12.教えてください、エース殿
気心知れている鈴木少佐だからこそ、心優は井上少佐にいわれたことを包み隠さず話した。
すると、鈴木少佐が舌打ちをした。
「そいつ、絶対にこちらの大隊本部の落ち度を探していると思うな。園田さんの心をぐらつかせて、手元に引き寄せようとしているだけだよ。その少佐が言ったことこそ信じちゃダメだ」
「ですよね! もう今日なんか、今日なんか」
髪にキスなんかされちゃって、心優がショックを受けた顔を勝ち誇ったように笑って楽しんでいたあの顔を思い出すと、悔しい!
「なのに、その少佐は、城戸中佐のいままでのことも、御園のタブーも知っているんです」
「それ。知っておかないと『情報通』の業務隊にはいられないものだからだよ。業務隊の少佐が知らないなんてこと、まずないはずだから」
どういうこと? デスクに座っていた鈴木少佐が、きょとんとしている心優の目線に合わせて腰を落としてくれる。
「御園のタブーを雑に扱うと、冗談抜きでここ中央から余所に飛ばされる。ここ横須賀の中枢で起きたことに深く関わっている一族だからな。その業務隊の井上少佐だって、一歩間違えれば、なにも知らない園田さんにうっかり口を滑らせたことになるんだ」
「え、じゃあ……。皆さん、どうやって知ることになっているんですか」
「先輩から後輩へ。上司から部下へ。きちんと伝えるものになっているはずだよ。きちんと教えてもらえなかった者は知らないまま済むけれど、横須賀の中央部署に居続けることを望むなら避けることは出来ない。園田さんも、そろそろ教えてもらえる頃だったんじゃないの。この長沼大隊は葉月さんと親しいし、葉月さんも頻繁にここに来るだろう。受け入れる側の秘書官が知らないままでは、いつか差し支えるのは目に見えているのに」
あ、思い出した。ホルモン焼きを食べに行くことになった日、城戸中佐は『ミセス准将の話をするから、園田だけ残ってくれ』と言っていた。でも彼が『あの人の話は気が滅入る』と言ってやめてしまい、その後ホルモン焼きを食べに行くことになり、明るい雰囲気になったなーと安心したら、あのようなことに発展しちゃって。
その後は、彼との時間はない。この秘書室でもだった。
「そういえば、少し前に城戸中佐が。御園准将のことで話したいことがあるからと、私だけ秘書室に残るように言われた日があって」
「え、先輩、その時に話さなかった?」
心優はちょっと頬を染めて、頷いた。初めて勤務時間外に二人きりになって、その夜……。本当ならば、御園准将の話が聞けたはずなのに、あんなことになったから。
鈴木少佐は、もの凄く呆れている。
「なんだよー、なにしているんだよ、先輩はー。それ、完全にタイミング外しているな。で、そのまんま?」
「はい……」
「どうして、そうなったんだよっ」
「あの、急に手伝って欲しい仕事があったみたいで、それを手伝ったら時間がなくなって――」
なんとか言い繕った。が、タイミングを外した原因は、ホルモン焼きとベッドだとようやっと心優も理解した。平気な顔をして、本当は城戸中佐も心優に近づけなくなっているのかもしれない。
目の前に鈴木少佐のきらっとした目がある。ジッと心優を見つめて……。城戸中佐とよく似た目だった。
「そうだな。まず最初に、その少佐が園田さんにカマをかけてきたことを報告しておいたほうがいい。それから、城戸先輩は御園が関わると口が重たくなるから、塚田少佐に聞いたほうがいいかもな。ごめんな。俺からも言えないな。俺が教えたことで、ここの秘書室に迷惑をかけたくないから」
「それだけ、御園のタブーはこの基地と関わっているんですね」
「うん。知ったら、今度は『気軽な噂話』にはしないように言われると思う。気をつけて」
そんな基地にも関わる話だったなんて。知りたいけれど、恐ろしくもある。
「あの、城戸中佐の過去も、塚田少佐に聞いたほうがいいですか」
「うーん。そうだな。城戸先輩はそれも言いたくないっていうより、思い出したくないんだと思う」
「思い出したくない? そんな、辛いことなのですか」
鈴木少佐も、うんと頷いた。
「俺だったら、死にたくなる。コックピットに乗って、そのまんま墜落してもいいから、コックピットで死にたいと思う」
同じエースチームまで上りつめたパイロットから聞かされた気持ち。それはなにも語ってくれない城戸中佐の代弁。その激しい絶望に、心優は驚愕する。それほどの、死にたいほどのことがあったのだと知る。
「鈴木少佐は、その時、中佐が怪我をされた時、どうされていたんですか」
「まだ横須賀のマリンスワロー部隊にいたよ。橘隊長の配下に。先輩がいちばん最初に雷神に選ばれたことは、横須賀基地のパイロットの羨望を集めたもんだよ。先輩がいちばんかっこよくて、輝いていた時だと思う。俺、正直、いまの先輩のこと『流石、城戸先輩。秘書官もばっちりっすね』とは思っても、あの時ほどカッコイイとは思ってないんだ」
「そうなんですか……」
いつも元気いっぱい、上官からは『悪ガキパイロット』と言われている鈴木少佐がしゅんと項垂れている。
「そんだけ、先輩は俺達の憧れの先輩でもあったし、カッコイイ兄貴だったんだよ。スワロー部隊でも少しだけ一緒だった時期があって、展示飛行の難しいテクニックも城戸先輩がナンバーワンだった」
いま連合軍の中では、鈴木少佐以上のパイロットはいない。エースの称号を連隊長のお墨付きでもらっている彼こそが、いまはパイロット達の羨望の的。その彼が『城戸先輩はカッコイイ、俺の憧れだった』と言うほどのパイロットだった人。
心優もわかった。エースパイロットが『その過去は、俺も死にたくなる』というほどのことがあったのなら。一晩、気分で寝ただけの女にはまだ話してもくれないだろうと。
「井上少佐は、その怪我のことも知っているんですね」
「事故があったとき、リアルタイムで同じ横須賀にいたから知っているだけだよ。基地中でも事故のことは話題になったから、同世代の隊員なら知っているだろう。誰に聞いたではなくて、城戸先輩のことは基地にいた者として知っているだけだよ」
エース殿はいまさらっと言ったけれど、心優は固まった。『事故』?
「……事故? なんの事故だったのですか」
うっかりしていたと、鈴木少佐も慌てて口元を手で覆って黙ってしまう。
「怪我って、事故だったんですか? 空母艦で? それとも戦闘機がおかしくなって? それとも……」
鈴木少佐の表情が苦々しく歪んだ……。彼もそれを言うのはとても苦しそう。
だがついに、彼が教えてくれる。
「友人と乗っていた車で事故を起こしたんだよ。運転していたのは先輩の友人で、先輩は助手席。しかも相手が故意に起こした事故で……」
故意に? どうして? しかも戦闘機とはまったく関係のないところで事故に遭っている。予想外だった。
「どうして、その友人が故意に事故を?」
「その友人もパイロット志望で同じ浜松基地で訓練生だったらしい。だけど、その友人だけパイロット候補生の訓練期間の途中で、適正外と判断されてエリミネート(失格)になった。パイロット候補生にはよくあることだよ。葉月さんのように華奢な人でも適正があって、葉月さんより体格の良い男に適正がないこともある。努力してなれるものでもないって覚悟でやっているはずなんだ。その人はその後すっぱり軍隊職は諦めて、一般企業の会社員になったらしい。同郷の友人だからたまに会っていたようだけれど、会うたびにパイロットとして出世していく城戸先輩のこと妬んでいたみたいだな。だから、一緒に死のうとしたんだよ。雷神のリーダー機で飛行隊長になろうとしている、自分が成れなかったものに成ろうとしている男を道連れに――」
逆恨みの『無理心中』!? 心優は愕然とし、頭が真っ白になる。それだけではなかった。
「酷い事故だったらしく、運転席にいた友人は『即死』で、先輩は一命は取り留めたけれど足の骨折は重傷だった。……で、飛べない身体になったんだよ、畜生っ」
心優より先に、エース殿が泣き始めてしまった。本当に涙を滲ませ、手の甲でグッと涙を拭って……。
「あの事故がなければ、絶対に先輩もコンバットのエースだったと思う。対決したかったな」
雷神エースにそこまで言わしめる男。それほどの男だったのなら、故意に、しかも友人にその未来を砕かれたことはどれだけショックだったことか。しかも、その友人はその時に亡くなっている。心優だったらトラウマになるレベルだ。
ようやっと、あの人が、おちゃらけてみたと思ったら突然重い雰囲気にどっぷり沈んでいくのは何故かわかった。
「ただいま」
彼の過去がわかったところで、城戸中佐と塚田少佐が秘書室に戻ってきた。
「あ、英太。おまえ、また来たのか」
「おっす、先輩。お邪魔しちゃってまーす」
気易く挨拶をする後輩を見て、城戸中佐が頬を引きつらせた。
「おまえな。いまの挨拶をミセスが見ていたら、めちゃくちゃ怒られるぞ。余所の秘書室なんだから、きちんと礼儀正しく訪問しろよ」
「怒らないよ、葉月さんは。むしろ、おっかないのはラングラー中佐のほう。でも、あの人、奥さんと息子にはめちゃくちゃ弱くて、奥さんと息子は俺の味方なんだ」
『だから、大丈夫!』と、悪ガキぶりを発揮するエース殿を見た城戸中佐は、呆れながら室長のデスクに戻った。
「なんだよ、今日は休暇なのか」
でも後輩のパイロットが気軽に訪ねてきたことは嬉しそうだった。
鈴木少佐も本当の弟のようにして、城戸中佐の前へとすっ飛んでいく。
「叔母の月命日で墓参り。その帰り」
「ああ、そうか。もうそんな日になるのか、毎月忘れずに偉いな。悪ガキらしくない。でも、母親代わりだったんだもんな」
「まあね。訓練があるから来られない時もあるけれど、葉月さんも気にしてくれて休暇が取れそうな時は行かせてくれる。結婚もしないで俺を育ててくれたから、これぐらいの孝行はしとかないと」
鈴木英太少佐が、両親を早くに亡くし、育ての親になってくれた叔母を二年前に亡くして天涯孤独になったのは誰もが知っていることだった。
「それで。俺にはなんの用だ」
「この前、葉月さんが来たんすよね。その時、葉月さんなにか相談していきませんでしたか」
その問いに、城戸中佐が塚田少佐を目を合わせ、少し困った顔を見せてしまっていた。その変化を鈴木少佐は見逃さなかった。
「やっぱりね。なんか、小笠原上層部のおっさん達がざわざわしているんだよ。葉月さんが横須賀に行くことになると、ラングラー中佐じゃなくて、旦那の隼人さんがピリピリしてるんだよな。寄り道せずに帰ってこいとか、余所の基地で護衛官から離れて一人で散歩するなとかさ。いつもはもっと『おまえの勝手にすればいいだろう』とか、あの葉月さんには放任主義の夫なのに」
その話には、城戸中佐の表情が引き締まって反応した。
「へえ。御園大佐がね。やっぱり気になるんだ」
そして、鈴木少佐も確信したように、城戸中佐に詰め寄る。
「俺、小笠原ではマジで『ガキ扱い』されていて、だーれも教えてくれないんすよ。だから、先輩、教えてくださいよ。『英太は心配しなくていい。大丈夫だから』って、あの人達の息子と同じ扱い、なにも知らなくてもいい『お子様、ガキ扱い』なんすよ。蚊帳の外なんですよ!」
エース殿が、御園夫妻の息子同様に子供扱いされてなにも教えてもらえない。蚊帳の外――。それは心優のいまの気持ちと同じ、そっくりだと驚いた。
そして城戸中佐も大笑い。
「あははは。そりゃあ、だって、御園夫妻といえば、いまはおまえの親代わりなんだろう? 子供のおまえには心配かけまいと思ってるだけなんじゃないのか」
「親じゃない! 親戚がいなくなったから、なにかあった時の『身元引受人』ってことだよ。俺だって、いつ空でなにがあるかわからないんだから。もし俺になにかあったら、俺の骨も『ドッグタグ(認識票)』も探してやると、葉月さんと隼人さんが約束してくれたけど、別に俺の保護者て意味じゃないんだからな」
それも本当の話で、心優でも知っている。天涯孤独になった鈴木少佐は成人しているので保護者はいらないが、最終的に彼になにかあった時に保護したり引き受けたりする者として、ミセス准将とその夫である工学科科長の御園大佐が『身元引受人』になっていることも有名な話。
だから、鈴木少佐は御園に近い男と言われている。つまり家族同然ということであって、既に彼は御園一族の一員とも言えた。だからミセス准将の弟みたいな存在と皆に言われている。
そんなミセスの弟分が押しかけてきて、城戸中佐に『姉貴のことで気になること』について必死になっている姿。
心優はそんなエース殿の『必死な姿』にも共感を覚える。少佐は、本当は『姉貴に恋』をしていたことがある。いまもその想いはほのかに残っていて、でも、彼女の夫である御園大佐のことも大好きな兄貴だから、二人の邪魔はしないと決めている。
心優が秘書室に来たばかりの時も、彼は横須賀に来ては先輩の城戸中佐のところにやってきて『葉月さんが葉月さんが』と見るからに『葉月さん大好き』という空気をありありと放っていた。
そんな彼が叔母の月命日になるとふらっと秘書室にやってきて、先輩を待っている。待っている間、歳が近くて手が空いていることが多い心優が相手をする。
時には一緒にランチに行って、時には一緒にティータイム。その間に、彼の話をたくさん聞いた。小笠原に行くまでの彼のこと、小笠原に転属して起きた変化など。心優も同じようにして、どのような選手生活を送ってきたのか、体育会系ファミリーという環境でどう育ってきたのかを話した。
園田さんは、話しやすいな。
鈴木少佐はそういって、心優だけに会いに来ることもあった。だいたいは『女の子の相談』だった。
どうも最近、気になる特定の女の子がいるようで、悪ガキで自由気ままな物言いをしている表面とは裏腹に、本心を隠す男心があったりして、鈴木少佐は心優にはそんな心情を垣間見せてくることがある。
その代わり。心優も慣れない秘書室でどう過ごしていけばいいか、または小笠原の様子を聞かせてもらったりした。
その『可愛い彼女』がどこでどうしているかわからないけれど、基地でエースパイロットである時の鈴木少佐の一番は『葉月さん』だった。
きっと彼にとっていちばん大切な上司なのだと思う。
心優はこの鈴木少佐のミセス准将を崇拝するような心情を、城戸中佐にも感じることがあた。
悪ガキと言われながらも、そうして家族同然の姉貴を必死に案ずる。でもその心情はひた隠しにして、悪ガキの子供っぽい振る舞いをする。
そんな彼が心優は好きで、エース殿がエースではなくて同世代同士として必死なところに心優は共感してしまうのだった。
「この前、葉月さんがなにを話していったのか、先輩、教えてくれよ」
でも、城戸中佐はこんな時は大人の顔。心優も仕事中はあの顔でよく諭される。お猿さんなんかどこにもいない。
「聞いたところで、英太にはどうにも出来ないと思う。もし、彼女のためになにか施そうとするなら、やはり夫である御園大佐が効果的だと思う」
「そんなのわかっている! でも、なにも出来なくても、知っていることで、隼人さんの力になれるかもしれないだろう。そういうことだよ。俺の身元引受人になにかあったら困るんだよ!」
なにも出来なくても、知っていれば、なにか力になれるかも――。心優もいまその心境だった。知って、あなたの力になりたいのに。やはり鈴木少佐にこんなところも共感してしまう。
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