41.ボサ子は護衛中

『時間が取れない。任務が終わるまで、しっかり准将殿をお守りしなさい』

 小笠原を出発する前に『横須賀に会議で戻ります。会えますか』と父へと送信したメールの返信だった。


 わかっていたけれど、准将や大佐が『お父さんに会えたら会いなさい。暫く、陸とはお別れなのだから』と勧められたから送ったが、娘として結果はわかっていた。


『大丈夫。そのつもり。ただ、御園准将や橘大佐がそう勧めてくれた手前、送信しただけ。行ってきます』

『御園准将と橘大佐、そして御園大佐。皆様に宜しく伝えてください』

 そんな返信が来ただけだった。


 長沼准将室は、上官達のいつもの化かし合いで盛り上がっていて、とても楽しそうだった。雅臣もその中にいる。

 そんな様子が伝わってくるだけで、心優は廊下にてハワード大尉と共に外通路で護衛のスタイルを取っていた。


「わたし、階段の方をしばらく見回ります」

「うん、よろしく」

 ハワード大尉と共に『本日の護衛』について話し合いはしてある。初の護衛である心優への『手ほどき』も丁寧にしてもらっていた。


 ミセス准将の側にいることは元より、上官同士の話し合いの折りには、少し離れたところから護衛をするなど。上官同士の空気を壊さないよう、護衛も距離を取って空気を大切にするものだと教わっている。


 さらに、このように上官がひとつの部屋に滞在する際も、護衛官が側にくっついているよりかは、『その部屋に誰も近づかせない』という配慮も必要だとのこと。

 聞き耳を立てられても困るからだった。そのように上官の『外周の空気を保つ』ことも必要とされた。


 その為に、上官と共に部屋には籠もらず、護衛官は外を監視する。いまの指名は長沼准将室に関係者以外、近寄らせないことだった。


 心優はその外回りである秘書室周辺の廊下を行き来し、階段を誰が通ったかを確認する――。


 秘書室がある通路の端、階段の側で立って周囲に気を配った。

 誰かが階段を上がってくる。秘書室の親父さんやお兄さん達だと良いのだが――。上がってきたのは見覚えがある女性事務官だった。


「あ、園田さん」

 いつも雅臣に声を掛けて、女性特有の情報網で得たものを逐一報告しては彼と食事に行っていた彼女。雅臣の後ろに控えていた心優には、あからさまな態度で素っ気なかった彼女だった。


「ご無沙汰しております。秘書室にご用ですか」

「そうよ。塚田中佐から依頼があったから、うちの事務室で集計した統計を届けるの」

「そうですか」

 彼女がやはり『なによ』という顔で、すっと目の前を通り過ぎていく。心優はそのままの位置で、彼女を秘書室へとやり過ごす。


 暫くして、彼女が秘書室から出てきた。また心優の前を通ろうとしたところで、彼女が立ち止まった。


「ねえ、どうやって御園に取り入ったの。教えてよ。あんな広報誌、あり得ないじゃない」

「そう言われましても――」

「自然になったって言うの? なにか引っかかるのよね~」


 確かに。自然になったわけではない。偶然、ミセス准将の秘密を知ってしまったからだった。だからといって、その秘密を隠す条件だけで引き抜かれたわけではない。御園大佐の厳しいスケジュールと指導でここまで来たことに手抜きはしなかったし、昇進に関しては真摯に向かったものでやましいことはない。広報誌についても、それは心優が……というよりかは『御園の話題は注目される』というだけで、そこに心優がいることであのような現象が生まれたことは『自然の成り行き』とも言えたと思う。


「言えないことがあるんだ」

「言うことがなにもないだけです」

「城戸さんも、急に御園に引き抜かれたじゃない」

「わたしも本日、初めて知ったのですけれど?」

 彼女が驚いた顔をする。


「知らなかったの? 本当に? 側にいるミセス准将はなにも言ってくれなかったんだ」

 なんか、どこかで同じような流れになったことがある――と、既視感に心優は眉をひそめる。

 井上少佐と同じだった。『知っているはずなのに、知らないんだ。側にいるだけのお人形』といいだげな彼女の顔。


「ねえ、私がいま知っていることを教えてあげるから。今度、小笠原に遊びに行った時につきあってくれない。あなた、雷神の鈴木少佐と仲が良いでしょう。彼を紹介してよ」

 情報? どんな情報? 雅臣が食事に連れて行ったほどだから、それなりの旨みがある情報を彼女が持ち運んでくることは心優もわかっていた。


 しかし、ここは心優も護衛官。その心得を全うする。

「そのような取引には応じないことになっております」

 ハワード大尉との約束だった。『あくまで護衛官。俺達は戦略を司る秘書官とは違う。秘書室にいても護衛官だ。情報の収集と判別はラングラー中佐がやる。気になる人物がいるなら、彼に報告して、俺達はなにも関わらない』――と、教えられている。


「自分だけオイシイところに行っちゃって、やっぱりずるいことしたんでしょ」

 そしてもうひとつの心得。

「護衛中なので、お話はまた改めてお聞きします。よろしいですか」

 彼女がムッとした顔になる。

「偉そうに――。御園の庇護がなければ、ただのボサ子で、城戸さんの秘書室から転属したら、なんにも出来ないただの空手家だったくせに」

 言い返せなかった。横須賀にいた心優は、確かに城戸秘書室の庇護を受けていただけだった。そこを出てしまえば、なにも出来ない落ちぶれた空手家だった。女としても、彼の心の奥底を思いやらず自分を愛して欲しい一心だけの未熟な子供みたいだった。言われても仕方がない。いまのわたしを見てと言いたくても、少尉として勝ち得た姿はまだお披露目が始まったばかりで、誰もその実力を認知してくれたわけでもない。


「おっしゃるとおりです。ですがいまは職務中なので、お控えくださいますか」

「そのうちに、あなたが御園に引き抜かれた『秘密』、掴んでやるからね」

 なんて恐ろしいことをいうことか。心優は目を丸くした。知らないから言えるんだと思った。心優が引き抜かれた『秘密』の裏には、御園の秘密が潜んでいる。御園の秘密を知ったら、どんなことになるか彼女はわかっていない。


 ――『ミユ、無駄話はそれぐらいにしておけ』。

 秘書事務室の向こうにある隊長室の前を護衛しているハワード大尉がこちらを睨んでいた。

 だけれど彼女が怯まなかった。それどころか『大尉の護衛ごときで』と小さく言い捨てたのだ。それには心優は頭に血が上った。


 ただの事務官が言える言葉ではなかった。なのに彼女がそこまで尊大になれるのは、情報をあちこちにばらまくことでさらなる上官のバックアップを得ているから強気になっているのだと心優は見定めた。


「言葉が過ぎますよ。大尉は御園准将がいちばん信頼している護衛官です。いつもお連れになっています。ご主人の御園大佐も、とても信頼しています」

「護衛ごときでは、少佐になるのはいつの日かしらねー」

 ああ、もう我慢できない。この彼女は心優が護衛官だから、ハワード大尉まで持ち出して、心優の今後の行く道を落としているのだ。


 ハワード大尉がそこで、長沼准将室のドアを開けて中に入ってしまった。

 それから直ぐに、ラングラー中佐が出てきてしまった。しかもこちらに真っ直ぐに向かってくる。

 心優はひやりとした。秘書室内では気さくな笑顔を見せることもあるラングラー中佐だったが、彼の目が鋭く冷たく燃えているのを見てしまった。


 上手く彼女をあしらえなかったことを叱られる。心優はそう思った。

「ああ、じゃあね」

 彼女もその尋常じゃない気迫を感じ取ったのか、こんな時は逃げ足が早い。さっと心優から離れて階段を下りようとしていた。


「待ちなさい!」

 ラングラー中佐の声が階段の踊り場まで響いた。そこにいる彼女が足を止める。あんなに尊大だったのに、彼女も凍り付いた顔をして怯えていた。


 ラングラー中佐が階段を下りて、彼女のところまで行く。ついに彼女の前に立ちはだかった。


「園田を存じているようだから、懐かしさもあったのだろうね。だけれど、園田はもうここにいた時の園田ではない。上官から教わらなかったのかな。『護衛中の護衛官には話しかけない』と」

「申し訳ありません……」

「今後は控えてくれないかね。懐かしい話なら、護衛をしていない園田に話しかけるように」

 そう言いながら、ラングラー中佐は彼女の胸に付いている部署名付きのネーム、名札を指でピッと引っ張り上げて見下ろしている。


「頼みましたよ。お嬢さん」

 ネームを見たのに名は呼ばない。でも『君の部署も名も覚えたよ』という顔をする。ラングラー中佐の、嫌味を含んだ釘刺し。

「は、はい。以後、注意致します」

 これほどの威圧はないと感じた心優は、ラングラー中佐の本当の恐ろしさを見た気がして、冷や汗を滲ませていた。

 『よろしい』。冷たい緑のマラカイトの目が、彼女を射ぬく。名札を手放した途端、彼女は中佐に一礼をして去っていった。


 そのラングラー中佐が、心優を険しくみた。今度は心優が震え上がる。あんなくだらないことに手間取るな――、そう言われるに決まっている!

 階段を上がってきたラングラー中佐が、心優の前に立つ。

「ラングラー中佐。いまの女性は以前、私の――」

 心優の隣にいつのまにか雅臣が立っていた。見上げた心優の目の前には、大佐の肩章がある。その真上に、シャーマナイトの黒い目。


 懐かしい男の匂い、それが心優の鼻をかすめる。知り尽くしている彼の肌の温感みたいなものも、心優の肌に感じてしまうほど。その男らしい空気に、心優はのぼせそうになった。


 心優を見据えていたラングラー中佐の視線が、背が高い雅臣へと移った。

「大佐のお知り合いかなにかですか」

 心優は初めてハッと気が付く。職歴はラングラー中佐が先輩でも、階級的には雅臣はラングラー中佐より上で上官になってしまったのだと――。


「ラングラー中佐、私はあなたの後輩です。いままで通りに――」

「そうはいきません。あのような女性に筋を通した以上、私も筋を通すべきでしょう。まあですが、そう気負うつもりはありません。ですが、城戸大佐。外では筋を通してくださいませ。それが、あなたを手元にと選んだ御園准将のためです。お願い致します」

 雅臣も戸惑っていた。まだ大佐になったばかりで、周囲との変化について行っていないらしい。


「先ほどの女性ですが、元を辿れば、私の不始末が原因です。園田はもともと関係ありません。私からフォローしておきます」

 そういって雅臣は彼女を追いかけていってしまった。

「城戸君の不始末ってなんだ? ミユ、知っているか」

 ラングラー中佐が首を傾げていたが、心優は『知りません』と答えてしまった。

 また、なんとなく……。雅臣が助けれてくれたような気がしてならなかった。


 


 それでも帰りの飛行機でも、彼との席は離れていた。

 まだ一言も言葉を交わしていない。互いの昇進についても触れる間もない。

 彼は常に、ミセス准将と橘大佐に挟まれていて、彼と常に会話できるのは上官クラスに存在するようになってしまった。


 もう秘書官ではない。心優がいる秘書室という場所よりも上の『指揮官』になってしまったのだ。気軽に話せる物ではなくなったのだと痛感した。


 帰りの飛行機も、心優は御園准将の隣。すぐ後ろの座席には、行きと同じく橘大佐とラングラー中佐。


 お供に付いてきた空部管理事務官のチームは、上官とは数列離れた後部座席にいて、雅臣はそこにいる空部事務管理長のダグラス中佐とその部下達と面識があったらしく、懐かしそうにしてくれる彼等に『お帰り』と囲まれて賑やかにしていた。


「ふう、」

 雅臣に気を取られていたら、隣の窓際の席にいる准将がそんな声を漏らした。いつも気を抜かない冷めた横顔を守っているミセス准将が、そんな大きな息をついたので心優は気になって彼女を見る。

 すると――。すやすやと眠っている。

 それを見て、心優は席を立つ。空いている座席に置いていたボストンバッグから、赤いタータンチェックのブランケットを取り出した。


 その時。後部座席で賑わっている雅臣と、初めて目が合う。彼がじっと心優を見つめている。心優もその視線をずっと外さずに彼を見つめた。

 会釈をするなどの挨拶もなく。ただ見つめ合っているだけ。なんとも言えない眼差しを見せられる。懐かしいにこやかな愛嬌もなく、かといって、心優を恨んでいるような嫌悪もなく――。


「へえ。それ可愛いな」

 橘大佐が気が付いた。ブランケットを持ったまま立ちつくして心優も我に返る。

「はい。准将が隊長室では膝掛けを使われていたので、『おでかけ用』に準備してみました」

 それをそっとミセス准将の身体に掛ける。

「珍しいな。葉月さんが居眠りするなんて。そう油断しない方なんだけれどな」

「やっぱ、女の子が側にいると葉月ちゃんも違うみたいだな」

 ラングラー中佐も橘大佐も、小さく囁いてそれ以上のお喋りは、気持ちよさそうに休んでいるミセスのために控えてくれた。


 ミセス准将の隣に座った心優は小笠原まで、ずっと。雅臣の不可思議な眼差しが突き刺さったままで、それが心にズキズキと痛く疼いた。

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