30.平和のその裏で

 同じ准将で大隊長でも、横須賀の長沼准将隊長室の倍以上ある広い部屋。

 立派でゆったりと置かれた応接テーブルに白いソファー。

 そして珊瑚礁の海に、戦闘機が遠く見える空。ここはもう日本ではない、本当にアメリカのようだと心優はまた圧倒されていた。


「お久しぶりでございます。御園准将」

 心優も背筋を改め、ピシッと敬礼をする。

「この度は、こちら御園准将秘書室への転属をわたくしなどに申してくださいまして、ありがとうございました。まだ未熟なわたくしですが、准将の側で今まで以上に精進したく参りました。どうぞ、よろしくお願い致します」

 深々とお辞儀をする。声がかかるまで頭を下げていた。


「本当にきちゃったのね……。姿を確かめるまで、澤村の悪戯じゃないかと半信半疑だったけれど」

 悪戯? そこで心優は頭を上げてしまう。正面で目があったミセス准将は、心優がよく知っている静かな微笑みで、妙にほっとしてしまう。


「悪戯とは酷い疑いをかけられたものですね。彼女を引き抜くのに、長沼さんの条件を飲まなくてはならなくて、その各所説得に私が走り回ったというのに」

 御園大佐が、ここでは本当に『部下』の姿に変貌した。心優が初めて知った御園大佐は、奥様を頭ごなしに叱りつける怖い旦那さんだったのに。


「よく言うわよ。貴方なら、私を驚かすための悪戯をする時なんて、如何にもそれらしいことを本気で平気でやって、最後になって『あれは嘘でした~』なんてお手の物じゃない」

「心外ですね。私、そんなことをしたことありましたか」

「あったでしょう~。基地中を巻き込んで、大騒ぎになったでしょう」

「そうでしたか。私としては、あれは本部の気を引き締めるための荒療治と思っていましたけれど」

「そうだったの。あら、ありがとうございました。その為なら、隊長の私に迷惑かけるのも平気ってことが、あの時よーく解りましたからねえ」


 またここでも。奥様のミセス准将と、旦那さんの御園大佐が、『あはは』『うふふ』とやり合っている。

 あの長沼准将にミセス准将が互角の口でやりあえるのは、まさかこの食えない旦那さんと毎日こうしてやりあっているから? そう思えてしまった。


「来てくださって、ありがとう。そして、先日は私の不始末でしたのに、助けてくださってありがとうございました。本当に助かりました」

 あのミセス准将が、今度は心優へと深々と頭を下げてくれた。

「いえ、そんな。おやめください。出来ることをしたまでです」

「でも」

 ミセスが頭を上げると、もう准将という上官の冷めた目に戻っている。その目で心優は真っ直ぐ見据えられる。


「ここでもう一度、問います。本当に、この秘書室の護衛官としてやっていく決意なのね」

「はい」

 間を空けずに、心優ははっきりと答えた。もう後戻りをするつもりはない。真っ直ぐそこに行くだけ。


 そんな心優の目を、ミセス准将がじっといつまでもいつまでも見つめている。その目は、明るく深く、でも温かみはなく硬い眼差し。長けた能力を秘めたアンバー(琥珀)のよう。これが本当の氷の女王の目。


「わかったわ。では、こちらからも言っておきますね。貴女のような素直な女性が側にいれば安心できるかもしれないと何度も思ったのも確かです。だからって、部下になった以上、いままで私が部下にそうしてきたように務めて頂きます。よろしいですね」


 さらに後戻りは出来ないことに念を押されている。戻るなら今。どんなに請われて来たからとて、御園の一員になったからにはそれ相応の厳しさをその身に受けることは、もう当たり前になったのだ。


「勿論です。精一杯、務めさせて頂きます」

 ここで、わたしは本当の護衛官になる。これからもう、ただそれだけの為に――!

「いい目ね」

 どうして誰もがそういうのか。心優は不思議に思っている。雅臣も、御園大佐も、そしてミセス准将までもが。


「選手時代の貴女の目が好きよ。すごく惹かれた」

 心優がいちばん燃えていた時の目のことを、人々はそうして讃えてくれる。その目を取り戻したというのだろうか。


「そこにいる夫の澤村にも何度も貴女のことは話しました。でも夫は貴女のことはよく知らないし、長沼さんが審査をして見つけた女性だから簡単に欲しいと言うなと何度も諫められてきたほど。貴女のことは私も気にしていましたよ」

 ――『妹のように話す』という御園大佐の話は、まったく嘘でもなく。そしてこの准将が心から心優が欲しいと思っていたのも確かだと知ることができ安心はした。


「ですが、澤村は貴女とたった一度会っただけで、私が何故欲しいと言い出したのかも瞬時に理解してしまった。そこからは、彼の名の如く【隼のように】です。狙った獲物は逃さない、素早く捕獲する――よね」

「うわー、准将が私のことをそんなに褒めてくださるとは嬉しいですねー」

 御園大佐が大袈裟に驚いて喜んだので、奥様の准将が白けた顔で呆れている。

 なのに。彼の顔つきが黒塗りの車の中で、厳しいことを言い放った時の真剣な表情に変わった。


「暫くは、私の教育隊、工学科で預からせて頂きます。明日から講義に付きますので」

「お願いします。澤村大佐。業務については、私のところで。ラングラー中佐とハワード大尉にそれぞれついてもらいます」

「つきましては、最後に、准将より許可を頂きたいことが1つ」


 准将が『なに』と問うと、御園大佐が告げる。

「園田海曹に、射撃訓練をさせてください。貴女のいちばん傍にいる護衛になりますので、必要になりますでしょう」


 ミセス准将が驚き、心優を見た。この子に銃を持たせる? そんな反応。

 だが心優は覚悟していた。射撃訓練は訓練校で触りだけ指導してもらい、それ以来だった。事務官には関係のないもの。しかし心優はもう事務官ではない護衛官だ


『小笠原に行けば、傭兵の訓練を必要とされる』。秘書室で先輩が案じていたことそのままが始まろうとしている。


「よろしいでしょう。事故のないよう、お願いします」

「了承いたしました。すぐに手配いたします」


 『失礼致しました』。准将室を退室する。またざわめきの本部廊下を御園大佐と歩く。


「園田のデスクは、今日のうちに准将室に置かれると思う。朝はまず御園准将と室長のラングラー中佐に顔を見せ、それから俺が居る工学科の講義室で待機していること」

「承知致しました」

「なにか質問は」

 ひとまず、すぐに頭に浮かんだことを心優は聞いてみる。

「わたしに銃はほんとうに必要なのでしょうか」

 ただ空手でやっていけると思っていた横須賀とは違った。

 しかしそう呟いただけで、また御園大佐の眼鏡奥の瞳がホークアイのごとく冷たく鋭くなり、心優は息を呑む。


「もう感じていると思うけれど、横須賀はいってみれば『治安ある国内』であって、小笠原は『法が曖昧な国境、国外』だと思った方が良い。銃なんて必要ないと思っていただろう。しかし、国内でそうして穏やかな時間を当たり前のように思っているその裏側で、実は銃を握りしめて国境でその危機と隣り合わせである護人もりびとがいる。それを知って欲しいわけでもないし、忘れて欲しいわけでもない。ただそこに知られなくても、そこにいる人間も確かにいるということだ」


 それは解っていたつもりであって、でも、心優はそれが自分ではないと今まで他人事であったのも事実。これからは、自分がそこに行くことになるのだろう。


 小笠原は横須賀とは違う。心優、気をつけて。

 雅臣の言葉が蘇る。彼の心配が今になって身に沁みる。そして小笠原になんか行くなと吠えた父の怒り顔も。


「銃の使用を正当化したいわけではない。無闇に使うのは間違っている。だが、今の世では、どうしても哀しみを生まないために必要なこともあるんだ。わかってくれるな」

「はい。勿論です。特に、ミセス准将はお母様でもありますから。お子様の為に、還ってこなくてはなりません」


 そのひと言は御園大佐の『哀しみを生まないために』という言葉から出てきたのだが、それを聞いた御園大佐が嬉しそうに微笑んでくれる。


 そして優しく、心優の背を撫でてくれる。

「園田もだ。園田も、お父さんとお母さんには大事な娘だ。それも忘れずに……」

 怖いようで。この人は優しいお父さんなのだと心優は初めて感じている。

「任務の最高の出来は、全員無事の帰還だ。御園准将のいちばん目指しているところだ。覚えておいてくれ」

「はい」

 ここは本当に任務で動く基地。今日から心優は、その任務に向かうための隊員としての訓練を受けることになる。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る