29.ここはアメリカ?

 横須賀の海も青かった。空も青かった。

 でも違う。小笠原の海は明るく、そして空は深い。

 珊瑚礁ばかりの見晴らしに感動する。

 これが、雅臣が飛んでいた空――。


 初めて見た『小笠原基地』は、ひとつの街だった。

 離島、離島と聞かされてきた心優だったが、基地の建物は横須賀より近代的で、そこだけ都会のオフィス街のようだと感嘆する。


 民間空港から、また御園家の黒塗りの車で御園大佐と共に基地へ。

 基地に着くまでの間に心優が見た車窓の景色は、まるで南の異国そのもの。


 美しい海が延々と続いたかと思うと、南仏のようなマリンハーバーがあり、かと思ったら、金網のフェンスが延々と続く『アメリカキャンプ』が基地まで続いている。


 そこにアメリカ出身の隊員が家族と住んでいるとのことで、その地域は『アメリカ国』、通称『キャンプ』と呼ばれていると御園大佐が教えてくれた。


 白い平屋のアメリカ的ハウスが幾つも並び、金髪に栗毛、そして様々な人種の子供達が楽しそうに駆け回っていた。


「今時期は、夏休みなんだよ。長いだろう、日本と違って。うちの子供達もキャンプのナショナルスクールに通わせているんで、ながーい夏休み中。もう駄々をこねる子供ではなくなったけれど、親が仕事ばかりでバカンスどころじゃないから、自分たちで本島にもいける歳になったからと横須賀の葉月の実家にいる祖父母を頼りにして、本島と島を行ったり来たりして夏休みを満喫しているよ」

「お子様、お幾つでしたか。お名前も教えて頂けますか」

 これからこちらのご家庭とは密接していくだろう。そう思い、心優から尋ねてみた。なのに、あの御園大佐が『よく聞いてくれた』とばかりに嬉しそうな顔になったので、心優はたじろいだ。


「長男がいま十五歳、海人(カイト)、妹のほうは十四歳、杏奈(あんな)。ふたりだよ」

 十五歳と十四歳!? わりと大きな子供がいて、心優は驚いてしまう。もう立派なベテランパパさんだ。

「息子は栗毛で、母親にそっくり。一目見たら、みんな、びっくりするね」

「え、息子さんは栗毛なのですか」

「そう、葉月にそっくり」

 わあ、それは見てみたいと心優はちょっとときめいた。あのクールビューティなクォーターのママにそっくりなんて、すっごい王子様みたいな顔に決まっていると想像してしまう。


 どうもアメリカ寄りの暮らしをしているらしい。心優も英語は軍隊に入ってから英会話程度は仕込まれたが、城戸秘書室に来てからは、その講義にも出ろと塚田少佐に言われて習っていた。それでも自信はない。

 ということは――。

「息子さん達は、バイリンガルなんですね」

「いや、トリリンガルかな」

 なんという国際ファミリー! さすが、小笠原基地暮らし。やっぱり横須賀とは違う。心優はとんでもないところに、気持ち一つで来てしまったようでヒヤリとしてきた。


「俺はフランスのマルセイユ航空基地出身でフランス語を喋れるし、葉月もフランス語は習得しているので、お互いにトリリンガル。だから子供達も、自然にトリリンガルになってくれたな。それに、うちは娘がフランスに音楽留学しているから、娘と息子達は子供同士でもたまにフランス語で喋ることがあるみたいだな」


 御園大佐はさらっと言ったが『お嬢さんは、音楽留学』というところで、心優はもう目眩を起こしそうになった。


「それではお嬢様は、音楽留学でフランスということは、離れて暮らしているのですね」

「葉月が、幼少期はヴァイオリニストを目指していたほどに弾いていたし、ピアノも出来たんでね。娘がママに憧れて飛び出して行ってしまったんだ。鎌倉にいる葉月の従兄も音楽家だったから、そのお兄さん夫妻が今は娘に付き添って音楽の道をサポートしてくれている」


 やはりこの家は、セレブだ――と、心優は呆然とするばかり。


「そうそう。これ、俺の娘」

 また、御園大佐から嬉しそうに胸ポケットにある手帳に挟んでいる写真を見せてくれた。


 そこには黒髪の美少女が! チェロを片手に立っている姿は、まさに音楽家のお嬢様。


「えー、お嬢様は黒髪なんですね! お父様の大佐に似ていらっしゃいます」

「だろう。俺の母親の若い時に似てきたんだよな」


 しかも十四歳に見えない。日本にいれば、もう高校生二年生ぐらいに見えるほどに大人びている美少女だった。御園大佐もここに来るまでは、あんなに手厳しい上官だったのに、息子と娘の話になったら、にっこにこのマイホームパパになって緩んでいるのも意外すぎた。


「これから俺の家族とも顔合わせをしとかないとな」

「仲良くできたらいいのですけれど。お会いできるのが楽しみです」


 そんなミセス准将ファミリーの話を聞いているうちに、基地の警備口についた。

 横須賀と違って、海に面した基地の正門。島の海岸線に沿って、基地が設置されている。遠く沖合に空母艦が見え、軍の船舶が行き来している。

 そして空には、訓練中の戦闘機が基地の背後にある緑の山をかすめるようにして上昇していく。


 小笠原基地は、まさに、南の要塞だった。その入り口に心優はついに立つ。


 



 第28連隊、小笠原総合基地。中隊が6隊ある。

 南の要塞なので、連隊長は大佐クラスではなく、将軍クラスが任されることになっている。


 連隊長は、細川正義少将。父親はこの基地で元中将で、空母全般指揮、空部隊の指揮官だったとのこと。


 息子の少将殿は、横須賀でも恐れられたやり手の業務隊長だったことで有名。シビアで手厳しく、あのミセス准将が恐れていると言われている男の一人。

 南の果てにあるこの街のような基地を取り仕切るのだから、余程のやり手ではないと連隊長に就任できない。


 整備と待機を目的としている空母艦を1艦、管理している。それをまた訓練目的で使用している。空母付きの基地で、アメリカ人隊員と日本人隊員が大半で、そこで御園大佐のようなマルセイユ航空部隊出身の欧州から来ている隊員も少しずつ混ざっている。


 基地の隣は家族が住まう街で『アメリカキャンプ』と呼ばれている。さらにその隣が日本人官舎となっていた。


 そんな大基地の中だから、右も左もわからない心優は、ただひたすら御園大佐の後をついていくだけ。


 御園大佐の後を歩いていると、すれ違う隊員の誰もが大佐に会釈なり声かけなり、なにかしらの挨拶をしていく。

 それを御園大佐は、あのにっこり爽やか笑顔で返していく。時には若い女性が嬉しそうに挨拶をして行くのも印象的で、その後ろにいる心優にも快い挨拶をしてくれた。横須賀転属の際、すぐに痛い視線を向けられた時とは随分と違う空気……。


 御園大佐、どうも慕われているようで意外だった。お腹の底でなにを考えているかわからない、いざとなったら手厳しくて奥様のミセス准将ですら真っ青になっていたのに。それとも誰も、そんな御園大佐の本性を知らないのかとさえ思ってしまう。


 中央に近い棟舎の三階へと、心優は連れてこられる。


「ここのフロア全体が、空部隊大隊本部だよ。会議室に、ミーティング室、本部事務室、そして戦闘機で訓練をしたデータ、巡回航海任務でのフライトデータを一括管理している『空部隊システム管理室』――」

 そのフロアにはざわめきがあった。隊員達が大きな事務室で活気づいた様子が一目でわかり、そしてその大隊本部の一室が大きいこと。そこに、心優が知っている横須賀の大隊本部以上の人数がひしめきあっている。


 ここはなにもかもが『海外サイズ、アメリカサイズ』だと初めて圧倒された。

 しかもフロアが綺麗で広い。そこを御園大佐が通ると、一時だけ事務所のざわめきが静かになったのも印象的。遠くから『澤村大佐、お帰りなさい』、『御園大佐、お疲れ様です』という声まで聞こえてきた。


 大きな本部事務室を通り過ぎると、今度は木彫りが立派な大きな扉の前に――。壁の札には『空部大隊本部 大隊長室』とある。ミセス准将の部屋。

 そこに立つと、御園大佐が背筋を今まで以上に伸ばし、神妙な横顔でノックをした。


「工学科の澤村です。ただいま戻りました」

『どうぞ』

 聞き覚えのある声が聞こえて、御園大佐が扉を開ける。

「失礼致します」


 いままで威風堂々としていた御園大佐が、急に腰が低くなったので心優は戸惑う。

 彼の背について入ると、いきなり潮風に心優は包まれる。目の前にはエメラルドグリーンの海が広がっていて、開け放たれてる窓からさあっと風が――。そして、そこはかとなく『ジャスミンの匂い』。あの人の匂い。


 そこは、黒い気配など感じることもない『風の部屋』。

「准将。お連れ致しました」

 御園大佐が大きなデスクに向かって、恭しくお辞儀をしている。

 彼の向こうへと、心優は視線を馳せる。

「いらっしゃい。園田さん。待っていたわよ」

 扉と同じような木彫りがしてある木製の大きな机。壁にはずらっとバインダーが並べてある資料棚。そこに、白い夏シャツ、黒いネクタイを風に揺らしているミセス准将が悠然と立っていた。


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