第6話 第二のミッション、スタート


 綺麗に整われた書斎。開かずの間。ノブを捻ればドアが開く。錆びれてはおらず、まだ健全にドアが開閉できる。見上げれば、パパが残していった沢山の本がある。


 あたしのパパ。


 あたしとアメリにもパパがいた。ママと離婚したパパがいた。平民出身であり、騎士であった。大きな戦争で結果を残し、男爵という爵位を与えられた。その後、元伯爵家のママと結婚。パパは戦争に行かなくなって、お城に行き来していた。なんの仕事をしていたのかまでは覚えていないけど、ママとよく喧嘩していたのは覚えている。きっと大半はママの傲慢さのせいだと思うけど。


 あたしは子どもで、ママがあたしたちをすごく可愛がってくれたから、ママの元に残った。パパは出て行った。あたしは、その時偶然、たまたま、パパが出ていく日、その瞬間、パパと話した。


 どこに行くのと訊いた気がする。簡単な世間話をした気がする。あまり覚えてない。でも、パパは出て行った。なんでもない顔をしてあたしたちを捨てた。でも、あたしたちは平気だった。なんとも思わなかった。パパがいなくなったんだと、それだけ。それだけだった。だって、ママがいたから平気だった。


 だけど、あたしは間違えたのかもしれない。パパについていけば死刑にならず、それ以前に常識というものが身に付き、素敵な紳士と結婚できて、ある程度幸せに暮らせたのかもしれない。

 今さら思ったって、もうパパがどこにいるかもわからないのだけど。


 そのパパが残した開かずの間、もとい、書斎には、山のように本が棚に埋もれている。小説や、エッセイや、ハウツー本も揃っていた。

 メニーも本を沢山読む。ここも最近、よく行き来している。本には沢山の人生のヒントが隠されているらしい。あたしにも少し覚えがある。


 工場の中で、ぼろぼろになって捨てられていたおとぎ話の本に、あたしは救われたことがあった。一回だけではない。二回、三回、数え切れないほどの数。あたしはその本に救われた。

 牢屋の中まで本を持って行って、毎日、苦しい時も、案外楽だった日も、最後の晩も、ネズミたちとその本を読んでいた。


 幸せになりたい。

 幸せになりたい。

 ただそれだけを祈って。


『他人を愛すると幸せになれる』

『幸せになるにはまず他人を愛する』

『自分を愛するのは他人を愛してから』


 あたしの目の前には三冊の本がある。


「……」


 そして、あたしは思いきり眉間に皺を寄せ、その本を手に取り、開いた。


『自分にコンプレックスがあるのは、愛が足りていないから』

『誰かを愛せないと自分も愛せない』

『家族には感謝しているか? 親を想いあっているか?』

『人に尽くそう! さすれば自分に返ってくる!』

『もっと自分を褒めてあげて。あなたは偉い! 偉いヨ!』

『自分以上に相手の幸せを祈ってあげて! 願うあなたは素敵な人だ!』

『愛せよ!』

『愛するのだ!』

『さあ復唱を! 愛し愛する。さすれば君は救われる!』


「いやあああああ!!」


 あまりの馬鹿馬鹿しい文字に頭と顔を押さえて、でんぐり返って体をひねらせ、その場でのたうち回る。それほど、それほどあたしは、あたしの本能がこう叫ぶのだ。


 ――馬鹿馬鹿しい!!


 あたしは本というものは素晴らしいものだと思っていた。ここの本はみんな、素敵なもので、人生のヒントにもなると、メニーが教えてきたのだ。だから、だったらあたしも読んでみようと思って、来てみたのに、言われた通り、これ参考になりそうと思ったやつを、数ページ読んだだけ。ほんの数ページなのに。


「なんで同じ内容しか書かれてないのよぉーー!」


 あたしは立ち上がり、本を握り、構える。


「くそがあああああ!!」


 全力投球で本を壁に叩き込む。


「痛い!」

「あ?」


 きょとんとする束の間。壁に投げたはずの本が宙に浮かび、その本を持つドロシーが姿を現した。


「あ!」

「いたた……」


 箒に乗りながらドロシーが片手で頭を押さえる。あたしは腰に手を置き、ドロシーを見上げる。


「神出鬼没もいいところだわ。ここは屋敷の中よ。なにやってるの。メニーが来たらどうするわけ?」

「どうせメニーにボクは見えないさ」


 ドロシーが床に足をつける。箒がきらきらと光って消える。


「君が面白そうな部屋に入っていくのを見て、あとをつけてきた。へえ、こんな部屋があったんだね」

「あとをつけてくるなんて悪趣味だこと」

「だって、メニーも行き来してる部屋だろ? 気になるじゃない」


 ドロシーがほくそ笑み、くるりんと回る。手に持った本のタイトルを見つめる。


「『他人を愛すると幸せになれる』ね」


 ぱらりと本を開く。一瞬で本がぱらぱらと最後まで開かれる。


「なるほど」


 ドロシーが本を閉じた。


「間違ってないよ。この本の書かれた内容も、全部人として幸せになれる手段が書かれている。実行できるかどうかは、さておいてね」

「今の一瞬で、全部読んだの?」

「ボクは魔法使いだよ? こんなの、容易いもんだね」


 ドロシーがにんまりと微笑む。あたしは本達を見て、うんざりと親指の爪を噛んだ。


「だったら、あたしが発狂してた理由もわかるでしょう? ねえ、あたしはどうやったら幸せになれるわけ? メニーを愛するなんて無理よ?」

「無理だと思うから無理なんだ。テリー、メニーを愛しい者と思ってごらん」


 あたしは考える。メニーのことを考える。


「お姉ちゃん」


 ふわんとしたメニーを思い浮かべる。


「テリー・ベックスを死刑に!」


 その声で、あたしはカーペットを踏みつけた。


「この! メニー! この! ふざけやがって! よくも! あたしを! 死刑に! この! この! この!!」

「やめなって! もう! 君のせいで床に穴が空くよ!」

「ドロシー! あんたなら知ってるでしょう!」


 この数日、あいつまだ部屋にこもってるのよ。


「廊下にいるだけで、ママとアメリが嫌な顔してくるんだって」


 ――わたし、しばらくここにいるね。お姉ちゃん、心配しないで。


 まるで悲劇のヒロインのように、目をきらきら。


「もういい加減にしてよ! あたしにどうしろっての!? あんな悲惨な顔色されたら、使用人たちにあたしまで悪者だと思われるじゃない!!」

「ん? 思われたらまずいの?」

「まずいわよ!!」


 あたしは悲惨な未来を忘れない。使用人たちにされたことを忘れない。


「あたしはね、使用人たちの目がある以上、メニーに優しくしないといけないの。ママとアメリ如きに邪魔されてたまるものか!!」

「で、どうする気?」

「とりあえず、落ち込んでるメニーを励ますわ。そうすればメニーとの仲も深まる。使用人たちにも見せつけられる」


 そのヒントがあると思ってここに来たのに。


「関係ない本を読んでしまったわ。ああ、くだらない」


 あたしは肩を落とす。


「どうしよう。ドロシー、どうしたらいい? どうしたらママとアメリを説得できるわけ……? どうしたらあの悲劇のヒロインちゃんは部屋から出てきてくれるわけ……?」

「ここは腕の見せ所だね。テリー」


 そうだな。


「メニーと一日遊んであげれば?」

「昨日やったわ」


 嫌というほど、お人形遊びしてあげたわよ。


「おかえり、あなたー」

「ただいま、はにー」


 女役のメニーがにこにこして、

 男役のあたしがにこにこして、


「もう、こんな生活まっぴらよ!!!」


 あたしは再びのたうち回る。


「なにがハニーよ! なにがダーリンよ! いつあたしがお前のダーリンになったのよ! ねえ! ダーリンダーリン! あなたと今から二人! 小惑星メニーのワールドで! 愛のあいだ越えダイヴ! なんて歌えばいいと思ってるの!? くたばれ!」

「虐められて落ち込む可愛い妹を励ますことができたら、信頼は爆上げだ」


 信頼が上がると、


「死刑回避にも繋がるかもよ?」

「一歩間違えたら一直線だけどね……」


 あたしは再び起き上がる。


「どうしたらいいのよ……。くそ……」


 あたしは考える。


(頭を真っ白にさせるのよ)


 あたしは考える。


 ――パパ。


 あたしは思い出す。


 ――パパ、お土産、


 あたしは微笑んでいた。


 ――お土産、買ってきてね。


「あたし……」


 呟くと、ドロシーがあたしをちらりと見る。


「ん?」

「あたし、子どもの頃、他人からお土産をもらったら嬉しかったわ」

「君、単純そうだもんね」

「メニーも同じよ」

「ん?」

「あの子は8歳よ。現在進行形の子どもで単純だわ」


 しばらくの間――沈黙が訪れた。ドロシーの顔は引きつる。


「君、……まさか」


 ドロシーが唾を飲みこんだ。


「物で釣ろうってのかい? ボクの親友のメニーを」

「我ながら、ナイスアイディア」

「君さぁああああ!!」


 ドロシーが机をばーん。


「だからさ!! どうしてそんなに単純なの!! メニーは繊細で純粋な女の子なんだよ! 君が思ってるほどばかじゃな……」

「ああ、そうだ。ドロシー、あんたにもなにか買ってきてあげるわよ」

「え」


 ドロシーが硬直する。


「え、か、買ってきてくれるの?」

「ええ!」


 あたしはにっこりと微笑む。


「なんでもいいわよ。一つだけね。でもあんまり高くないのにしてよ?」

「え……。……えーーー?」


 ドロシーの口角が上がり、目がきょろきょろと動き出し、誰もいないのに辺りを見回し、浮かれたように宙に体を浮かべる。


「な、なんだよー。君も少しは丸くなってきてるじゃないか。うんうん。成長って素晴らしいね! そうだな、いや、……別に、ボクは欲しいわけじゃないんだけど、君がそこまで言うならぁ……、君がボクに感謝しているというのならぁ……。ね? その思いに答えてあげなくちゃ、ね? うん」


 ドロシーが声をひそめる。


「……あのね」


 そして、ゆっくり、口を動かす。


「金平糖が、欲しい、かな?」

「金平糖?」

「べ、別に、大好きってわけじゃないんだよ。本当だよ? 暇さえあったら金平糖ばかり食べて仲間たちに怒られてるなんてそんなこと無いんだからね。あるわけないでしょ。魔法使いが金平糖好きだなんて。ねえ? でも、まあ、そうだね、魔法の実験をするときに色々と便利だと思ってさぁ?」


 子どものような言い訳を言うのは、ドロシーがあたしに弱みを握られないためだろうが、こんなわかりやすい言い訳を聞いたことがあるだろうか。

 どうやら、この案は素晴らしく良いものなのかもしれない。


 だって現に、物で釣れたじゃない。この魔法使いが。


 ドロシーに見えないようににんまりと不敵に笑い、また天使の笑顔に戻る。


「実験で使うのね。魔法使いって大変ねー!」

「そうなの! 大変なの!」

「わかったわ! あたし、ドロシーのために、いっぱい、いーっぱい、買ってくるわね!」

「へへ! 君もいいところあるじゃないか! これでしばらくお小遣い禁止になっても困らないぞ! あ、素材を買うからね、よくね、へへ……へへへ……」


 馬鹿丸出しで笑うドロシーに微笑み、あたしは立ち上がる。


(作戦は決まった)


 これが成功すれば、メニーへのあたしの信頼度は爆上げよ。


「っしゃあ!」


 気合いを入れて、あたしは部屋から出る。ばたん! とドアを開けると、廊下を歩いていたメイドと目が合う。


「ん」


 あたしの口から声が漏れる。メイドは足を止め、一歩下がり、あたしにお辞儀をした。


「こんにちは。テリーお嬢さま」


 以前、あたしとメニーに紅茶を出したメイドだった。長い栗色の髪を青いリボンで一本に結んでいる女性。本来のあたしより、年下だろう。


「こんにちは」


 あたしは可愛く微笑んで、挨拶を返す。そして、そのメイドの前に立つ。


「ねえ、お姉さん」

「はい」

「お暇?」

「残念ながら、この後も部屋の掃除が」

「お出かけしたいの」


 あたしはメイドを見上げる。


「ほら、メニーが元気なくてね? あたし、メニーにプレゼントを買いに行きたいの!」


 可愛い笑顔を浮かべて、体をもじもじさせる。


「ねえ、お姉さん、一緒に行ってくれない?」

「私がですか?」

「うん! あ、でも、誰にも言っちゃだめよ?」


 人差し指を立てる。


「ママとアメリが、メニーを虐めるの! だから、秘密で行くの!」

「そうでしたか」


 メイドが微笑む。


「お姉さん、お願い。付き合ってくれない?」

「承知いたしました。ギルエドさまに業務の変更をお願いしてきます」

「わーい!」


 あたしはぴょんとジャンプして見せる。


「あ、メニーに言っちゃだめよ? これは秘密なんだから!」

「かしこまりました」

「あたし、支度してくる!」

「準備ができましたら、お部屋まで迎えに行きます」


 メイドが微笑んで、あたしにお辞儀する。


「しばし、お待ちを」

「はーい!」


 あたしは元気よく返事をして、廊下を歩き出し、にやりと笑う。


(妹を可愛がってるアピール、大成功……!)


 にやにやとにやけながら、腕を組む。


(さて、メニーからの信頼が爆上げするプレゼント、なにがいいかしら?)



 罪滅ぼし活動ミッションその二、落ち込むメニーを励ますプレゼントを用意する。



(*'ω'*)



 御者に馬を動かしてもらって、あたしとメイドが馬車に揺られる。向かいのメイドと目が合えば、メイドが微笑んだ。


(そういえばよく見る顔よね)


 昔からいるのかしら。屋敷ではよく見るメイドだ。


(にしては、若い……)


「お姉さん、あのね」

「はい、なんでしょう」

「ごめんなさい。あたし、お姉さんのお名前知らないの」


 あたしは正直に伝えて、微笑んで、首を傾げる。


「お姉さん、お名前なんて言うの?」


 あ、名乗っておこう。その方が子どもらしいわ。


「あたしはテリー!」

「ふふ」


 メイドの女性が笑い、軽く会釈する。


「サリアと申します。テリーお嬢さま」


 緑の瞳があたしを見て、再び微笑む。あたしも10歳の可愛い笑顔を浮かべる。


「ねえ、サリア、メニーへのプレゼント、なにがいいかしら?」

「メニーお嬢さまがお好きなものなんて、いかがですか?」

「メニーって、サリアみたいなメイドたちとよくお話してるんでしょう? なにか知らない? あたし、最近仲良くなったばかりで、あの子のこと、よく知らないの」

「あら、そうでしたか」


 でしたら、


「絵本なんていかがですか?」

「絵本?」

「メニーお嬢さまはよく本を読まれているようですから、メニーお嬢さまがお好きなジャンルの本でも。絵本なら絵もついておりますし、読みやすいと思いますよ」

「絵本ね!」


 あたしは頷く。


「なるほどなるほど。メニーの好きなジャンルの絵本ね! 素敵!」


 あいつ、いつもなんのジャンルの本を読んでるの?


「絵本ってどんなのがあるのかしら。商店街の本屋さんに行けば、いいのがあるといいんだけど」


 あたしは首を傾げる。


「サリア、おすすめの本屋さんある?」

「そうですね、盛んなのは北区域でしょうか。お城が近いということもあり、新しいものが数多く並んでいると思います。そちらへ行ってみましょうか」

「うん!」


(あら、案外情報持ってるじゃない。このメイド)


 役に立つ使用人は好きよ。サリアが窓を開けて、御者の使用人に伝える。


「北区域へ」

「はいよ!」


(そうだ。お礼にこのサリアとかいう女に、なにか買ってあげようかしら)


 媚を売っておこう。


「サリア、付き合ってくれたお礼になにか買ってあげるわ! なにがいい?」

「ふふっ」


 サリアが首を振る。


「結構です」

「そんな、遠慮しないで。お礼だからいいのよ! なんでも欲しいもの言って!」

「……でしたら」


 サリアがにこりと微笑む。


「なぞなぞでも、いかがですか?」

「ん?」


 あたしは目をぱちくりと瞬きさせる。サリアが両手を結んだ。


「主人の娘が使用人のスカートを破きました」


 サリアが首を傾げた。


「なぜでしょうか?」

「……」


(は?)


 あたしはぽかんとする。


「それは、問題?」

「ええ」

「答えがあるの?」

「ええ」


 サリアがにこにこする。


「わからないことがあったら、五つだけ質問してもいいですよ」

「質問……?」


 あたしは眉をひそめる。


「もう一度、問題を聞きたいわ」

「主人の娘が使用人のスカートを破きました。なぜでしょうか?」

「……」


(は?)


 あたしは質問する。


「主人はお金持ち?」

「はい。その主人と娘は、お金持ちです」


 あたしは質問する。


「その使用人は悪いことをした?」

「いいえ。使用人は悪いことはしておりません」


 あたしは質問する。


「使用人が娘の気分を害したの?」

「いいえ。使用人はむしろ、娘から気に入られました」


 あたしは質問する。


「破いたのはスカート?」

「はい。使用人のスカートを破きました」


 あたしは質問する。


「使用人は女?」

「はい。女性です」


 サリアが微笑む。


「質問はここまで」


 サリアの微笑む目が、あたしを見つめる。


「さあ、答えは見つかりましたか?」

「……」


 お金持ちの主人と娘。その娘が使用人のスカートを破いた。使用人は女。娘の気分を害したわけではなく、娘に気に入られた。スカートを破いた。


「……?」


 あたしは首をひねる。


「わかんない」

「ふふ。考えてみてください」

「わかんないもん!」


 むうとむくれてみせる。


「わかんないの、やだ!」

「あら、すみません。気分を害してしまいましたか?」

「ううん。大丈夫」

「それはよかった」


(なんなの? この女)


 あたしは脳内で考える。


(使用人のスカートを破る?)


 娘は気分を害したわけではない。


(なにそれ……? ムカつく以外でスカートを破る?)


 考えても答えは出てこない。サリアは、むくれるあたしを見て、にこにこと微笑みつづける。馬車は揺れる。



(*'ω'*)



 北区域の広場に辿り着く。馬車から下りて、ここからは歩くことにする。

 別に馬車でも移動はできるのだけど、通行の邪魔になるし歩いた方が早い。それに歩きながら色んな店を見られる。


「テリーお嬢さま」

「ん」


 サリアに手を取ってもらい、馬車から下りる。見回すと、大きくそびえ立つ緑色のお城が見えた。


「……」


 ――テリー・ベックスを死刑に!


「……」


 あたしはサリアと手を繋ぐ。


「行こう。サリア」

「はい」


 サリアと手を繋いで、広場に通じる商店街通りを歩き出す。ここには沢山店がある。行きつけの服屋も、行きつけのアクセサリーショップも、ぎらぎら輝いた店は大抵ベックス家の行きつけだ。でも――メニーはおそらくギラギラしたものは趣味じゃないと思う。置いてあっても、あたしはサリアと一緒に通りすぎる。


(これはメニーの趣味じゃないわ)


 だってこういうのだと、アクセサリーとしてではなく、小物の装飾に素材として分解して使っていたのをあたしは見ていた。髪飾りも、ドレスも、ネックレスも、ギラギラ輝くものをメニーは好まなかった。


(だから、あたしは輝くところを破って、リボンで修正して、メニーに)


 ――……。


「サリア……」


 見上げると、サリアが首を傾げた。


「どうかされましたか?」

「ここ、いたくない。気持ち悪い」

「ご気分が優れませんか?」

「なんか気持ち悪い」

「どこかで休まれますか?」

「本屋さん、どこにも無いわ」

「この先にありますよ。大丈夫。私が案内しますから」


(チッ)


 どうでもいい記憶を思い出した。


(気分を害したわ。さっさと本でも絵本でも買って、帰るわよ)


 とにかく、プレゼントにドレスやアクセサリーは無しだ。


(最低な気分)


 これも全部、メニーのせいだ。サリアの手をきゅっと握る。


「サリア、メニーは本以外ではどんなものが好きかしら」

「そうですねえ。今度、お二人でお出かけされてもいいかもしれませんね」

「まあ、素敵。だけど、子どもだけだと危ないわ」


 二人きりなんて冗談じゃない。


「サリアも一緒に来てくれる?」

「ええ。いいですよ」

「やった」


 にこりとサリアに微笑み、足を動かす。


(畜生。とっととプレゼントを探すわよ。数があればあるほど喜ぶんだから)


 きょろきょろと見回し、メニーの好きそうなものを探す。あいつの好きそうなものは、庶民が好きそうなもの、というイメージが強い。


(花。……すぐ枯れそう)

(パン。……あたしお腹すいてるのかしら)

(お菓子。……金平糖はあとでいいわ)

(ネックレス……ドレス……チッ。むかつく。没よ、没。喜ばないわ)


 見ていて見回し見つめても、メニーが喜びそうなものはありそうだし、全部無さそう。


(ああ、わからない……。……もういい。シンプル・イズ・ベスト。数がどうとかもうどうでもいい。今回は本だけでいいわ。疲れた。最悪。ああ、足が痛い!)


 サリアについていくと書店に流れ着く。古めかしい書店もあればきらきらに新しい書店もある。


(古い本を投げつけてやりたいところだけど、そんなことしたら信頼もがた落ちよ。子どもでも読めそうな絵本を適当に選んで、適当に買って、適当に喜ばせよう)


「サリア、女の子っておとぎ話が好きよね」

「ええ。好きな方は多いですね」

「じゃあ、やっぱりおとぎ話の絵本ね。どれがいいかしら?」

「では、おとぎ話を短くして集めたものなんていかがでしょう。いろんな話が詰め込まれていておりますし、ページ数も一つ一つ少ないので読みやすいかと」

「え? そんなのあるの?」

「ええ」

「素敵! それにしましょう!」


 絵本のコーナーに行く。サリアがあたしに訊く。


「どれがいいですか?」

「んー……」


 あたしは指を差す。


「これ」


 イラストが可愛い。


「どう?」

「ええ。素敵だと思います」


 あたしは本棚から絵本を取り出す。


(ちょっと分厚いわね……)


 ま、いいか。


「サリア、これにしましょう!」

「包装もしていただきましょうか」

「うん!」


 レジカウンターに向かい、本を差し出す。


「これ下さい!」

「はいよ」


 のんびりとした老人の店員がレジを打つ。サリアが声をかける。


「包装もお願いできますか」

「はいよ」


 店員があたしに微笑む。


「リボンの色は何がいい?」

「金色!」


 メニーの髪の色だ。


(けっ)


 支払いを終わらせ、店員が包装した本をあたしに手渡した。


「はいよ。ありがとうございます」

「わーい!」


 あたしは子どもらしく声を出し、店員に微笑んだ。


「おじいさま、ありがとう!」

「なんもなんも」


 サリアは微笑みながらあたしを見下ろす。


(どうだ!!)


 あたしは内心、腕を組んで笑う。


(あたしはマナーのいい貴族令嬢よ!! 色んな人に良い顔が出来るのよ! こんなの不良品だわって笑って暴れたりなんてしないんだから!!)


 一回目の世界での反省を活かすのも、死刑回避への近道!


(だから、サリア、……裁判でもよろしく頼むわよ)


 お願いだから、


(変な証言、しないでよね)


 あたしはサリアに手を伸ばす。


「行こう。サリア」

「はい」


 サリアと手を繋いで歩き出す。


(よし、敵に渡す賄賂は手に入れた。ぐひひ! あとは家に帰ってメニーに会いに行ってこれを……)


 ――あたしならプレゼントはあればあるほど嬉しかった。隣国のお土産なんてレアなものは、飛び上がるくらい嬉しかった。


(……。やっぱり、もう一つくらい買うべきかしら)


 数がある方が喜ぶわよね。


(よし)


 あいつが喜ぶために。

 あいつがあたしを死刑にしないために、


(もう一回りしようかしらね)


「サリア、もう一回りしてもいい?」

「あら、まだ買われるんですか?」

「だって、いっぱいあげた方がメニーも喜ぶと思って!」

「ふふっ。そうですね」

「なにがいいかなー?」


 純粋な女の子のように呟いて、商店街を見回す。


「ああ、そうだ。サリア、ヘアピンなんてどうかしら?」

「ヘアピンですか」

「メニーの髪の毛ってふわふわしてるわよね。ふわふわしたお花のヘアピンとか似合いそう」

「あら、いいかもしれませんね」

「じゃあ、決まり! お外に出てる出店でも探して……」


 視線を動かした時……あたしの視界に古い書店の前に並べられた本が目に入った。新しい本は買った。メニーへの贈り物。もう本は必要ない。だから目に留まるはずがないのだ。


「あ」


 でも、


 その一冊の本だけはどうしても見てしまう。

 あたしは足を止めた。


「……テリーお嬢さま?」


 サリアの声が耳から耳へと通り抜ける。人の声が通り抜けるほど、あたしはその本に釘付けになったのだ。


 ――読みたくない。

 ――読んだら思い出してしまうから。

 ――将来なるはずであろう残酷な未来が。

 ――でも何度も救われた。

 ――行を暗記するほど読んだ。

 ――それしか読むものがなかったから。

 ――幸せになれた。

 ――その本を読んでる間だけは。


「……」


 その一冊の本を睨む。

 古書店にあることを恨む。

 きらきら光ってないのが、貴族らしくなくて睨む。

 その汚い見た目を恨む。

 ただ、あの汚い見た目を超えた先には――それはそれは――今までに見たことのない光輝いた物語がある。


(その物語は)


 あたしのなによりの宝物だった。


 足が止まる。

 人々が大声をあげた。

 人々が小さな悲鳴をあげた。

 人々が驚いた声をあげた。

 サリアがはっとした。


 ――ドンッ!


「ひぎゃっ!」


 なにかにぶつかり、あたしは突き飛ばされる。姿勢が崩れる。サリアがあたしの手を引っ張った。


「テリーお嬢さま!」


 サリアが屈んだ。


「お怪我は?」

「手が痛い」


(ん?)


 あたしは思わず、ぱちぱちと瞬きした。


(あれ? 本がない)


 腕に抱いてた本がない。


(あん?)


 ぱっと顔を上げると、大人の男が本を腕に抱え走っていた。


(ん?)


 あれは、あたしがさっき買った本じゃない?


(うん?)


 メニーを懐かせるための賄賂。


(ん?)


 なんであたしの手元になくて、あの男の腕にあるわけ?

 ぽかんとしていると、サリアが大声をあげた。


「泥棒! 本を返しなさい!」


 周りの人があたしたちを見る。

 男がより走った。

 広場がざわつく。

 男が逃げていく。

 本を持って逃げていく。


(あ、待って)


 その本は、


(あたしの未来が関わった、大切な本なのよ)


 それを渡さないと、メニーは、


 あの人は、



 ――テリー・ベックスを、死刑に!



「待ちやがれ!! このやろぉぉおおお!!!!」


 あたしはサリアの手を離して走り出す。サリアがぎょっと目を見開く。


「テリーお嬢さま!!」


(いやいやいやいや! なにしてくれてるのよ! あのクソ野郎!!)


 サリアのあたしを呼ぶ声が聞こえてくるが、今はサリアに構ってる場合ではない。逃げていく男に頭の中で叫ぶ。


(返せ! 返せ! 本を返せ! そいつがないと、あたしには死刑の未来が待ってるのよ!)


 ほら見て! 感じて! ギロチンが笑顔であたしに手招きをしてるわ!!


(この人殺しぃいい!!)


 人々があたしの走る姿に振り向く。男も慌てて逃げる。絶対に逃がすもんかと、あたしが走る。でもあたし、10歳の女の子なの。レディなの。体力なんて持ち合わせていないの。胸が苦しい、ドレスが走りづらい。もちろん追いつかない。だけど、あれをメニーに渡すことであたしが助かるかもしれない。その可能性がある。可能性がある以上、あたしはこのミッションを遂行する。


 この先も平和に暮らせるかもしれない。工場で働かずに済むかもしれない。その宝物が、あの絵本なのだ。


(そう簡単に渡してたまるか!)


 あたしは犯人を睨む。


(あたしはもう、死にたくないのよ!)


 あたしは全力で叫んだ。


「誰か、そいつ捕まえて!!」


 必死に声をあげた。悲鳴にも近い大声。


 お願いだから、

 お願いだから、




 ――誰か、あたしを助けて!!!!!





 次の瞬間、帽子をかぶった少年が男を突き飛ばした。


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