第5話 第一のミッション、クリア
ドアを開けて、笑顔を浮かべる。
「メニー、ママとアメリが出かけたみたい」
馬車を見送り、すぐにメニーの部屋に押しかけた。読書を中断させたメニーがおどおどと頷く。
「あ……はい……。街にお出かけなさるとか……」
「いいタイミングよ。メニー、屋敷を冒険しない?」
「……冒険?」
冒険、という言葉に、メニーが反応した。
(来た)
あたしは正しい道を見つけたのだ。
(読書好きの好奇心旺盛な純粋少女の興味ありそうなことの一つ)
ひっろい場所での冒険!!
あたしは笑顔で、頭の中で釣竿をメニーにちらつかせる。
「今ならママもアメリもいない。なにをしたって見られないし怒られない」
「あ……でも……」
「部屋にこもってばかりじゃ体に悪いわ。いい? メニー。この冒険のことは二人だけの秘密の時間よ」
そう言ってメニーの腕を掴んだ。
「あ」
「メニー!」
あたしは口角を上げる。
「行くわよ!」
メニーが目を見開く。腕を引っ張る。簡単にメニーが部屋から足を出す。そのまま走り込み、あたしたちは階段を上る。
「メニー」
声をひそめてしゃがみこむ。メニーもしゃがみこむ。向こうから、使用人が歩いていた。
「しーい」
あたしは人差し指を立てる。メニーが口を閉じて頷く。使用人が通り過ぎる。あたしはにやりとして、再びメニーの手を掴み、上へ上がる。
辿り着くのは、薄暗い屋根裏部屋。
本来、メニーが使うはずだった部屋だ。現在は、メイドたちが掃除をしているだけあって、屋根裏部屋も綺麗に管理されていた。ここには基本なにもない。非常食などが置かれているだけ。
あたしとメニーが屋根裏部屋を眺める。あたしはメニーに振り向く。メニーがあたしを見る。
「ランプを持って来ればよかったわね」
ここは暗い。
「肝試しに使えそう」
とても人が住む場所ではない。
「隠れんぼしてもここに隠れるのはだめよ。メニー」
「……はい」
「次」
屋根裏部屋から出る。こんな所、非常食用でいいのだ。元々人が住み着くような部屋ではないのだから。メニーは結婚するまでよく耐えていたものだ。あたしだったらどうだっただろうか。きっと逃げ出しただろう。逃げ出さなかったメニーは勇敢ではない。ただの馬鹿女だ。あたしはそう思う。
階段を下りて、次の階へ。屋敷を一部屋ずつ見て回る。
「メニー、この部屋には宝物があるかもしれないわよ」
「メニー、この部屋にはモンスターがいるかもしれないわよ」
「メニー、もしかしたら、この部屋には魔法使いが隠れているかもしれないわよ」
そう言って部屋を一つ一つ見ていけば、今度はメニーもひらめいていく。
「お姉さま、ここには魔女がいるかもしれない」
「お姉さま、この部屋は異世界に繋がってるかもしれない」
「お姉さま、この部屋には宇宙人がいるかもしれない」
開けてみたら、メイドが掃除をさぼっている。
「ひゃ! お嬢さま!」
開けてみたら、メイドが真面目に仕事している。
「あら、ごきげんよう。テリーお嬢さま、メニーお嬢さま」
開けてみたら、男の使用人同士がキスをしていた。
「あ」
「あ、いや、これは!」
あたしたちは即座に逃げる。――そして、笑うのだ。
「あはは!」
走って、笑うのだ。
「見た? メニー! 大人たちがいけないことしてたわ!」
「ふふ!」
メニーが笑う。
「あはは!」
あたしが笑う。
「あはは!」
メニーが笑う。
「ふふ! あはは!」
二人で笑って、おかしくて笑って、あたしが笑えば、メニーもかすかに笑って、もっと笑えば、メニーも笑って、繰り返す。
手を引っ張る。屋敷を冒険する。
一つの部屋に辿り着く。メニーがきょとんとする。
「お姉さま、あの部屋は?」
あたしは部屋を見る。ドアを見て――口角が下がった。
「……お姉さま?」
「見てみる?」
あたしは口角を再び上げ、ドアノブを握る。
「ここ、開かずの間っていうの」
あたしはドアノブを捻った。
「好きに入っていいわよ」
ドアを開ける。
「もう、誰の部屋でもないから」
メニーが目を見開いた。壁中が本棚の部屋。高い天井まで本で埋め尽くされている。暖炉があって、机とソファー。書斎だ。
「本屋さんみたい」
メニーが声をあげた。
「すごい」
メニーが目を輝かせて、部屋を見回した。
「色んな本がある」
「あんた、本好きよね」
あたしは本棚を眺める。
「好きなの取って読んでいいわよ」
「いいの?」
「どうせこの部屋、誰も使ってないもの」
「誰の部屋なの?」
「パパよ」
メニーが黙った。
「あたしとアメリのパパの部屋」
メニーの父親とママが結婚する前に、結婚していた、
「あたしのパパの書斎」
でも、もういないから。
「ママと離婚して、どっかに行っちゃった」
この部屋を使う人はいない。だから、ドアが錆びれていった。
メニーが家のことをするようになってからは使用人が減ったということもあり、管理が行き届かなくなった。ドアが開かなくなるくらい錆びれて、『開かずの間』となり、あたしが13歳になる頃には、この部屋に入ることは二度とできなかった。
入ろうともしなかった。入りたいとも思わなかった。
誰も、この開かずの間に用はなかった。
この部屋は、忘れ去られた。
「あんた、使っていいわよ」
どうせ、誰も使わない。
「好きなだけここにある本、読んでいいわよ」
あたしは本棚を眺める。部屋を眺める。メニーが声を出した。
「あの」
メニーが俯いた。
「ごめんなさい」
「なにが?」
「変な話、させちゃって」
「別に」
パパは屋敷を出て行った。あたしたちを捨てた。
「変な話なんてしてないわ」
メニーにもパパはいない。
あたしにもパパはいない。
「お揃いね」
メニーに微笑む。メニーが目を伏せた。
「さびしくない?」
「ママがいるもの」
あたしは寂しくない。
「あんたはどう?」
「わたしは……」
メニーが瞼を閉じた。
「わからない」
メニーが窓に振り向いた。外の景色が見える。
「……お父さんが死んで、この先、どうなるのか考えたら不安で……外に出る気分にもなれなくて……」
メニーが俯く。
「ごめんなさい。お姉さまが気を遣ってくれてること、わたし、わかってるんです。だけど、……どうしても……」
メニーは8歳で天涯孤独になった。この屋敷に、一人、取り残された。
あたしは大人になって天涯孤独になった。冷たい牢屋の中で、一人、取り残された。
――あのね、8歳って言ったら、だいぶ物心も付き始めてる。恐怖だって、孤独感だって感じ始める年頃だ。
ドロシーの言葉を思い出す。
――情緒不安定なんだよ。
――そんな状態で、よくも知らない義姉に声かけられてごらんよ。
「メニー」
あたしは訊く。
「あたしが怖い?」
メニーがはっと顔を上げる。あたしに振り向く。
「怖い……?」
メニーが首を振る。
「そんな、怖いなんて、思ったことありません」
メニーがあたしの手を握った。
「テリーお姉さまは、わたしを家族と言ってくれました。怖いなんて」
ただ、
「あの」
ただ、
「どうやって、話していいのか、まだ、わからなくて」
わたし、
「お姉さまって……いたことがないから……」
ずっと一人っ子だったから、
「どうしていいか、わからないだけなの」
ごめんなさい。
「わたしも、どうしていいか、わからなくて」
「わからないなら」
あたしは手を握り返す。
「距離を縮めてしまえばいいわ」
メニーがきょとんとする。
「他人とはいえ、あたしたちはもう家族なのだから、距離を縮めてしまえばいいのよ」
「きょ、距離を、……でも、……どうやって……?」
「……そうね」
あたしは考える。
「まずは呼び方かな」
テリーお姉さま。
「あたし、お姉さまって柄じゃないのよね」
お姉さまって、もっときらきらしてるものでしょう?
「年も近いし」
あたしは頷く。
「テリーでいいわ」
「え」
メニーの顔が引き攣った。首を横に振る。
「あの、とても、あの、呼べません……!」
(散々呼んでたでしょうが。面倒くさい奴ね)
……だったら、
「じゃあ、お姉ちゃんでいいわ」
「お姉ちゃん?」
メニーが繰り返す。
「……テリーお姉ちゃん」
「ん」
「……お姉ちゃん……」
「ん」
「……」
「これなら呼べる?」
「……はい」
メニーがこくりと頷くのを確認する。
「メニー」
「はい。テリーお姉ちゃん」
「敬語も取って」
「はい」
「……」
「は、……うん」
「よろしい」
あたしは首を傾げる。
「ねえ、メニー、この先に不安を感じてる?」
「うん」
メニーが正直に頷く。
「感じてる」
メニーが俯く。
「どうしていいかわからない」
「提案があるの」
あたしはメニーの顔を覗き込む。メニーがあたしに目を向ける。
「ねえ、メニー、お姉ちゃんはね、あんたと仲良くなりたいのよ」
メニーがじっとあたしを見つめる。
「あんたが慣れるまで、手伝ってあげる。あたしの横に、ぴたっとくっついてればいいわ」
「……」
「あんたが決めて。頼りにならないと思ったのなら自分を頼ればいい。でも少しでも頼りになると思ったのなら、あたしを頼ればいい。あたしはあんたの味方でいてあげる」
「……あの、お姉ちゃん」
メニーがあたしを見つめる。
「どうして、優しくしてくれるの?」
その答えは、自然と口に出てきた。
「あんたの家族だからよ」
メニーがぽかんとあたしを見つめる。あたしはメニーの頭に手を置く。なでなでと撫でてみる。メニーがぽかんとした。あたしはメニーの頭を撫でる。メニーの目の力が、少し和らいだ。
「……家族」
「言ったでしょ。あんたのお父さまがママと結婚した以上、あたしたちは縁組の関係にあるって」
「……」
「あたしたちは家族よ。家族は仲がいいものでしょう?」
それに、
「姉妹なら、なおさら」
メニーの手を握り締める。メニーの手があたしの手を握り締める。
「ね、あたしと仲良くしてくれる? メニー」
「あの……でも……」
メニーが目を泳がせる。
「怒られちゃう……」
「なにが?」
「お母さまに……」
「ママ?」
「あの……」
メニーが声を詰まらせながら、少しずつ言葉を出していく。
「……わたし、嬉しかったの。テリー……お姉ちゃんが、色々誘ってくれて、本当はすごく嬉しかったんだけど、……でも、わたしがいると、……お母さまや、アメリお姉さまが……嫌そうな顔するから……」
そこでわかった。メニーがあたしを拒んでいた理由。
(なるほど)
――原因は、奴らか!!!!
(メニーはそれに気を遣って、あたしを拒んでたってこと?)
面倒くせぇなぁああ! 全く! なにからなにまでムカつく奴よ!! お前は!! そんなのね、知らない顔してればいいじゃない! なーに? わたし、気の遣っちゃう子だから人の目が気になるんです。ぷう。ってか!? ふざけんな!! 人の努力を散々水の泡にしておいて!! そんなの気にするんじゃねえ!! くそったれ!! くばたれ!!
「メニーったら馬鹿ね」
あたしはにっこりと笑みを浮かべた。
「ママとアメリのことは気にしなくていいのよ」
「で、でも」
「大丈夫だから」
「でも、テリーお姉ちゃんになにかあったら……」
「大丈夫」
なにかあるとしたら向こうになるから。将来の話ね。
「ねえ、メニー、ママとアメリになにか言われたら、あたしに必ず教えてくれない?」
「え……」
「メニーはあたしよりも子どもでしょう? 子どもが我慢するのって体に良くないことなのよ。だから、我慢せず、嫌なこと言われたり、されたら、あたしに教えて。ね?」
「……わ、わかった」
「約束よ」
「や、約束」
メニーの小指とあたしの小指が絡まる。約束をする。
「これで、あたしたちは仲良しな姉妹よ」
にこっと笑うと、メニーはまだ若干戸惑いがちに、あたしから視線を泳がす。けれど、こいつがあたしに信頼を向けるのは時間の問題だ。
あたしはやり遂げたのだ。
(なにが仲良しな姉妹よ)
(なにが約束よ)
反吐が出る。お前なんか大嫌いよ。
「お姉ちゃん」
メニーが見上げてきたから、あたしは首を傾げた。
「ん?」
「また、冒険に連れて行ってくれる?」
「いいわよ。行きましょう」
「遊んでくれる?」
「この後、遊ぼっか」
「うん!」
メニーが微笑んだ。
「遊ぶ!」
ここ最近で一番の笑顔だった。
(*'ω'*)
罪滅ぼし活動、ミッションその一、敵を味方につける。
「見事に、クリアよ」
あたしはやり遂げたのよ。
「素晴らしい!」
月の出る裏庭で、話を聞いたドロシーはにこやかに拍手をした。
「上出来じゃないか! テリー!」
「当然よね! 見たか! インチキ魔法使い! あたしはね、やろうと思えばできる女なのよ!」
ふん、と鼻を高くして、堂々と井戸の縁に座ると、空飛ぶ箒に乗るドロシーが微笑んだままあたしを見下ろした。
「どうなることかと心配していたけど、上手く事を収めてくれて良かったよ」
「あたしを何歳だと思ってるの? 当時ならともかく、今なら子どもの面倒くらい、たとえ相手が嫌いな奴でもお茶の子さいさいよ!」
「君の年齢でそれができないと困るよ」
だって君、今、本来でいうなら、
「さ」
あたしはドロシーに砂をかけた。
「うわっ!」
ドロシーの箒が移動して、砂を回避する。ぐっと眉間に皺を寄せて、あたしを睨む。
「なにするのさ!」
「あら、ごめんなさい。ついね。うっかりね」
あたしは再び井戸の縁に座る。
「なにはともあれ、今のあたしは10歳の可愛い女の子なの。中身はともかく、外見はまだまだ小さな女の子なの」
「その年でよく言うよ……」
「うるさい。お黙り。メニーと仲良くするにはこの外見を使わない手はないわ。年も近いし、メニーにとっては良い遊び相手でしょ」
あいつ、ろくに友だちなんてできないんだから。
「ああ。君がメニーの遊び相手になってあげて。そうすれば、君のメニーへの愛もきちんと深まっていくはずさ」
「……それはどうかしらね?」
あたしは足を組んで、眉をひそめる。
「話してて思ったけど、あたしがあいつを好きになることなんてないと思うわよ」
ドロシーを見上げる。
「嫌い」
はっきり、伝える。
「あたし、あいつが嫌い」
「そう」
ドロシーは頷く。なにも言わずに、頷くだけ。
「嫌い」
「そうか」
「メニーが嫌い」
「そうか」
「メニーなんて大嫌い」
「だったら」
ドロシーが地面に下りた。
「なんで家族だなんて、メニーに言ったんだい?」
「緊張を解すためよ」
「へえ」
「まずは警戒を解く必要があったわ」
メニーは警戒していた。
「あたしだけでも、あいつにとっての家族にならないと」
ミッションは成功しない。
「あたしを味方と思わせる」
そうすれば、少しは、
「死刑回避の未来に、繋がるわ」
「テリー」
ドロシーがあたしの顔を覗き込む。
「ねえ、ボクは魔法使いだ」
ドロシーが微笑む。
「そして、メニーの親友だ」
テリー。
「メニーは、わかってたよ」
テリーが不器用なこと。
「メニーは、よくわかってたよ」
憂さ晴らしにメニーを階段から突き落とした。
「君はメニーを階段から突き落とした」
「びっくり箱だっけ? メニーを驚かせようとしたら、メニーが驚きすぎて、階段から落ちてしまったんだよね」
憂さ晴らしにメニーに物を投げつけた。
「君はメニーによく物を投げてたよね」
「こんなものいらない、だっけ?」
「いらないものをメニーに拾わせて、その後、どうしたんだっけ?」
「君はよく覚えているはずだ」
憂さ晴らしにメニーに悪戯の罪をなすりつけた。
「ただの悪戯だったんだよね」
「メニーがたまたまそこにいたから、メニーのせいにしたんだよね」
「まさか、そんなに怒られることになるなんて、君は思ってなかったはずだ」
憂さ晴らしにメニーの仕事を邪魔した。
「君、メニーと遊びたかっただけだろ」
メニーはわかってたよ。
「君に、悪気がなかったこと」
メニーはわかってたよ。
「君が唯一、メニーを『妹だと思っていた家族』だったこと」
だから、今回も、
「君は迷わず、メニーを『家族』だと断言できたんだ」
あたしは黙った。
「舞踏会のドレスは、元となるドレスに少し魔法で装飾を加えた。そのドレスは、テリーのおさがりだと、メニーが言っていたよ」
あたしは黙る。
「ドレスだけじゃない。君は、いろんなものを目に見えないところでメニーに与えていた。それを誰にも気づかれることなく、君はやり通していた。メニーに投げつけることによって」
あたしは黙りつづける。
「ねえ、テリー。君が怒っているのはそこじゃないかい?」
ドロシーがあたしの顔を覗く。
「妹だと思っていたメニーに、一番最悪な死刑という選択肢を選ばれたことに、君は怒りを覚えているんじゃないかい?」
そして、
「君の最愛の」
「嫌いよ」
ドロシーが黙る。あたしはドロシーを睨む。
「メニーなんか嫌い」
あの顔を見ただけで、憎しみが湧いてくる。これは偽りではない。真実だ。
「憎たらしくて仕方ない」
楽しかった思い出も、恋しかった思い出も、そんな昔のことは覚えていない。あたしはもう10歳ではない。あたしの10歳の記憶は、本来、遠い過去なのだ。
「あたしは死刑になる未来を変えたいだけよ」
過去なんてどうでもいい。
「それだけよ」
あたしには、憎しみが残るだけ。
そっと、静かに瞼を下ろして、ドロシーの目から逃げるように、あたしは瞳を隠した。
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