第185話 背骨は危険 ★
こんばんは。
いすみ 静江です。
今日は、『AI巫女にマリッジリングを贈りたい』の完結した日でした。
いつもよりもキラキラしたドレスを着たSNS用の絵を用意したりしていました。
また、朝になってから、本文の手直しをしたりして、予定よりも少し遅くなってしまいました。
ラストは、これでもかと気合いが入っているつもりです。
きちんとしたものの方がいいと思いましたので、修正を優先してしまい、お待ちの方にはご迷惑をお掛けいたしました。
◇◇◇
一方、私が、『ひまわりの氾濫 ―ゴッホの芸術と人に迫る―』を書くに当たってのご質問がありました。
いい機会にと、少々まとまった内心を返信として書きました。
こちらに引用しておきます。
『ひまわりの氾濫 ―ゴッホの芸術と人に迫る―』の「コメント欄の返信より」
ここから================
○○様
こんばんは。おいでくださり、ありがとうございます。<(_ _)>
コメントありがとうございます。
私のことですが、小学一年生から、藝大の先生に絵画を習っておりました。
男性の先生一人に対して生徒は二名です。
小学生の頃は精神的にも肉体的にもいじめがエスカレートしており、進学先の公立中学校は越境入学が許されていないのに、校内暴力が横行しておりました。
そこで、芸術の授業に力を入れている私立の中学校へと遠方でしたが、進学いたしました。
その中学校では、中学一年生から美術史も取り入れておりました。
私は、人の原始的な欲求を発散する術として始まったかも知れないなど、古代の文明に恋をし、美術史で知り得た絵画やそれを裏付ける画家に興味を持ち始めました。
高校生になると、美術史の先生の手伝いもしておりました。
大学にいたっては、一人暮らしでお金がないのに、これはいいと、いい本を買ったりして美術好きもいい所です。
そして、一方で益子焼等、陶芸についても縁があります。
話は変わり、私は病気を色々としました。
病院にゴッホの絵画があったときは、院長先生は分かっていて飾っているのだなと思いました。
また、同年代のジャポニズムも飾ってありました。
湾岸戦争の前、一人、ヨーロッパへ行きました。
何と、パリではナンパされると言うユニークな話があって、困ったものです。
その旅行で、印象派とも出会いました。
ジャポニズムと印象派と病院、これらの交点にあるものが、「ファン・ゴッホ」なる画家であると感じ得たのです。
人生に与えた影響は、一言でいえば、『私の背骨』です。
様々な時代の画家を浅学ながら好んでおりますが、ファン・ゴッホのオリジナルな生き方は、同情ではなく、自身が感じることのできる存在だと思います。
私は、生後三ヵ月で病気をしてから、薬を欠かしません。
寝ていても夫に薬は飲まないと駄目だと沢山放り込まれることも長くありました。
現在、一人で服薬できるようになりました。
ファン・ゴッホの時代、もしもいい薬と出会えていたらと思うと感慨深いものがあります。
私もこの薬に落ち着くのにどれ程かかったのか、入院したのか、振り返ると、そこには夫という家族がいたと思います。
その胸に一杯あるものを作品に託しました。
聞いてくださり、ありがとうございます。
応援してくださり、誠にありがとうございます。
ぺこり_(._.)_🌻
================ここまで
がんばって、書いてみました。
◇◇◇
寒いので、皆さんお体にお気を付けてくださいね。
巣ごもりし過ぎて卵があたたまってます。
◇◇◇
おつかれーしょん!
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