「憤怒」のミザリー

 その少し前、天界。ジンたちがミツメへと帰還した頃、セイラとノエルはソフィアから託されたある任務を遂行しようと創世の神殿にいた。

 

 いつものように、昼下がりの神殿には人影は少ない。

 しかしそんな少数であっても、ゼウスからの勅命を受けることで最近頻繁にここを出入りしているセイラとノエルを知る者の割合は高かった。自然と交わされる挨拶の数も多くなるというものである。

 廊下を歩いていると、面識のないはずの相手がこちらを見て片手を上げた。


「よーう、セイラにノエル、だっけ。今日も何か呼び出しか?」


 問いかけに対し、ノエルがわずかに首を横に振って応える。


「いいや。でもここをうろついてたら何かあった時に早く動けるだろ?」

「おおー真面目だなぁ。頑張れよ」

「そっちもな」


 そう言ってお互い廊下を違う方向へと歩いていく。

 この時間にここにいる精霊はほぼ各部隊が持ち回りで派遣している警備兵しかいない。

 暇つぶしで来る者は、もう少しして訓練や仕事が終わる時間になってからだ。

 

 廊下をゆっくりと歩きながら周りに誰もいないことを確認しつつ、セイラが小声でささやくようにして話す。


「どう思う?」

「まあ、今の段階じゃ何とも言えねえな」

「そうよね……」


 音を立てるものも特にない神殿内に、二つのこつこつという足音が静かに響く。

 セイラは再度ノエルの方へと顔を向けて口を開いた。


「とりあえず行くわよ」

「どこへだよ、まさか」

「ええ。決まってるじゃない」


 そう言ってセイラは一人足を早めてノエルの先を行く。


 数分後、二人は神殿内にある売店前の椅子に座っていた。二人の他に、周囲に精霊は全くいない。

 妙な形のクッキーを抱えるだけ抱えたセイラが食事の合間に喋る。


「ほら、あんたも食べなさいよ」

「いきなりゼウス様の部屋に行くのかと思ったじゃねえか。お前何やってんだよ……任務のことを忘れたってわけじゃねえだろうけど」


 セイラから袋ごと放られたクッキーを受け取り、口に含んでそう言うノエル。


「むぐむぐ……うん。やっぱりこれおいしいわね、最高神ゼウスクッキー。見た目も可愛いし、街でも売ってくれたらいいのに」

「可愛いか? まあたしかに美味いのは美味いけど……」


 ノエルはクッキーをまた一つ取り出して渋い表情で眺めている。

 形は何通りかあるようだ。ゼウスの顔を模したと思われるものやその髭を模したと思われるものなど。


「まあそれはさておきよ。もちろん、私も何の考えも無しにこれを買ったわけじゃないわ」

「……どういうことだよ」


 いや絶対ただクッキー食いたかっただけだろ、とでも言いたそうな視線を、ノエルは呆れ顔で送っている。

 それを受け止めたセイラは得意げな顔になって立ち上がり、振り返った。


「ついてきて」


 そしてまた数分後。今度は、二人は大広間に並べられた椅子に腰かけていた。

 イベントの際によく使われる場所で、ジンが鏡越しにティナに一目ぼれをした場所でもある。

 またしてもクッキーをむさぼりながら、セイラは自分の考えを説明していく。


「ゼウス様の部屋に行くには必ずここを通らなきゃいけないでしょ。せっかくなら偉い人とかが通った後に盗み聞きしにいくのがいいと思うの。どう?」

「まあたしかに部屋の前にずっといるってのも怪しいし、悪くはないかもな」

「でしょでしょ!?」


 賛同してもらえたのが嬉しいらしく、拳を振りながら笑顔も振りまくセイラ。

 ちなみにゼウスの部屋に行くのに、必ずここを通らなければならないというのは正確な表現ではない。

 大広間を通らない道のりだとかなり効率が悪く、実質的にここを通らなければならないというのが実際のところなのである。


 二人が今回ソフィアから受けた任務というのは、「ゼウスが必要以上にシナリオの進行に拘る理由とは何かを調べる」というものだ。

 神の腹を探るどころか調べるとなると二人としてはかなり抵抗があった。

 それでも同じ神でゼウスとほぼ同じ力や権限を発動することの出来るソフィアのお願いとあって、承諾した形だ。


 ソフィアが二人を選んだ理由としては二つある。

 一つは、顔見知りでかつ信頼が置けるということ。

 もう一つは、ゼウスから可愛がられており、いざ自分のことを調査しているということがばれても、悪いようにはしないだろうということ。


 本当はソフィア自身が動ければ一番いいのだが、何か用がない限り彼女がフォークロアーを訪れること自体が多少不自然ではあるし、ゼウスが警戒してしまう可能性がある。

 その心配もゼウスが何か隠し事をしていること前提のものではあるが。


 二人がソフィアを裏切ってゼウスにこの任務を伝える可能性については考えていない。セイラとノエルはジンの影響もあって、他の精霊ほどゼウスのことを崇拝してはいないというのがその理由だ。

 それにソフィアの口から直接ゼウスを疑っている理由を伝えてお願いすれば、事情を理解して協力してくれる性格であるということも知っている。


「……まあ、俺らが知ってりゃ早かったんだけどな」

「何がよ?」


 突然のノエルのつぶやきに、セイラが反応した。

 ノエルは周囲を確認してから声を潜める。


「ゼウス様がシナリオの進行に拘る理由だよ」

「ああ、うん。まあそうね」


 それに関して全く知らないどころか、今までシナリオ通りに下界の時間を進めることに関して疑うことすらしなかった。

 生まれてからこれまで、二人にとってそれは当然のことだったからだ。誰も食事をする時に食器を使う理由など考えはしないだろう。


 少し二人の間に沈黙が流れた後、ノエルの顔がセイラの方を向いた。


「ていうか、やっぱりクッキー買う必要なかったんじゃねえの」

「あ、ばれちゃった? まあいいじゃん、私これ好きなのよ」


 悪びれた風もなく、軽く舌を出しておどけるセイラ。呆れるノエルだが、ある一点を見つめて不意にその顔を引き締めて立ち上がる。

 セイラもノエルの視線の先を追ってクッキーを置き、追随した。ゼウスの髭を象徴する敬礼のポーズを取り、揃えて口を開く。


「「ミザリー隊長、お疲れ様です!」」


 まぶしい程の鮮やかな赤の長髪を後ろで結っている。

 青い瞳に世界を映すやや小柄な少女は、二人の前まで来て立ち止まり、敬礼のポーズを取って返事をした。


「あら、お疲れ様。最近話題のセイラちゃんとノエル君かな?」


 その喋り方からは元気なお姉さんといった印象を受ける。

 セイラは手を後ろに回して組んでからやや緊張した声音で言う。


「はい、あの、それもスキルで……?」

「スキルはこんなところじゃ使わないかな。君たちはいい意味で有名だからね、ゼウス様から信頼されてるーって」

「恐縮です……」


 苦笑するミザリーに、どう反応していいかわからず強張るセイラ。

 そこで真顔のまま表情を崩さないノエルが口を開いた。


「ミザリー隊長は、ゼウス様に御用ですか?」

「そうそう。呼び出しを受けちゃってねー。彼氏とデートの約束もあるから、ちゃちゃっと行ってちゃちゃっと帰ろうってとこ」

「デート……」


 反応して思わずつぶやいてしまったセイラの目からは、緊張の色が消えていた。

 セイラの方に歩み寄って顔を近付けてから、ミザリーはからかうような笑みを浮かべる。


「おっ、反応したね。さっすがは女の子。詳しく聞きたい?」

「あっ、いえその、失礼しました」

「ぜーんぜん失礼なんかじゃないよ。そういうの大歓迎。セイラちゃんみたいな可愛い子だったらなおさら!」


 顔を離して親指を立てるミザリーに、セイラは顔をほころばせた。


「それじゃ私は行くから! セイラちゃん、また今度お話しようね。ノエル君もばいばい!」


 そう言って踵を返し、ミザリーは去っていった。

 精霊部隊の正装である白いマントの背中には、太陽と二つの目が描かれている。


「『憤怒』のミザリー……あんまり会話したことなかったけど、すごく気さくな人ね。元気なお姉ちゃんって感じだった」

「ああ。何つーか……いち精霊部隊の隊長とは思えねえよな」

「それは他の隊長二人がおかし過ぎるからじゃないの?」

「違いねえ」


 自分たちが所属する部隊の隊長と、ジンの兄の顔を思い浮かべながら、二人は笑い合った。

 それが止むと、少しばつが悪そうな顔になってノエルが言う。


「あんないい人の会話を盗み聞きするなんてのは気が引けるけど……」

「うん。やるしかない、よね」


 応じるセイラの顔もどこか申し訳なさそうだ。

 しかし顔を見合わせると真剣な顔を作ってうなずき、二人はゼウスの部屋を目指した。

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