7.ライスは(大)二杯!
もう葉桜。基地の中は桜が多い。
基地の中に広がる芝庭、葉桜がさざめく舗道を警備門まで城戸中佐と歩く。
警備門には、実弾を込めた銃を構えている警備隊員が今日も佇んでいる。そこで基地を出たという記録をするため、IDカードにて、警備口でチェックアウトをする。
心優の場合、基地内の独身女性専用の寄宿舎に住んでいるのでチェックアウトをすると『外出した』という扱いになる。
「寄宿舎、だよな」
「はい。最近の外出申請は、IDカードのチェックアウトと、いま外出申請も記入したので、大丈夫です」
「懐かしいな~」
ほとんどの独身隊員が体験する寄宿舎暮らし。個室で食堂もあるし、煩わしい通勤時間も気にしなくていいので、今はとっても暮らしやすい。ただ共同生活のルールがあるので、そこを慣れるか慣れないか。
「中佐は今は官舎住まいなんですよね」
「うん。秘書官になってからな。コックピットを降りた途端、外に放り出された気分だよ」
幹部になると、独身でも官舎に住めるようになる。外で住めるというのは、自分の自宅を持てるという意味でもあって、若い隊員が目指すひとつの区切りでもあった。でも中佐はそんなステップアップは要らないようだった。
「食事はどうされているんですか。自炊ですか」
「まさか。やったとしてもそれは、男の簡単料理のみ。もう慣れ親しんでいる食堂に行くよ。なんだろうな、あの麦が混ざった飯が普通になってしまったんだよな」
「あー、あの麦飯は、最初は衝撃でしたね」
だろう、俺も! と、中佐が笑う。
そんな彼を心優は見上げる。外に出ると違う顔。いつもはなんでもこなす秘書官という、張り詰めた空気を感じているけれど、今日の中佐はどこか気易い。秘書官になる前、現役パイロットだった時は、こんな男っぽくて人懐こい人だったのかなと思ったりする。
「でも。園田も選手時代は、食事管理が厳しかったんだろう」
「そうですね。実家では玄米を混ぜているのは普通でした。家族みんながアスリートなので母が栄養士の資格をもっているぐらい、普段の食事は母がしっかり管理してくれていました。後は寮生活がほとんどでしたから、食事はそこで管理してくれていました」
「で、ホルモン焼き」
また心優の頭の上でクスクスと抑えきれない笑い声が落ちてくる。
「もう、なんですか。うちの兄貴達と食事に行ったら、わたしなんて子供扱いだし、女の子に見えますよ。兄貴達の食べる量を知ったら、中佐だってひっくりかえりますから」
「俺だって、パイロットだったから凄い食っていたほうだけどな!」
なんでそこで、張り合うんですか。と、言いたくなった。
もしかしなくても、この人、根っこがやっぱり体育会系なんだと、やっと実感が湧いてくる。まさか、うちの兄貴達と同じ気質だったりして! それは違っていて欲しいと、心優はひとり頭をぶるぶる振った。
基地を出て、一般道路の舗道を中佐と並んで歩く。海がすぐそばにある小さな港町。微かな潮の香りがする夕暮れ。自転車で帰宅する制服姿の男性もいれば、外に買い物に出てきた若い隊員の姿。女の子同士で楽しそうに外食にでかける女性隊員もいた。
城戸中佐の顔は誰もが知っているので、誰もが会釈をする。その度に、中佐が軽い敬礼を示して返礼している。その顔がもう、あのつくりもののにこにこ笑顔に戻っていた。
「中佐って、ほんと人気者ですよね」
「できれば、そっとしておいて欲しいけれどな」
誰もが知っている中佐殿になると、それなりに苦労はあるのだろう。
基地付近にある飲食店街は、隊員向けのお店が多い。いまどきのファミレスもあるが、ほとんどが長らくここで商売をしてきた古い食堂ばかり。
隊員が通う小さなスナックが並ぶ通りや、夕方になって肉を焼く煙が漂う路地もある。そこに城戸中佐が入っていく。
古びた食堂が並んでいるけれど、どの店も隊員が入っていて夕食時でもあって活気づいている。まるで昭和時代を思わすような細い路地を歩いていると、小さな店の前で中佐が立ち止まった。
店先に、『ホルモン焼き』とそのまんまの紺色ののれんがかけてある。
「ここですか。いかにも!」
「だろう。年季が入ってる」
こういう古くから続いているお店が実は美味しいのよ――と、心優の喉が鳴る。心優が喜ぶ顔を見て、城戸中佐の頬も緩んだ。
「パイロット達が集まる店なんだ。俺も久しぶりなんだけれど、ほんとに美味いから」
心優の喜びも束の間――。パイロット達が集まる店? つまり現役時代によく通っていた店ということになる。しかも『久しぶり』? いつから? まさか現役引退以来とか? 避けていたお店に、急に来ることになったとか?
「どうした。来いよ」
ぐるぐると考えているうちに、中佐は平然とした様子でのれんをくぐってしまう。
――っらっしゃい!
威勢のよい声が店内に響いた。大将らしき強面の親父さんと男性スタッフが二人ほどの店。平日のせいか、まだ客はいなくて心優と中佐の二人が最初のお客さんのようだった。
慣れた様子で中佐が席に座る。心優も促された席に静かに座った。
強面の大将が、水のコップを持ってきてくれる。
「おう、久しぶりやないか。心配しとったで」
低くて重厚感ある声に、眉間に皺が寄る真顔。心優はそのままの厳つさに硬直する。
でも城戸中佐は柔和に微笑んだ。
「ご無沙汰しておりました。まだ、来ています?」
「城戸と一緒だったパイロットは、最近は見ないな」
「それぞれ転属、または結婚して……というところですか」
「そんなところだな。エースさんは久しぶりだよ」
そう言いながら、強面の大将が心優を見下ろした。すごい眼光。睨まれているよう。
「女の子を連れてくるパイロットなんて滅多にいないからな、びっくりしただろうが」
そんな怖い顔で怖い声でびっくりしているのかと、強面だけれど喋る内容は普通のようなので心優も勇気を出してちらりと見てみる。
がっちりと目があって背筋が伸びる。それを見ていた城戸中佐が、またおかしそうに笑いだした。
「ホルモン焼きが好きというので、連れてきたんですよ。彼女、護衛官として採用したんです」
「ご、護衛官だと!」
大将がびっくりのけぞる。でも中佐が誇らしそうに心優を紹介してくれる。
「空手の世界選手権、日本代表選手団の一人で、全国三位の選手だったんです。怪我で引退して、父親の職業である軍隊に転向して、一年前、俺のところに」
「ほんとうか! ってことはよ、彼女が男の将軍様を護衛するってことなのか」
「はい。塚田を投げ飛ばしたんですよ。一瞬で、ですよ。俺ももうびっくりして」
「はあ? あの塚田を!!」
え、少佐を一瞬で床に落としたことはそんなに凄かったのかな――と、心優もびっくりしてしまう。
「あの日、塚田が悔しがって大変だったんですよ。やけ酒に付き合わされて。あの塚田がですよ」
親父さんも『はあー、すげえな』とおののいていたが、心優も塚田少佐を投げた後のことを初めて聞かされて唖然とさせられる。
「そんなに、塚田少佐が悔しがったんですか?」
「ああ、そうだよ。少しは女の園田を困らすことができると思っていたようだけれど、まさかの一発ダウンだったもんな。『ああ、世界が目の前だった選手の実力がよくわかりました』と泣いて泣いてさ」
『へえ、そりゃあたいしたもんだ』と大将も感心しきり。
「おう、そういうことならちょっと待ってな」
挨拶もそこそこに、まだオーダーもしていないのに大将は厨房に消えてしまった。
そのうちに、大将がホルモンが乗った銀皿を二枚持ってきて、心優と城戸大佐の前に置いた。
「これ食って、精つけな。ホルモン焼きが好きなんていう女子、初めてきたからサービスな」
びっくりして、中佐と一緒に目をしばたかせる。
強面だった親父さんが、こんな時に顔を赤くして照れている。
「ん、ほらよう。いざという時、国を護れるよう踏ん張らなきゃいけねえんだろ。食えよ、もう、とにかく食え!」
大将の言葉に、あの城戸中佐が嬉しそうに微笑んだ。
「大将、変わらないですね」
「アホ。うちはパイロット御用達だぞ。今も昔も、ずうっとな。あんたらに護ってもらってきたんだから。たまーにだけど、そのたまのサービスなんだから、有り難く受け取れ」
「では。頂きます。あ、それからいつものコースでお願いします」
『了解』とやっと強面の大将が、にこやかな顔に崩れた。
「俺達を大切にしてくれる店なんだ」
「塚田少佐とたまに来るんですか」
「うん、ほんとうにたまにな。一年ぶりかな。会いたいパイロットも時々いるし、ここなら現場の声も聞けるから」
そうだったんだ。それならよかったと心優も安堵した。現役引退以来の来店で、それまで他のパイロットにも会いたくないぐらいに避けていた店なのかと心配してしまった。
つまり。それぐらいに、秘書室では城戸中佐に現役時代の話題を振ることはタブーだという空気が濃かったのだ。
でも、いまここにいる中佐は、とてもリラックスしているように見える。
「よし、食おう」
中佐から焼き網の上にホルモンを乗せてくれる。
心優も『いただきます』と箸を持った。
「おい、おまえさんたち、ビールはいらねえのか」
次の銀皿を持ってきた大将に尋ねられたが、心優と中佐は揃って首を振っていた。
「園田は遠慮しないで飲んでいいんだぞ」
「いえ。わたしはお酒はあまり飲みません。選手時代からそうなので慣れていないんです。中佐こそ、どうぞ」
「俺も変な癖で、飲むのが怖くてそれなら飲まないという習慣になっているんだよ」
パイロットの時も、秘書官になっても、いつ何が起こるかわからないから飲めないという。
「そっか。ほんとうに、あんたらご苦労さんやなあ。おもいっきり飲ませてやりたいわ」
「いいですよ。そんな。それなら、大将、ライスをお願いしますよ」
中佐が頼んだので、心優も同じく。
「わたしもお願いします」
「わかったよ。ライスは、大と小、」
「俺は大で」
「わたしも大で」
と言った途端、また中佐と、今度は大将まで目を丸くして心優へと視線を走らせた。
「え? あの」
「園田、おまえ……ライスは大なのか」
「はい。……二杯はいけますけど……」
「二杯!?」
中佐が後ろに引いたのがわかった。
大将まで、びっくり目を見開いている。
「そのほっそい身体の、どこにそんなにはいるんや」
「父と兄貴達は、三杯、四杯は食べるのでわたしは少ないほうなんですけど」
そうしたら、また城戸中佐が『わはははは』と大声で笑い始めた。そばにいた大将も、今度は笑い飛ばす中佐を見て目を丸くしている。
「た、大将。ライス大で、その、彼女に、二杯、持ってきてあげて」
涙目で息を弾ませながら、中佐が注文してしまう。しかも、二杯。
「その子にはたまげたわ。もうライスもサービスにつけちゃるわ。たらふく食ってけ」
そうして、心優の前に『ライス大』が二杯置かれた。
焼けてきたホルモンを、中佐と一緒に食べ始めても、彼はずっと笑っていた。やっと笑いが収まったと思ったら、心優と目が合うとまたクスクスと笑う始末。
「中佐。笑いすぎですよ。わたし、傷つくんですけど!」
「あはは。どうして。俺は気に入ったよ。ほんと、マジで」
「ほんとですか~? もう、絶対に大食いボサ子だって笑っている」
「大食いボサ子!」
また笑い出してしまって、もう、今日の中佐はどうしようもない。
厨房にいる大将が、そんな城戸中佐を見て、なんとなく涙ぐんでいるように見えたのは気のせいだったのか……?
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