39.どこに消えちゃったの、中佐殿?

 わたしのボスになったミセス准将はいったいなにをするつもりなのだろう。

 この人と一緒にいると胸騒ぎばかり。


 久しぶりの横須賀基地に到着した。着陸した飛行機から降りると、空の色が異なっていることに心優は気が付く。

 あまりにも鮮やかな南国の色彩になれてしまったのだろうか。横須賀の空が優しい色に見えてしまった。


 会議は午後から。飛行機の中で御園秘書室が準備した軽食で昼食を済ませてある。


「葉月ちゃん。俺、マリンスワローにいる相原のところに行ってきていいかな」

 横須賀の元同僚に会いに行くと橘大佐。

「よろしいですよ。相原さんに、宜しくお伝えください」

 では会議の時間に落ち合いましょう――と、そこで橘大佐と御園准将が別れた。


「准将。自分たち空部管理事務官は会議の準備に集まることになっていますので、これで」

 空母のシステムと航行任務の全てを事務的に取り仕切っている空部管理官長の中佐がそこでミセスと別れようとしていた。

「よろしくね、クリストファー」

 空軍管理長のダグラス中佐がにこやかに手を振って離れていった。

 ダグラス中佐は、御園准将と昔ながらの同僚ということで、とても親しい様子。


 准将の側には、心優が。その後ろにラングラー中佐とハワード大尉がついてくる。

「カフェテリアで、お茶でもしましょうか」

 御園准将と共にカフェテリアに向かう。


 懐かしい空気に心優は少しばかり泣きたい気持ちになってきた。半年前はここを当たり前に歩いてた。そしてカフェテリア。このミセス准将が来ると、雅臣が秘書室から消えてしまって気持ちを整えていた窓際の席――。それを思い出してしまう。


 ランチタイムがひと息つく時間帯だったが、まだまだ隊員達で混雑していた。

「准将。いかがいたしますか」

 ラングラー中佐が空いている席を探していたが、ミセスが側近と護衛と一緒にお茶をできるところはなさそうだった。


 その時だった。御園准将の側に、一人の男性が歩み寄ってきた。その男性を見て、心優はハッとして固まった。

「御園准将、もういらしていたのですね。ご無沙汰しております」

「塚田君、こちらこそご無沙汰しております。長沼さんはお元気? また後でゆっくりお会いしたいわ。本日はそちらも会議に参加ですよね。宜しくお願い致します」

 眼鏡の塚田少佐だったのだが――。心優は彼の肩についているものを知って、絶句する。それについて御園准将がさっそく触れた。


「先月、中佐に昇進されたのよね。おめでとうございます」

「ありがとうございます。突然のことでしたので、私もまだ実感が湧いておりません」

 塚田少佐が――。『中佐』になっている!


「こちらにおりました園田も少尉に昇進したようで、秘書室一同喜んでおりましたところです。しかも、御園准将と女性お二人と、少尉という昇格まで導いてくださった恩師の御園大佐とのお写真も広報誌で拝見致しました。女性同士のご関係、素敵な記事でした。これまた秘書室で話題になっていたところです。いいえ、横須賀基地中の話題でした」

「ありがとう。撮影も楽しかったわよ。ね、心優」

 御園准将の視線が心優へと向くと、塚田中佐とも目が合う。久しぶりだった。


「おかえり、園田。そして少尉への昇進、おめでとう」

「塚田さんも……。中佐へ昇進、おめでとうございます。驚きました」

「俺だって。まさか園田が半年で少尉になるとは思わなかったよ。横須賀にいる時は三年の計画だったからな。やはり御園大佐の手腕には敵わなかったというところだね」

「そんな……。塚田中佐と城戸中佐がわたしを秘書室に採用してくださったから、小笠原ともご縁がありましたのに」


 城戸中佐もお元気ですか――と聞こうとして、心優はふと引っかかったものが……。

 え? 塚田さんが中佐になったということは? 長沼准将秘書室に中佐が二人? そんなことあるの? ――と。


 そこで心優が言葉を止めてしまったので、会話が途切れてしまった。だが目の前の、ラングラー中佐も塚田中佐も、そしてミセス准将までもが、ちょっと戸惑った顔を揃えている。


 先にその場を収めようとしたのは、やはりミセス准将だった。


「塚田君は、中佐の昇進と共に長沼准将秘書室の、秘書室長になったのよ。室長の補佐をしてきて下積みもしているから経験も充分。『交代』の際には誰も文句は言わなかったそうよ」


 『交代の際』? 心優は青ざめた。


「では、その、室長だった城戸中佐は……」

 ラングラー中佐と塚田中佐が困ったように顔を見合わせている。でも、ミセス准将に助けを求めるようにしてなにも言わない。


 だから、御園准将が心優に告げた。

「転属したらしいわよ」

「転属? ど、どうして……ですか……?」

「どうしてかは、長沼さんに直接聞いた方がいいわよ。私からはどうにも」

 長沼准将の意向ということらしい。


 そんな、横須賀でもトップの指揮官層にいる長沼准将の秘書室から転属だなんて。不本意な出来事でパイロットの道を閉ざされ、でも、そこにある空部隊を護るための指揮官の下で秘書室長にまで上りつめた男が、どうして今更、出て行くことに?


「准将、お席をお探しですか。私が確保して参ります」

「いいえ、もうよろしいわ、塚田君。他の隊員達がくつろいでいる時間帯だから、遠慮しておくわ」

「でしたら、こちらの秘書室にいらしてください。長沼はランチに出ておりますが、いずれ帰ってきますでしょう」

「そう? よろしいかしら。もう、ついそちらには甘えてしまうわね」

「光栄でございます」

 塚田中佐はもう立派な秘書室長の風格だった。ずっと雅臣の補佐をしてきたから、それはもう当たり前なのだろう。


 だけれど心優はもうなにも考えられない。


 臣さん、どこにいってしまったの!? 今日、アナタに会えると思っていたのに。頑張って甘えた自分を律してからアナタに会いたかったのに。


 どこに消えてしまったの?


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 塚田中佐の招待で会議の時間まで、御園准将と共に長沼准将隊長室で休憩させてもらうことになった。

 御園准将が到着すると、すぐに長沼准将も外から帰ってきて、またこちらもいつもの化かし合いのご挨拶。


 心優も久しぶりの長沼准将隊長室。長沼准将秘書室で久しぶりの歓迎を受けて、親父さんやお兄さん達から昇格のお祝いをしてもらった。

 雅臣が使っていたデスクには、いまは塚田中佐のネームが置かれている。


 本当にいなくなっちゃったんだ……。

 心優は哀しく、そこに彼の影を思い描いている。

 秘書室の誰も、彼のことには触れなかった。心優が聞いても、きっと教えてくれない。そんな空気を感じている。


 長沼准将に聞けば教えてくれるのだろうか。ミセス准将の口ぶりから、隊長に直接聞けという言い方だった。どうも『隊長に聞かなくてはわからないほどのことをさせている』と聞こえた。つまり聞くなということ……。


 そんな心優の寂しそうな表情に気が付いてくれたのか、塚田中佐がそっと教えてくれる。

「会議が終わったら、教えてあげるよ。まずはそれからだ」

「ほんとうですか」

 彼が頷いてくれたから、心優はその時に教えてもらうことにした。


 


 御園准将が艦長を務める航行任務の最終確認。その顔合わせと、最終調整の会議が始まる。

 今日は『司令』もやってくる。空母艦が航行する時、任務に就く時。その空母艦を動かす長は『艦長』だが、その任務全体の指揮と責任を持つのは『空母航空団司令(CAG)』。艦長が海上現場を動かし、司令は陸の中枢にて空母艦と飛行隊の全てを司る総指揮官。ミセス准将のボスということになる。


 その司令が『駄目』と言えば、それまでとなる。御園准将が思い描く航行を実施するには、すべて空母航空司令が容認するかしないかにかかっている。


 会議室は、よくあるデスクを囲いにして、それぞれが対面できる形になっていた。

 いちばん上座にある立派な皮椅子。そこに後ほど、空母航空団司令(CAG)が着席することになっている。


 御園准将はその角合わせになる列のいちばん先頭に座る。その隣に空母航空団司令(CAG)の配下で地上で艦隊を補佐するため長沼准将が座った。さらにその隣に副艦長を務める橘大佐が控える。


 次々と横須賀の高官達が席に着き、その後ろには側近と護衛がパイプ椅子に座って控える形に。

 数々の書類が机に束ねられ、ずらっと人数分並べられている。

 心優もミセス准将の真後ろに控えた。とても緊張する。広報誌でしかみたことがないお偉いさんばかりが集まっている。


 しかもすぐ目の前に、そのうちに空母航空団司令(CAG)が来るかと思うと心臓が飛び出そう……。


「御園君。広報誌をみたよ。その後ろの子? 園田教官のお嬢さん」

 向かいの席に座ったのは師団長だった。

「はい。ご覧くださりまして、ありがとうございます」

 御園准将が楚々とお辞儀をする。栗色の毛先がしっとりと動いて、今日はいつも以上に女性らしい匂いが漂った。


「君が笑うだなんて、驚いたね。何度も眺めてしまったよ。しかもご主人の御園大佐とまで、見応えがあるねえ」

「私も拝見致しましたよ。御園准将。女性同士だとやはり柔らかでいいですね」

 隣に座った業務隊長もご機嫌な様子で、ミセス准将に声をかける。それにも御園准将は楚々とした微笑みに留めて、柔らかなお辞儀をするだけ。

 それだけでも、どうもおじ様達は嬉しいようだった。


 その後も高官達が側近と共に続々と会議室に来るのだが、その高官もミセス准将を一目見れば、広報誌のことを挨拶代わりにして心優にも挨拶をしてくれた。


 そろそろ用意された席が満席――。その頃になって、ミセスの隣にいる長沼准将が落ち着きなく腕時計を眺め始める。

「御園准将。まだ来ないようだけれど、大丈夫だよね」

 彼が橘大佐の隣の席をみた。そこはまだ誰も座っていない。

「ミセスが司令に許可をもらったのが三日前だったらしいからな。ものすごく慌ててるんじゃないの」

 橘大佐もそこに誰が座るか知っている様子だった。そして御園准将が黙り込む。

「間に合わなかったのかしら」

「司令より遅れてくるだなんてことないよな」

 流石の長沼准将でもそわそわしている。


 その時だった。そろそろざわめきが収まって、司令がやってくるお時間。揃いに揃った高官達が並ぶ会議室のドアが開く。

「遅くなりました」

 そこに現れた男を見て……、高官達のざわめきが止まった。


 誰もが驚きの顔を揃えて並んでいる。それは、心優も同じ――。

 御園准将が立ち上がった。


「間に合ったわね、城戸大佐。席はこちらよ」

 心優は耳を疑った。『大佐』!?


 しかも、彼が……懐かしい彼が、こちらに向かってくる。

 あの日のまま、彼は颯爽としている。でも前より少し肌が浅黒くなって、日に焼けていた。


 臣さんの男らしい空気はあの時のままで、でも顔つきが変わっていた。どこか晴れやかで今まで以上に爽やかな微笑みを湛えている。


「余裕無く到着しまして、申し訳ありませんでした」

 制服姿の雅臣がミセスの前にやってきてお辞儀をした。心優の目の前に現れた彼の肩章は、たしかに『大佐』のラインと星。


「こちらこそ、ギリギリの辞令になって悪かったわね。岩国から慌ててきたのでしょう」

「いいえ……、大丈夫です。この度は、お力添え有り難うございました」


 ――『司令、入ります』

 会議の進行を勤めているのは塚田中佐だった。彼の声で会議室が静まる。


「司令がこられるから、まずは座って」

 落ち着いている准将に促され、雅臣が橘大佐の隣に空いていた椅子に座った。

 だけど心優の頭の中は大混乱!


 岩国から来た? 准将が言っていた三日前に許可が出た? 

 とにかく。雅臣が大佐殿になって急に現れた。しかもどうしてこの航行任務の会議に参加しているの? 全くわからない!

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