17.恋は全敗ですか? 室長殿 


 いつもはカフェテリアで定食+αを食べているはずなのに、今日は塚田少佐が『ご馳走する』といって、売店にある幕の内弁当を買ってきてくれた。しかも『カツサンド付き』。心優の+αという食事スタイルをちゃんと覚えていてくれて、さすが補佐官。


 それを持って、隊員達がバスケットなどを楽しむグラウンドのベンチに連れて行かれる。


 初夏の緑の風が清々しいグラウンドの片隅で、塚田少佐と幕の内弁当を開けて、静かに食べる。


「悪いな。付き合わせて」

「いいえ」


 冷たい顔をしている冷静沈着な塚田少佐。でも眼差しは柔らかで、言葉の端々に気遣いや優しさを感じる人。もういつもの安心できる先輩に戻っていた。


 でもなにも言わない。『時間がなくなる』という気迫で心優を連れ出したくせに。だから、心優から切り出してみた。


「あの、城戸中佐とのことですよね」

「ああ、そうだ。いつからだ」

 その問いに、心優も迷わずに答える。

「城戸中佐が、ミセス准将の話をすると、わたしだけ秘書室に残した日です」

「やっぱり。その日か。もしかして、城戸中佐から強引だったとか……」

 とても聞きづらそうだった。あの塚田少佐が恥ずかしそうに顔を伏せている。ちょっと見ていられない、らしくない先輩の姿だった。でも心優はそんな彼を見なかったふりをして、何事もない顔で続ける。


「いいえ。たぶん、中佐もまったくその気はなかったのに、そうなってしまったのだと思います。ミセスの話をしてくれるといったのに、パイロットだった時の話をしてくれて。それだけで気が滅入ったようで、その気分のまま元上官だったミセスの話はしたくなかったみたいです」

 それから心優は、ホルモン焼きを食べにいって中佐がとても楽しそうだったと話した。それで中佐から心優に触れたから、そのまま……と。


「ごめんな。プライベートの話なのに。あれこれ聞いて。でも、中佐と付き合うにはちょっと気にして欲しいことがあって」

 気にして欲しいこと? 事故のことなのかなと心優は首を傾げた。

 すると塚田少佐が、本当に困ったような顔で暫く唸っていたかと思ったら、やっと意を決したのか心優を見た。


「あの人、絶対にフラれるんだ。もう100パーセントな」

「ひゃく、ぱあ……?」


 目が点になった。でも、塚田少佐は心底案じていると言わんばかりに、心優に詰め寄ってくる。


「いつもそうなんだ。もって三ヶ月。絶対に女から中佐をふる。どうしてかわかるか?」

「わ、わかりません?」

 今度は肩をがっしり掴まれ、もう塚田少佐の眼鏡が心優の真ん前に。もの凄く怖い顔。どうしてそんな力んでいるのかわからない。


「あの人、見た目は男も女も惚れ惚れするほど男前の『元エースパイロット』だけれど、プライベートではめちゃくちゃ『三枚目』なんだよ。女の扱いが悪いってわけではないけれど、女が求める『いい男』と、中佐が思っている『いい男』にかなりの差があるらしくて。女が幻滅するらしい」

 え、そんなこと? というか『それが臣さんじゃないですか』と、笑い出したくなった。でも塚田少佐は真剣で、まだ心優に詰め寄ってくる。


「園田はどうだった。がっかりしなかったか? 秘書室にいる大人の格好いい男の人って思っていただろう? 二人きりの時、あの人は園田の前では、そうして格好いいままか?」


 正直、補佐の少佐がそこまで心配しなくてもとか、そこまで答える義務があるのかと、ちょっと疑問に思った。


 だけど、決定的なひとことを塚田少佐が言い放った。

「猿みたいで幻滅しなかったか」

 もう心優は呆気にとられていた。それが塚田少佐の心配事?


 ついに心優は笑い出す。


「そんなことですか。というか、猿だから猿だから――と中佐から言っていましたよ」

「それだけ気にしているってことだろ。いつだったか。あの人をフッた女の子に、俺からそっと聞いたことがあったんだよ。中佐があまりにもふられるから、顔を合わせた時に何気なく『将来も有望だし、元エースでもてるし、どうして別れたんだ』と。そうしたら、その子が言ったんだ。『プライベートではただの猿』って……」

 あー、やっぱり。過去にいわれた言葉だったんだと、心優はがっくり項垂れそうになった。


「その猿のぐあいがわからないんだけどな? つまり、スマートな秘書官だと思っていたら、二人きりの時は、男臭いというのか、つまりロマンティックには程遠いとか」

「あ、それ。確かにあります。わたしも、そういう空気にはならない女ですから。最初がホルモン焼きですし、わたし、ライス大を二杯食べると言ったら、中佐が引いていたし。それに、昨夜は中佐がつくった男カレーをおかわりしました。米五合炊いているって中佐がいうから、二人で四合食べたと思います」

 塚田少佐が静かになった。どうしたのかと、眼鏡の彼を見ると、今度は彼の目が点になったかのように絶句している。

「いつもそんな感じ?」

「いつもって。ホルモン焼きの日と昨日だけですよ、二人きりで会ったのは。昨日も、わたし達はムードがないねと笑っていましたけれど」

 『心配して損した』と、眼鏡の少佐が心優の目の前で、がっくり肩の力を抜いた。


「園田は……。憧れないのか、ロマンティックな雰囲気」

「そりゃ、少しはありますよ。でも、そんなのにこだわって、それがないからと拗ねている暇なんてなかったですからね。まずはどんなに女らしくなくても、目の前にいる上位選手を倒すこと。その為の鍛練のみでしたから。今更、なにがなんでもロマンティックなんて望んでいませんよ」

 食べかけのお弁当を、心優はぱくぱく食べ始める。塚田少佐がやっと『そうか』と、いつものちょっとだけ笑う顔を見せてくれる。


「でも、わたし達、体育会系の女子にだって憧れはありますよ。ただ、優先順序が『世界』とか『優勝』とかより低いだけなんです」

 やっぱり『姫様だっこ』嬉しかった。女子としての気持ちだって本当はある。臣さんだって、女の子への気遣いちゃんとある。

 ほかの綺麗な女の子達って、理想が高いだけなんじゃないの? 臣さんに、そんな高望みを押し付けていただけなんじゃないの? とちょっと腹が立ってきた。

 でもわかってきた! 雅臣が『俺は猿だから』と気にしたり、もてるのに恋人がいなかったり。恋人がいないのに、エッチは情熱的で上手なのも。三ヶ月も保たずにふられて、でももてるから次々とお相手が出来て、でもふられて――。それを繰り返していたら、それはエッチも上手なわけだ! と、納得。


「採用して正解だったな。実は、俺なんだ。園田を面接の候補に選んだのは……」

「え! そうだったんですか? よくわたしなんか見つけましたよね」

 びっくりした。どうして秘書室に抜擢されたのか。でも心優には、まだ選ばれたことは不思議でしかない。


「園田の親父さんは、月に一度、訓練校生以外の隊員向けに道場を開いてくれているだろう。俺、あれに時々お世話になっていたんだ」

「そうでしたか。確かに、第三土曜日でしたっけ? 訓練校の道場で教官仲間と隊員の護衛強化を狙った稽古をつけていましたね」

「その時に、教官に『お嬢様も空手をされていましたよね。現役は引退されたようですけれど、どうされているのですか』と聞いたら、事務官をしていると聞いてびっくりして。まさか事務官を目指して、同じ軍隊にいるとは思わなかったものだから。ちょうど、長沼准将の意向で『女性を採用してみよう』ということになって、城戸中佐と候補を探していたから、直ぐに調べて候補者リストに入れたんだ」


 そんな巡り合わせ。やっと納得した。

 でも……、心優は少し申し訳ない気持ちもある。


「わたし。現役引退をしてから、なにもしていなかったんですよ。護衛官なんて男性の仕事だと思っていたし、仕事も適当にしてきたんです」

「でも。道場には通っていた。身体を維持する程度にね。それさえあれば『生き返る』と思っていた」

 この人が、心優を信じてくれたことから始まっていたんだ――。初めてそれを知る。


「感謝いたします。護衛官としても、秘書官としても、やり甲斐を覚えました。ここにこなければ、本当にただただ毎日を流していくだけで、わたし……どうなっていたか」

「城戸中佐を見たからだろう? そして城戸中佐も、園田にはどこか心を許して癒されている気がする。そんな相乗効果を生む気がしたよ。長沼准将も候補リストの最終チェックで、いちばん気にしていたのが園田だった」

 『ふうん。この子、面白いね。気になるな』。

 あの大ボス殿が、そう言っていたことも心優は初めて知って驚くしかない。

「こうも言っていたかな。園田は、ミセス准将の若い時に似ているってね。俺にはその感覚がわからないけれど、若い時から一緒だった隊長がそうおっしゃるから、どこか似ているのだろう」

「まさか! あんな綺麗な女性とどこが?」

「あの人も、コックピット一筋で、お家柄武道も嗜んでおられたり、『女らしくする』は結婚後から意識するようになったようだよ」

 はあ、でも。あの方は生まれながらにして麗しい雰囲気をお持ちだったようだから、だいぶ違うと思うと心優は真に受けなかった。


「そこで。長沼准将が言ったんだ。この子と塚田を組ませて、塚田をダウンさせることが出来たら最終候補に選んでおくように――ってね」

 それを聞いて、心優は面接の日を思い出した。


「あ、それで。投げるだけの面接で終わってしまったんですね!」

「まさかの一発だったけどな。でも長沼准将はそれを知って見事だと喜んでいた」


 やっとあの時の不可思議な面接の真意を知って安心した。城戸中佐と塚田少佐が思いつきのように言いだしたことだったが、実際は、大ボスの長沼准将からの意向だった。だから心優が一発でダウンさせた後、無言で二人が顔を見合わせ頷いて、すぐに面接が終了してしまったのだと解った。


 でもどうして最終候補から、ただ一人の本採用に決定に?


「城戸中佐だよ。面接で直接、園田に会ってから『俺もあの子が気になる』と言って、それまで『女を採用なんてめんどくせー』とか言って、俺と兄さん達に任せっきりだったのに。最終候補に園田が入ったら、他の女性の経歴もきちんと見るようになって。真剣に話し合いをするようになった。その上で、秘書室全員の総意で園田になった。長沼准将も一発OKだったよ」


 心優の目に、涙が滲む。そして、心が柔らかくほぐれていく。『わたしは、お人形ではなかった。ちゃんと選んでもらえていた』という安堵感が襲ってきた。


「なんだよ。泣くことか。一年間、頑張っていたじゃないか。ボサ子と言われても――。それぐらいのガッツはあると見込んで採用したんだ。実際に乗り越えただろう。自信を持てよ」


 塚田少佐が優しく背を撫でてくれる。それも嬉しい。やっぱりこの人、表情が少ないだけで心根は優しいお兄さんだと心優は思う。


「城戸中佐は傍観していたように見えたかもしれないけれど、俺の前では落ち着きなく心配していたよ。『ボサ子』と呼ばれていることを知った時、いちばん腹立てていたのも中佐だったんだから」

 そうなんですか? と、心優は涙を止めて、少佐を見上げた。

「そうだよ。もの凄く怒っていた。影で言うならともかく、中佐に向けてふざけてでも『ボサ子』と言った人間は、その後は素っ気ない対応に徹していると思うよ」

「そんな、そこまで守ってもらうほどの部下ではないと思うんですけれど」

 いいや――と、少佐が首を振った。

「俺も腹を立てていたよ。それに、長沼准将も同じお考えだ。『ボサ子』という人間は相手にするなと、どうしてかわかるか」

 心優は首を振った。

「秘書室が是非にと選んだ人間を見下げているからだ。秘書室への冒涜でもある。城戸中佐は、『ボサ子』と言った人間を目の前にしたら、きっぱり言い返していた」


 ――『世界が目の前になるまで精進してきた者に、ボサ子と見下げた言い方をされるのはどういう神経なのか。それを教えて頂きたい』。

 それを聞いて、心優は言葉を失う。


 女性達に嫌味を言われたり、影で敵対心を露わにした態度をとられても、城戸中佐は見て見ぬふりをしていた。

 でも彼は彼で、上官として心優を敬ってくれていた。

「だから。そんないつまでも自分のことをボサ子で、なにもできないなんて思うなよ」


 でも、この涙の訳はちょっと違う。

「違うんです。わたしはミセス准将にだっこさせる人形として採用されたと言われたことがあって」

「なんだって? 誰だ、そんな適当なことを言うのは」

 塚田少佐の銀フレームの眼鏡がピリッと光った。そして今度は補佐官としての冷たい目になっている。

「あの、井上少佐が……」

「またアイツか! それで!」

 その時にあったことを、心優は報告する。見る見る間に、塚田少佐の形相が恐ろしく変貌していく。


「アイツのいうことは、絶対に聞くな。信じるな。ついていくな。わかったな!」

「は、はい。勿論です」

 もの凄く怒っている塚田少佐も、ちょっと珍しいなと思った。

「アイツ、人のところの女にばかりちょっかいだしやがって」

 わー、言葉使いも、いつもの塚田少佐じゃないと隣にいる心優はドキドキしてきた。

「アイツ、妻が独身で事務官だった時、弄んだことがあるんだ。許さねえ」

「ええっ。そうなんですか」

 思わず言ってしまったのか、塚田少佐が真っ赤になって残りのお弁当を食べ続けていた。


 塚田少佐の奥さんも、あの言葉巧みな誘いに乗って傷ついたのかな? そんな男。もう井上少佐の上手い言葉に耳を貸さないと誓った。

 ランチタイムの帰り道。塚田少佐に『三ヶ月もったら、本物』と言われた。まだ安心できないらしい。

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