第5話 下水道の中で(4)


 クレアの目をクラブがじっと見つめた。


「特に問題とかなさそうですが、とりあえず、今夜は眼帯で」

「なに?」


 クレアが眉をひそめた。


「あたくしに、朝日が昇るまで片目で過ごせというのか?」

「念のためでございます。クレア姫様。とかなんとか」

「片目だと、視界が狭くて歩きづらい!」

「クレア姫様、世の中にはですね、片目だけで生きている人もいらっしゃるんです。とかなんとか。そうです。物知り博士のように!」


 クラブが跪いた先に、眼帯で、前歯が欠けているスペード博士が、スポットライトに照らされて立っていた。


「その通り。片目もなかなか悪くありません」

「とかなんとか」

「片目は、個性なの」

「とかなんとか」

「ほら、クレア姫様、鏡をごらんなさいな。とってもキュートなお顔ですわよ」


 スペード博士に言われて、クレアが鏡を見た。眼帯がつけられている。


「まあ、キュート!」

「とても素敵でございます! クレア姫様! とかなんとかね!」

「ロザリー、バドルフに連絡しろ」

「直射日光して目が痛くなったから、今夜は塔で休むってことは連絡しておいたわよ」

「……お前もできるメイドになってきたではないか。褒めてやろう」


 クレアが立ち上がり、ふらついた。


「ああ、視界が狭い。これだから嫌なんだ」

「クレア、部屋まで送っていくわ」

「……送っていくだと?」


 クレアに睨まれる。


「お前、まさかそのまま宮殿に帰るつもりではないだろうな?」

「……見て。時間も時間よ。今日の出勤時間は宮殿に帰る頃には終わってるわ」

「こんな状態のあたくしを、貴様、置いていくつもりか!?」


 クレアがぷうっと頬を膨らませて、また椅子に大きく座った。


「あーあ! 誰のせいでこうなったんだろうな! そもそもお前が下水道にあたくしを連れて行かなければ、こんなことにはならなかったのに!」

「何よ。二人で行こうって言ったのはそっちでしょう?」

「あたくし、そんなこと言ってない!」

「言ったわよ」

「言ってない!」


(ああ、出た出た。またこれよ)


 ぷうっと膨らませる風船ほっぺ。リトルルビィって呼ぶわよ。


(……仕方ないわね)


「……わかった。今夜は泊まるわ」

「夕飯もお前が作れ」

「わかった。……ビーフシチューでいい?」

「……作れるのか?」

「時間がかかっていいなら」

「……ふん。仕方ないな。それしか出来ないというのならそれで許してやる」

「メニーに連絡してくるわ。待ってて」


 そこではっとした。


(……メニーにGPS渡すの忘れてた……。……ああ、渡してたらメッセージでやり取り出来たのに……。めんど……)


 あたしは大股で研究室を抜ける。階段を上り、塔の一階にやってくる。


(えっと、電話は……)


 あったわ。黒電話。あたしは受話器に手を伸ばし、休憩室の番号にダイヤルを回す。受話器から呼び出しの音が聞こえ、電話が取られた。


『……』

「……こんばんは。ロザリーです」

『……』

「ロップイさんですか?」


 石を叩く音が聞こえた。ロップイのようだ。


「ロップイさん、クレア姫様が少し体調を崩してしまって、面倒を見なければいけず、今夜は塔に泊まることになりました」

『……』

「メニーが心配すると思うので、伝えてもらっていいですか?」


 石を叩く音が聞こえた。これはYESととらえていいのかしら?


「それでは、お願いします。……お疲れ様です」


 石が叩く音が聞こえて、あたしは受話器を置いた。


(これでよし。明日、メニーが拗ねてたら、花でもあげて機嫌を取ろう)


「……」


 黒電話が、目の前にある。


「……」


 あたしは受話器を再び取り、ダイヤルを回した。受話器の向こうから呼び出し音が流れる。電話が取られた。


『はい。こちら、ベックス家でございます』


 その声を聞いて、口角が上がる。運が回ってきたようだわ。


「モニカ?」

『……? はい。わたくし、最近ベックス家のお屋敷に雇われました。新人メイドのモニカでございます。得意なものは、このさわやかな笑顔でございます。どうぞよろしくお願いします!』

「モニカ、サリアに変わってくれない? ニコラから連絡が来たっていえばわかるわ」

『ニコラ様? かしこまりましたー!』


 モニカがちりんとベルを鳴らした。


「サリアさーん! ニコラ様から、お電話でーす!」


 受話器の持ち主が変わった音が聞こえた。


『お世話になっております。サリアでございます。ニコラ様』

「サリア」


 懐かしい声に、拳をぎゅっと握りしめる。


「不思議だわ。サリアの声を聞いた途端、すごく安心した」

『それは、……何よりでございます』

「……知恵を貸してくれない? 困ってることがあるのよ」

『どうされました?』

「……」


 あたしは嘘つきだ。


「あのね、サリア」


 嘘を吐く。


「推理小説の下巻がなくて、上巻の謎の答えがわからないのよ。だから、サリアに聞きたくて」

『あら、ニコラ様が推理小説をお読みに? うふふ。あなたが読む本であれば、それはそれは面白そうですね。……一体どんな謎ですか?』

「謎はとても多いの。だから、一から説明するわ」



 とある国の小宮殿。最近、この宮殿では一日に人が一人、必ず消えるという事件が起きている。そのことに気づいたお姫様は、ひそかに事件の調査を進めていた。


 しかし、まるで調査の邪魔をするようにお姫様のお母様、つまり、王妃様が毒を盛られて倒れてしまった。


 解毒薬を作るには、解毒の成分が入っている特別な花を取りにいかなければいけない。なので、お姫様の弟である王子様が取りに出かけた。しかし、本当に特別な花であるため、猛毒の茎部分に触れてしまった王子様は帰ってくる頃には意識不明の重体だった。

 そしてここでまた謎が一つ。王子様は門に入らず、どこからか現れたように、王宮へと戻ってきたのだという。朦朧としながらも帰ってきた王子様のおかげで王妃の毒は解毒された。


 しかし、事件は続いている。必ず小宮殿にいる一人が消え、王妃に毒を盛った犯人も見つからない。


 手がかりは青い薔薇、水、亀にトカゲ。



『……』


 サリアが考える。


『いくつか質問していいですか?』

「ええ」

『手がかりは、どうやって掴んだの?』

「お姫様のほかに、主人公がいるのよ。主人公の友達が手がかりを日記に残していったの」

『日記にはなんと?』

「ブルーローズ」

『水の手がかりは?』

「主人公の友達が、なぜか水に関して調べてたのよ。小池とか、水道とか」

『亀にトカゲと仰せでしたね。その手掛かりは?』

「主人公は調査をしていくうちに、お城の下水道にたどり着くの。そこで、巨大な亀とトカゲに襲われて、とんでもない目に遭うのよ」

『なるほど。やはり水に関係するのですね』

「どういうこと?」

『知ってますか? 亀とトカゲは、水と地面を行き来することができるんですよ』

「つまり?」

『青い薔薇も水と土で生きている』

「サリア、薔薇は青以外にも種類があるの。でも、その友達は、ブルーローズという言葉だけを残して、消えてしまったのよ」

『ニコラ様、青い薔薇の意味をご存じですか?』

「不可能、存在しない、だっけ?」

『もう一つ』

「……もう一つ?」


 あたしは眉をひそめた。


「もう一つ、意味があるの?」

『青い薔薇は、なぜそのような意味を持ったと思います? それは、誰もが挑戦しても、青い薔薇を誕生させることができなかったからです。どの薔薇を組み合わせても、青色の薔薇を作り出すことができなかった。だから、不可能と言われたんです。青い薔薇なんて存在しない。多くの研究員が、努力をして、報われず、それでも諦めず作り出した者がいた』


 青い薔薇が誕生した。


『青い薔薇は、不可能でも、存在しないものでもなくなりました』


 青い薔薇のもう一つの意味。


『願いが叶う、という意味でもあるのですよ』


 だけど、それは怖いこと。


『世界というものは、誰かの願いが叶うと、誰かが不幸になっているケースが非常に多いです。青い薔薇を誕生させたことによって、青い薔薇を研究していた研究員たちの努力が無駄になった。しかし、青い薔薇はできた。評価は青い薔薇を作った本人に向けられ、その他は全員無視された。このように、願いが叶うということは、素晴らしいことでもあり、同時に怖いことでもあるのです』


 つまりね、


『青い薔薇が咲くことで、誰かが不幸になっておりませんか?』


 あたしはますます眉間にしわを寄せた。


「青い薔薇が咲くことで、誰かが不幸に……? いや、そんなことは、ないと思うけど……。毒がある花でもないし」

『そのお城に咲き乱れる青い薔薇の肥料はなんでしょうね? 土と水ですか?』

「……そうじゃないの?」

『人間だったりして』


 サリアがくす、と笑った。


『ミステリー小説にありがちではないですか? 咲くことのない花が咲いて、理由を調べてみたら、人間の血や、人間の細胞から作られていたとか』

「……」

『あくまで、私の推測ですが、……もしもこの理論が通じるのであれば、人が消える理由は明確です。青い薔薇を咲かせるため、誰かが人を誘拐して、青い薔薇を咲かせ続けている』

「……何のために?」

『事件を起こす方というのは、いつだって子供じみた考えをもっております。青い薔薇が綺麗だからとか、亀をいじめたからとか、鬼退治されたからとか、自分の存在を何かの形に残しておきたかったとか』

「……」

『一つ質問です。下水道があるということは、隠された地下室などはございませんか?』

「……地下室?」

『ええ』

「……ある」

『広いですか?』

「……でも、そこは、埋められたかもしれないの」

『あら、そうですか。どうして?』

「必要が、ないから」

『その地下室に行ったことは?』

「……その地下室は、ほら、歴史で魔法使いは全滅したってあるでしょう? でも、その地下空間に、町みたいなのがあって、そこに魔法使い達はずっといたってことになってるの」

『なるほど。それで、魔法使い様達が外に出られた時に、必要がなくなったから埋めたと?』

「ええ」

『その物語の主人公は、現場には行かれたのですか?』

「いいえ」

『どうして?』

「なんとなく場所はわかるけど、入り口がないから」

『それはそうでしょうね。魔法使い様達が出入りしていたのですから、人間の目にはわからない仕掛けになっているに違いありません』

「……ってことは、犯人は、魔法使い?」

『そうですね。その地下を知る魔法使い様が、欲望だらけの人間にふきこんだのかもしれません。そして、悪い人が地下の存在を知ってしまった。人間をその地下空間に入れると、人間の何かを犠牲に、綺麗な花が咲く。それが青い薔薇。だとしたら、もっと人間を入れたらもっと大量の綺麗な青い薔薇が咲くんじゃないか。そうして、小宮殿の事件が始まった』

「……」

『ただの花好きではなく、人間というものに興味を持っている人なのかもしれませんね。ニコラ様。その小説、犯人は一人だけですか?』

「え?」

『一人の犯行には思えません』


(……オズが主犯であるとして、その周りに中毒者がいるとして……)


「……そうね。犯人は一人じゃないと思う」

『でしたら説明がつきますね』


 さん、に、いち。


『生き物が好きな人。人間が好きな人。人間が嫌いな人が、犯人です』


 サリアがはっとした。


『あ、言ってしまいました』


 サリアの笑った声が聞こえた。


『犯人は取っておいた方がよかったですね。申し訳ございません』

「……」

『犯人が数人いるのであれば、王妃様に毒を盛ることもたやすいことでしょう。使用人や兵士であれば、毒があるのにそれを拭き取って、無いと言えばいいのですから。……地下にいる方々、早く見つかるといいですね』


 サリアの声が耳に響く。


『早くしないと、死人が出てしまうかもしれません』


 背筋が冷たくなっていくのを感じる。


『お話は以上ですか?』

「……ええ。ありがとう」

『下巻、見つけたら教えてください。どういう結末だったのか』

「ええ」


 小さくうなずく。


「物語だもの。……きっと、ハッピーエンドが待ってるわ」

『楽しみにしております』

「ありがとう、サリア。……来月には戻るわ」

『それではニコラ様、お体ご自愛下さいませ。……お声が聞けて嬉しかったです』

「……あたしもよ。サリア」


 ――あたしは受話器を置いた。


「……」


 ブルーローズ、存在しない。

 ブルーローズ、不可能。

 ブルーローズ、願いが叶う。


(スペード博士とクラブさんが調べても、青い薔薇はただの青い薔薇だった)


 水はどこからやってくる。下水道の水が綺麗になってやってくる。


(やっぱり、下水に何かある気がする)


 クレアが違和感を感じると言っていた場所。


(あの上には建物があるんだっけ?)


 調べるべきことは、まだあるようだ。


(もう少しよ。ニクス。待ってて)


 ――早くしないと、死人が出てしまうかもしれません。


(そんなことさせないから)


 あたしはクレアを迎えるため、また研究室に戻っていった。あたしのアンクレットがろうそくの火の明かりに反射して、きらりと光って、……そこで思い出した。


 ――あ。


(『写真』のこと、聞くの忘れてた)


 ……まあ、いいや。それは、また今度にしよう。

 どうせ、帰ったらいくらでも調べられるのだから。



(*'ω'*)



 ビーフシチューをテーブルに出す。

 クレアがきょとんと眺めた。

 パンに、サラダもどうぞ。

 クレアがきょろきょろと見た。


「……何よ」

「これ、お前が作ったのか?」

「あんたがお風呂場でコンサートをしている間にね」

「……いただこう」


 クレアがぱくりと食べた。


「……」

「言ったでしょ。あたし、コックじゃないから、そんなに美味しいものは作れないって」

「……作れてるじゃないか」


 クレアが感心した表情を浮かべる。


「美味しい」

「……早く食べなさい」

「ん」


 クレアが口を大きく開ける。マナーがなってない。大口でスプーンを咥えたら、ほら、言わんこっちゃない。あたしはナプキンを手に持った。


「クレア」

「ん」


 口元を拭うとクレアが嫌がった。


「後でいい」

「そんな汚い口で食べないの。もう子供じゃないんだから」

「マナーなんて大嫌い。破れるのは今くらいなものだ。たまには汚く食べさせてくれ」


 また大口で食べる。食べ方までそっくりなんて、リオンって呼ぶわよ。あんた。


「……」


 クレアが頬を緩ませながらビーフシチューを味わう。なんの弄りもない、普通の味だと思うのだけど。


(クレアは気に入ったみたい。ならいいや)


 あたしはスプーンを口にふくむ。サラダも食べる。シャキッとしててなかなかいいでしょ。これね、囚人達の給食であたしが作ってたのよ。でも今日のは特別なの。バドルフが取り立ての野菜を毎日食材箱に取り替えに来ているみたいでね、これは9割素材のおかげの味なの。美味しいでしょ? 美味しいって言いなさい。ほれ、食べろ。こら。


「……」


 クレアがもきゅもきゅ食べる。頬をふくらませる仕草はまるでねずみに似ている。


「……」


 チラッとネグリジェの胸元を見た。ぺたんとしている。


「クレア」

「ん?」

「明日、確かめたいことがあるの。人数を固めてもう一度下水道に行かない?」

「言われなくともそのつもりだ。まだあの違和感のある壁の謎も解いてないし、あの下水道には何やら不審なものを感じる」


 クレアが肉を噛んだ。


「行って確かめないと、胸のもやもやが取れない」


 あたしの目が再びクレアの胸に移る。何度見てもぺたんとしている。


「リトルルビィとソフィアも連れて行こう。それと、メニーにもついてきてほしい」

「……メニー?」

「うん」

「なんで?」

「強力なお守りだから」

「……それ、キッドも言ってた。メニーがお守りだって」

「うん」

「なに? メニーには何か神秘的な力でも宿ってるわけ?」

「うん」


 平然と頷くクレアに、あたしは顔をしかめた。


「宿ってるの?」

「なんだ。知らないのか?」

「どういうことよ」

「あの子、あたくしと同じだぞ」

「同じ?」

「魔力を持ってる」




 あたしは真っ白になって固まった。




「は?」

「あの子、魔法使えると思うぞ」

「は?」

「聞いてみろ。本人はわかってると思うから」

「メニー?」

「……あー、でも、あの子はまだ12歳だったな」


 クレアがパンをちぎって食べた。


「微妙な年ごろだ。あの子が告白するまで待ってやってもいいし、聞いてもいいし、お前の好きにしろ」

「それ、いつから知ってたの?」


 クレアがぱちぱちと瞬きした。


「会った時から」

「だからメニーと仲良くしたいとかほざいてたの?」

「あたくし、魔法使いを見るのは初めてだから、お友達になりたかったの」

「からかってる?」

「からかってるように見えるか?」

「本気?」

「うん」

「メニーが魔法使い?」

「あたくしと同じ、魔力を持った人間だ。それもかなり強力な」


 クレアが息を吐いた。


「あの子がいれば何も恐れることはない。何かがあれば、あの子が守ってくれる」

「嘘よ」

「この食事に誓おう。これは真実だ」

「嘘よ」

「ああ、確かに受け入れるまでには時間がかかるだろうな。だって家族が魔力持ち。ふむ。では違う話題に移ろうか。昨日の夜、なに食べた?」

「帰る」

「は?」


 あたしが立ち上がった。


「部屋に帰るわ」

「食事中に立つな。子供じゃないのだから」

「いいえ。帰る」

「今夜は泊まるって……」

「部屋に帰って、メニーと二人で話すわ。これは姉妹関係にも関わるものよ」


 あたしは荷物をまとめる。


「今夜は帰る」

「だめ」

「帰る」

「だめ」

「帰るから」

「だめ!」

「帰るから!」

「だめ!!」

「メニーと姉妹会議をするわ!!」

「明日でいいだろ!」

「あたしが嫌なのよ!」

「今夜はあたくしの世話をするんだろ!!」

「帰ります!!」

「だめ!!」


 クレアが食事をほっぽりだして、あたしの荷物を奪った。


「あ! 何するのよ!」

「今夜はこの部屋に泊まるんだ! じゃないと許さないから!!」

「お黙り! これは非常事態なのよ! 新型コロナウイルスと同じくらいなめちゃいけない非常事態なのよ! ソーシャルディスタンス!! おら! どけ!!」

「いや!!」

「荷物返して!」

「いや!!」

「返せ! この貧乳!!」


 その瞬間、クレアがはっと息を呑み、青い顔になり、両手で胸を隠した。


「き、き、き、きさ、きさま、そ、そ、そ、その、禁断の、言葉を、よ、よくも!」

「あら! そう! 禁断の言葉だったの! 悪かったわね! この、貧乳!」

「こ、こ、こ、こ、このっ!」


 クレアが顔を真っ赤にさせ、手を退け、胸を張った。


「貴様だって! つるっつるの、ぺちゃぱいではないか!!」

「っ!!」


 あたしは息を呑み、しかしクレアを睨み、ばいんと胸を張った。


「あなたよりは! あります!!」

「どうせドレスを着る時だって、パット入りのくせに!」

「あんただって! つめつめに! 詰め込んでるじゃない!」

「ぺちゃぱい!!」

「貧乳!」

「つるぺた!」

「な、な、なんですってーーー!?」


 あたしの頭がぼかんと噴火した。


「カップ言ってみなさいよ!」

「どうしてお前なんかに言わなきゃいけないんだ! お前が先に言え!」

「あんたが言いなさいよ!」

「やなこった!!」

「サイズ言ってごらんなさいよ!」

「なぜあたくしが使用人なんぞに言わねばいけないんだ!」

「お友達でしょ!」

「使用人だ!!」

「あっ、そう!! じゃあ、部屋に帰っても問題ないわね! 使用人だもの!」

「なんでそうなるんだ!!」

「そもそもてめえがあたしを素直に帰らせないから!」

「今夜泊まると言ったのはそっちではないか!」

「事情が変わったのよ!」

「明日でいいだろ!」

「嫌なのよ!!」

「はーーー! これだから胸の小さな女は! 胸だけではなく、器も小さいな!」


 カッチーーン。


「Bの70よ!!!!!! ほら!! 言った!! てめえのカップ言ってみなさいよ!!!」

「なっ!」

「なによ!? 言えないの!? そうよね! あたしよりも貧乳だもんね! 貧乳! つるぺた! 男女おとこおんな!! おら! 言えるもんなら言いなさいよ! サ、イ、ズ!!!」

「とっ、」


 クレアが小さな声で呟いた。


「……トリプル、Aの……66……」


 部屋が静まり返った。

 クレアの声だけがこだまする。

 クレアが俯く。

 あたしは黙る。

 クレアの目が潤む。

 あたしはクレアの背中をぽんと叩いた。


「……食事の、続きをしましょうか……」

「……ぐすんっ……」

「あの、……一回、座りましょうか」

「……ぐすんっ……」


 あたしとクレアがカーペットの上に正座して座る。クレアが両手で顔を覆い、肩を震わせる。


「ぐすん、ぐすん……」

「そうね。あの、ちょっと、言い過ぎたわ。……ごめんなさい」

「……あたくしも言い過ぎた。……ぐすっ……。……ごめんなさい……。……だから、もう、胸については触れないで……。お願い……」

「クレア、胸はね、その、26、27歳くらいかしらね。そのあたりで、また膨らんできたりするのよ」

「ぐすっ……ぐすっ……」

「ほ、本当よ。あたし、牢屋の中で胸が大きくなったけど、どうしてかしらって思ったんだもん。本当よ?」

「ぐすっ……ぐすっ……」

「ほ、ほら、男って、舞踏会以外では、意外と胸は見てないものよ? その、夜の営みをする時は明かりを消すでしょう? だから小さくても見えないのよ。ってベックス家のメイドも言ってたわ」

「ぐすっ……ぐすっ……」

「男は男で、その……性器が、ほら、あるでしょう? あれで、その、皮が剥けてるとか剥けてないとか、小さいとか大きいとか、そういうのでも気にする人がいるんですって。でも、あたし達みたいな女って、そういうことには、その、あまり気にしないでしょう? というか、皮が剥けてようがなんだろうが、好きな人ならどうでもいいでしょう? ね。胸もそれと同じよ。気にすることないって」

「そうだよな……。哀れだよな……。Aカップでもなく、Bカップでもなく、あたくしの胸のサイズはトリプルA。わかるか? Aが三つだ。ポーカーでなんか強そうな感じがするな。Aが三つだなんて。わかるか? Aが三つ並んでるんだ」


 こんな感じで。AAA。


「うふふ……。……山みたい……」

「クレア、本当に悪かったわ。ね。ご飯が冷めるわ。食事の続きをしましょう。おかわりいる?」

「……宮殿に帰るんだろう? ……いいよ、もう……」

「いや、よく考えたら、明日でもいい気がしてきた。そうそう。明日、確かメニーはシフト入ってなかったはず。お休みよ。だから、どうせ部屋で暇してるだろうし、ね、姉妹会議は明日にするわ。今夜はここにいる」

「いいよ、もう……」

「クレアちゃん、髪の毛結んであげるわ。ほら、椅子に座って! はい。食事が冷めるわよ!」

「いいよ、もう……」

「あたしが作ったんだから、残さず食べなさい。ね? クレアたんはいい子ねー! よしよし!」

「……」


 クレアがゆっくりと食事を始める。残すことはしないようだ。あたしは三つ編みを作る。ほらほら、可愛くなった。あたしとクレアが食事をして、気まずい空気が流れる中、訊いた。


「デザートの果物もあるわよ。食べる?」

「……いらない……」

「もったいなくってよ」

「……いらない……」

「ほら、ブドウよ。おいしそう」

「……いらない……」

「あーんして」

「……あーん」


 クレアがもきゅもきゅ食べた。あたしももきゅもきゅ食べる。


「ほら、皮ごと食べれる。美味しい。あーんして」

「……あーん……」

「美味しい、美味しい。ほら、元気が出てくるわね」

「……」


 クレアが椅子から立ち、ふらふらとシンプル色のエリアに入った。そこに置かれているソファーにふらりと倒れ、そこから動かなくなる。


(……あれはしばらく放っておいたほうがいいかも……)


 あたしは皿を洗い場に運んで、全て片付け、洗い場の周りをふきんで拭き、少しだけ掃除をする。濡れた手をタオルで拭いて、あ、お風呂に行こうと思って、お風呂に入り、しばらくお湯を堪能した後、ネグリジェに着替えて、髪をタオルで乾かしながら出てくると、クレアがロザリー人形を抱きしめながらうずくまっていた。


「……ロザリー、あたくしの胸は大きくなるよな……」

「ハニー! だぁーいすき!」

「パッドを詰め込めば……谷間もできるんだ……ほら見て、ロザリー、幻の谷間……」

「ハニー! ぎゅってして!」

「はあ……。トリプルA……。トリプル……」

「クレア、そろそろ寝るわよ」

「はあ……」

「ほら、ロザリーにおやすみして。ベッドに入って」

「ロザリー、おやすみ。いい夢を見てね」


 クレアがロザリー人形にキスをして、ふわりと人形を浮かばせた。うようよ浮かぶ人形が箱の中へ戻っていき、また新たな御札が貼られ、おもちゃ箱の裏に封印される。クレアはのそのそとソファーからベッドに移動して、力なく倒れる。


「はあ……」

「クレア、奥に行って。ほら、あたしが寝れないでしょう」

「……」

「灯りは?」

「……消すからいい……」

「そう」


 クレアが奥に進み、あたしは手前に入る。その瞬間、灯りが一気に消えた。部屋が暗くなる。クレアの髪の毛がふわりと揺れ、ため息を吐いた。


「はあ……」

「クレア、悪かったわ。そこまで気にしてるとは思ってなかったのよ」

「男だって、Aカップくらいあるんだぞ。わかるか。あたくしの気持ち。トリプルだぞ。Aが三つだ」

「わかったってば」

「……ロザリー」

「ん?」

「将来どうなりたい?」

「ねえ、本当にごめんってば」


 クレアの腕を撫でる。


「もう寝ましょう。ね。今日は色々あったし、眼帯だし、あんた、疲れてるのよ」

「はあ……」

「胸って揉んでもらうと大きくなるみたいよ。なんか、フェロモンが活性化されるんですって。ニクスが言ってた」

「……あたくしが試してないとでも思ったか」

「……揉ませたの?」

「……自分でやったことある」

「……自分だと、なんか、大きくならないかもって、ニクスが言ってた」

「……」

「大丈夫よ! あんたにだって、胸なんかなくても気にしないぜ! って言う素敵な殿方が現れるわ! リオンだって、女の胸を見てる話なんか聞いたことないもの!」

「リオンの話はやめろ」

「ごめんってば」

「はあ……」


 クレアの背中をなでる。


「ねえ、もう寝ましょう。あんた疲れてるのよ」

「もう胸についてはよせ」

「ええ。よくわかった」

「……よろしい」


 クレアがあたしの胸に顔を埋めた。


「お前だって小さいくせに」

「お黙り」

「……」


 クレアがあたしに抱きついた。


「あったかい」


 クレアが瞼を閉じた。


「小さい頃は、母上か、爺様とこうして寝ていた。懐かしい」


 クレアがあたしを腕に閉じ込める。


「このベッドで、父上と母上とも寝たことがある。一度だけだったけど、あたくし、それが嬉しくて、ずっと覚えてるんだ」


 クレアがうとうとしてくる。


「あたたかい」


 あたしに身を委ねる。


「ロザリー……」


 クレアが眠っていく。


「……リー……」


 すやぁ。


(……やっと寝たか)


 背中をとんとんする。意外と胸のこと気にしてたのね。反省しよう。


(……にしても)


 問題は、


(……メニー。明日、たっぷりと聞かせてもらうわよ)


 あたしは瞼を閉じた。



(*'ω'*)



 ノックが鳴った。メイドが扉を開けた。廊下には誰もいなかった。不思議に思ったメイドは部屋に振り向いた。


「ドロシー、ここにいて」


 猫が走ってきたが、メイドが扉を閉めてしまった。かりかりと猫の爪が扉をひっかく音が響く。メイドはそれを無視して、廊下を歩いた。


「……誰?」


 影が見える。


「お姉ちゃん?」


 裸足の足が石の上を歩く。


「お姉ちゃん、どうしたの?」


 影が角を曲がった。


「お姉ちゃん」


 影が角を曲がった。


「……」


 メイドの足が一瞬止まり、辺りを見回した。誰もいない。


「……」


 大声を呼ぼうか。そうすれば友人の吸血鬼が来てくれるだろう。


「……」


 このまま行けば、どうなるかは予想がついた。


 メイドは考えた。そうだ。このまま進んでしまおう。


 だって、そしたら彼女は、嫌でもあたしを追いかけなくてはいけなくなる。彼女が嫌でも、周りがそうさせるだろう。そして、嫌がることなんて出来ない彼女は、心配するふりをして、私を迎えに来てくれることだろう。今夜はどこに行ってるの? どうせまたあの塔でしょ。お姫様のお部屋にまた泊まってるんだ。もう何度目なの? もういい加減にして。私がここまであなたを想っているのにあなたは全く鈍感で、私の気持ちになんか気付いてくれない。か弱いふりをしても、従順な妹のふりをしても、あなたは私を妹としか見てくれない。どんなに笑顔を振りまいても、どんなに側で支えても、どんなにあなたを抱きしめても、どんなにあなたにキスをしても、どんなにあなたに触れても、あなたは姉。私は妹。あの時もそうだった。あなたは私を妹として見ていた。あの時もだ。あなたは私を可愛い妹として、あの時も、あなたは、あの時も、妹として、あの時も、私の気持ちに、あの時も、あなたは、あの時も、ねえ、あの時も、メニー、あなたは、



 ――二人で田舎に行くの。


 ――ママもアメリもたどり着けない、遠くに行くのよ。


 ――そこで、二人で生活するの。


 ――牛の乳を絞って、お婆さんに届けてね、


 ――近所には神父様がいて、毎日お祈りをしに行くのよ。


 ――メニーとあたしは美人姉妹で有名でね、


 ――村の男の子達にモテモテなの。


 ――これが計画書よ。


 ――いい? メニー。


 ――これは二人だけの、トラブルバスターズであるあたしたちだけの、秘密だからね!



 私の気持ちに気付かない。


 だったら、いっそのこと、



 困らせてしまえ。



「えへへ」



 つい、笑い声が出たメイド。

 次に角を曲がった時には、その姿は消えていた。




 今夜はメイドのようだ。


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