24.キャリアか情愛か
ご返答は、本日でなくとも構いません。良いお返事をお待ちしております。
それだけ云い置き、御園大佐は、この日は去っていった。
「雅臣。園田と二人だけにしてくれ」
御園大佐が帰ると、珈琲カップを片づけようとしている雅臣に、大ボスが重く告げる。
「かしこまりました」
カップを片手に、雅臣だけが隊長室を出て行った。
隣に座らされていた心優は、ただひたすら呆然としていた。
「園田、そこへ」
話があるから正面に行くようにと促され、心優は力が抜けそうな身体をなんとか律して、御園大佐が座っていた正面へ座り直した。
「突然で驚いただろう。でも、御園大佐が言っていたことは嘘でもなくて、ミセスはおまえのことをとても気にしていたんだよ」
「そうなのですか。わたしなど……」
「似ているんだよ。彼女が若い時に。俺もそう思っていた。女らしさを横に置いて、園田は空手、彼女はコックピット一筋。でも密かに女心は秘めている。葉月ちゃんは、誰よりもそれを感じていたんじゃないかな。園田が化粧をするようになったころから、可愛くなったわね、お洒落になったわね、顔つきが柔らかくなった、お茶が上手になったと、なにかしらおまえが成長した部分を見つけては、喜んで帰っていったよ」
そんなに目をかけてくれていたんだと、あの女王様が見守っていてくれたことは、感激だった。
「俺のところに冷やかしに来るのも楽しみできていたんだろうけれど、園田に会うのも楽しみにしていたんだと思う。あと……城戸かな。元部下がどうしているか、ミセスも気になって、だからアポなしでやってくる。城戸に前もって緊張感を与えないためだろう。聞いたんだろう。雅臣が雷神のリーダー候補で、事故の後、ミセス准将と一悶着の末に転属をしてわだかまりを残していること……」
心優は小さく『はい』と答える。
大ボスも、どうしようもないといわんばかりに溜め息をついている。
「正直、俺も二人が会う時のあの空気にはお手上げでね。かといって、では、塚田を間に入れてと思っても、うちの男共は仕事はできるんだが『女性接待』が巧くなくて、それで『では室内に女性がひとりでもいれば』と思って、女性隊員の採用を決めたんだ。その効果はあったよ。ミセス准将が来ても、園田がいればミセスも気が紛れてくれたし、秘書室も仕事一辺倒の男達に、女性を気遣うという些細なことでも重要な嗜みが身に付いてきた……でもな……」
自分が少しでも役立っていたのは、理解できた。でも、大ボスはそこで唸って、心優から目を逸らした。
「護衛官としての素質は充分だが、俺のような内勤と組織戦略を主としている幹部の秘書室では、正直『護衛官』は、塚田と親父さんぐらいの腕がある男がいれば充分だ」
心優の息が止まった――。それは心優を採用してくれた、目に留めてくれた上官から、今度は『俺のところには要らない』という宣告をされたのと同様だった。
「もちろん。園田次第だ。護衛官として、これからどこかの秘書室や、上官の副官として起用されることもあるだろう。横須賀にいても充分、やっていける。秘書官としても、城戸と塚田が仕込んでくれたから、余所に出しても胸を張って送り出せる。ただ、護衛官としてなら……」
彼がやっと心優を見つめる。心優の目を見て――。
「護衛官としての本領を発揮するなら、外に出て現場専門の使命を負っている小笠原部隊にいく方が、身が立つ」
秘書官としてならこのまま横須賀でもやってける。ただし護衛官として身を立てたいなら、内勤族の横須賀ではない。外勤族で任務で外に出て行く上官のそばについて護衛をするほうが本領発揮が出来る。そんなボスからの推薦だった。
だが、心優はもう頭が真っ白になっている。ここを出て行くと言うことは、雅臣と離れると言うことにもなる。それどころか、もう雅臣の部下でもなくなる。
そんな。彼とやっと愛し合えるようになったと思っていたのに。でも、その愛もまだ不完全で、心優は彼に対してまだ見守っていきたい心残りがいっぱいある。
いまは、彼と離れたくない!
「どうしても……。小笠原に行かないといけませんか。わたしは、自信がありません」
「それならそれでも構わない。うちもまだ園田には教えたいことは多々あるし、また女性を探すのも骨折りなのでね」
また女性を探す? 心優がいなくなれば、他の女性事務官を採用するかもしれない。そうすると、心優よりもキテパキとした優秀で品格のある女性が雅臣の傍に新しく来ることになってしまう。
それも嫌――。絶対に、その女性だって、城戸秘書室に配属されたら、一番最初に気になる男性は独身でエリートの雅臣に決まっている。
彼がお猿でもお猿でなくても、次から次へと『私も私も』と女性が近づいてくるほどの男性だから、心優と離れてしまったら、雅臣はまた誰かを傍に寄り添わせるかもしれない。
あれでいて……。本当の雅臣は、孤独で寂しがり屋。心奥底に秘めたものがあるから、いつまでも、奥の部屋まで女性をいれないけれど。玄関までは女性を立たせて抱きしめることは造作もないこと。
「できれば、お断りしたいと思っております。離島に行く自分が想像できません。まだここで力を溜めたいと思っています」
そう答えた心優だったが、心のどこかで『女としての決意だ』と、情けなさも感じていた。
「俺も彼女とは『対等』と思ってやっていきたいので、自分からこんなことは言いたくないが。御園の力はかなりのもんだよ。見ただろう。お抱えのボディガードの男を。あの男は事業も出来るし、医師でもあって、なんといっても軍が欲しがるほどの元傭兵だ」
「傭兵……だったんですか」
「やや歳を取ったが、それでもまだ動ける方だと思う。若い時は、諜報員並みだったらしい。そういう様々な能力を発揮する者をプライベートで何人も抱えている。お祖母様に力もあったし、退官した御園中将のコネクトも持っている。お祖母様や親父さんについてきた男が、軍ではなく御園を選んだ者が沢山いるということだ。これからは、その頂点は『御園夫妻』となる。正式には一人娘の准将のものになるだろうが、御園大佐もおなじ権限を既に許されているようで、それらの全てがあの夫妻のものとなる。その前に、叩きつぶしたい者がいるのも事実だ。たとえば、彼女を敵視して、とある者が百万円を払って彼女を始末しろと依頼したとしよう」
恐ろしい話になってきて、心優は蒼白となる。御園が得体の知れないものに見えてきて、聞くとまた大変な目に遭うのではないかと構えるほどに。
「敵が百万円というコストで、御園に損害を与えようとしても。御園はその百万円というコストで、五百万円ぐらいの成果でやり返せる――と、影でいわれてるほどの、財力と組織力を持っている。だから、なかなか手を出せないし、崩せないんだよ。でも、どんなに強固な組織力があっても、どこかに穴は必ずあるもの。それが園田が見てしまったものだ。どうだった? ミセス准将の本当の姿は……。痛々しかっただろう」
それは、目の当たりにしたので、話で聞くよりも心優は理解できている。頷くと、大ボスは続ける。
「その穴を守るために、御園側が園田を欲しいと言っている。葉月ちゃんが言いだしただけならともかく、旦那が腰を上げてきちゃったらもうね、御園側は本気で園田を取りに来ていると俺は思うよ」
「困ります。……それとも、わたしが言われては困ることを見てしまった者だから、手元に置きたいと言うことなのですか」
「俺の監視下にあるから、本当に要らなければ俺に任せたままでいてくれたと思う」
「宮下さんは、御園の力で小笠原に転属されたのですか」
一瞬。大ボスが目を丸くしたが、躊躇いもしない。
「そうだよ。御園の監視下に置くために、小笠原に引き抜いた。でも、彼女はいまどこにいると思うか」
そんなものわからない――と心優は無愛想に首を振った。
「副連隊長の海野准将の秘書室にいるよ。海野准将は、御園准将とは同期生で、プライベートも親族同然で両家揃って暮らしているほど。監視下といえば監視下だが。警備からの大抜擢ということになるだろう。本人も戸惑っていたけれど、これはチャンスだと喜んで転属していったけれどなあ」
心優の心がぎゅっと縮まり痛みを覚える。仕事に厳しい宮下さんが、チャンスだと喜んで横須賀を出て行った。
それに比べて、心優の場合は『大好きな彼と離れたくない』という理由一辺倒で断ろうとしている。
本当なら、これは心優にとって、護衛官としてステップするチャンス。だから、大ボスが『御園のそばに行けば、身が立てられる』と勧めてくれているのに。心が動かない……。
「断りたいと思ってもだね。澤村君に目をつけられたら、覚悟しておいた方がいいよ」
澤村とは、御園大佐が婿養子になる前の旧姓。小笠原では、ミセスと区別するために『澤村大佐』と通称名で呼ぶ者も多いらしい。大ボスは必要な時以外は、彼のことをそう呼ぶ。ボスの気持ちがプライベート寄りになっていると心優は感じた。
「なんだって……。葉月ちゃんを叱りとばす澤村君の前に立ちはだかって、彼女をかばったんだってな」
急激に顔が熱くなった。基地内で上官に楯突くというのは、余程のこと。たとえば、大ボスの長沼准将に意見できるのは、信頼関係が強固である秘書室長の雅臣だけであるように、認められた部下が特権を得ている場合のみ。心優のような初対面の下っ端隊員が、大佐殿に楯突くのはあってはならないことだった。
「申し訳ありません――。その、御園大佐があまりにも猛烈に奥様をお叱りになられたので、見るに見かねて。……じゃなくて、その、あの、ミセス准将がまさか、その奥様らしいというか、女性らしいお気持ちを隠し持っておられたので、それが伝わらないのはもったいないと思いまして」
「それが。澤村君の気持ちを動かしてしまったんだよ」
もしかして。あんなことをしなければ、こんな急な話も来なかった?
「どんな状況でも妻の気持ちを汲み取って守ってくれる気持ちを強めてくれる女性。そう思ったらしい。どんなに男共が彼女を気遣っても、男女の壁はどうしても越えられない。そばに置く護衛兼世話係として、園田を見初めたのだろう」
これはチャンスなのに、心優は良かれと思ってやったことで自分の首を絞めている気分になってしまった。
こんないい加減な気持ちで仕事に取り組んでいたのだろうかと、自分自身を情けなく思ってる。それでも『臣さんと離れたくない!』という気持ちが勝っている。
「十日、時間をくれると言っている。その間によく考えてくれ」
十日――。それを過ぎれば諦めてくれるのだろうか。もう返事は決まっているけれど。と心優が思っていると、長沼准将がもう上司の目で睨んでいた。心優の顔色で、心情は容易く読みとってしまう怖い上司。
「その十日を過ぎたら、今度はどんな手を使ってでも引きぬいてくると思う」
十日で結論を出しても出さなくても、向こうはそれだけ本気という意味だった。心優は愕然とする。なんとも恐ろしい一族に目をつけられてしまったことかと気が遠くなってくる。
「雅臣や秘書室の男達には、園田にいろいろ質問しないようにきつく釘をさしておく。その間、外に出ていてくれないか。三十分ほど休憩にでていってくれ」
「わかりました。失礼いたします」
心優が立つと、准将もすぐに立ち上がり、隊長室と秘書室を繋げているドアへと向かっていった。
雅臣にはなんと言われるのだろう。……引き留めてくれるのだろうか。彼にとって、今の心優はどれほどなのか。そんな不安ももたげる。
―◆・◆・◆・◆・◆―
大ボスが言うとおりに、カフェテリアで三十分ほどお茶をしてから秘書室に戻る。
心優も心を落ち着かせてから、帰ることが出来た。
それでも心優が秘書室のドアを開けて戻ってきた時の事務所の空気は尋常ではなかった。
大ボスから余計なことは聞くなと言われたのだろう。誰も心優と目を合わせてくれないし、デスクに視線を落として懸命に仕事に励んでいるだけだった。
塚田少佐は、少しだけ心優の顔を見てなにかを言いたそうだったが、言葉を飲み込んで仕事に集中してしまう。そして雅臣も、一目も心優を見ようとしなかった。
少しだけ残業をした後、心優は真っ先に雅臣の官舎へと向かっていた。
なるべく彼と明るく過ごしたいからと、その日も心優は基地を出た後に通るスーパーマーケットで夕食の食材を揃えてから向かう。
真夏の夕はまだまだ蝉が鳴いているけれど、少しずつ淡い茜が海に差す。
優しい潮風が吹き込む官舎の階段で、いつもの合い鍵にて彼の部屋に入った。
珍しいことに。玄関には雅臣の黒い革靴が既にあった。心優は驚き、急いでリビングに向かう。
「臣さん。帰っていたの」
夕の薄暗くなってきたリビングで、雅臣はダイニングに座ってうつむいていた。中佐殿の精悍さもなく、ただうつむいて……。
「あの、今日の御園大佐のことなんだけれど」
きっとそのことを彼も考えてくれているのだろう――と思って、心優から切り出した。
なのに。その途端に、雅臣が心優に険しい眼差しに向けてきた。心優はゾッとする。まだ制服姿のままの雅臣は、黙ってベッドルームへと行ってしまった。
「臣さん、あの……」
パイロット部屋を覗くと、薄い茜の部屋で、彼はネクタイをほどいているところ。
「来いよ」
シャーマナイトの眼差しが、曇って見えた。日没が近い夕暮れの部屋だから? いつもの雅臣ではない。
それでも雅臣は、淡々とシャツのボタンを外している。ばさりと脱ぎ捨てるその手に、苛立ちがあった。
「どうした。俺はものすごく、そんな気分なんだけど。嫌なのか」
「嫌じゃないけど……」
そんな怖い臣さんはイヤ。そういえば、今日は『もう帰れ』と言われそうで、心優は口ごもった。
「だったら、来いよ」
怒っているのはどうして? 心優が遠くに行ってしまうかもしれないから? その理由がわからないから? それなら嬉しい。手放したくないと思ってくれているのだから。
そっと、裸になろうとしている雅臣の背に近づいたら。いきなり手首を掴まれ、元パイロットの剛力で心優はベッドへと放られていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます