13.二人きりにしてくれ
悪ガキのエースパイロット、鈴木少佐の必死さに、心優だけではない、塚田少佐もハラハラして見守っている。
いつもなら、他の男が室長にこんな生意気な態度を取ろうものなら、塚田少佐が冷たく追い返しているところだろうに。塚田少佐が鈴木少佐を追い出さないのは、彼が来れば『御園と小笠原の様子』が聞けるからだった。
でも、追い出さない分。鈴木少佐は、ミセス准将のことになると手のつけようがないほど熱くなることがあって対処に困ることもしばしば。
ついに城戸中佐も溜め息をついて、折れた。
「直行便ゲートの駐車場がなくなることを気にしていた」
また、あの駐車場の話が出た。心優の心が再度かき乱される。
鈴木少佐は『絶句』していた。ラングラー中佐の反応ととても似ている。御園派の人間にとっては余程の由縁ある場所のようだった。
「駐車場までもが私を一人にするのかと、腹立たしくなった――とか言っていた」
葉月さんのことになるとやいやいと口うるさかったエース殿がなにも言わなくなった。心なしか彼の顔が青ざめているようにも見える。
「なんで、駐車場を気にしているんだよ……」
「俺も解りかねる。あの人の考え方がさっぱりわからない」
徐々に鈴木少佐の目が恐ろしいほどに吊り上がってきたのを心優は見てしまう。なにか理解不能の怒りに震えているようだった。
「俺だったら、『あんなに酷い目に遭った現場』なんか、二度と近寄りたくない。実際に俺は、母親と父親が死んだ場所には一度も行かなかった」
「俺もだよ。この足をめちゃくちゃにされた現場なんか二度と近寄りたくない」
心優はハッとした。そして塚田少佐も驚いたのか、心優の様子を確かめるようにこちらに視線を向けてきた。
なにも話していない心優がいるにも関わらず、城戸中佐からあの冷徹な眼差しで平気な顔で言い放った。それはつまり……、心優に知られてもいいという意思表示?
鈴木少佐も驚いたのか、それ以上言う気力を削がれたのか。理解できない怒りも冷めてしまったようだった。
「ありがと、先輩。隼人さんがピリピリしている訳が良く解った。……じゃあ、葉月さんが横須賀に来た時には、気をつけておいてください。お願いします」
それまで先輩にも遠慮ない物言いと大きな態度だった鈴木少佐が、丁寧にお辞儀をしている。
「勿論だが、面倒を見切れないこともある。長沼准将もそう言っていた。気をつけていてもあの人は手に負えないことをたまにする。出来れば、彼女を扱い慣れているミセス准将の秘書室で阻止して欲しい」
「わかった。ラングラー中佐に伝えておく」
では失礼しました――と、鈴木少佐はこんな時だけ、中佐殿に礼儀正しい敬礼を向けて去ろうとしていた。
エース殿は秘書室を出る時、心優にも『またな』と微笑んでくれた。
賑やかなエース殿がいなくなると、秘書室にまた重い空気が漂っていた。
「塚田。園田と二人きりにしてくれ」
事故の話をしてくれるのだと思った。そして御園のタブーも。
だけれど、塚田少佐は不思議な顔をしている。
「あの、先日。終業後に園田を秘書室に置いていきましたが、その時にお話しされたのですよね」
「話そうと思ったけれど、言いにくくて話せなかった。だから、今日、いまから話す」
塚田少佐は眼鏡の目線を訝しそうに中佐に向けている。
「お話できないほど辛いのでしたら、私から園田に説明いたします」
先日、心優を呼び止めてわざわざ残したのに話せなかった理由は『中佐には精神的に無理だった』と塚田少佐は思い至ったようだった。
「いや、俺から説明したい。人任せではなく……」
今度こそ、彼の口から心優に伝えたいという顔をしてくれている。
「無理をなさらなくても。園田には、中佐の怪我のことから御園のこと、知っておくべきことは私から……」
中佐を気遣う補佐官としての役目を全うしようとしている。
そんな引かない補佐に、中佐殿が言いきった。
「彼女と、『心優』と二人きりにしてくれ」
心優。彼女と――。職場で彼がそんなふうに言い方を変えた。
眼鏡の少佐が、少し固まっている。まだよく理解できないようだった。でも心優はもう、この人には知られてしまうと顔が熱くなってくる。
「……あの、どういうことでしょうか……」
塚田少佐も少しずつ解ってきたような顔をして、でも、それは本当なのかと信じ難いと複雑そうだった。
「そ、そういうことだよ……。塚田だから、言っておく」
やっと眼鏡の少佐が驚きで固まった。
「い、いつの間に……!」
少佐が中佐ではなく、そんな素振りを見せもしなかった心優を見た。だけど心優はただただ熱い顔を伏せるだけしかできない。
「だから塚田。親父さん達が帰ってくるまで、二人きりにしてくれ。彼女とゆっくり話せていないんだ」
「は、はい。そ、そういうことなら、か、かしこまりました」
ぎこちなく塚田少佐が秘書室を出て行った。
デスクにいる城戸中佐と、久しぶりに二人きりになった。
「ごめんな」
室長のデスクからそんな声が聞こえ、心優は伏せていた顔を上げる。
「こっちに来てくれないか。心優」
あの夜のように柔らかに名を呼んでくれた。いつもシビアでクールな目が、いまはあのシャーマナイトの眼差しになっている。
少し安心した心優は、自分のデスクからそっと室長デスクの前に向かう。
「そこではなくて。ここな」
正面に真向かう位置ではなく、『俺の隣においで』とばかりに、心優の手を掴んでひっぱってくれる。
室長の椅子に座っている彼の隣に来た。
正午の眩しい初夏の光の中、あのパイロットのような綺麗な目が心優を見つめている。
「ごめんな。あの夜、ひとりにして帰してしまった。その後、情けなくてなかなか声がかけられなかった」
「いえ。あの夜のことは、たまたまだったと思っていますから……」
彼の重荷になりたくないから、切るならここで切って欲しいと、心優から割り切った口をきく。
彼が呆れた顔をしている。そして、深い溜め息を落とした。
「これ。渡そうと思って、また、うだうだしていた」
ジャケットの内ポケットに手を忍ばせた中佐がなにかを取り出すと、それを心優の目の前にちらつかせた。
銀色の鍵――。
「俺の、官舎の鍵だ。よかったら、受け取ってほしいんだけれど」
今度は目を逸らされた。すごく恥ずかしそうにして、中佐は落ち着きをなくしている。
心優はそんな彼にびっくりして、そして、目の前の鍵の意味にも驚きを隠せない。
「あ、あの、わたしは部下で――」
「あんな未練たらしい部屋に入れた女は、心優だけだ」
呆気にとられた。ここでは完璧な人が、顔を真っ赤にしている。
「見せても良いと思ったから、連れていったんだ。俺の思い残しがあそこに全部ある。あれを見せたらいつまでもぐずぐずしている情けない俺を目の当たりにする。でも、この前はあの部屋に入れるのがせいいっぱいで、事故のことは話せなかった」
だから事故のことをなかなか告げられなかった。それはもう心優もわかった。
「俺には思い出したくないことがあって、そのことになると、どん底に落ちて暫くは誰とも関わりたくなくなる」
キスを残した、あの哀しい背中を思い出す。だからもう、この人の口から聞きたいとは思わなかった心優は。
「鈴木少佐から聞きました。ご友人が、中佐と一緒に死のうとした事故のことを」
もう話さなくてもいいように、既に知っていることを告げる。
「そうか……」
いつも明るい笑顔を湛えているそこが一気に陰った。
でも心優はそんな彼を見ていたくないから怯まず、一歩踏みこむ。
「未練たらしいだなんて、言わないでください。あれが未練だなんて。それはわたしにとって、道場も試合も勝ち得た成績も、いままでそれに全てを投げ打っていたことを完全に忘れろと言っていることと同じです。わたしは、選手団に入れるまで道場でまっしぐらだった日を忘れたくはありません。たとえ、いまの自分よりあの時の自分の方が輝かしくても。だから中佐も、あの部屋にある全てを忘れなくていいし、むしろ、」
項垂れている彼に心優は強く言う。
「むしろ、覚えているべきです。残しておくべきです」
そういって、心優は彼の手から銀の鍵を受け取った。
「またあの部屋を見せてください。そして、聞かせてください。あなたがパイロットだったことを」
すごい生意気を言った。自分と彼の苦しみは違うのに――。
「心優――」
彼が室長の椅子から立ち上がった。と、思ったら、いきなり心優に抱きついてきた。
「え、ちゅ、中佐。ここ、しょ、職場」
「大丈夫だ。きっとそこで塚田が見張ってくれている」
えーー。二人きりだと思っていたのに。もしかすると塚田少佐に聞かれていた? 補佐官って気が利きすぎ!
なのに城戸中佐はそれで安心しきっているのか、身をかがめて心優の目元にキスをした。
「だ、だめ。ここでは……」
「心優の前では猿だから、気をつけろよ」
さらに心優の頭を大きな手でぐっと彼の顔に近づくように強く引き寄せられる。彼の目がすぐそこにあると思ったら、直ぐに唇を重ねられた。
あの夜のような、幾度も重ね直して唇を吸われる愛されるキス。彼のほうが夢中になっていて……。そして思った。またあの人が戻ってきた。熱いお猿さんが。
「ちゅ、中佐もう……」
職場だからと心優から離れようとしたところで、彼もやっと気持ちを収めてくれた。
それでも心優の頬を大きな手でつつんで、愛おしそうに見下ろしている。
「心優が背中に残したキスが、ずっとうずうずしている」
あのキス。覚えていてくれた……。
見つめ合っていると、またキスが落ちてきそう。そして心優もきっと拒否できない。
ドアの外から、コンコンとノックが聞こえた。やはり塚田少佐がそこで見張っていたようで、秘書室の誰かが帰って来た合図のようだった。
「御園の話もゆっくりしたいから、今夜は来てほしい」
「はい、了解です」
部下のように返答してしまったけれど、彼がお猿さんが『にやり』とした。
今夜はなにを企んでいるのだろうと思ってしまう、悪戯な笑み。
なのに彼は乱れた前髪をかき上げ、室長のデスクに座った途端、いつもの中佐殿の顔に戻ってしまった。
鍵を握りしめてドキドキしている。こんな恋人同士みたいに、男性の部屋の鍵を持つなんて心優には初めてだったから。
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