2.ご立腹ですか、中佐殿
国防の最前線を見つめていた眼差しに、心優は吸い込まれそうになっていた。
でも、背後にいるこの大きな人をわたしが護らなくてはならない……。
この人を、これから?
後ろにいる中佐殿をつい見入っていることは、背後をがら空きにしていることになる。
そんなぼうっと中佐殿に見とれている隙をつかれ、『暴漢の手』が心優の肩を掴んだ。
反射的とはこういうことをいう。直ぐに正面に向き直り、頭を下げ構えを取り、目線は敵の顔、目!
上目に睨むとその男と目が合う。男の冷めた目が少し驚きの色を含んでいたように思えたが、いまの心優にとって頭に浮かび飛び出した指令は、足を上げること!
――っく!
心優の肩を掴もうとした男の手がサッと引っ込み消える。
あちらも上手。この場合、たいがいの相手の腕は大きく弾き飛ばされ、身体の重心を失いよろめいているはず。だが、塚田少佐はそうならずサッと素早く後退。深入りはしない。しかもそこでもう戦闘態勢の構えを整えていた。
暴漢役を仰せつかった男の目が変わる。そして心優も中佐殿を背に構え威嚇する。
頭の上で『すげえ』と中佐殿の軽い感嘆が落ちてきた。
「うわ、怖いよ。園田さん。あの男の目、すごく怖くなっちゃったよ」
なんて、中佐殿はこの場を楽しんでいる。が、心優はそんな余裕はない。たぶん、少佐殿も。いや、あちらは『本気』になられた模様。密かに心優の背筋が凍る。
父の教え子というなら、相当厳しい組み手をやってきたはず。
なんだ、本気になるとすごい護衛がいるじゃない。さすが将軍様の秘書室。そして心優の中で熱いものが沸き上がる感覚。久しぶりの……。
そして動けない。あちらも心優の目を見たまま、動こうとしない。
眼を見れば解る。父と組み手を何度もしてきた男だと。これだけの補佐がいれば、自分なんて。眼鏡の少佐も、きっとおなじことを思っているだろう。あの教官の娘……。その女が中佐殿の傍に来るとしたら、なんて考えてくれているのだろうか。
それを見極めなければいけない。そして、見極められる! 向こうから頭を低くし、心優の懐に割り込もうと決してきた。
だけど、残念。心優には見える。『どこを取れば、この男が仰向けにひっくりかえるか』が。お得意の空手ではない、これは兄に教えてもらった柔道の手。
こことここを掴めば、女の力でもゆうに大男を落とせる。そんなことは体格の良い兄を相手に、何回もやってきたこと!
腰、足、彼を宙に浮かす『中心軸』。兄より小さな男は容易い。少佐の足が浮き、身体をひねられ心優の手元であっという間に回転する。
――塚田!
心優の背後に、そんな中佐殿の驚嘆の声が。
この女に守られているはずの男が、模擬とはいえ、部下の男を空中でひっくりかえされ、なおかつ『ドシン』と床に叩きつけられ、背後から飛び出してきた。
「うわ、塚田。マジか」
「……ちゅ、中佐。面目ない」
床に仰向けになった少佐の傍に、城戸中佐が跪き案ずる顔。
額の汗をふいに拭った中佐の目つきが、そこで瞬時に冷めた目になった。
その目で、心優は見上げられる。ドキリとする。怒った目でもないが、心優の体技を讃える目でもない。
すっくと立ち上がった中佐は、先程までの『おちゃらけ』もどこへやら。真顔で元の席に戻っていく。遅れて、塚田少佐も腰を押さえながら席に戻った。
心優も合わせて、面接の椅子に腰を落とす。男二人がなにを相談している訳でもなく、ただ無言で目線を合わせ頷いているだけ……。
眼鏡の少佐が静かに言った。
「お見事でした。さすが、園田教官のお嬢様です。納得です。そして、ご苦労様でした。本日の面接はここまでです。お疲れ様です」
え、あの……。
予習して練習してきたような質問もなく、答えることもなく。ほんの少しの会話と、いまの組み手だけで終わり?
その組み手が終わった途端、男達の空気が凍ったようになって、そして、特にそれに関しての言葉もなく『お疲れ様でした』と終わってしまった。
そして、中佐殿はもう笑っていない。むしろ、真顔で怖い。
もしかして……。やってみてくれと言われて、本気になりすぎた? 機嫌を損ねた?
「どうした。もうこれで終了だ。まだ待機している女性隊員が多数いるのでね」
あんなににこにこしていたのに。城戸中佐は、それが本来の冷徹な秘書官と言うべき姿に変貌していた。そしてそれは心優を凍らせる。
「ありがとうございました。失礼いたします」
一礼をし、退室前の敬礼も忘れずに、心優はもう少しで項垂れそうになる姿勢をなんとか正し、面接室の外へ出た。
ああ、終わった。
こんな中央基地で、大隊長、将軍様の主席秘書官である中佐殿に会うだけで、一週間前から緊張してきた。
それが終わった。そんなホッとした気持ちと。
ああ、もうきっとダメだな。落ちたに決まっていると、面接官の男二人の反応を見て落胆する気持ち。
おかしいな。落ちることなんてわかっていて来ただけなのに。父がうるさいから、ひとまず受けただけなのに。なんでがっかりしているんだろう。
心優は不思議に感じてしまっていた。
―◆・◆・◆・◆・◆―
騒々しい面接を終え、外廊下にでるとまだ待機している女性が十数名ほど並んで座っている。
「賑やかでしたね。どのようなことを話されていたのですか」
緊張して待っている彼女達に尋ねられたが、心優は『面接のことは言えないことになっています』と断った。
ほっとひと息つきたいところだけれど、どうしたことか、心優は興奮していた。
初めての横須賀基地。面接会場となった空部大隊本部会議室前の廊下には、黒ネクタイの軍制服を凛と着こなした綺麗な女性ばかりが並んで座り、待機していた。
聞けば、地方駐屯地から抜擢されたのは数名で、ほとんどが現地である横須賀基地に勤める女性事務官ばかりだった。これは勝ち目がないと思った。
勝負は決まっている。横須賀基地に既に配属されている女性は、民間の企業で言えば、東京本社に配属されたエリート女性事務官と言っても良い。
地方から呼ばれた女性隊員は、単なる物珍しいなにかがあって『一応、会ってみるか』程度で呼ばれたのだろう。
――物珍しさねえ。 心優はため息をついていた。そう『格闘一家の末娘、武道教官の娘』。そんな物珍しさなのでしょう。
しかも並んで座っていると、日々、大基地で切磋琢磨されてきた女性隊員と、規模が小さい地方駐屯地でゆったり業務に勤しんでいる女性隊員は、すぐに見分けが着いた。
本社で感性が磨かれる女性と、地方支社でそれなりに過ごしている女性の差があった。
横須賀基地所属の女性達は、誰もが同じ制服を着ているというのに、気品で溢れている。きちんと整えた髪型に、清楚なメイク、品の良い立ち居振る舞い。どれも違った。本当に『中央の女』。
それに比べて、心優は切りっぱなしのおかっぱ頭で、さっぱりしたメイクをしているだけ。この面接のために、久しぶりに眉を整えたというほどに無頓着。男社会だから、誰も見ていないからと、女性の嗜みにはかなり無関心に過ごしてきた。
そんな田舎臭さがもろに出ていた。
その点から見ても、海軍のパイロット達を総まとめしている大隊本部の隊長様の秘書室なんて……『似つかわしくない、相応しくない、ムリ!』。
もう面接も終わった。あんなドタバタした面接、しかも……あの塚田氏の最後の不機嫌そうな顔。きっと採用されることはないだろう。
さあ、帰ろう。浜松の航空基地に帰ろう。
それから二週間後。浜松基地の上官から報される。
『おめでとう。横須賀基地、空部大隊本部、秘書室への辞令が出た。採用だよ』
え?
もうだめだと思っていたのに。あんな変な面接だったのに。つい本気になって、目上の男性に勝ってしまい恥をかかせたのに。
それが一年前、中佐殿との出会い。
心優はいま、城戸中佐秘書室の紅一点として、秘書官を務めている。
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