37.よく頑張りましたね、少尉殿


 シドはどうしたのか、講義が終わった時に教壇にいる御園大佐に尋ねると――。


「連合軍の本部があるフロリダ基地で研修訓練に行っているだけだよ。連隊長の指示でね。シドぐらいのレベルになると、フロリダ本部が企画している本格的な訓練が経験と経歴になるからね」

「そうでしたか。いつ戻ってこられるのですか」


 御園大佐がそこで、ちょっと意味深な眼差しで心優を見つめたまま黙り込んだ。

 その顔が『どうしてシドをそんなに気にするのか』とでも言っているようで、心優はハッとして頬が熱くなってしまった。


「いえ、その……。急に練習相手がいなくなってしまったので。彼は、なにも言わないで行ってしまったのですね」

「春には戻ってこられると思うよ。連隊長もそのつもりで行かせているから、どこかに転属させる気はないと思う」


 春まで。ワンシーズンいないことになる。


「戻ってくるつもりがあるから、なにも言わずにでかけていったんだと思うよ。それか、心優の顔を見ると行きたくなくなってしまう……とかね」

 御園大佐が教壇から、にんまりとした顔で心優を見下ろしている。シドのわかりやすい気持ちなど、御園大佐はもう解っているようだった。


「それよりも、園田はそろそろ仕上げだ。帰ってきたシドにきちんと報告したいだろう。少尉に昇格できた、と。できなかったら、あいつ、何やっていたんだとものすごく怒るぞ」

 確かにそうだった。シドには『おまえ、試験に落ちたら承知しない』といつもの怖い顔で威圧されていた。

 でも、春まで会えないだなんて。それって心優も任務から無事に帰ってこないと、シドには会えないということになる。


「では、明日も模擬テストをする。準備をしておくように」

 御園大佐の講義は最終段階に入っていた。毎日、昇格試験の模擬テストを繰り返しているところ。


 訓練では、射撃を集中的に指導されているところだった。

 そして、夜の練習をする相手がいなくなってしまった。急に夜が暇になる。だけれど試験前だから今度は筆記に集中しなくてはならい時期。見計らったようにシドがいなくなった。


 それまでの夜は、毎日のスケジュールがきつくてもわりと楽しく過ごしていた。ダイナーで鈴木少佐とシドと一緒になると男同士が悪口を叩きあっていても、最後には三人で笑い飛ばしたりしていたし、同世代の隊員として、軍にいる自分たちの思うところを話し合ったりした。


 そんな心優のプライベートを見知った女の子達が『園田さんは、エースとも王子とも親しくて羨ましい』と近寄ってくるようになった。心優もそんな彼女達には『一緒にダイナーに行けば紹介するよ』と誘って、鈴木少佐とシドに引き合わせたりした。


 鈴木少佐は前から心優に相談を持ちかけていた『ずっと前からの気になる女の子』がいるせいか、女子隊員達と楽しい会話はしても上手く彼女達をあしらってしまう。

 逆にシドは、彼がその気になれば女の子を連れて先にいなくなってしまうこともあった。


 心優はシドに誘われても断ったのだから。そんなことを目の前であからさまにされても仕方がないこと。シドにはシドの彼が選ぶ恋がある。それだけのこと。でも、本心はちょっぴり寂しかった。


 自分のことを気に入ってくれた男なんてそんなにいない。今年になってからどうしたのだろう。憧れの中佐と愛し合えたり、転属した先で凛々しい中尉に誘われたり。これがモテ期ってやつ? シドに誘われるまま身を委ねられたら、心優も楽になれるのかもしれない……。でも『忘れられない恋に、いつかケジメをつけたい』なんて言えば、待っていてくれないに決まっている。


 そして心優も、中途半端な恋はもういや。自分の心が可愛いだけの恋は二度としたくない。シドに甘えることはそれを意味している。



 夜の窓辺、宿舎の部屋。小笠原の宿舎はどこの部屋も海が見える。今夜はスーパームーン。母が『お守りに持っていなさい』と送ってきてくれた『シャーマナイト』の石を窓辺において月光浴をさせる。


 月夜の海は浅葱色、黄金色の帯が揺らめく。その光に包まれながら、心優はノートとテキストに必死に向かっている。

 これが終わったら、御園准将と一緒に空母の訓練に付き添う。常に彼女のそばにいる護衛官になる。

 そうしたら横須賀に行くことも増える。その時、きっと……。懐かしい『長沼准将室』を訪問することになるだろう。そこにいる元パイロットから秘書室長に上りつめた彼がいる。


 どんな顔で会えるだろうか。秘書室長のシビアな徹底した眼差しで、苦手な元上司であるミセス准将と一緒にいるということで素っ気なくされるかもしれない。もうお猿さんの愛嬌ある微笑みは見られないかもしれない。


 それでもいい。それでもいいから……。

 心優は謝りたい。ひとこと。『お許しください』と。

 なにもかも甘ったれている上に、臣さんの愛に包まれっぱなしで弱い自分だったことを謝りたい。


 傷を負って手に入らないもの、戻ってこないものへの思慕を断ち切れなくても、新たな地位をしっかりと築いた貴方に、いちばん言ってはいけないことを突きつけて傷つけた甘ったれボサ子だったことを謝りたい。

 彼に、星が付いた肩章を見て欲しい――。

 真っ白なノートが黒い文字で埋め尽くされていく。カナリア色の月明かり、そして南の潮騒に包まれて。



 十一月の末、昇格試験が行われた。

 梅雨が明けた頃に突然の引き抜き、転属。そして過密なスケジュールの講義と訓練を経て、心優はついに試験の日を迎えた。

 心優の制服ジャケットの胸ポケットには、シャーマナイト。

 強い相手と対戦する時に、母が良く握らせてくれた石。

 そして――、あの人の瞳。

『臣さん、もうすぐ行くからね』

 試験官の合図と共に、心優は選手時代とは違う世界の『勝負』に向かった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 年が明け、その日が来た。心優は朝からそわそわしている。

 試験前に講義は卒業したので、いまは訓練と秘書室の業務に追われる日々を送っている。


 いつもの各中隊へのお遣いを回ってきて、御園准将室に戻ってきた時だった。

 ラングラー中佐と御園准将が待ちかまえた様子で、心優を待っていた。


「おかえりなさい、心優」

 御園准将の手元に、封書がある。それを見ただけで、心優の鼓動が息苦しく忙しくなる。

「こちら、准将の前へ」

 ラングラー中佐に促され、心優はミセス准将の前へと向かう。


 木彫りの机に置かれている封書はも開けられていた。

 その封書に触れたミセス准将が皮椅子から立ち上がり、硬い面持ちで心優に告げる。

「結果が出ました。園田海曹」

 ひっそりと心優は汗を滲ませている。胸が苦しい……。お願い、どうなったの。

「合格おめでとう、園田海曹。これから貴女は少尉です」

 ほ、本当ですか。

 声にならなかった。


「おめでとう、ミユ。園田少尉」

 ラングラー中佐も嬉しそうな微笑みを見せてくれる。


「あ、ありがとうございます! こんな短期間で昇格できるだなんて、皆様がわたしの為に懸命に指導してくださったからです」


「澤村も貴女ぐらいの年齢の時に小笠原に来て、それまで意欲的ではなかった昇格試験に取り組んで転属三ヶ月で少佐になったわよ」

 初めて聞く話で、心優は驚いて言葉がでなくなる。あの御園大佐も?

「だからでしょう。いつかの自分を貴女に重ねていたのでしょう。素質はあるのに立ち止まっている。口惜しかったのでしょう。最初に随分と厳しいことをあの人に言われたと思うけれど、貴女がここまでこれたということは、貴女にはその素質があったということです」

 最初にガンと打ちのめされた時のことを心優は思い出す。自分から恋を破壊して失って荒んでいるところに、それまでの自分を叱咤する御園大佐のあの厳しさに逃げ出したくなったけれど……。あれは遠い日のご自分と重ねての腹立たしさだったのだろうか。


「テッド、あれを心優に見せて」

「イエス、マム」

 ラングラー中佐が、秘書室に行ってしまって暫く。戻ってきた時には黒い漆塗りの大きなトレイを抱えて来た。

 それを御園准将のデスクへと置く。そこには真っ白な海軍正装のジャケットが綺麗に畳まれて置いてある。肩の黒い肩章には『少尉』の金ラインと星がついている。


「気が早かったけれど、私から貴女に着せたくて準備していたの」

 御園准将がそれを手にとって、真っ白な正装ジャケットを心優のところまで持ってきてくれる。


 デスクから出てきて、心優の前に立ったミセス准将が心優の肩にそのジャケットを羽織らせてくれる。


「頑張りましたね、園田少尉」

「准将。ありがとうございます」

「お願いしてもいい?」

 『はい、なんでしょう』と答える。

「私と一緒に記念の写真を撮りましょう。それをすぐに沼津に送りましょう」

 正月休みも帰省しなかった心優を知っている准将からの気遣いだとわかった。

「嬉しいです。母が安心すると思います」


 するとラングラー中佐からも報告が。

「広報から前もって『もしも』ということで依頼がありました。園田海曹が少尉へ昇進した際には是非に、ミセス准将と女性護衛官というテーマで広報誌に掲載したいとのことでした」

「私、あの広報誌からの取材。好きじゃないんだけれどね。今回は即答しておいたから。心優もそのつもりで」

「え! あの、全国の基地に配布される広報誌に!」

「そうよ~。私、五回に四回断っているの。でも、今回は私も嬉しいし……、親孝行よ。お父様の園田教官も娘が掲載されたら嬉しいでしょう」

 少尉に昇格した途端の、嬉しいご褒美のようだった。気恥ずかしいけれど、それでも勤めているうちに一回でも取材されたらそれも功績と言われている広報誌に掲載されるのは、ここの軍人としては喜ばしいことだった。


「その広報が綺麗に写真を撮ってくれるから、それを沼津のご家族に送りましょう」

「准将とご一緒だなんて光栄です。よろしくお願い致します」

 お二人も揃って微笑みを見せてくれる。


 しかしそれも一時で、ミセス准将はいつもの無表情な平坦な顔に戻ってしまう。もう彼女の目はずっと遠く先を見つめている。


「では。訓練着も少尉のバッジに付け替えて、明日からは私と一緒に雷神の訓練に付き添うように。そして次の横須賀での最終会議に貴女も一緒に連れていくわよ」


 いよいよ、横須賀に――。

 半年ぶりに、横須賀に帰る。

 雅臣はどうしているのだろうか。広報誌を見て、どう思ってくれるだろうか。

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