第11話 カーニバル、初日(2)
空はどんどん暗くなっていく。
「サリア、暗くなってきたわ」
丘に座りながら、ぼうっと空を眺める。賑やかなカーニバルはまだまだ始まったばかりだ。あたしは欠伸をした。
「ふわあ」
「お疲れのところ、恐れ入りますが」
サリアが立ち上がる。
「まだ、イベントが残ってます」
「ん?」
「テリー、ろうそく流しって、ご存知ですか?」
「…聞いたことある。舟の上にろうそくを挿して、川に流すんでしょう?」
「ええ、タナトスでは、カーニバルの間、必ず行われるんです」
何でも、願い事をしながら流すと、その願いが叶うとか。
「一緒に行きませんか?」
「いいわ」
あたしも立ち上がる。
「どこでやるの?」
「ガイドブックを」
ガイドブックを開き、ストナタ君の案内に導かれ、静まり返った川辺にたどり着く。
「ここ?」
「ええ」
サリアがあたしの手を優しく引っ張る。
「舟を貰いに行きましょう」
受付でろうそくのついた舟を渡され、手に持って川の方へ歩いていく。
「さあ、テリー、願い事を舟にこめて」
「…願い事…」
あたしはじっと舟を見つめる。
「願い事かあ…。どうしようかしら…」
「ゆっくり考えて」
「そうだなあ…」
ふっと切なげに微笑み、舟に念を送る。
(どうか、お願いします)
(メニーを助け出せますように)
(キッドから解放されますように)
(罪滅ぼし活動卒業絶対卒業)
(この作戦がうまくいきますように)
(あたしの人生がもっと謳歌しますように)
(あたしがもっとよりよい人生を贈れますように)
(お金持ちを継続できますように)
(イケメンの彼氏ができますように)
(くっくっくっくっくっくっ……)
(死刑絶対回避)
(死刑絶対回避)
(死刑絶対回避)
(くひひひひひひひひひ……!!)
(ベックス家の破産回避!)
(紹介所の売り上げ向上!)
(……ニクスがいつまでも健やかに)
(……サリアがいつまでもいてくれるますように)
(……リトルルビィが幸せになれますように)
(メニー死ね)
(キッド死ね)
(キッドくたばれ)
(お前なんかくたばってしまえ!)
(そしてあたしはお前よりもいい男を捕まえるわ!)
(王子がなんぼのものじゃい!!)
(お願い! 女神様! あたしをきちんと愛してくださる人を授けてください!)
(そうね。パストリル様並みのイケメン紳士がいいわ。あたしのことだけを考えてくださるお金持ちのエリートがいい)
(エリートなら皆に自慢できるもの)
(女神なら出来るでしょ? 容易いでしょ? ね? ほらやって。今すぐやって。あたし良い子だから。メニーを助けに来た良い子だから。ね? お願い。やって。すぐやって)
(…メニー、てめえはくたばれ)
あたしの小指がきらりと光る。
(おねがーい! 女神様ー! どうかあたしに救いの手を!)
―――俺の将来のお嫁さんになる約束をしてくれないか?
(キッドがくたばりますように!)
―――何言ってるの。ここは仕事案内紹介所。お前の会社じゃないか。
(キッドに頼ったあたしが馬鹿でしたー!)
―――もう大丈夫。何も怖くないよ。
(あいつになんか出会わなきゃよかったー!)
―――俺は明日のデートで、お前のハートを射止めて、俺のものにしてみせる!
(何がボディーガードよ! ろくなガードもしないくせに!)
―――テリーの涙を見たくなかったんだ。
(脅迫まがいなことばかりしてきやがって!)
―――今回で俺のこと、だいぶ嫌いになったんじゃない?
(なんて最低な奴なのかしら)
―――テリーは俺のお姫様だからね。
(無視してればよかった)
―――ひと時の幻に付き合ってもらおう。
(関わらなければよかった)
―――好きって言ったくせに。
(近づかなければよかった)
―――テリー。
(あんな奴)
―――テリー!
(キッドなんか)
――――――この先、
――――俺、
「テリーと離れたくない」
「……………………………………………………」
「テリー」
はっとした。
「さ、川に流しますよ」
サリアがそっとあたしの背中を押す。
「あ」
あたしが慌てて、川の前に座り込む。
「えっと…」
願い事。
(あれ)
沢山念じたのに、
(あれ)
こんな時に願いが出てこない。
(えっと)
あれ、なんだっけ。
(そうね。えっと)
願いは一つ。
(あたしの幸福)
幸福を祈れば、
――――この国の第一王子さ!
あたしの願いは、消える。
「あ…」
舟が、手から離れた。
「…………」
ろうそくの火が灯ったあたしの舟が流れていく。何の願いも乗せていない舟が、灯が、川に流され、遠くなる。
サリアが舟を流す。あたしの舟を追いかける。サリアの舟があたしの舟に寄り添うように、隣に追いついた。
川に流れる自分の舟を見つめる。追いかけている人たちがいたから、真似をする。立ち上がって、流れていく舟をゆっくりと追いかけていく。
ゆっくり歩いて、歩いて、―――あたしは黙る。
「ねえ、サリア」
サリアがあたしを見下ろす。
「サリアはどんな願い事したの?」
訊けば、サリアは微笑んで、川に流れた舟の灯を見つめた。
「いつまでも幸せに暮らせますように、と」
そして、訊く。
「テリーは?」
「あたしは」
笑った。
「お願い、出来なかった」
肩をすくめる。
「サリア、あのね、あたし、これ昔からなんだけど」
小さい時からそうなの。
「あたしの願いってね、全部消えちゃうの」
お人形が欲しいと願った。アメリに取られた。
「すごいのよ。あたしが願えば願うほど、消えちゃうの」
パパが帰ってくるように願った。パパは帰ってこなかった。
ヴァイオリンが上手くなるように願った。あたしは一生下手だった。
ニクスと会えるように願った。二度とあたしの前に現れなかった。
リオン様と結ばれるよう願った。あの人はメニーを選んだ。
この人だったら近づいても平気かも。キッドは王族だった。
「したいことが出来ますようにとか」
「あれもこれも全部欲しいとか」
「そう思ったら」
「願ったら」
「悪い形で返ってくるの」
「全部消えるのよ」
「ふふっ」
「ねえ、どう思う?」
「あたし、まるで呪われてるみたい」
「だから願わなかったわ」
「どうせろくな形で返ってこないもの」
「ふふっ」
「全く笑っちゃう」
「ふふ」
「ふふふふ!」
「ね!」
「面白いでしょ?」
「どこが面白いの?」
サリアが優しく微笑んで訊いてくる。
「何が面白いの? テリー」
それって、
「貴女の願いが、叶わないってことでしょう?」
それって、
「すごく寂しいことだと思うのですが」
失礼。
「あくまで、私の意見ですが」
失礼。
「テリー」
サリアが微笑んだ。
「また何か、願いが消えてしまったのですか?」
「……………………………」
一瞬、黙って、また笑う。
「願いは自分で叶えるものよ。サリア」
「そうですね」
あたしはゆっくり歩く。舟を追いかける。サリアもついてくる。
「テリー」
サリアが微笑み続ける。
「私の舟に、テリーの絶対幸福の願いも入れておいたんです」
サリアは微笑む。
「だから大丈夫」
サリアは微笑む。
「消させはしません」
サリアは微笑む。
「テリーは幸せになれますよ」
サリアが微笑む。
「私が願っておきましたから」
大丈夫ですよ。
「貴女じゃなくて、私が願っておいたので」
大丈夫ですよ。
「テリー」
サリアは微笑む。
「そんなに泣かないで」
「………………泣いてない」
「そうですか」
「………雨が降ってきたみたい」
「そうですね」
「………花粉が飛んでるわ」
「そうですね」
「………鼻水がすごいの」
「そうですね」
「………傘が必要ね」
「私が傘になります」
「………………………サリア」
「はい」
「………………………………ありがとう」
「何のことだか分かりません」
サリアの手が、あたしの手を握る。
雨が、足元を濡らす。
雨が、あたしの頬を濡らす。
雨が落ちる。
雨が落ちていく。
夜空が反射して映る長い川には、灯でほんのり明るく光った舟達が、流されていた。
(*'ω'*)
湯舟に星が反射する。
「サリアは13歳の時、どんな女の子だった?」
「生意気な小娘でした」
あたしとサリアの背中がくっつく。
「私、昔から問題を解くのが好きなんです。例えば、目隠しをして、手に何かを渡されて、それを当てるゲームだとか」
「サリアが好きそうね」
「そういう遊びをしていたせいか、どんどん先のことが予想出来るようになりました。ベッドの下にスリッパを置いたら、アンナ様はスリッパを履く。けれど、その後鏡台に行った際に、椅子に足の小指をぶつけるでしょう、だとか」
「どうして分かるの?」
「何となく見えるんですよ。きっと癖なんでしょうね。別に、だからと言ってすごいわけではありませんよ。予想が外れる時もあります。あくまで、私の答えは私の予想でしかないので」
「世渡りが上手になりそう」
「世に渡るなんてとんでもない。私はベックス家のお屋敷で十分です」
あたしは膝を抱える。
「サリア」
「はい」
「あたしが小さい時、子守りをしてたって言ってたけど」
「ええ」
「あたし、覚えてないの」
「おそらく、私が学校に行ったからでしょう。三年ほど学校に通った話はしましたよね」
「ん」
「寝泊りしていた場所が屋敷ではなく学校の寮でしたから、その間にテリーが大きくなって、私のことなど忘れてしまったのでしょう」
「……そうよね。あたし名前も覚えてなかったもの」
顔の知ってるメイドという認識しかなかった。
「あたしどんな子だった?」
「テリーは…」
サリアが頭をあたしに押し付ける。
「アンナ様に似ているなと」
「ばあば?」
「ええ。そうです。貴女のばあば」
サリアがあたしの手を取って、湯舟に浮かばせた。
「テリー、時々爪を噛むでしょう?」
「……そんなことしてない」
「あれはアンナ様の癖なんです。イライラしたり、くよくよしたり、悩んでたり、怒ったり、混乱したり、一人で物思いに更けたい時、よく爪を噛んでました。無意識に」
サリアが息を吐いた。
「テリーはアメリアヌに虐められて、よくアンナ様に泣きついてましたから」
傍にいる時間も長かったから、
「ちょっと、影響されちゃったんでしょうね」
サリアが肩に湯をかけた。
「テリーを見ていると、アンナ様を思い出す時があります」
「そうなの?」
「奥様より、多分テリーの方がアンナ様に近いと思います」
「そうかしら」
「なんでしょうね。雰囲気とか…。ああ、そうそう」
サリアがあたしの髪の毛に触れた。
「髪の色もあるんでしょうね」
テリー、アンナ様のお若い時の絵を見たことがありますか?
「赤毛なんです。アンナ様も」
「こんな濁った赤?」
「いいえ。こんな色ではなかった。もっと透明感のある赤毛です」
でも、
「私はこの色も好きですよ。テリーの色ですから」
サリアが振り向き、後ろからあたしを抱きしめた。サリアの胸が背中にくっつく。
「テリー、明日行きたい場所があるんです。一緒に来てくれますか?」
「どこ?」
「秘密」
「いいわ。行く」
「ありがとうございます」
サリアとあたしが空を見上げる。
「素敵な夜空ですね」
「サリア」
「ん?」
「ニクスがね、星座に名前をつけたの」
「あら、今出ているかしら」
「冬にならないと出ないけど、でも、つけてくれたの」
「なんて名前の星座?」
「テリー」
「まあ」
「あと、ニクスっていう星座」
「素敵だこと」
じゃあ。
サリアが指を差す。
「あれはサリアにしてください」
綺麗な星が並んでいる。
「で、隣がアンナ」
サリアが星を見つめる。
「私はアンナ様のお隣りにいたいので」
サリアが目を細める。
「アンナ様は、私のおばあちゃんでもあるので」
サリアがあたしを抱きしめる。
「いいですか? テリー」
「問題ないと思う。あれがサリアで、あれがアンナね」
「ええ。そうして見たら、星がもっと綺麗に見えてきました」
サリアの手が動く。
「…………あら」
サリアが触れてきた。
「テリー。胸が少し大きくなりました?」
「成長期だもん。……大きくなるわよね?」
「そうですね。…………」
サリアが困ったように微笑んだ。
「流れ星が来るかもしれません。私が願っておきます」
サリアが願った。
「テリーの胸が、大きくなりますように」
(……大きくなれ)
あたしは胸を見つめる。
(巨乳になるのよ)
あたしは胸を見つめ続ける。
星がいっぱい湯舟に反射する。まるで、あたし達は星の温泉に入っているようだった。
( ˘ω˘ )
真夜中。
別の部屋のベッドでサリアが眠っているだろう。あたしも自分の部屋のベッドですやすやと眠っていた、そんな時、窓から、コンコンと音が鳴った。
(……んん……? 何の音……?)
コンコン、と音が鳴る。
(なに……?)
「入ってもいいですか?」
可愛い女の子の声が聞こえる。
「入ってもいいですか?」
「んー……」
あたしは願って窓に背を向ける。
「……どうぞ……」
「ありがとう。テリー」
窓が開けられる。暖かな風が髪に届く。
「…閉めて…。部屋が暑くなる…」
「本当だ。涼しい部屋。キッドなんかお腹出して寝てるの。明日お腹痛いって言っても知らないんだから」
声の主が窓を閉めたようだ。あたしにとことこと近づく。
「テリー、起きて」
「…………んん………」
「テリー。テリー。テリー」
「………………」
重たい瞼を無理矢理こじ開ける。ぱちぱちと瞬きして、もう一度寝返る。暗闇の部屋に、赤い影。
「こんばんは。テリー」
リトルルビィがにこりと笑った。
「お邪魔してます」
「………ルビィ………?」
目を擦る。
「なに…? あんた…、こんな時間に…ふわあ…。どうしたの?」
あ、分かった。
「眠れなくなって来ちゃったのね…。いいわ…。隣おいで…。でも朝になったら帰るのよ…。…ふわあ…」
「わあ。魅力的なお誘い! でも違うの。テリー、起きて」
「んん…。…あと五分」
「テリー、緊急なの。お願い。起きて」
「…………」
あたしはむくりと起き上がる。眠たい目でリトルルビィに振り向く。
「…………何? どうしたの?」
「テリー、監視がないのがお部屋だけだから、ここで済ませたいの。お願いがあって」
「ん?」
「血を」
リトルルビィの目が赤く光る。
「血を飲ませて」
「……………あーーーー」
その言葉のおかげで目が覚めた。じろりとリトルルビィを見る。
「何? エネルギー切れ?」
「そうじゃないの」
そうじゃなくって、
「あのね、テリー」
「待って。明かりをつけるから」
「駄目。明かりはつけないで」
「見えないでしょ」
「大丈夫。私は吸血鬼の目を持ってるから、よく見えるの。そのままで聞いて」
リトルルビィがあたしのベッドに腰を掛けた。
「あのね、キッドの話を聞けば聞くほど、パストリルって危険な人物なんだと思って…」
「犯罪者よ。危険に決まってる」
「そうじゃなくて」
リトルルビィが呟く。
「手遅れの可能性もあるから」
あたしは口を閉ざす。
「だって、そうでしょう? 呪いの鏡と笛が同じものなら、それを使ってるパストリルって、もう呪いの浸食が進みすぎて、戻れないところまで行ってるかもしれない」
そう考えたら、
「テリー、今からでも遅くないと思う。明日にでも城下町に帰る予定は無い?」
「無い」
「……だと思ったの」
リトルルビィがくすりと笑う。
「だからね、テリーに何かが無いように、血を飲んでおきたいなって」
「あたしの血を飲んで、何かいいことがあるってわけ?」
「血を飲んだら、私の中にその人の匂いが染み込むの。つまりね、テリーがどこに行っても、私の鼻がテリーの居場所を分かってしまうわけなのです!」
リトルルビィがあたしに近づく。
「少なくとも三日くらいはいけるから。ね、テリー」
「リトルルビィ、正直に言いなさい。キッドの差し金?」
「残念。私の個人行動」
「……それ、いいの?」
「本当は良くないけど…」
でも、テリーも同じことしてるから。
「バレたら、一緒に怒られよう?」
リトルルビィがあたしの首筋に、するりと鼻を寄せる。
「ね、テリー。危険な目に遭ってないうちに」
「………殺さない?」
「私がテリーを殺すと思う?」
私なら殺すよりも、
「テリーを誘拐すると思わない?」
ずっと頭を撫でてもらうために、ずっと一緒にいられるように、
「怪盗みたいにかっこよくは出来ないけど、ここから連れ出すことなら出来ちゃうから」
でも、しないよ。
「したら、テリーが私を嫌いになっちゃうの、分かってるもん」
テリー、
「私、テリーだけには嫌われたくないの」
運命の相手だもん。
「テリーを守りたいの」
リトルルビィが微笑む。
「ね? だからお願い」
「………リトルルビィ」
リトルルビィの腕を掴んで、あたしの首筋から顔を離す。慣れてきた暗闇の中で微笑むリトルルビィの顔を覗き込む。
「あんたは大丈夫なの?」
「平気だよ。言わないとバレないもん」
「あたし、あんたに黙っててとは言ったけど、協力してくれなんて言わないわ。あんたはまだまだ小さな女の子なんだから」
「大丈夫。ハートはうんと大きいもん」
「リトルルビィ」
「大丈夫。飲むのもほんの少しだけ。ね。支障はきたさないから」
「でも」
「テリー、お願い。本当に今回は危険なの」
リトルルビィが眉を下げる。
「お願い」
(…………巻き込むことはしたくないんだけど………)
でも、ここまで必死に言われたら…。
(……まあ、念には念よね……)
「あんたは困らないのね?」
「うん。大丈夫」
「分かった」
頷く。
「いいわ。飲んで」
リトルルビィの頭をそっと撫でる。
「あんたは本当に良い子ね」
「えへへ!」
「いいわ。リトルルビィ。そうね。まあ、無いとは思うけど、もしもあたしが危険な目に遭って助けてくれたら、あんたにご褒美をあげるわ」
「え? ご褒美?」
「とっておきのご褒美。まあ、無いと思うけどね」
リトルルビィの頭から手を離す。
「えっと、じゃあ…」
あたしは首を傾げる。
「どうしたらいい?」
「血が零れて汚れるかもしれないから、床の上でやろう」
「ん」
「それと、その、…ネグリジェも汚れるかもしれないから…その…」
リトルルビィが目を逸らす。
「ぬ、脱いだ方が…いいかも…」
「脱ぐの?」
あたしはネグリジェを脱いだ。キャミソールとカボチャぱんつになる。
「よいしょ」
「きゃあ!」
「こら、大声出さない。サリアが寝てるのよ」
「テ、テリーってば!」
リトルルビィが慌てて壁の隅に座り込み、そこからあたしをじっと見つめた。
「大胆なんだから…! でも、そこも好き!」
「女同士で何言ってるのよ。ほら、床の上でやるんでしょ。早くして」
「はーい!」
ベッドから抜けて床に座ると、リトルルビィがあたしの前に滑り込む。自分の赤いマントを脱ぎ、あたしの肩にかけた。
「はい」
「ん」
「寒いでしょ」
「………あんたもでしょ」
「私は感じないもん。吸血鬼ですから」
にこりと笑って、赤いマントに包まれたあたしに近づく。
「ちょっとチクッてするけど、一瞬で終わるから」
「分かってる」
「優しく噛むからね?」
「はいはい」
「テリー」
「ん?」
「抱っこして?」
リトルルビィが手を広げて、あざとくおねだりする。
(どこで覚えたのよ。そんな技)
あたしは向かいに座るリトルルビィを抱きしめる。
「はい」
「わふっ」
リトルルビィの鼻息が激しくなった。
「はあ…! はあ…! テリーの匂い! はあ! はあ!」
「くんくんしない」
「だって、良い匂い! すっごく良い匂い! ああ! 良い匂い!!」
くんくんくんくん!
「じゃあ…」
大変恐縮ですが、
「いただきます」
かぷりと、歯があたしの首に噛みついた。
「っ」
(やっぱり慣れない…。この感じ)
痛い。
リトルルビィの喉がこくりと音を鳴らす。
「………ん」
拳をぎゅっと握る。
「……………んん…………」
血が垂れてくる。
「ん」
リトルルビィが舐め取った。
(……わ)
これは吸血鬼の毒なのだろうか。血を飲まれ続けて、ある一定までいけば、痛みが引き、どんどん意識がぼんやりとしてくる。
(……来た。ふわふわタイムだわ……)
頭の中がふわふわ。綿毛に乗って、空を飛んでいるように、ふわふわして、何も考えられなくなる。
「………」
ゆっくりと呼吸を繰り返す。リトルルビィの舌が動く。リトルルビィの手が動く。生身の左手が、あたしの手を握った。
「…………ん………」
握り返す。
(……指まで絡んでくるのね……)
ちゅ、と吸われる。
「………んん」
ちゅ、と吸われる。
「…………ルビィ」
ちゅる、と吸われる。
「……………」
息が、少し乱れてくる。
「ルビィ…」
ぎゅっと抱きしめる。
「少し痛い…」
「……ごめん」
リトルルビィの歯が、一瞬離れる。
「もうちょっと優しくするね?」
「んっ」
歯が刺さる。
「…………っ」
「…テリーの血、あったかい…」
リトルルビィの小さな手があたしの背中をなぞる。
「あまくて、あったかくて、とろとろで」
リトルルビィの赤い瞳があたしを映す。
「キャンディみたい」
砂糖みたい。
「舌が溶けて、ほっぺが落ちちゃいそう」
あたしを抱きしめる。
「テリーの味」
舐められる。
「テリーの匂い」
舐められる。
「染み込んだ」
口を離した。
リトルルビィの唾で、傷が無くなる。目の前には、赤い唇を舐める小さな少女。
「ご馳走様でした! ぺろりんこ!」
「飲みすぎてない?」
あたしはごろんと転がる。
「なんか怠いんだけど…」
「テリー! ここにチョコレート置いておくね!」
隣に置かれる。
「貧血には、チョコレート!」
リトルルビィがウインクする。
「でも安心して。これでテリーの匂いが濃厚に分かるようになったから」
「そう。それは良かった」
袋に指を差す。
「リトルルビィ、リンゴ飴あげるわ。入ってるから」
「やった!」
「はあ。怠い…」
額の上に手を乗せると、リトルルビィが袋ごと手に持った。
「ありがとう! テリー!」
上からあたしの顔を覗き込む。
「大好き!」
(あ)
ちゅ、と頬にキスをされる。
「じゃあ、私戻るね」
リトルルビィの頬が赤い。
「またね。テリー」
瞬きをすると、窓が開き風が吹いた。突風だ。しかし、もう一度瞬きをすると窓が閉まり部屋には静けさが戻った。
(…………瞬間移動してるところ、監視カメラがとらえたらどうするのよ……)
むくりと起き上がる。
「ああ、怠い…」
呟きながら、あたしはチョコレートに手を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます