38.広報室です、お願いします!

 はい。お二人とも、こちらを見てください。

 広報課の写真撮影室で、心優は真っ白な正装制服姿になって、御園准将と並んでいる。


「おふたりとも、少しだけ身体を斜めに向けてください」

 広報室の隊員が慣れた手際でカメラを準備し、綺麗に写るように姿を整えてくれる。


 ミセス准将も、この日のために真っ白な正装制服姿になってくれた。立派な肩章に、煌びやかな金モール。白い手袋に、白と黒の制帽。心優も同じく、ミセス准将が贈ってくれた少尉の肩章付きの白いジャケットを着てきた。綺麗な金モールも、ミセス自ら心優の肩に丁寧につけてくれた。


 そしてそんな女性二人をニヤニヤと眺めている男性も一人。

「ねえ、あそこの男の人が目障りなんですけれど」

 写る姿を整えた御園准将が、カメラをセットする広報室隊員の背後にいる御園大佐を軽く睨んでいる。


「いや~、教え子と奥さんが撮影だっていうなら、覗きたくなるでしょう」

 いつものふざけた旦那さんの顔で、御園大佐はずっとニヤニヤしている。

「なに。私が真面目に撮影に応じたから、それが面白いの」

「奥さんが素敵に写るなら見たいっていうのが、旦那心だろう」

「よく言うわよ」

 いつものどつきあい夫妻の会話に、広報室の隊員達が苦笑いをしてやりすごしている。


 ――はい、行きますよ。

 シャッターボタンを片手に持ったカメラマンの合図に、心優は御園准将と並んで微笑みを浮かべる。


 カシャッとした音、そして一瞬のフラッシュ。そこでカメラマンが、カメラに記憶されたデジタルの画像をみて、ちょっと表情を止めた。

 なにか気になる写りぐらいだったのだろうか? 心優は自分の笑顔が大丈夫だったか振り返る。

「うん、お二人とも素敵ですね。もう一枚」

 同じようにシャッターとフラッシュ。またカメラマンが不思議そうに首を傾げる。しかも、その後ろに控えていた御園大佐が真顔になっている。さっきまで奥さんをからかって楽しんでいたのに。


「ねえ、隼人さんも一緒にどう」

 ミセス准将の一声に、撮影室の空気がピンと張り詰めたのを心優はかんじてしまう。

「は? なに言っているんだよ。俺だけ、正装じゃないなんて嫌だよ」

 御園大佐が急に慌てて、しかも『部下の澤村』の口調ではなく、すっかり『葉月の夫』の言い方になっている。


「ありますよ。ここに。各制服に衣装、サイズ、万が一のために揃えておりますので、それ、いいじゃないですか!」

 広報担当の駒沢少佐が嬉しそうに飛び上がった。そしてカメラマンも。

「ミセス准将が、妹のような女性護衛官と並ぶと優雅な微笑み。しかも! ご主人の澤村大佐とツーショット。こんなこと滅多にありませんよ!」

 広報室の隊員二人が揃って大興奮。今度は、それをみた奥様がニヤリと笑う。


「澤村大佐、着替えてきてよ」

「いや、それは」

「心優も、恩師の姿をお母様に紹介したいわよね~」

「……そ、そうですね。できれば……」

 それは二人揃って自分と映ってくれたら、こんなに凄いことはないと心優も嬉しい。でもなんだかミセス准将が旦那さんを困らせている魂胆がわからない。


「つまんない。澤村が一緒でないなら、不機嫌な顔で写っちゃおう」

「それ、いつもそうじゃないか」

 心優も思い出す、そう言えば。ミセスが広報誌で取材されたお写真はどれも澄ましたお顔で、それこそ皆がよく言う『アイスドールの准将』だった。


「澤村が目障りで、私、不機嫌なのわかるでしょ」

 そんな奥さんの嫌味な脅しに乗るような夫ではないと心優は思ったのに。

「はあ、わかりました」

 御園大佐が折れると、広報室の駒沢少佐が直ぐさま着替えるための控え室に連れて行ってしまった。


 暫くすると。そこにも立派な白い正装姿をした御園大佐の姿が。奥様より背も高いのでとても見栄えがする。そしてやはり、男性の軍服正装は惚れ惚れしてしまうものだった。


「まったく。こんなことになるだなんて」

心優を挟んで両隣に、御園准将、御園大佐をご夫妻が寄り添う。しかも正装で! 確かに、とんでもない状況におかれた気がした。これが広報誌で配布されたら、どうなってしまうのだろう!?


「いいですね! いや~、こんな写真が撮れる日がくるだなんて、感激です。はい、行きます!」

 心優の隣で、お二人がどのような顔をしているのかわからない。心優もカメラに向かって微笑まなくてはならないから。

「もうワンカットだけよろしいですか。すぐに終わりますから」

 カメラをセットし直している間のこと。御園大佐がポーズを崩さないまま、心優を挟んで隣にいる奥様に話しかける。


「おまえが笑顔で写っているから、広報室の彼等が戸惑っていたじゃないか」

 カメラマンが不思議そうに首を傾げていたことを、心優も思い出す。

「そんな気分になることもあるわよ」

「ふうん、どんな気分。俺もびっくりだわ」

 心優の頭の上は、すっかり夫妻の会話になっている。

 だが、ミセスはそこで微笑みを残したままの顔で黙っている。ただカメラを見つめている。


「嬉しいのよ、心優と写真を撮れたことが」

「確かに、ちょーっと歳が離れた姉妹みたいで、女同士の柔らかい雰囲気が出ていたよ。これは広報に華を添えるだろう。見ろよ、彼等の嬉しそうなこと」

「いままであり得なかった、御園夫妻の写真まで撮れて――だものね。ありがとうね、隼人さん」


 そこで御園大佐が、協力したことにちょっと照れた顔をしていた。


「自分の基地の広報室からいい記事を出すことが彼等の役目だ。話題になるだろう、これは。ミセスと教え子にさらに華を添えるなら、やりますとも。やけくそですが」

 御園大佐が応じてくれたのは……。結局は奥さんが華やかになるなら、やれることは協力するということだったらしい。本当に影で輝く旦那様なんだなと心優は痛感する。


「おまたせいたしました。では、もう一度、お願いします」

 カメラマンの声に心優は気持ちを改めて正面を見たが、頭の上で妙な会話が始まる。

「隼人さん。嘘笑いなら得意でしょ。頑張ってね」

「はあ? 笑わないおまえが笑うほうが嘘っぽいと思っているよ」

「毎日毎日、嘘笑いをしている人のほうが、お上手でしょう。私は隠していた微笑みを、心優のおかげでみせられているだけだから本物なの。失礼ね」

「なにを~。毎日笑っている俺の笑顔が本物」

「嘘くさい微笑みのプロが本物っぽくみせているだけでしょ」

 ご夫妻のやりあいが心優の両サイドで始まってしまう。

 でも……。心優はついに笑いを抑えられなくなって、頬を緩めてしまった。

「はい、いきますよ!」

 その瞬間をカメラマンが逃さなかったのか、そこでシャッターを切られた。


 そこで撮影が終わった。

「くっそー、ついに妻と夫で広報に載ることになってしまったじゃないか」

 御園大佐はすぐに着替えに奥へと消えてしまった。


「はあ~。終わった~」

 ミセス准将はもう伸びをしていて、いつもの気ままなお嬢様に戻っている。


「准将、ありがとうございました。いい記事になりますよ。きっと」

 広報室の駒沢少佐はほんとうに嬉しそうで、まだ興奮しているのか頬が赤い。

「記事の内容はラングラー中佐と検討してね。彼に押さえて欲しいことは伝えていますので」

「承知致しました」


 そこでミセス准将は夫が消えた奥を見つめている。

「いまパンツ一枚? ちょっとからかってこようっと」

 夫が無防備に着替えているところへと駆けていってしまい、そんなミセス准将が珍しかったのか、少佐もカメラマンも唖然としていた。


 そこに残された心優を、広報室の二人がじっと見ている。

「不思議だな。園田さんがいるだけで、お二人があんなに柔らかくなっているわけ? なんか、スカウトされてきたっていうのがわかる気がするなあ」

 広報の駒沢少佐が心優をじっと眺めている。


 カメラマンにも聞かれる。

「ご夫妻で園田さんを挟んでなにか小声で喋っていたね。園田さんちょっと困った顔を一瞬したけれど、最後には笑っていたでしょう。あれ、なにを話していたのかな」


 心優も素直に伝える。

「お互いの笑顔が嘘くさいって言い合っていました。喧嘩かなと思ったんですけれど、最後にはおかしくなっちゃって」

「なるほど、ご夫妻の普段の会話付きだったんだね。お二人ともいい顔をされていたので気になって」

「ほんとうだよな。広報嫌いの奥さんがへそを曲げないようにと、澤村大佐にご機嫌直しの役目で来てもらったのに。まさか奥さんの准将から旦那さんを誘ってくれるだなんてな~」

「だよなあ。俺もびっくりした。撮れそうで撮れなかったショットだもんな」


 『おまえ、あっちにいけよ。もう准将室に帰れよ』

 奥から御園大佐が奥さんの悪戯に怒る声が聞こえてきた。


 少佐もカメラマンも笑っている。

 その少佐が改めて心優に言った。

「今度の記事が出たら、園田さんはもう怖いものなしになるよ。きっと」

「え、どうしてですか」

 少佐が言う。『御園というバックアップを得たも同じ、それがこの写真一枚で判断されるからだよ』と――。


 その月の末に、広報誌が発行される。

 その記事は広報室の狙い通りに、基地中の話題になった。

 あのミセス准将が微笑んでいる。しかも夫と並んで、夫妻で写っている! という皆の驚き。

 そして心優は。ミセス准将が期待する女性護衛官として、または、御園大佐が自ら指導し少尉に昇格、教え子。夫妻に育てられる女性隊員として紹介された。

 基地の中、もう心優を知らない隊員はいない。会えば、皆が挨拶をしてくれるように――。


 そして父と母からも連絡があった。

 ――心優の少尉姿と、准将とお二人で写っているふたつの写真を見たよ。

 広報誌での華々しい掲載もあり、父も横須賀でいろいろな人に声をかけられるようになってしまったと照れていた。

 心優、頑張ったね。おめでとう。

 両親からも、労いの言葉をもらった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 空母に乗り込む二十日前。横須賀で最終の会議と顔合わせが行われる。

 心優にとってもミセス准将の護衛官として、初めて付き添うおでかけになる。


 准将と主要幹部が揃って行くため、この日は小笠原基地専用の上官移動用の小型ジェット機を出してくれることになった。


 数名乗りの機内に、ミセス准将と秘書室の数名と護衛官、そして副艦長を務める橘大佐も一緒だった。共に機内に搭乗し、横須賀に向かう。


 ミセス准将の隣は心優が座る。その真後ろの座席に橘大佐がラングラー中佐と並んで座っていた。


 御園准将は窓際の席で静かに書類を眺めているのに、心優の後ろにいる橘大佐は騒々しい。


「これから基地外出張の時も、心優ちゃんが一緒か~。いいねえ~」

「初めての出張付き添いですが、よろしくお願い致します」

「うわ、若い女の子が俺達のチームに入ってくるって、いいじゃない。いいじゃない。葉月ちゃん、よく採用してくれた」

 橘大佐は、いつもこんな軽いノリ。どうしようもない冗談ばかり連発しているけれど、冷たい横顔を保っているミセス准将は、いつも呆れた眼差しで淡々として受け流している。


 こちらのノリの軽いおじ様大佐は、横須賀基地出身で、二年前に彼も心優のように御園准将たっての希望でヘッドハンティングをされた人だと聞かされている。その時に、やはり御園に引き抜きをされたことで、彼は中佐から大佐に昇進している。


 彼も当然、元パイロット。長沼准将と同僚で、長沼准将が管理職へと進んだのなら、橘大佐は現場管理職で横須賀のマリンスワロー部隊という広報を兼ねたアクロバット展示飛行の技を得意とするフライトチームを指揮する元隊長だった。


 つまり――。雅臣と鈴木少佐、両エースの元指揮官でもあった。

 長沼准将と同僚だったということは、ミセス准将とも同世代で空を飛んでいたパイロット同士ということにもなる。


 御園准将と橘大佐も、同じ空母に乗り込んで同じ釜の飯を食う同志。だからなのか、橘大佐はいつも御園准将に馴れ馴れしい。


 しかも最近になってようやっとミセス准将指揮下の雷神訓練に空母へと付き添うようになった心優にまで……。


「なあ、心優ちゃん。久しぶりの横須賀だろ。俺も久しぶりの横須賀」

「そうですね」

「お父さんに会えるんじゃないの。転属してから帰省もしていないんだろ。あの広報誌、すげえ良かったな~。女性の上官と護衛官。華やかだったなあ。しかも、葉月ちゃんがにこにこしちゃって奇跡だよな」

 いつもこんな調子で、ものすごいお喋りな大佐殿だった。なのにラングラー中佐は彼がどんなに危なげな会話をミセスに投げかけようが放っている。大佐だから注意できないのかと思いきや、時々、橘大佐のあけすけな冗談を聞きかじって笑っていたりする。


 でもミセス准将はたまーにうるさそうにして眉間に皺を寄せる。


「はあ、もう。はしゃぎすぎ。いっておくけれど橘大佐、うちの心優に手を出したら許さないからね。海に放り投げてサメを呼ぶ」

「マジ顔で怒んないでくれる? 俺って現役時代から葉月ちゃん一筋だろ。独身を貫いてきたのになー」


 ノリは軽いが、橘大佐はミセス准将よりお兄さんで彼女の先輩パイロット。しかもまだ現役パイロット。指揮官だからもう搭乗することは滅多になくなったそうだが、乗ろうと思えば今でもコックピットに入って操縦できるのだそうだ。しかも結婚したことがない『独身』。どこか若々しいのはそのせいなのか、その年齢であっても女性関係も割と派手とか。パイロットで大佐で空母指揮官で独身なので、基地の女の子達が注目している『独身男性の一人』でもあった。


 そんな男性だから、いつも女の子のことばかり口にしている。でもそれが重たくなりがちな指揮チームを柔らかくしているように心優には見えた。


「なにが一筋よ。オバサンより、若い子でしょ。男の人は。基地の女の子と遊んでいる噂ばっかり私のところに来るんだけど」

「なに。葉月ちゃん、もしかして、俺が若い子贔屓になったら嫌だなって危機感もってんの」

「持ってません。まだまだ女の子達が橘さんのこと放っておかないんだから、早く結婚してよ」

「愛人枠、いつ空くの」

「もとより、愛人枠ありません」

 ――というように、こちらも旦那様とのどつきあいに負けない、パイロット戦友同士のかけあいでいつも賑やかだった。


「それより、橘さん。先日の訓練のこれ。どう。出航前に搭乗する編隊の総合演習でやった『対領空侵犯措置、模擬訓練』の記録」

「ああ、岩国基地と合同の」


 仕事の話になると、橘大佐が急に真顔になる。先週実施された対領空侵犯措置を想定した岩国基地との訓練の記録。小笠原の空母に乗るパイロット達が本国を防衛し、対して岩国基地の飛行隊が本国領空を侵犯する仮想敵側を受け持ってくれた。その訓練の流れを記したものだった。ミセス准将から受け取ると真面目に自分の席に座って、橘大佐が静かになってしまう。


 すこし分厚かった書類をぱらりぱらりとめくる音が心優の背から聞こえてくる。


「向こうの新しい指揮官が組んだプログラムだったけど、すごく良かったと思わない?」

「そうだな。雷神の奴らが息を切らしていたもんな。対領空侵犯措の『苛立ち』が元パイロットだけに岩国の大佐殿は、よーくわかっていたな。俺達パイロットが『こういうケースになると困る』というのをうまーく取り込んでくれていた」

 指揮相棒の橘大佐の言葉に、心優の隣でミセス准将がニンマリと微笑んだ。彼女がこうした笑みを浮かべた時は、なにかを企んでいる時――。心優もだんだんとわかってきた。


「いっちゃうからね、私」

 心優はドッキリとする。『いっちゃうからね』? 悪戯を仕込んでいるじゃじゃ馬さんの顔だと思った。


「いいんじゃないの。俺は賛成……かな。司令にも伝えてあるんだろう」

「三日前だけれどね」

「三日前! ようやるわ。ほんと、なんでもやっちゃうね、君は」

「司令も慣れたと呆れていたけれど」

「そりゃそうだわ。司令に三日前にお願い事をして通してしまうだなんて、葉月ちゃんぐらいだ」

「なにいってんの。この合同演習の結果が動かしたに決まっているじゃないの」

 そうだろうけれど? と、橘大佐がどうあっても君の思い通りに進むのねと書類をぽいっとラングラー中佐へと放ってしまった。


 ラングラー中佐ももう知っている顔をしていた。心優はなにも知らされていない……。ただの護衛ということなのだろうか。まだ新参者だから?


「うふふ。楽しみ」

「葉月ちゃんが嬉しそうな時は、嫌な予感しかしない」

 さすがの橘大佐も呆れて、あんなに賑やかだったのに黙り込んでしまった。



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