付けられたナイフを振るう傭兵の男が刑という償いを終え死んでもなお、その影に苦しむ葉月さんも見てきた。同じだよ。だからこそ。葉月さんは君を手放せたし、君を待っていられた」


「今からでも、間に合いますよね」

「勿論。その為には、この極秘事項を大佐として死守して頂きたいのです」

「わかりました。絶対に守ります。何事もなく、あの人を……、無事に陸に帰れるようにしたいと思います」


 雅臣のはっきりとした返答に、どうしたことかあのラングラー中佐の翠の瞳が潤んでいるのに、心優と雅臣は気がついてしまう。


「お願いします。それで俺の役目も全うできるので。細川連隊長がこう言っております。『これは、葉月の花道だ』と。その花道を飾って歩かせてあげたいのです」


 『花道』。切り裂く空の気流に巻かれながら、荒波の海を往く世界。そこから陸に帰る道は『花道』であってほしい。


 まだ御園准将との付き合いが短い心優でも、それだけで涙が滲んでしまった。それを大勢の隊員がつくってあげようと、極秘で動いている。


「わかってくれたね。城戸君、ミユ」

 二人は揃って『はい』と頷いていた。


「それでは、ここまでです。ミユは規則正しい生活を、あとでこの五日間の側近チームのシフトを渡すのでそれを参考に」


 そう言いながら、大事な話は終わりとばかりにラングラー中佐から立ち上がった。

 心優と雅臣も席を立ったが、ラングラー中佐が心優を見て言った。


「ミユ。もう全部を話してもかまわないよ」

「全部……?」

 一瞬、なんのことかわからなかった。ラングラー中佐が次に雅臣を見た。


「葉月さんが、自分が勝手な行動をしたばかりに、ミユにも城戸君にも大変な迷惑をかけたと気に病んでいる。『あの日のこと』をね」

 二人に迷惑をかけた『あの日のこと』。その一言で、なんのことか理解してしまう。


「この資料室の鍵です。普段は艦長がお持ちになりますが、あとで私までお返しください」

 鍵まで差し出され、雅臣が戸惑っていた。それでもラングラー中佐だけが部屋を出て行った。


 二人だけの静けさ――。ひとまず雅臣が鍵を握った。


「あの日のこと――とは、なんだ」

 隣にいる雅臣が、心優を険しく見下ろしている。

「それは……」

 雅臣と抱き合っていた時、『なにかあったのか』と聞かれ、心優は『なにもない』と嘘をついた。それは軍人としてだった。それを雅臣に告げればどう思われるのか。


「心優がいなくなってから、ひとつだけおかしいと思っていた日がある」

 心優はドキリとする――。

「熱が出たと仕事を休んだ日。あの日に違和感がある。メールをしても電話をしても反応がなかった。あんなに、俺の部屋に来てくれていたのに……」


 もう言い逃れができそうにもない。


「その日に、葉月さんに会ったのか。どうやって会った?」

「……その、」

 もうPTSDであることを隠さなくてもいいのだから、素直に言えるはずなのに――。言えない。嘘をついてたことで、また傷つけてしまうのか。それ以上にさらに嫌われるのではと怖い。


「心優。教えてくれ」

 久しぶりに男らしいその声で呼ばれ、心優はもうこれ以上はと意を決した。

 だが、そこで部屋中にけたたましい警報音が鳴り響いた。


『不明機接近! ホットスクランブル――!』

 艦内放送も届いた。

 それだけで、紺の訓練着姿の雅臣が駆けだした。


「大佐!」

「鍵かけて、中佐に返しておいてくれ!」


 またたく間にドアを飛び出していく。心優も後を追う。でもしっかり鍵を掛け、それを握りしめて彼の後を追ったが、もう通路にその姿がない。


 だけれど、艦長室すぐ目の前にあるブリッジ管制室への出入りが激しくなっているそこに雅臣を見つける。開いたドアの向こうで雅臣が無線のインカムヘッドセットを装着したのが目に見えた。


 心優も管制室のドアを開ける。

「どの編成だ」

 指揮官となった雅臣の声に、レーダー前に並んで座っている管制官が『雷神の、バレットとスプリンターです』と応える。


「マジか。いきなり悪ガキ英太か」

 管制室の窓の向こう下には、ちょうどキャットウォークにパイロット二名が飛び出してきたところ。甲板要員も準備されていた白い戦闘機に慌ただしく集結している。


 雷神6号、7号行きます――。管制員の声に、雅臣が頷く。

 蒸気が揺らめくカタパルトから、白い戦闘機があっという間に海へと飛び出していく。甲板から離れると海上で旋回し、管制室の目の前を横切り上昇していった。


「いつもの北方からの急行だろ。バレット、まずは出航のご挨拶だ」

 上昇していく鈴木少佐の戦闘機に、インカムのマイクへと雅臣が話しかけ敬礼を送る。


 心優は見た。あの部屋の壁にいた男がいま目の前にいる。カフェテリアの広報映像で見たコックピットの男がそこにいる。

 空にシャーマナイトの目を輝かせて、海を見守る男がそこにいる! やはり、あなたはパイロット。パイロットのあなたが帰ってきた。

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