第5話 メイドとしての日々


 時とはとても早いもので、あたしがロザリーとして働き始めて、数日が経った。リオンとキッドはまだ帰ってこない。仕方なく、あたしはメイドとして生活を続けている。


「ほれ、ニクス、ロザリー、掃除に出かけるぞー」

「はい」

「はーい!」

「いやいや、ニクスとロザリーはやる気があって助かるべさー」


 無論、メイドとして紛れ込むまではよかった。あたしはそこに関して文句はないわ。


「今日はここの掃除なー」

「はーい!」

「終わったら向こうな」

「はーい!」


 問題はそこからよ。


「今日の午前中はここの掃除なー」

「あら、たいへーん! 一人で終わるかしらー!」

「大丈夫、大丈夫。何とかなるべさー」


 この宮殿はどうなってるのよ! 


(小宮殿!? 完全にただの立派な宮殿じゃないのよ!!)


 掃除するところが多すぎるわ範囲は広いわ、ああ、あたし、もう嫌! 廊下を掃除しようと思えば、見てよ! このありえない距離の廊下の広さ! これ、誰が掃除するの? あたしがやるのよ!? あーーー! もういやーー! あたし、サリアの淹れたお茶が飲みたい! 喉かわいた! 


(最低……)


 ため息を出しながら去年のことを思い出す。お菓子屋。ああ、あの時はよかったわ。アリスがいて、リトルルビィがいて、三人で談話しながら楽しく品出しをするのよ。レジに入ったら変な客に絡まれて、イラっとするけど、その後アリスやリトルルビィ、奥さんに愚痴るのよ。そしたらみんな、そいつはムカつくねって共感してくれる。あそこのお店は、空気がとにかく温かかった。居心地がよかった。そういえば、奥さんの子供もだいぶ大きくなってきてた。今度、改めて挨拶にいかないと。その前に、あたしはこの廊下を掃除しないといけないのね。


(ああ、足が痛い。腰が痛い。体が痛い。あ! 今、腰がグビッて鳴った! もう嫌! あたし、死んじゃう!)


 なんてことない顔で廊下を掃く。ほこりにまみれて、ああ、なんて可哀想なあたし!


(議員達が歩いているんだわ。だから床が汚れるのよ)


 時々、人が歩いてくれば、あたしみたいなメイドは廊下の端に立ち、ぺこりとお辞儀しなければいけない。そして、その人がいなくなったら、また掃除を再開するのだ。こんなふうにね! ぺこり! けっ!


(どうして、あたしが議員なんかに、頭を下げなきゃいけないわけ? パーティーでは向こうがペコペコしてるくせに)


 それもこれも、全部キッドのせいよ。キッドが求婚なんてしなければ、あたしはこんな目に遭わずに済んだのに。メイドになんかならずに済んだのに。ああ! あたし、ちょー可哀想! あたしこそ、悲劇のヒロインだわ!


「おっと、ラメール、見てみろよ。堅物真面目なロザリーちゃんがいるぞ」

「やあ、ご機嫌よう」


 ぺスカとラメールが近づいてきた。あたしは手を止めて、顔を上げる。


「こんにちは」

「ニクスはいないのか?」

「あっちに」

「ロザリー、ニクスに忠告しておけ。ぺスカはニクスとデートがしたくて仕方ないんだ」

「……そうですか」


 あたしの指が、ぴくりと動いた。ええ。メイド生活をしてむかつくのは、掃除だけじゃない。


 ニクスのことも含めてよ。


「なあ、最近、俺、気になる子が出来たんだ」

「実は、俺も」


 ニクスが年の近い少年達を魅了してしまうには、時間は一週間もかからなかった。人一倍気遣いができ、人一倍仕事に勤しみ、人一倍親切で、何より、


 人一倍、美人だった。


「あの子、ニクスっていうのか」

「短期の子なんだとさ」

「めちゃくちゃ可愛いよな」

「昨日、ペンを拾ってもらったぜ」

「おい、そのペン寄こせ!」

「ふざけんな!」


 少年達の間でニクスの拾ったペンが原因で争いが起き、ミカエロに説教されていたのをさっき見たところだ。

 そんなみんなの女神であるニクスのルームメイトは、小さくて、目が鋭くて、あまりお喋りをしたがらず、やけに細かい所を掃除したがる小娘だった。だから、とあるあだ名がついた。


 マドンナのニクス。堅物真面目のロザリー。


 ぺスカが興味津々にあたしに訊いてきた。


「なあ、ロザリー、ニクスって何が好きなんだ? 何に興味あるんだ? あんた、友達なんだろ?」

「……」


 にこりと微笑む。


「あの子ね、雪だるまが好きなの」

「雪だるま? 今は夏だ。雪なんか降らねえよ」

「でもあの子、とっても雪が大好きなの。口説くなら冬の方がいいわ」


 だから夏は駄目。でも、夏の間しかここにいない。残念だったわね。


(ああ、むかつく)


 ニクスがちょっと美人だからって近づいてきて、下心が丸見えよ。あたしの親友に近付かないで! むかつく奴らね! 美人ならその辺にたくさんいるでしょ!


 しかし、あたしは気持ちを隠して、にっこりと笑みを浮かべる。


「そろそろ仕事に戻るわ。まだ掃除が残ってるの」

「ロザリーは本当に真面目だよなー」

「お前とは違うんだよ」

「なんだよ。俺だけ不真面目みたいな言い方しやがって。俺だって真面目に掃除くらい出来るっての!」

「ほう、そいつはどうかな」

「なんだよ? やるってのか?」

「上等だ」


 ぺスカとラメールが箒を持って、広い廊下を眺めた。


「ここから奥まで先に埃を取った方が、ニクスをデートに誘う」

「ラメール、お前まさか!」

「ばか亀が。お前だけだと思ったのか?」

「くそ、これは負けられねえ!」


 ぺスカがあたしに振り向いた。


「ロザリー、お前が勝敗を決めるんだ!」

「嫌よ」

「え!?」

「まだ、仕事が残ってるもの」

「かー! これだから真面目ちゃんは! 仕事なんて後だ!」

「ロザリー、これは僕達の大切な戦いなんだ! 君が勝敗を決めるんだ!」


(知るか)


 二人がめらめらと燃えて、強く箒を握り締める。


「後悔しても知らねえぞ!」

「そっちこそ!」

「行くぜ!」

「行くぞ!」


 二人が同時に箒を振り始めた。


「「おらおらおらおらおらおらおら!!」」


 ああ、もう好きになさい。男って本当ばかばっかり。どうしてレオといい、男ってすぐに勝負に持ちたがるのかしら。理解出来ないわ。あたしは気にせずちり取りでほこりを拾う。


「俺は絶対ニクスをデートに誘うぜ!」

「僕がデートに誘うんだ! お前は引っ込んでろ!」

「何をををををを!!」


 二人がほこりを取ることを忘れ、そのまま奥まで突っ走っていく。


「俺が!」

「僕が!」


 二人が箒を壁に投げた。


「「勝つんだ!」」


 そこに、ファースト・フッドマンのミカエロが歩いて来た。


「「あ」」


 ミカエロの体に二本の箒が当たった。思わず、足がぴたりと止まる。


「……」


 振り向き、二人を見る。


「……何しているんだ。お前達は」

「あ……」

「ミカエロ様……」

「使用人が、箒を粗末に扱うなど……」


 ミカエロの顔が、鬼になった。


「してはならんことだ!!!!!」

「「申し訳ございません!!」」


 二人が急いで箒を拾い、膝を地面につけた。


「畜生。ラメール。お前のせいだぞ。お前が勝負をしようなんて言うから」

「乗ったのはお前じゃないか!」

「なんだよ!」

「ゴールド! ゴールドはどこだ!」


 ミカエロがベルをちりんと鳴らすと、向こうから瞬く間にゴールドが走って来た。滑り込んで膝を地面に擦りつける。


「お呼びでしょうか! ミカエロ様!」

「お前の後輩達が箒を粗末に扱っているぞ! どういう教育をしているんだ!」

「それは、ああ、申し訳ございません! 直ちに! 箒の使い方の訓練をスケジュールに追加いたします!」

「なんだよ。箒の使い方の訓練って!」

「そんな訓練聞いたことないぞ」

「黙れ! 箒は、掃除が尊い存在なんだぞ! もっと優しくレディに扱え! それが使用人たるもの!!」


 よし、ここは終わったわ。次に行きましょう。あたしがちり取りと箒を持って移動を始めようとした時、ミカエロの目が光った。


「待て!! そこのメイド!」

「えっ」


 足を止めて振り返ると、ミカエロが大股で歩いて来た。


「さっきから思っていた! 箒の持ち方がなっていない!」

「……申し訳ございません」

「いいか! 箒は! 恋人だ! もっと! 熱く! 優しく扱うんだ!」

「……申し訳ございません」


 なに、このおっさん。ビリーよりうるさい。主に声が。


「全く。ただ掃除をして形だけ整えばいいと思っているのだろう。これだからメイドは」

「……なんですって……?」


 角にいたリリアヌ様が大股で歩いて来た。あたしの前に壁のように立つ。


「ミカエロ、今のお言葉はお聞き捨てなりませんでしたね。一体、何を思って新人のロザリーに教育を?」

「箒の持ち方がなっていない。リリアヌ、お前が教育したのか?」

「ロザリー、箒をお持ちになってごらんなさい」


 あたしは箒を持った。リリアヌが顔を上げた。


「普通のお持ち方ではございませんか!」

「扱い方が雑だ! 使用人として、許されることではないぞ!」

「お黙りよ! メイドはわたくしの監督の元動いております。あなたには関係ないのに、お横からお口出ししないでいただけますか!?」

「怒鳴るのはやめるんだ! そもそもそっちの教育がなってないのに……」

「そっちから突っかかってきて、教育がなってないとはなんですか! てめえの頭の教育がなってないのよ!」

「リリアヌ!」

「何よ! ミカエロ!」

「ああ、またやってるべさ」


 メイド達が集まり、使用人達が集まり、二人を引き離す。


「まあまあ、リリアヌ様」

「落ち着いてくださいな」

「おくたばりなさいな!」

「ミカエロ様」

「どうどう」

「くたばれ! クソばばああああ!!」


 わいのわいのと左右の廊下に二人を引き離しているのを眺めていると、後ろからゴールドがあたしの方に寄って来た。


「ロザリー、大丈夫だったか?」

「あ、はい」

「巻き込んですまない。ミカエロ様は宮殿の使用人であることを誇りに思っていて、時折、ああいう風に熱くなってしまわれる。別に、ロザリーを傷つけたいと思ったわけではないことだけ、わかってくれ」

「はい」

「君は理解力があって助かった。それで、俺の後輩に何かされたら、俺に言ってくれ。あの二人は問題児なもんでな」

「わかりました」

「結構。さあ、仕事に戻るんだ」


 ゴールドがあたしに優しく微笑み、ぎろりと、二人を睨んだ。


「来い! 二人とも! 俺が訓練して、その心を鍛え直してやる!」

「なんだよ。ここは鬼ヶ島かよ……」

「いいや。竜宮城だ。……島じゃなくて、城じゃないか」

「それな」


 二人がゴールドの後ろをとぼとぼ歩いていく。あたしの隣に、ひょこりとニクスが立った。


「どうしたの?」

「よくわからないけど、なんか怒られた。箒の扱い方が雑だって」

「それなら、あたしの方が雑だと思うけど」


 ニクスが微笑んだ。


「向こう手伝ってくれない? 広すぎて」

「ん」

「あ、いいところに人手が!」


 メイドのリンダが走って来た。


「ねえ、コネッドはいないの?」

「ロザリー、知ってる?」

「そちらに」

「ふーう。リリアヌ様ったら、ミカエロ様のことになると子供に戻っちまうんだから大変だべさ」

「あ、コネッド!」


 リンダがコネッドに走っていった。


「人手が足りないの。ねえ、ちょっと三人で手を貸してくれない?」

「んだ。なした?」

「セーラ様とマーガレット様よ!」


 セーラとマーガレット。コネッドが言ってた。エメラルド城では事情があって――たぶん、スノウ様のことだろうけど――立ち入られる人が限られてて、ゴーテル様の弟のゴーテル様一家がこの宮殿で寝泊まりしてるって。パーティーでは散々だったわね。姉のセーラのせいで、妹のマーガレットの歌が台無しだった。


(……セーラ……)


 記憶の中にいるねずみのセーラを思い出して、あたしの胸がとぅんくと鳴った。


「なんかねー、猫がいなくなったってうるさいのよ」

「猫?」

「セーラ様って猫飼ってたっけ? 私、あの子達の担当メイドじゃないから知らないんだけど。もう庭でばかみたいに大騒ぎして威張り散らしてるのよ。ちょっと手を貸してくれない?」

「ま、探し回ればすぐ見つかるべさ。どんな猫?」

「キャロラインって名前の、青い猫だって」

「……青い猫な?」

「まあ、そういうことよ。見つけたら庭に来てくれない? 今、なんとか機嫌取ってるから」

「ん。わかった」

「お願いね」


 リンダがあたしとニクスに振り返る。


「青い猫よ。見つけたら庭ね!」


 そのままぱたぱたと走っていく。話を承諾したコネッドだが、深く眉をひそめた、


「って言ってもなあ、青い猫なんて、どこにも見かけてないべさ」

「写真もないしね」


 ニクスがあたしを見た。


「ロザリー、心当たりある?」


 無い。


(サリアなら、そういう時どうしてたかしらね?)


 アメリとあたしも、相当わがままだったはずだ。何かかしら無茶を言っていたに違いない。


(……そういえば)


 あたし、サリアに言ったことがあるわ。メニーがいなくなったって。クロシェ先生とあたしで捜したけど、どこにもいなくて、サリアを頼ったのよ。そこで、サリアがした行動は――。


「……ねえ、コネッド」

「ん」

「セーラ様のお部屋って、入れたりする?」

「……何する気だ?」

「猫がいるなら、猫と一緒に撮ってる写真でもあるんじゃないかと思って」

「……行ってみる価値はあるな」


 コネッドが頷いた。


「んだ。したっけ、箒を持って、いかにもお部屋の掃除に来ましたと言わんばかりの空気を漂わせるべさ。いいか。で、中に人がいたらその案は無し。他の方法で捜すこと」

「そうね」

「よし、したら二人とも、背筋を伸ばして箒を持って。オラについてきて」


 コネッドが歩き、その後ろについていく。横からニクスに小突かれた。


「やるね。ロザリー」

「サリアがやってたの」

「流石、サリアさん」

「ニクスを女って見抜いたのも、サリアだけだったわ」

「ふふっ。そんなこともあったね」

「あとは部屋に入るだけよ」

「入れたらいいけどね……」

「大丈夫よ。庭で威張り散らしてるなら、いるはずないもの」

「……鋭くなったね。テリー」

「ロザリー」

「おっと。これは失礼」


 ひそひそ話をしているうちに、セーラの部屋の前に到着する。コネッドが扉をノックする。


「失礼致しますだ」


 扉を開く。中には案の定、誰もいない。あたし達は堂々と中に入り、扉を閉めて、すぐに部屋に置かれた写真を探す。棚の上に、家族と一緒に笑顔のセーラ様が映った写真が並んで置かれていた。それをまじまじと見ていると、ニクスが見つけた。


「あ、いた」


 ニクスが指を差した写真に、青い猫が映っている。――ただし、それは猫であり、猫ではない。青い猫のぬいぐるみだ。ニクスが眉をひそめた。


「……これ、ぬいぐるみ?」

「だとしたら、洗濯室だな」


 コネッドが少しだけ枕の位置を整えた。


「外に干されてるかも。よし、手分けして行くべ。ニクス、洗濯物を干す場所ってわかるか?」

「うん。この間連れて行ってもらったから」

「んだ。ロザリー、洗濯室わかるか?」

「ええ」

「二人とも、そこにキャロラインがいないか見てくれ。オラは、中庭に行って、マーガレット様とセーラ様の様子をちらっと見てくる。んで、あってもなくても、中庭に集合だ」


 あたし達は頷き、それぞれの目的の元、その場所へと大股で歩いていく。ニクスは物干し場。コネッドは中庭。あたしは洗濯室。あたしは廊下を歩いていく。


(洗濯室はこっちだったわね)


 こつこつ歩いていく。


(ああ、広い廊下)


 こつこつ歩いていく。


(静かに虫が鳴いてるわ)


 こつこつ歩いていく。


(洗濯室、洗濯室……)


 こつこつ歩く。


(げっ。議員がいる。お辞儀しなきゃいけないじゃない。こっち来ないで)


 こつこつ歩く。


(えっと……)


 こつこつ歩く。









 廊下は、とても静かだ。







「……」




 あたしは振り返る。誰もいない。

 あたしは歩く。誰もいない。

 あたしは思う。ここってすごく広いわね。

 あたしは歩く。とても静かだ。

 あたしは歩く。廊下が少しくらい気がした。

 あたしは歩く。どこかの部屋の前を通る。

 あたしは歩く。前から議員が歩いて来た。

 あたしは歩く。扉の前には見張りの兵士が二人立っている。

 あたしは横にずれてお辞儀した。議員が通り過ぎる。

 あたしは歩く。議員が扉をノックした。


「……失礼致します。書類を回収しに来ました」


 そして、扉を開けた。


(あ、身に覚えのある道だわ)


 あたしは角を曲がり、道をずかずか進んでいく。そこに洗濯室があった。あたしは中へ入り、洗濯作業中のメイド達に声をかける。


「こんにちは」

「あら、新人さん」

「どうしたの? 洗濯を頼まれた?」

「あの、青い猫のぬいぐるみを洗いませんでしたか?」

「あ、あれね」

「さっき誰か干しに行ったわよ」

「ああ、そうでしたか。では大丈夫です。ありがとうございます」

「何かあった?」

「大丈夫?」

「ええ。ありがとうございました」


 ロザリーはお礼をきちんと言えるの。だって、サリアもこんな口調で仕事を手伝ったメイド達にお礼を言ってたわ。


(あたしの役目は果たしたわ)


 よし、ってことは、ニクスが見つけてるはずだわ。


(中庭に行こう)


 あたしは洗濯室から出て、中庭に向かう道に進むと、さっきどこかの部屋に入った議員が書類を持ちながら、議員仲間と駄弁っていた。


「ああ、もう嫌だ。あの部屋に入る時はいつも背中が冷えるんだ」

「今日は大丈夫だったみたいだな」

「そうだな。何もされないだけましだ。ただ、サインした書類をあっちこっちに置くのだけは勘弁していただきたい。整理するのはこっちなんだ。その間に、何をされるのかわかりやしない」

「良い顔しておけ。もしかしたら、王にはあの方かもしれないぞ」

「ばか言うなよ。そんなことがあるものか」


 お辞儀しながらその前を通り過ぎ、あたしは中庭へと急いだ。中庭では綺麗な花達が咲き並び、とても綺麗に整われていたが、その中心で威張り散らす小さな影。


 自身に合ってないきらびやかなドレスを着たセーラが眉を吊り上げていた。


「全員でキャロラインを捜すのよ!」

「捜すのよ!」


 隣にいるだけの妹のマーガレットが、セーラの真似をして威張り散らす。


「私、ずっとこの中庭で、マーガレットとお歌の練習をしていたの! だから絶対お庭にいるはずよ!」

「早く捜して!」

「キャロラインが怪我したら、あんた達のせいだからね!」

「せいだからね!」


 周りのメイド達が困った顔をしている。


(……)


 ――なんかどこかで見たことある光景ね。


(どこだっけ?)


 あたしは奥深くにしまっていた頭の中のアルバムを開く。小さなアメリと小さなあたしが威張り散らしている。


「私のお人形を見つけないと、あんたのせいよ! メニー!」

「さっさと探しなさいよ!」


 メニーが困った顔をしていた。


(……)


 あたしは目を逸らして、陰に隠れた。


(さて、コネッドは……?)


 肩を叩かれる。はっと息を呑み振り向くと、ニクスとコネッドが並び、人差し指を立てて、声を出さないように指示した。コネッドが声をひそめる。


「ロザリー、お手柄だべさ。物干し場にキャロラインがいたらしい」


 ニクスがそっと青い猫のぬいぐるみを取り出した。


「太陽の良い匂いがとってもする猫だよ」

「ただ、次の問題だ。誰がこれを渡すか」

「……」


 あたしとニクスがコネッドを見た。コネッドがにこりと笑った。


「うん。そうなると思った。確かにな、世の中は、意外と何とかなるものだべさ。でもな? オラも、嫌なものは嫌なんだべさ。見た通り、あの二人のわがままに付き合わされるメイド達はうんざりしてる。オラもその一人。そこで、ベテランメイドのオラに良い名案がある。いいか?」


 ひそひそと作戦を言われる。あたしとニクスが頷いた。


「なるほど」

「でも、うまくいくかな」

「大丈夫、大丈夫。なんとかなるべさ」

「配置は?」

「ロザリー、運動に自信は?」

「無い」

「なら最初はロザリーだな。次にニクスといこう。そんで、最後にオラだ」


 コネッドがあたし達を見る。


「頼んだぞ。二人とも」

「うん。やってみよう」


 あたしもこくりと頷き、二人と陰から抜け出す。キャロラインを背中に隠し、一番遠くの位置につく。ニクスが位置に着く。最後にコネッドがマーガレットの近くについた。あたしに振り向き、ウインクした。あたしは息を吸い――棒のように叫んだ。


「きゃー。何か飛びついて来たわー」


 ニクスにキャロラインを投げる。ニクスがキャッチした。


「わあ、本当だ。何か飛びついてきた!」


 笑顔のニクスがコネッドに投げた。コネッドがキャッチした。


「わー! こりゃーなんだべかー!」


 コネッドがキャロラインをマーガレットに向かって投げた。セーラとマーガレットが目を丸くする。


「きゃあ!」

「え。えっ、きゃあ!」


 マーガレットの腕の中に、すっぽりキャロラインが入った。ぬいぐるみを見て、マーガレットの目がきらきらと輝き始める。


「あ、キャロライン!」

「あら、この子ったら! こんなところにいたのね!」


 二人で頭を撫でる。


「お散歩してたのね。もう、お騒がせなんだから!」

「マーガレット、わたしのヴァイオリン持って」

「どうして?」

「わたしも抱っこする」

「わかった」


 マーガレットがセーラのヴァイオリンを持ち、セーラがキャロラインを抱っこした。


「よしよし」

「マーガレット、そろそろわたしも抱っこしたい」

「だめ」

「どうして?」

「あんた、わたしのヴァイオリン持ってるじゃない。だからだめ!」

「じゃあ返す。はい!」

「だめ!」

「キャロライン返してよ!」


 二人がぬいぐるみを取りあう。


「だめ!」

「返してったら!」

「だめよ! キャロラインだって、マーガレットに抱っこされたくないって!」

「そんなことないもん!」


 キャロラインが左右に引っ張られる。


「離してよ!」

「離してよ!」


 びりり。


「「きゃあ!!」」


 セーラとマーガレットが後ろに倒れた。キャロラインの首と胴体が取れた。


「「……」」


 セーラがぬいぐるみをぽいと投げた。


「もうこれいらなーい」

「酷い!」


 マーガレットがセーラを睨んだ。


「キャロラインは、元々わたしのなのに!」

「もういらないから返す」

「こんなの酷い!」

「はい。ヴァイオリン返してもらうわね」

「セーラのばか!!」

「ふんふーん」


 ヴァイオリンを持ったセーラが鼻歌を歌いながら宮殿の中に戻っていった。マーガレットがしくしくと涙を流す。


「ぐすん! ぐすん!」


 ――アメリ、あんたって本当に悪いお姉ちゃんよ。


(同じことやられた)


 あたしが買ってもらった人形を盗んで好きなだけ遊んだ挙句、腕がぽっきり折れてしまって、それでこう言うのよ。


「もういらなーい」

「あたしのお人形ちゃん!」


 ぐすん! ぐすん!


 ――でも、泣いても誰も何もしてくれなかった。ばあばが困った顔で慰めてくれただけだった。だからもう人形は買わないことにした。ぬいぐるみだったら、子供っぽいって言って、アメリが触ろうとしなかったから。


(いいお勉強になったわね。良かったじゃない。マーガレット様)


 そうやって大人になっていくのよ。みんな。

 泣いてるマーガレットを見ていると――ニクスが歩き出した。


(ん?)


「マーガレット様、大丈夫ですよ」


 しゃがんだニクスがにこりと笑った。


「これくらいなら、すぐに直せます」

「……本当?」

「ええ。ただ、一日入院が必要ですが」

「……いいわ」


 マーガレットがしゃくりあげ、首と胴体をニクスに渡した。


「お前にこの子を託すわ。ぐすんっ……」

「はい。託されます」

「直る?」

「ええ。手術すれば大丈夫です」

「……ぐすんっ、ぐすんっ……」


 マーガレットが泣きながら宮殿の中にとぼとぼ歩いていく。ニクスが立ち上がり、コネッドに振り返った。


「コネッド、どこかに裁縫セットある?」

「ニクスは優しいな。オラ達はざまあみろって思って見てたのに」

「マーガレット様に似た子を知ってるんだ。その子を見てるような気分になって……」


 ニクスがちらっとあたしを見た。


「なんか放っておけなくて」

「だけど、ニクス、仕事はまだまだ残ってるぞ」

「だったら夜にやるよ。それならいい?」

「お人好しだな。オラ、そういう子大好き。わかった。すごく高級な裁縫道具を用意してあげる」

「やった。良い先輩をもって幸せだ」

「口がうまいんだからぁ」

「これ、部屋に置いてくるよ」

「んだ」

「ロザリー、掃除道具取りに行くでしょ? ついでに一緒に来てよ」

「……」


 こくりと頷き、ニクスと一緒に中庭から出て、使用人部屋に歩いていく。歩きながら、ニクスが破れた布を見た。


「うん。これなら繋げられそう。おばさんから裁縫習っておいて良かった」

「……ニクスは出来るメイドね。ベックス家にもそういうメイドが欲しかったわ」

「サリアさんだって、きっと同じことするでしょ? 他の人だって」


 人形の腕は、誰にもどうにも出来なかった。サリアがいたとしても、きっと何も出来なかったと思う。


「ぬいぐるみで良かったわね」

「……そうだね。これが人形とかなら、ちょっと困ってたかも」

「同じことをされたことがある」


 あたしとニクスが足を揃える。


「あたしの姉さんにね、人形の腕を折られたのよ」

「ああ、やっぱり、ここに経験者がいたか」

「だからあたし、それから人形は買わないことにしたの。貰っても、受け取らなかった。あたしの姉さんってね、可愛いものが好きなのよ。でも、ぬいぐるみなら子供っぽいって言って触らなかったの。だから、あたしのお友達は、それからクマさんになったわ」

「へえ。ってことは、ロザリーはクマに囲まれて育ったの?」

「そうよ。あたしは森のお姫様だったの」

「だったら、なおのこと、助けてあげたら良かったのに」


 あたしは少しだけ黙り、また口を開いた。


「人って、傷つけられて成長するのよ」

「同じ目に遭えばいいと思った?」

「……そうね。……ええ。正直言って、そんなとこ」

「あたしはね、マーガレット様が小さなテリーに見えたんだ。大切なテリーが泣いてたら、あたしは耐えられないよ。だから、助けてあげたいって思ったの。この城に、君を連れてきたように」

「……」

「テリー、されてどんな気持ちになるか、自分が一番よくわかってるはずでしょ? 人にも同じことするの?」

「あたしだけ理不尽な目に遭えばよかったの?」

「そうだよ。だって、それを経験したから、君は同じことをされてる人を見た時、その人の気持ちがわかるようになった。一番守ってあげられる立場になれたんだ。それってすごいことじゃない?」

「……」

「次、もしセーラ様がマーガレット様に悪いことしたら、懲らしめてやろうよ。そんなことしたらいけないよってちゃんと教えてあげないと、人に酷いことしてるってわからないまま、大人になっちゃう。それが一番よくない」

「……そうね」

「そしたら、テリーみたいに傷つく人が減るかもしれないよ?」

「……」

「テリー」


 ニクスが微笑んだ。


「あたしは貧乏だったから、人形もクマも貰えなかった。友達は、家に住みついたクモとねずみだけ」

「……ふふっ」

「あたし、一人でクモに喋るんだよ。おはよう、こんにちは、あなた、家族はいないの? お父さんはお仕事に行ってるから、話し相手になってよ。あれ、ねずみさんがこっちを見てる。こんにちは。ねずみさん。今、クモさんとお話しをしてたんだ。君も喋ろうよ。チューチューって」

「一人で?」

「そうだよ」

「あたしも喋ったことある」

「嘘だ。あんな豪華な屋敷に、クモもねずみも寄らないでしょ?」

「違う所で喋ってた」

「どこ?」

「さあ、どこだったかしら」

「ほら、嘘だ」

「嘘じゃないってば」


 隣にニクスがいるだけで、暗い思い出がなくなっていく。ちらっと見れば、キャロラインが可哀想な目であたしを見ていた。


(……あんた、夜に大手術をするんですって。大変ね)


 あたしとニクスが部屋の前に辿り着き、扉を開けて、中へと入った。





























 今日はメイドのようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る