第7話 第二のミッション、クリア


「っ」


 男が息を呑み、地面に転がった。


「うぐっ!」

「おい!」


 その隙に突き飛ばした少年が男の上に乗り、怒鳴った。


「その手に持ったものを離せ!」

「くそ……!」


 倒れて起き上がれない男が本を手放し、観念したように大人しくなる。少年が声を出す。


「誰か! 警察を!」

「任せな!」


 ガタのいい男が交番へと走り出す。周りの大人たちが少年を囲み、大人しくなった男を少年の代わりに押さえこんだ。少年が男から離れる。男が大人に叱られる。


「盗んだものはこれだけか!」

「ああ、これだけだよ! 畜生!」


 男はうなりながら俯いた。少年は帽子を深くかぶり直し、包装された本を拾う。ついてしまった土をぽんぽんと叩き払った。……そこで、ようやくあたしが追いつく。


「ぜえ……はあ……ぜえ……はあ……!」


 膝に手を置いて、その場で呼吸を整える。呼吸を乱しながらもあたしは本を取り戻せたことを目で確認し、ふう、と息を吐いた。


「よ……よかった……」


 そして、男を睨む。


(この、犯罪者がぁああ!!)


 もう少しであたしの未来が死刑まっしぐらになるところだったじゃないのよ!!


(くたばれ! 犯罪者が! あたしの代わりにくたばってしまえ!!)


 しかし、もう安心だ。本は取り返せた。


(これでメニーに渡せるわ……)


 プレゼントを渡せる。+メニーに良い顔ができる。+メニーに恨まれない。=死刑にはならない! 計算式のできあがり!


(やったわ! あたし、やったのよ!!)


 ニヤァ! と真っ黒な笑みを浮かべると、声をかけられた。


「君のかい?」


 振り返ると、汗にまみれるあたしのすぐ側に――思ったよりもすぐ近くに、本を持った少年が立っていた。


「ひぎゃっ!」


 思わず驚いて、飛び跳ねるように一歩下がると、少年がまた帽子を深くかぶる。


「君が捕まえてって言っていた。君のだと思ったんだけど」

「あ! あの! はい! それ、あたしのです! 妹にプレゼントするの!」

「へえ」


 少年の口角が上がる。


「本を贈るなんてとても素敵。良いと思うよ」

「ふふ! そうでしょう! あたしもそう思うから買ったの!」


 受け取ろうと手を伸ばすと、ひょい、と男の子の腕が上がり、かわされた。


(はん?)


 あたしの手が空振る。本は上。少年の手の中。


「ただ、本選びが幼稚だ。確かに色んな物語が詰まっていればどれか一つ目に留まるかもしれないけれど、見たところ、まず入ってる物語が幼稚。絵も幼稚。絵本なら、こんなものよりもっといい本がある。俺が選んであげるよ」


(……なに? このクソガキ)


 ぽかんとして、少年を見上げる。帽子の影に映る顔には闇に近い青い瞳に、白い肌、すっとした鼻筋。整った顔が用意されていた。ただ、表情は酷くいやらしい。なんだか、皮肉じみた笑い方。あたしはにっこりと笑う。


「結構です。あたし、お兄ちゃんみたいに暇じゃないの」

「俺だって暇じゃないよ。やることが山ほどあるんだ」

「ああ、そうなの。じゃあ本を返して」


 あたしは手を伸ばす。少年は上に本を上げたまま返さない。


「本を選ぶ時間くらいはある。俺がこんなものよりも、いい絵本を見つけてあげるよ」

「おほほほ。いいわよ。結構よ。妹はまだ8歳なの。幼稚でいいじゃない。なにが悪いのよ。絵も可愛いじゃない。幼稚でなにが悪いのよ」

「大丈夫。もっと素敵な絵本があるよ」

「おほほほ。いいのよ。結構よ。うるさい奴ね。妹はまだ8歳なの。これから色んなことを勉強していく年頃なの。こういう世界もあるのよって教えるために贈るの。邪魔しないで」

「おとぎ話っていうのは、みんな、ハッピーエンドで終わるものだよ。めでたしめでたしで終わる世界なんて少ないのに、数少ないみんな幸せになれるっていう世界を、妹さんに教えたいっていうことかい? へえ? 君は妹さんが好きじゃないようだ」

「おほほほ。誰が好きじゃないって?」

「だからもっといい本があるから、俺が教えてあげる」

「おほほほ。人のプレゼントにケチと文句と悪態をつけないでくれる? うるさい奴ね」

「なに言ってるの。文句じゃないよ。一つの意見だ」


 ブチッ。


「おい」


 あたしは少年の胸倉を掴んで、ぐいっと下に引っ張った。少年は悪気のない表情できょとんとして、あたしは少年をぎろりと睨みつける。


「うるさいって言ってるのよ。さっさとその本返して」

「ん?」


 少年がきょとーんと瞬きをする。あたしは顔を歪め、少年を睨みつづける。


「返せって言ってるのよ。素敵な本とかどうでもいいから、さっさとその本、返して」

「くくっ。ちょっとたんま」


 少年が吹き出して笑いながら、おちゃらけたように両手を上げ、あたしを見つめ、首を傾げた。


「なんで怒ってるの? 助けてあげたのに」

「はあ? あんた馬鹿じゃないの?」

「ばか? 俺が?」

「せっかく買ったプレゼントを他人にケチつけられたら、誰だって気分を害するわ。失礼な奴ね」

「ん? 俺の意見が君にとっては失礼だったってこと? だから、そんなに態度豹変してるわけ?」

「はー! これだから庶民は嫌なのよ! いい!? この無礼者! あたしを誰だと思ってるわけ!?」

「さあね? 教えてくれる? 君は誰?」

「誰がてめえなんかにあたしの美しい名前を教えるか! クソガキ! 本返しなさいよ!」

「待って? 君、今、おれにクソガキって言った? 君は何歳?」

「見たら分かるでしょ! さっ」


 違う。


「……」


 あたしは詰まらせた言葉を慎重に吐き出す。


「……10歳よ」

「おれは14歳だ。君の方がガキじゃないか」

「……てめえ……このガキが……いい加減にしろよ……」


(聞いてれば腹の立つことを一から百まで突いてきやがって。教育のなってないクソガキめ……!)


 ぎりぎりと睨んでいると、能天気に微笑む少年が、ぐっと顔を近づけてきた。


「ねえ、君は誰? 教えて?」


 あたしの顔を覗き込んでくる青い瞳。あたしは睨み返す。


「だから、誰がてめえみたいなガキに名乗るかって……」

「お嬢さま!!」


 サリアの声にはっと目を見開き、少年の胸倉から手を離す。


「ん?」


 少年がサリアを見る。あたしは少年の胸を――両手で思い切り突き飛ばした。


「うわっ!」


 少年が地面に尻もちをついた。あたしはサリアに駆け寄る。


「サリアー!」


 ネコの手を作って目を覆い、ぐすんぐすんと泣きついた。


「うえーん!」

「お嬢さま!」


 サリアがあたしにしゃがみ、顔を覗く込む。


「どこかお怪我は?」

「サリア!」


 あたしは指を差した。


「あのお兄ちゃんが、本を返してくれないの!」


 サリアがちらっと少年を見る。少年がぽかんとする。あたしは手の隙間から、ちらっと少年を見る。少年と目が合う。


 ふふっと笑う。


 少年が目をしばたたかせた。

 あたしはサリアに泣きついた。


「うえーん! あたし、返してって言ってるのにぃ……! 虐めてくるのぉ!」

「まあ、お可哀想に」


 サリアがあたしを抱きしめ、優しく背中を撫でてくる。あたしは泣いたふりをしながら少年に目をやる。少年は相変わらず脱力した間抜けな顔をしている。


(やーい! ばぁーか!!)


 あたしはぐすんと鼻をすすった。


「お嬢さま、お怪我はありませんか?」

「うん。大丈夫」


 けろりとサリアに微笑む。


「サリアも怪我なかった?」

「怪我はありませんでしたが……」


 サリアが肩をすくめた。


「これは、私の責任ですね」

「え?」


 サリアがあたしのドレスに触れる。裾が土と泥で汚れていた。サリアがぽんぽんと叩き払ってみる。


「ああ、取れませんね」


 サリアが眉を下げた。


「困りました」


 サリアが肩を落とす。


「これは、お叱りを受けてしまいますね」

「……」


 その意味を、あたしは理解していた。


(使用人がついておきながら、お嬢さまのドレスが汚れた)


 一方で使用人の服は綺麗。


(叱られる)


 叱られるのはあたしじゃない。サリアだ。あたしが誘ったのに、あたしが付き合ってと言ったのに、叱られるのはあたしじゃない。ママは、あたしではなく、使用人のサリアを叱る。


 お前がついておきながら、どうしてお前は綺麗で、あの子がぼろぼろになって帰ってくるのと。


「……」


 あたしについてきた時点で、あたしの世話が彼女の仕事。だから、あたしになにかあれば、サリアは即決で雇用解除だろう。

 クビだ。

 若い女がメイドをクビになり、この不景気の中、誰が雇ってくれるだろうか。


「……」


 まずい。


(どうしよう)


 サリアのスカートを汚すか?


(あ)


 サリアのスカート。――その瞬間、思い出した。



「主人の娘が使用人のスカートを破きました。なぜでしょうか?」


「主人は、お金持ち?」

「はい。その主人と娘は、お金持ちです」


「その使用人は悪い事をした?」

「いいえ。使用人は悪い事はしておりません」


「使用人が娘の気分を害したの?」

「いいえ。使用人はむしろ、娘から気に入られました」


「破いたのはスカート?」

「はい。使用人のスカートを破きました」


「使用人は女?」

「はい。女性です」



「わかった」


 答えが分かった。


「サリア」


 あたしはサリアに微笑んだ。サリアが首を傾げる。


「ごめんなさい」


 あたしはその場でしゃがみこみ、サリアのスカート掴むと、思いきり破いた。


「っ!」


 ぎょっとサリアの目が見開かれる。少年が目を丸くした。サリアが呆然とあたしを見た。あたしはサリアを見上げる。


「サリア、ごめんなさい。これは事故よ。あなたは泥棒からあたしを守るためにスカートが破れるほど抗った。だけど、あたしは泥棒に突き飛ばされて、ドレスが汚れてしまった。泥棒が逃げる中、町の人たちが泥棒を捕まえた」

「……」


 ぽかんとした顔でサリアがあたしを見る。あたしはサリアに訊いた。


「そうでしょう?」


 サリアがふっと微笑んで、頷いた。


「ええ。おっしゃる通りです」

「土もつけておきましょう。念のため」

「ふふっ。そうですね」

「サリア、勘違いしないで。サリアを守るためよ。帰ったらママに話をしておくから、あなたがクビになることもない。それだけは安心して」

「ふふ。お嬢さま、大丈夫ですよ」


 サリアが立ち上がり、あたしを立たせる。


「お立ちになってください。汚れてしまいますから」

「でも、サリア」

「大丈夫ですよ。スカートは破れました」


 サリアがなんでもないように微笑む。


「これで言い訳ができます」


 あたしの頭を撫でて、あたしの手を握り締めた。


「ありがとうございます。お嬢さま。これでなんとかなると思います」


 ぱっと見ても、サリアのスカートは破れて、土がついて、ぼろぼろに見えた。これならあたしとサリアが事件に巻き込まれた、と言えば通るだろう。


「大丈夫よ。なんとかならなくてもあたしが守るわ」

「心強いです。ありがとうございます」

「ごめんなさい。サリア」

「大丈夫ですよ」


 サリアがまた微笑むと、後ろから声。


「へえ」


 ぽんと、頭になにか乗せられた。


「身内には優しいんだ?」


 振り向くと、少年が絵本をあたしの頭に乗せて、感心したように微笑んでいた。その笑みはまるで天使の笑顔のよう。少年の笑顔を見た人々が、うっとりと少年に見惚れだす。


 しかし、あたしにはなんの効果もない。このクソガキの笑顔なんて気分を害する一方だ。あたしは一瞬少年を睨みつけ、すぐに笑顔になる。


「もう人の本取らないでね。お兄ちゃん」


 あたしは本を掴み、胸に抱える。少年がにんまりとにやけて、あたしを見下ろす。


「ねえ、君、名前は?」

「サリア、行こう」


 あたしはサリアの手を握る。


「ねえ、ちょっと待って」


 少年があたしの肩を掴んだ。


「きゃあ!!」


 悲鳴をあげる。少年の手が驚いたように、あたしの肩から離れた。


「おっと」

「サリア!」


 あたしはサリアの服にしがみついた。


「あのお兄ちゃん、怖い! しつこい!」


 少年をぎろりと睨む。


「あの人、嫌い!」

「あはははは!!」


 少年が笑い出し、帽子のつばを掴んで、下に下げた。帽子が深くなる。


「こいつは困った。名前も訊けない」

「サリア、もう帰ろう?」

「そうですね」


 サリアが少年に振り向き、会釈した。


「すみませんが、失礼いたします」

「ああ、ちょっと待ってください。綺麗なお姉さん」


 サリアがあたしの肩を抱き、少年に振り向く。少年があたしに指を差す。


「そのレディから、俺がしたことへの感謝の言葉を未だ聞けてない。最後くらい、お礼の言葉を聞きたいものです」

「サリア、あのお兄ちゃん、図々しい。きらい」

「嫌いでも感謝はしてもらいたいね」


 少年があたしに微笑む。


「レディ、その素敵なお姉さんのおかげで、本も取り戻せたんだから、その人にもちゃんとお礼を言うんだよ」

「……ん?」


 どういうこと?

 少年はニッと笑う。


「だって、『本を盗まれた』って情報を叫んだのはそのお姉さんだろ? おかげで追われているのは、『本を持って走ってる人物』という特定が大勢の人にインプットされた。そのおかげで、おれも犯人を追えた」


 で、捕まえたわけだ。


「レディ。恩人のおれにお礼は?」


 あたしはにっこりと微笑んで、少年に振り向いた。


「本ヲ取リ戻シテクレテアリガトウゴザイマシタ。モウ二度ト会イタクアリマセン。サヨウナラ、オ兄チャン」

「わーあ。すげえ棒読み。そんな典型的な棒読みは初めて聞いたよ」

「サリア、もう行こう?」


 あたしは頬をふくらませる。


「あの人、やだ」

「お嫌いな相手にもお礼が言えて、偉いですよ。お嬢さま」

「ふふっ。そうでしょう!」


 あたしはサリアの手を引っ張る。


「帰ろう、サリア」

「ええ」

「ねーえ、名前だけでも教えてくれないかなー? レディー」


 サリアがちらっと振り向く。


「お呼びですよ。お嬢さま」

「サリア、無視して」


 あたしはサリアの手を引っ張る。そのうち、少年の声が聞こえなくなる。あたしたちは振り返らず、そのまま歩き出す。にぎわう人をかき分け、サリアと歩いていく。


「……サリア」

「はい」

「本当にごめんなさい」


 ここまで迷惑がかかるとは、思ってなかった。


「ごめんなさい」

「大丈夫ですよ」


 サリアが優しく微笑む。


「私の方こそ、守っていただきありがとうございます」

「ねえ、さっきの問題って」

「問題?」

「あのスカートのなぞなぞ」

「ああ」

「あれって」


 あたしは答えた。


「お金持ちの娘は、使用人を助けようとしたのよ。それでスカートを破ったんだわ」


 あたしたちと同じようなことがあって。


「そうでしょう?」

「さあ?」


 サリアが首を傾げた。


「あのなぞなぞに、答えはありません」

「え」

「出た答えが答えです」


 お嬢さまの中でそのように答えが出たのであれば、


「そうですね。それがきっと答えなのでしょう」


 サリアがあたしの肩を撫でた。


「お怪我はありませんでしたか?」

「……平気」

「そうですか」

「ねえ、サリア」

「はい」

「あたし、サリアが気に入ったわ」


 サリアが瞬きする。あたしはサリアを見上げる。


「お友だちになりたい」

「光栄です。ありがとうございます」

「サリアなら、あたしのことテリーって呼んでもいいわよ」

「呼べません」

「二人の時だけ」

「……そうですね。二人の時だけなら、いいかもしれませんね」


 サリアがふふっと笑い、あたしの顔を覗き込んだ。


「テリー」


 サリアがあたしの肩を撫でた。


「私を助けようとしてくれて、どうもありがとうございます」

「サリアこそありがとう。泥棒のこと」


 あたしはサリアの手を握る。


「頭いいのね。サリア」

「そんな、ふふっ。人並み程度ですよ」


 風が吹く。破れたスカートがなびく。土だらけのドレスがなびく。ぼろぼろのサリアとあたしが手を繋いで、馬車に向かって歩いていた。



 少年は、くすっと笑った。



「じいや、面白い子がいたよ」

「キッドさま、また人をからかったのではありませんな?」

「からかってないさ。思ったことを言っただけ」


 いやあ、面白かった。


「あの豹変ぶり。ただの10歳のレディとは思えないよ。……くくっ」


 少年がくすくすと笑った。



(*'ω'*)



「お姉ちゃん?」


 部屋を訪ねると、メニーが驚いたようにあたしを見つめた。


「今、大丈夫?」

「大丈夫だけど……お姉ちゃんは大丈夫? お母さまの怒鳴り声がすごい聞こえたけど……」


 二時間に渡る説教と喧嘩を繰り広げたあたしは、戦場から帰還した騎士のようにぼろぼろだった。


 ――サリア! クビよ! あとでわたしの部屋に来なさい!

 ――ママ! やめて! サリアはあたしを守ってくれたのよ!

 ――テリー! お前は黙ってなさい!

 ――ママこそ黙りなさいよ!! このビッチ!!

 ――テリー!?


(ふん。人件費が削減できると思ったら大間違いよ。反論しまくってママの意見を全て論破してやったわ。ざまあみろ。おまけに助けてくれたという経緯をはらってサリアの給料をうんと上げてやったわ。素晴らしい。使用人に良いことする貴族令嬢。素晴らしい)


 これで裁判で酷い目に遭わない。


(回避成功!!)


「あたしは平気よ。そんなことより、メニーにお土産があるの」

「お土産……?」

「そう。気分転換に今日は街の広場に出かけてね、はい、これ」


 絵本と、帰宅時に発見した店で購入したものを手渡すと、メニーがまた驚いたように目を丸くした。


「え、これ、開けてもいい?」

「もちろんよ」

「中入って、お姉ちゃん」


 メニーがあたしを部屋に入れる。メニーの部屋には大量に本が置かれていた。ベッドや棚や机の上にまで、ずらりと並んでいる。


(まるで本の虫ね)


 部屋を眺めている間にメニーが包みを綺麗に開けて、わあ、と声をあげた。


「絵本だ!」


 メニーが本を開いて、にやける。


「すごい! この絵、可愛い!」

「そうでしょう? それに、色んなおとぎ話が詰まってるんですって」

「素敵!」

「気に入った?」

「うん!!」


 メニーが嬉しそうに、ふにゃりと微笑んだ。


「ありがとう、お姉ちゃん!」


(ほれ、見たことか)


 メニーはこの通り嬉しそうに笑顔を浮かべて本を胸に抱いている。あのクソガキが言っていたことなど当てはまらない。あたしは喜ぶメニーに虫唾が走っているのをばれないように、メニーと一緒ににこにこと笑うことにした。ちょっと右目が痙攣している。落ち着け、あたし。絶対ばれてはいけない。くそ。くたばれ。メニーはひとしきり喜んだ後、もう一つの包装の箱を手に取った。


「これはなんだろう?」


 ぱかりと開けてみる。


「わあ」


 メニーの目が輝いた。


「可愛い」


 四つ葉のクローバーのヘアピン。


「四つ葉のクローバーって、幸福のシンボルだっけ?」

「え」


 なんか似合いそうだから買ってきただけだけど。


「そうよ!」


 あたしはこくん! と頷いた。


「メニーがいたら、心が穏やかになって、幸せな気分になるから!」

「嬉しい……」


 メニーがきゅっと、ヘアピンを抱く。


「ありがとう、お姉ちゃん……」

「おほほほ!」


(とりあえず、これで死刑への未来は遠のいたわ)



 罪滅ぼし活動ミッションその二、落ち込むメニーを励ますプレゼントを用意する。



(あたしはやり遂げたのよ……!)


 ぐっと、拳を握る。ふっ! とメニーに微笑んだ。


「喜んでくれてあたしも嬉しいわー。選んだ甲斐があったわー」

「お姉ちゃんから貰ったものだもの。すごく嬉しい!」


 メニーがあたしに笑った。


「ありがとう! お姉ちゃん!」




「ありがとう、テリー」



 メニーが言った。あたしはメニーに振り向いた。



「なにが」

「大切にするから」

「なんのことかわからない」

「ドレスの装飾、テリーが修正してくれたんでしょ?」

「意味わかんないこと、言わないでくれる?」

「……ありがとう」

「メニー。あとでゴミ回収しに来て。ちゃんとリサイクルに出しておいて」

「……そんなに受け取れないよ」

「口答えしないで。あたしのゴミを回収するのもあんたの仕事でしょ」

「……ありがとう。お姉さま」

「無駄口叩く暇があるなら、さっさと掃除終わらせて。ママに言いつけるわよ」




「つけてみてもいい?」


 あたしははっとする。口角を上げて、メニーに頷く。


「ええ。つけてみて」

「えへへ」


 メニーがヘアピンをつける。四つ葉のクローバーがメニーの横髪につけられる。


「どうかな?」


 メニーが微笑む。


「似合うかな?」


 幸せの象徴。幸福のシンボル。四つ葉のクローバー。メニーにとてもよく似合う。むかつくくらい、よく似合う。


「……ええ。とても似合ってる」


 あ、



 ヘアピンに、毒でもつけておけばよかった。



(そしたら死んでくれたのに)


 あたしは、完全に死刑にならない未来を手に入れられたのに。


(油断してた)


 あたしは微笑む。


「選んでよかったわ」

「ふふ!」


 あたしとメニーが微笑み合う。あたしは拳をぎゅっと握る。メニーの美しさが妬ましくて、反省することなく、ぎゅっと、強く拳を握った。



(*'ω'*)



「……金平糖がないってどういうことだい?」


 裏庭で目を見開いたドロシー。腕を組んで、仁王立ちして、あたしを見下ろす。あたしはため息をつき、手に顎を置いた。


「あたし、色々事件に巻き込まれて散々だったの。金平糖なんて忘れてたわ」

「『金平糖なんて』……!? 君、金平糖の威力を知らないのかい!? あーあ! あーあ!! なんて可哀想なんだろうね、君は!! 金平糖の甘さと魅力を知らないから『金平糖なんて』だなんて言葉が出てくるんだ! いいかい!? 金平糖の魅力とはね! まずあのフォルムから始まり星と星を繋ぐ銀河が……」


 ドロシーの言葉に呆れてまたため息をつくと、指に『それ』が当たり、ぴくりと指が引っ込んだ。そして、あいつの言葉を思い出す。


 ――おとぎ話っていうのは、みんな、ハッピーエンドで終わるものだよ。

 ――めでたしめでたしで終わる世界なんて少ないのに、数少ないみんな幸せになれるっていう世界を、妹さんに教えたいっていうことかい? へえ?

 ――君は妹さんが好きじゃないようだ。


(チッ)


 知らない顔の知らないガキ。


(あのクソガキとは二度と会いたくない)


 薄い青い髪、闇に近い青い目、あの鼻筋、赤い唇、凛々しい眉毛。


(ん?)


 あれ?


 あたしは顔をしかめる。


(あの顔)


 どこかで見たかしら?


「……」


 見覚えがある。あの子供。


(10歳)

(11歳)

(12歳)

(13歳)


 会ってない。


(会ってない)


 でも知ってる。


(見覚えがある)


 あの顔。


(あたし、絶対にあの顔知ってる)

(わからないけど、知ってる)


 どこで見た?

 どこで会った?

 あの顔。


 気持ちがもやもやする。


 思い出せないもやもやじゃない。


 あの顔を思い出すたびに、胸が苦しくなる。

 なんというか、

 これは、



 罪悪感?



(なんで?)


 あいつと会うのは、今日が初めてだ。


(違う)


 そうじゃない。


(どこかで会ってる)


 あれは――白い扉で――。


「金平糖はつまり!! 世界を」


 ドロシーが言葉を止める。


「ん、テリー?」

「……え?」


 ドロシーがあたしの顔を覗き込む。


「顔色が悪いよ。大丈夫?」

「……たぶん、疲れたのよ」


 そうだ。きっと、あたしは疲れてるんだ。


「あー! 疲れたー!」


 はー、と深く呼吸をすれば、夜の空気があたしの中に入ってくる。静かで、しとしととしてて、真っ暗で、でも光のある空気。


「あれ? テリー。君も本を買ったの?」


 ドロシーがそれを見つけて声をあげる。あたしの横に置いた『本』を見つめる。


「なによ? あたしが本を買ったらおかしい?」

「おかしいよ。だって君、なかなか本なんか読まないでしょ」

「ええ、そうよ。本なんてくだらないものは読まないことにした。あたしは今後、あいつのことをお金とプレゼントで気を引くわ」

「うわ……。最低だね、君……」

「金平糖忘れた途端に不機嫌になる魔法使いが言わないでくれる?」

「うるさいなあ……。金平糖は……特別なんだよ!!」


 声を絞るかのような一言。はいはい。そうでしたか。お粗末さまです。


「……でも、読まないんでしょ? なんで買ったの?」

「ドロシー、あんたが答えたじゃない」

「え?」


 ドロシーが首を傾げる。

 あたしは無表情のまま、『本』を抱きしめる。


「あたしにとっても、この本だけは特別なのよ」


 本当はそのまま帰ろうと思った。本なんてどうでもいいから、自分の未来だけが大事だから。


 ――おとぎ話っていうのは、みんな、ハッピーエンドで終わるものだよ。


 その通り。

 絶対にハッピーエンドで終わる。

 素敵なおとぎ話。


 だからこそいいんじゃない。


 現実が暗くて、

 誰も愛せなくて、

 誰も味方がいなくて、

 孤独で、

 憎しみしかなくて、

 自分という人間が最低な人間で、


 だけど、


 幼稚な物語かもしれないけど、

 それでも、本の中では、

 あたしは人々に愛された女の子になれるのだ。


 愛でいっぱいに包まれた、愛嬌いっぱいの、お姫さま。女の子。優しい人間。憧れた世界の中心にいるヒロイン。


 現実を知らしめる本も大事かもしれない。

 おとぎ話の真実はもっと辛くて残酷なバッドエンドかもしれない。

 でも、いいじゃない。

 本の中くらい、夢を見せてくれても、いいじゃない。


 だからこそ、工場でたくさん夢を見せてくれたその本を――見なかったことにするのは――できなかった。


「君がそんな古い本を抱きしめるほど愛してるなんて、初めて知ったよ。ボクも読んでみたいな」

「あんたに貸したら紙が金平糖だらけになりそうね」

「失礼な! ま、まるでボクが、金平糖をたくさん食べてるみたいじゃないか!」


 慌てるドロシーを見て、あたしはまたため息をつく。


 夜空には、星が光りつづける。


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