第4話

冬が近づいてきていた。冬はすきだ。少しうつむき気味で歩いていても変に思われにくいし、マフラーやマスクは顔を隠すことに適している。街をゆく人々の洋服も暗めの色になりがちだから溶け込みやすい。一人で過ごすのにうってつけだ。

 だけど今年は、ワインレッドのマフラーを購入した。今まで手に取ったことのない色だった。お店でマネキンの身に着けているそれを見つけたとき、私はなんのためらいもなくそれを買おうと思った。あれは私のためのものだと確信に近い感覚さえあった。

帰宅してから鏡の前でそれを首に巻いてみると、意外なほど私に似合った。しばらく色んな巻き方を試していると、しだいに髪の毛のことが気になりだした。長すぎる前髪が、このマフラーにふさわしくなかった。だから鋏を持ってきて、さきさきと切ってみた。洗面台に落ちていく髪の毛の束。あと片づけが面倒だなと思いながらも鋏を動かす手を止めずに断ち切り続けた。いくぶんかして改めて鏡の中の自分と目を合わせると変な感じがした。

私、こんな顔をしていたっけ。毎日見ていたはずなのに、そこにいたのはおよそ自分らしくない私だった。彼に見られるのに、私は、いったいなんてひどい顔をしているんだろう。このままではとてもいられない。

洗面台に横たわるいくつもの細かい髪の毛の束。これは過去の私だ。もうそんなものに未練なんかない。決別し、新たな自分と会うべきだ。

今まで使ったことのないリップを塗る。メイクを変える。ファッションもアクセサリーも、自分には似合わないと思っていたものを身に着ける。前髪を切ったおかげで、視界がいつもよりも広くなった。

 外へ出ると、冬の太陽が正面から照らしていた。以前まで永久凍土のように私の中に存在し続けた罪悪感は溶け去り、ためらいも後ろめたさもいっしょに消えていったようだった。私は私を許す。だから自信を持って、一歩を踏み出した。

目に入ってくる景色の全てが瑞々しかった。窓ガラスに映る自分のシルエット、コツコツと鳴るヒールの音、短くした髪の毛を触る風。蛹から生まれ変わった蝶が初めて空を泳ぐように、全てが新鮮で刺激的だった。

すれ違う人々の私を見る目が違うことに気づくのに時間はかからなかった。その視線は私を好意的な目で見ていた。

首元にはワインレッドのマフラー。私はとても強くなった気分で、このまま彼のところへ行こうと思った。

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海に落ちる(長編) 進藤翼 @shin-D-ou

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