お許しください、大佐殿

市來 茉莉

1.セクハラですよ、中佐殿




 横須賀基地の海上。今日も白い戦闘機が青空へと高く昇っていく。


 その青さに魅せられて、どこまでいけるかと上昇を続けると、見たこともない静かな静かな藍の天蓋が見えるのだと――。

 宇宙を目の前にしたことがある人達が、そう教えてくれた。


 この話ができる人間は限られている。

 彼等は、戦闘機パイロット。

 空の果てまで行くことができる者達。


 


 「いいカラダしているねえー」

 

 このひと言が中佐殿との出会い。


 黒のジャケットに白いワイシャツ、黒ネクタイ。

 肩には肩章に、位を示す金の星と、金のライン。

 基地にいる者の軍隊制服。ここはその制服姿の海軍軍人と事務官で溢れている大基地。


 突然のことだったが、心優ミユに白羽の矢が立ち、城戸中佐と面会することに。それが中佐殿との初対面。


 


 城戸 雅臣まさおみ中佐殿。

 元戦闘機パイロット。

 現在は、空部隊本部隊長 秘書室 室長。将軍付きのエリート秘書官。


 


 国防の最前線である領空ギリギリのところで、マッハの判断を強いられてきた防衛パイロット。横須賀基地エースチームの一員だったと聞く。


 


 そんな上官と、急に面会することになり、心優はずっと緊張しっぱなし。


「園田さん。まずはお座りください」


 眼鏡をかけている補佐官の男性に促され、心優はその椅子に腰をかける。


「ようこそ。空部大隊本部隊長、長沼准将の秘書を務める『城戸』です。今日は浜松から来てくれてありがとう」

 城戸中佐――。

 座って向き合うと正面にその人がいた。


 

 他の男性とは明らかに雰囲気が違う。そして彼は微笑みを湛えていた。とても柔らかい雰囲気に包まれている。でも細身ながら肩や胸板ががっしりして、鍛えられた体格であることは、武道をしてきた心優には一目瞭然で、『戦闘機パイロット』だったという経歴もすぐに頷ける姿。

 なのに心優に話しかけるのは中佐殿ではなかった。にっこり存在感を醸し出している中佐殿の隣に控える、涼やかな面差しの眼鏡の男性。

「補佐官の塚田です。経歴書を見させて頂きました。いくつかお伺いいたしますね。沼津のご出身、お父様は横須賀訓練校の教官をされていますね」

 その眼鏡の彼が経歴書を眺め進行している。

 むしろその冷たい顔をしている彼の方が『中佐殿のイメージ』だったのに。しかし彼の肩にある肩章は『少佐殿』。中佐殿はにっこりにこにこ、黙って補佐に任せた面接を眺めているだけ。

「お兄様もそれぞれ武道に携わっておりますね。格闘一家というところでしょうか。園田さんは、おいくつぐらいから空手をされるようになられたのですか」

 眼鏡の男性の問いに、心優も淡々と答える。

「覚えておりません。もの心つくまえにはもう、」

 その時だった。にこにこしている中佐殿が唐突に言葉を挟んだ。

「いいカラダしているねー」

 は? そう言いそうになって、心優はなんとか口を閉じ飲み込んだ。礼儀にうるさい軍隊で、無礼な反応はあってはならないから。

 だけれど、心優だけではなかった。中佐の脇にいる補佐官の男性達も同じく『は?』と目を点にして上官の彼を見ている。

「ちょっと立ってみて」

 中佐殿からのやっとのお言葉だったから、心優も咄嗟に立ち上がっていた。

「くるっとひとまわり」

 今度は戸惑った。すると眼鏡の補佐官が冷めた眼差しで、中佐殿に言う。

「中佐。……そのような発言に指示は、昨今では『セクシャルハラスメント』とされますので、慎んで頂けますか」

「いいじゃん。それでもいいよ、自分は」

 にっこり親しみある微笑みが、不敵な笑みにかわった。ちょっと意地悪く唇をあげて、楽しそうな目で心優を真っ直ぐに見ている。

「セクハラって、どこからがセクハラなんだ? 園田さん。今のはセクハラ?」

 本当にセクハラをされたらどうするのか。いきなり女性にとって難しい問題を突きつけられている気がした。

「いえ、その……。私はそんな……セク……、いえ、嫌な気持ちはひとつも感じておりません」

 確かに『いいカラダ』と言われながら、上から下までじろじろ見られたのはやや困惑したけれど。緊張のあまり、そんな嫌な言葉だと思う間もなかった。

「塚田、嫌じゃなかったと言っている。女性が嫌でなければ、セクハラではないだろう?」

「そうやって、上官の権限で威圧的に抗議を前もって抑え込むと、今度は『パワーハラスメント』となりますけれどね」

 眼鏡の少佐殿が、呆れた溜め息をこぼし、不機嫌そうな顔になる。

「いままで男性同士では平気で使っていた言葉遣いも、今後は気をつけなくてはなりませんよ。城戸中佐」

「あー、うるさいのが始まった。おまえのほうが意識しすぎだろっ。園田さんは別に厭らしく思っていないのに、おまえが厭らしく捉えただけだ」

「かもしれませんが? それでも彼女もびっくりしていたではありませんか。言葉遣いを気をつけてくださいと言うことです」

 眼鏡の塚田少佐。中佐殿に遠慮ない物言い。この方が一番の補佐だということが良くわかる。

 そして彼は冷静に言い返す。

「わかっていますよ。中佐は、園田さんの『体格』のことをおっしゃっているのでしょう。ですが女性に『いいカラダ』は別の意味に誤解されやすいひとことでもありますので、お気をつけください」

「わ、わかったよ。もう」

 ふて腐れた中佐殿がぷんとそっぽを向く。

「園田さん。中佐は、あなたの鍛え抜かれた体格のことを言っておられるのです。失礼いたしました」

「いいえ、なんとも思っておりませんから、大丈夫です。あの、中佐も。いいカラダ、されておりますよね」

 心優も立たされたまま、そう言ってみた。

 今度はあちらが目を丸くして静止している。そして眼鏡の塚田少佐と顔を見合わせている。

「戦闘機では7G、時には8Gでさえも当たり前だったことでしょう。私もひと目でわかります。怪我をするまでは父や兄を追って武道一筋でした。いまでも私の身体に染みついております。唯一、胸を張れることです。そんな私のそれまでのことに気がついてくださって、有り難うございます」

 選手だったころに比べれば、いまはもうそのカラダではない。でも日々の鍛練はなるべく怠らないように……。違う、それをすることでしか自信がもてないから。

「ありがとう。こちらもうっかり申し訳ない。なにせ男所帯で、女性慣れしていないのでね」

「あの、」

 こちらから質問をして良いのか躊躇っていると、にっこりと城戸中佐が『どうぞ』と柔和に促してくれる。

「あの、空部の本部事務所に女性事務官はいらっしゃらないのですか」

「いるよ、本部室の事務官ならね。でも秘書室は別。少数精鋭のチームワークで准将殿をお守りしなくてはならない」

「そのような大変な部署に、わざわざ女性をお求めなのですか」

「うーん。なんて言えばいいのかな。うーん」

 中佐殿が返答に困り果てていると、眼鏡の塚田少佐がため息をつきながら、ひと言で告げる。

「女性ならではの感性が秘書室にも必要と判断しての、今回の面接です」

 女性らしい感性? ますます自分にはムリ。心優はそう思った。

 だが中佐が、唸った末にやっとひと言。

「そうそう。俺達にはムリなんだよな。あの人みたいな上官もいることだし……なあ」

「別にあのお方の為だけではありませんよ。いまは女性の感性も大事な要素です」

「そうだ、そうだ。うんうん」

 あのお方? 眉をひそめる。その方の為に女性が必要――とも聞こえた。


 どうして女性を求めているのだろう?


 中佐殿の秘書室で『初めて女性隊員を募る』ということでこの面接が行われている。

 希望者を募るものではなく、秘書室側である程度の候補を探しての面接だった。

 それまで地方駐屯地で、それなりの業務隊員をしていた心優にも白羽の矢が立った。

 横須賀基地は国際連合軍の日本支部を司る中央。正直、何故自分が――という驚きもあったが、候補にあがってしまった理由もすぐに見つけてしまう。

 おそらく、心優の父親もこの軍隊に携わっている『横須賀基地、訓練校の訓練教官』だからなのだろうと察した。


 選ばれることは光栄だろうけれど、それが親の七光りとなると自信は喪失する。そんなの実力でも何でもないじゃない。単なる二世隊員にめぼしをつけただけじゃない。こんな面接……。そう思った。

 だけれど父親に『横須賀基地の、しかも空部隊を一手に率いる大隊本部秘書室の所属になれるだなんて、こんなチャンスは滅多にない。受けるだけ受けてみなさい』と、きつく言われた。

 訓練校の教官で退官を目の前にしている父親にしてみれば、中枢の業務に携わることはとても名誉に思えるのだろう。


 心優の実家は体育会系ファミリー。父は若き頃、インターハイにて日本一。長男の兄は有名体育大学柔道部のコーチ。次男の兄は格闘技道場を経営している。末っ子の心優も、兄達の後ろにくっついているうちに、もの心着いた時には、彼等と一緒に武道に邁進。

 兄は柔道、二番目の兄は格闘技全般。心優は父と同様、空手に勤しんだ。

 心優も日本一が目の前だった。だけれど、大学生になって怪我をした……。そこで競技の第一線でやっていけなくなったことを悟り、この軍隊へと切り替えた。

 女子訓練校に入校し、鍛えた身体を武器にして、この軍隊で事務官として生きていくことにした。

 淡々と事務官として過ごしているうちに、いま、横須賀基地の空部隊大隊本部の秘書官に呼ばれて面接に。

 どうして私なのだろう。心優はまだ不思議で不思議でしようがない。もう退いた武道しか取り柄がないから。


「あ、せっかくだから。塚田と組んでみてもらおうかな」

 『組む』のひとことで、心優は硬直する。

「ここで、でございますか」

「うん。自慢の腕前を見てみたいな。だって、もう二度と会えないかもしれないでしょう」

 ムリ――と自分で落としておきながら、にっこり中佐が当たり前のように『もう会えない』と口にしたことに、胸がズキリと痛んだ。

「しかし。彼女は本日は道場着ではなく、女性の制服ですし」

 塚田少佐も心優の姿をひと眺め。本日は面接のため、心優はいつもの肩章付きのジャケットに、タイトスカートを着用していた。

 いつもはスラックスなのに――。噛みしめる。自分の一番いいところを見せるチャンスをなくしている。

「いえ。私は構いません」

 そうだ。たとえスカートを着用していても、護衛でいざというその時は、どのような恰好をしていても体を動かさねばならないだろう。

「だ、そうだ。塚田」

「仕方ありませんね」

 ため息をつきながら、塚田少佐が立ち上がる。背丈は、日本男子標準といったところ。城戸中佐よりはもっとほっそりしている。なのに彼は少佐の肩章が付いているジャケットを脱いで、その気になっている。

 その身体を見て、心優もやっと理解する。彼も武道を嗜んでいる身体。中佐殿のオーラに圧されて、中佐より細い彼の身体が霞んでいただけ。

 そして中佐はなんだかワクワクしている子供のように目を輝かせ楽しそう。

「塚田は、君のお父さんの教え子だよ」

 え……。心優は驚き、眼鏡の彼を見た。

「もっと若い頃の話です。それに園田教官の教え子はごまんといます。その中のひとりに過ぎません」

「ご謙遜を」

 と中佐がクスクスと笑っている。

「そうだ。せっかくだから、臨場感を出そう。俺、園田さんに護衛してもらう上官をする。塚田が暴漢な」

「暴漢って、嫌な言い方ですね」

 まるで、今日の遊びを思い付いたように中佐殿はウキウキとして席を立ち、あっという間に心優の傍に来た。

「守ってよ、園田さん」

 にっこりにこにこの笑顔で、上から顔を覗き込まれ、さすがに心優はドキリとしてしまう。

 キリッとした眉に、大きな黒い目。陽気な男の子がそのまま大きくなったような――。おおらかそうな男性。

 秘書官も、元パイロットも、もっと怖い目でキリキリしているのかと思っていた。


 


 制服ジャケットを着たまま、心優は中佐殿の一番補佐であろう男との組み手を望まれる。

 眼鏡の少佐もジャケットは脱いだものの黒ネクタイは緩めず。そのままの姿で、心優の目の前へと立った。


「はい。園田さん。ちょっと気が散っているな。集中して」

 中佐が心優の肩を柔らかに掴む。

 指が長い大きな手。戦闘機の操縦桿を握っていた手だと思うと、妙にドキドキするから不思議だった。

 どんなパイロットだったのかな。

 ふと彼を見上げてしまう。ちょっと訝しそうに首を傾げる彼と目が合ってしまった。

 ――隙だらけ、ですね。

 はっと我に返る。その時はもう始められていた!

 


 

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