11.本気だよ、黒帯ちゃん

 それでも仕事で時々会うと『園田ちゃん元気』と馴れ馴れしい。城戸中佐も塚田少佐もそれを目の当たりにしていて、本人の目の前で嫌な顔はしないが『相手にするな』と心優に釘を刺して嫌っている。


 でもこの男性は、基地の管理をする中枢にある『業務隊本部』の男性。業務隊のトップになると『基地の情報を握っている男』と一目置かれる。業務隊長の直下にある本部員となるとそこもエリート隊員、将来トップになる卵ということになる。


 横須賀に配属されるだけでも優秀だけれど、『本部』と名の付く部署に配属されることはエリートコースに乗っかっていることを意味している。

 つまり、このにやついた少佐も『エリート』の一員。この男も将来トップを狙うために、どこかに媚びを売っているはず。その為にはやはり『情報』が進物になるとか。

 そんな男が、たまに心優に狙いを定めたように近づくことがある。今日はそれだった。


 その男が、廊下の窓際を歩いていた心優に近づいてくる。

「あ、シャワーを浴びた後だな。いい匂いがする」

 よくわからないけれど、この人がいうとムッとしてしまう。心優が無反応なのもいつものことで、でも少佐はめげずに窓に手をついて腕を伸ばして、心優の前進を阻もうとする。

「園田さん、最近、女っぽくなったな。もしかして好きな男でもいる?」

 ムッとしていたのに。女っぽくなったというフレーズに、心優は思わず反応してしまい頬を熱くした。

「あー、やっぱりそうなんだ。もしかして、城戸中佐?」

「いいえ」

 心臓がばくばくしてきた。そんな絶対に悟られたらいけないのに、鼓動を抑えようと思えば思うほど、身体が熱くなってしまう。

「わかりやすいね。でも、あの人はちょっとねえ……」

 どうして? そう聞きたいけれど、聞けば城戸中佐を気にしていることになってしまう。

「中佐は他の女の子に注目されているだけあって、素敵な男性かもしれませんけれど。わたしのようなボサ子なんて対象外でしょう。わたしにはただの上官で、あまり話たこともありませんから」

 この前まではね――と、隠した嘘を心で呟いた。

「急いでいるので、失礼いたします」

 そういって、彼の腕を触らずに彼自身を避けて前へ進もうとしたが、そこで彼が勝ち誇ったようにまたニヤリ。

「どの女だってだめだよ。あの中佐は。過去にこだわっているんだから」

 彼を避けて行こうとした心優の足が止まってしまう。

 この人、中佐の過去を知っている? どこから、どこまで?

 そんな心優の心情を手に取ったことを確信したのか、また彼が心優の目の前に立ちはだかる。

「どう。俺と食事に行こうよ。教えてあげるよ」

 心優の中に凄まじい葛藤が生じる。こんな男と食事なんてまっぴらごめん。しかも、どうして心優に近づいてくるかも見え見え。心優に狙いを定めたのは何故かもわかっている。男慣れしていない心優をどうにかして手懐けて、城戸秘書室の情報を引き出そうとしている、それが狙い。でも、恋にも男にも疎そうなボサ子だかろうから直ぐになびくと思ったが、割と堅かったのが彼の誤算。この男はそう悟ったのか、最近は心優には近づいてこなかったのに。


 今日は心優が気になる、彼の後をついて行きたくなる餌を用意してきた。

 どうする。ついて行けば中佐のことを深く知れるかも。こんな男、襲ってきたら投げてしまえばいいんだし?

「おいしいトラットリアが港にできたんだ。最初に誰と行こうかなと思った時、園田さんが浮かんだんだよ。どう。訓練ばかりじゃなくて、ちょっと息抜きも必要だと思うよ。もう選手時代とは違うんだろう。楽しんだ方がいいよ」

 ものすごーく甘いお誘い。心優だって聞き心地がよくて、どうしてもっと心が許せる男性ではなかったんだろうと口惜しくなるぐらいに、お誘いが上手い。

「他の女性のほうが喜ばれますよ。わたし、大食いなので」

「牛頬肉の煮込みとか食べ応えあるし、どんなに食べてもいいよ。むしろどれだけ黒帯ちゃんが食べるのか見てみたいなあ」

 この人、たぶん。女性をいっぱい口説き落としてきた人なんだろうな……と感心してしまった。

 残念。わたしが城戸中佐の部下でなければ、ついていってしまったかも?

「あれ、いま可愛い顔したね。ちょっとはその気になってくれた?」

「いいえ。申し訳ありません。今日は父と会う約束をしているので」

 嘘だった。けど、横須賀のアパートに単身住まいをしている父とたまに会うのは本当だった。

 なのに少佐は引いてくれない。また心優の目の前、窓に手を突いて、今度は心優を囲うようにして押し迫ってきた。

 でも心優はドキドキなんてしなかった。城戸中佐のほうが迫力があった。この人も女の子に人気がある少佐なんだけれど、男の色気を漂わせているエリートビジネスマンなんだけれど。でも、やっぱりこんなひょろ長い男はダメ。物足りない。


 少佐もついに焦れたのか、真顔になっていた。それには心優も息を呑む。

「わりと本気だよ。俺」

「ボサ子をからかって楽しいでしょう」

 彼がフンと鼻で笑う。少佐の手が突然、心優の背中、スラックスのベルトがある位置を軽くぽんと叩いた。

「高い位置にウエストとヒップがあって足が長い。上も均整が取れていて姿勢がよくて、身体全体にメリハリがある。いつもスラックス制服だけど、それが余計に全身を綺麗に見せている。お尻の丸さとセクシーさもよくわかる。肌も健康的で綺麗だ。そういうの男はみてんの、男が感じる色気は見た目の可愛さだけじゃない」

 ダメだ。もうダメ。心優の顔が今度は真っ赤に沸騰した。この人、本気で心優をみていたんだと。だからって『本気で好き』の本気ではなくて、『本気で一度抱く』の意味の本気。


 それでもボサ子ボサ子と笑っていた男が女として認めてくれた瞬間。これには心優も拒否していた心が萎えそうになる。

「猫みたいなツンとした目も可愛いし」

 中佐と同じこと言う!

「最初はボサ子だったけれど? いまは可愛い黒帯ちゃん。彼女ナシの男共が、ちょっと気にしはじめている。ボサ子ちゃんならその気になってくれるかもなんて大いなる期待を抱いてね」

「そ、そんなことはどうでもいいです。どいてください」

 でも少佐はもう心優を抱きしめるように間合いを詰めてきて、近づけてきた顔なんて、もう心優の黒髪にくちづけそう。さすがにドキドキしてきた。

「城戸中佐のこと、なにも知らないだなんてな。ミセス准将とあまり上手くいっていないんだろう? そのこと、秘書室の先輩達が誰も教えてくれないってことは、城戸中佐的『タブー』なのかな。御園の『タブー』のようにひた隠しにしなくちゃいけないことなのかな」

「タブー? 中佐の? 御園の?」

 本当になにも知らないから、そんな話に驚くと、少佐も目を見開いて仰天している。


 急に彼が笑い出す。

「まじかよ! 本当に誰も教えてくれていないんだ! なーんだ、やっぱりボサ子ちゃんは秘書室的に『女性と仕事もできます、採用できます』というアピール的マスコットだったのかな」

 激しいショックに打ちのめされる。秘書室が初めて採用した女性、いままで実績もない事務官だった心優は採用はされたけれども、秘書室では言われるままに仕事をするだけの一年だった。

 城戸中佐と塚田少佐が中心にいて、あとはベテランの男性達がしっかりサポートしている。時に心優は自分は居るだけと思うことも多かった。護衛官といっても、この日本で上官が危機にさらされることなどほとんどない。なのに女の護衛官を採用し、女性の感性も大事だからとか、ミセス准将が来た時には同性の園田が接客した方がいいとか、それだけのこと。


 そんな心優の様子に井上少佐も気がついてしまう。

「俺が知っているのに、知らせてくれないってその程度なのかもな。可愛い黒帯ちゃんは、ミセス准将にだっこさせて安心させるお人形なのかもなあ。あんまり信じない方がいい。城戸中佐も塚田も、所詮は自分たちの地位を向上させるために誰だって利用するんだ。女の子から誘われて、気のいい顔をして自腹で食事に連れて行って人気取りをしているけれど、あれだって、彼女達のお喋りを利用しているだけだからな」

 まったくその通りだった。熱かった身体から、今度はひんやりとして汗が引いていく。その寒さに微かに震えた。

 そんな心優を覗き込んで、井上少佐は嬉しそうだった。

「辛くなったら、俺のとこおいで。助けてあげるよ」

 呆然としているのをいいことに、井上少佐は、心優の黒髪についにキスをしてしまう。

「また来るよ」

 今日はそれで満足したのか、彼は上機嫌で行ってしまった。


 彼がいなくなると、心優の目に涙が滲んでいた。

 他部署の男が、まだ一介の本部員に過ぎないあの少佐が、心優が知り得ない城戸中佐の過去を知っていて、しかもそのせいで『どの女も無理』と断言して、さらに御園のタブーだなんて心優がまったく知らないことまで彼は知っている。

 御園准将がこの横須賀でいちばん親しくしているのは、心優の大ボスの長沼准将だ。その直下にある城戸秘書室。そこの一人である心優が、他部署の男が知っていることを知らない、知らされていない。一年も経つのに。それはなにを意味するのか。井上少佐がいうとおり、ただ女性が一人いれば秘書室的にイメージがいいから? ミセス准将が扱いやすくなるから? それだけのこと?


「いけない。帰らなくちゃ」


 訓練で外に出た分、ランチタイムは秘書室の留守番を任されていた。

 早く帰らないと、兄さん親父さん達がランチに行けなくなる。

 涙を拭いて、その足を急がせた。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 ただいま帰りました――。

 心優が戻ってくると、兄さん親父さん達がホッとした顔になる。

「訓練お疲れー。留守番たのむなー。なにかあったら、カフェテリアにいるから呼んでくれ」

「はい。いってらっしゃい」

 先輩達が出て行った。城戸中佐と塚田少佐は一緒に会議に出て行ったようで、いまここにはいなかった。

 会議を終えたら、そのまま二人でランチタイムになるのだろう。


 デスクにてパソコン内にやって欲しい事務処理のメッセージが塚田少佐から届いている。リンクにある書類ファイルを開いて仕事を始める。

 たまに内線電話がかかってきて、対応してメモをして、伝言しなくてはならない先輩の机に付箋を貼っておく。

 泣いた後、ひとりでよかった。そう思った。静かな秘書室での留守番――。

 なのにドアが開いた。

「うーっす。お邪魔しますー」

 城戸中佐のように長身で逞しい体つきの青年が現れる。

 彼は制服ジャケットを脱いでいて、黒い肩章が縫いつけてある夏の半袖白シャツに、緩めた黒ネクタイという、ちょっと砕けた姿で現れる。

「あー、ランチタイムか。タイミング外したなあ。今日は園田さんが留守番? 城戸先輩は?」

 あの中佐を『先輩』と呼ぶ彼もまた『パイロット』だった。

「鈴木少佐、いらっしゃい……あの、中佐は……」

 彼を見ていたら、また涙が出てきた。彼もびっくりして、秘書室のドアを閉め心優のデスクまで駆け寄ってくる。

「うわ、どうしたんだよ。なにかあった?」

 彼を一目見て泣いてしまったのは、訳がある。


 彼とはあることをきっかけに懇意にしてもらっていた。なんとなく気が合う友人という感覚で、会えばいつも気楽に話せる不思議な関係を築いていた。


 彼は『鈴木英太少佐』。

 小笠原にある、あの『雷神』の現パイロット。

 しかも、たったひとりだけがコンバットで獲得できた『雷神エース』の称号を持っている。

 トップパイロット同士で繰り広げられる『コンバット訓練』にて、誰も撃ち落とせなかった『最強パイロット』。本物のエース殿。

 ミセス准将がスカウトしてきたお気に入りで、弟分。御園に近い男とも言われている。


 そんな彼がやってきて、この人もいつもは親しくしてくれてきたけれど、心優が知らないことをいっぱい知っているんだと思ったら、もう泣けてきた。

「えー、えー、参ったな。俺が泣かしたみたいじゃないか」

 そんな強者パイロットの鈴木少佐が、心優の涙にあたふたしている。

「もう秘密の過去とかタブーとか、わけがわかりません。知らないふりって、知られたくないなら、わたしなんてもう余所に転属させちゃえばいいのに」

 いきなりこんなことを言いだしても、鈴木少佐にしてみたらなにが起きたのかさっぱりわからないだろうに。心優は親しくしてくれた彼だからこそ、つい抑えていた心情を吐露してしまう。


 なのに、彼がそこに反応した。

「タブーって。もしかして『御園のタブー』のこと? 誰かから聞いたとか? それとも聞きかじったけれど、聞きかじっただけだから周りがなにを話しているのか理解出来なくて辛いとか、そういうこと?」

 なにもかも察してくれたので、心優はびっくりして涙が止まってしまった。


 エースパイロットの勇ましい体格で塚田少佐のデスクに腰をかけ、彼がため息をついた。

「園田さん、ここに配属されて一年だよな。そろそろだよな。俺も小笠原に行ったばかりの時、そのタブーってやつがチラチラ耳に入るようになってきた頃、すげえもやもやしたもんだよ。なのになかなか『事実』を知ることが出来なくて、『知りたいんだーー』と葉月さんに突撃して、大迷惑をかけたことがあってさ……」

「そうなんですか。鈴木少佐も、そんなことがあったんですか」

「うん。あった」

 もしかして、ミセス准将に近しくなる者が、一度は通る道? 心優は蚊帳の外にされているのではなく、ただその入り口に立つことが出来たということ?


 そういえば。この少佐は、ここ横須賀にいたパイロット。『城戸先輩』と言うだけあって、彼の現役時代を知っていることになる。しかも雷神! しかも御園に近い男! 彼に聞けば、なにかわかるのか――?

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