第12話 カーニバル、二日目(1)


 二日目の朝。



「テリー、起きてますか?」


 扉をノックされて、むくりと起き上がる。あたしの瞼がどうしても上がらない。


「……………サリア、今日はゆっくりする日なんだわ………。あたし寝る……」

「今日は私と出かけてくれるのでは?」


 サリアが勝手に扉を開ける。


「おはようございます。テリー」

「サリア…瞼が開かないの…。多分ね…、あたしね…、低血圧だと思うの…。夜中にね…吸血鬼の女の子にね…血をあげちゃったの…」

「ほら、起きてください。夢で起きたことは朝食を食べながらゆっくりと聞きますから」


 サリアがカーテンを開けた。日の光の眩しさに、顔をしかめる。


「……まぶ……」

「テリー、朝食が来ました。冷めないうちに」

「はーい……」


 目を擦りながらベッドから抜ける。サリアに両手を差し出す。


「……ん」

「もう」


 サリアがため息交じりにあたしの手を掴んで引っ張る。


「テリー、ご飯はこちらですよ」

「良い匂いがする…」

「本来なら着替えてくださいと言うところですが、奥様がいないのでよしとしましょう。ネグリジェを汚さないように」

「はーい…」


 寝室から出て、サリアにリビングルームの椅子に導かれる。


「テリー、そろそろ瞼を上げてください」

「はーい…」


 ゆっくりと瞼を上げると、目の前には料理が並んでいた。


(あら、なかなか悪くない景色)


 トースト、玉子エッグ、サラダ、蜂蜜のシロップ、ベーコン、エトセトラ。全てテーブルに並んでいる。


「さ、テリー、手を握って」

「ん」

「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

「……ます」

「やり直し」

「……いただきます」

「どうぞ」


(……サリアって時々クロシェ先生みたい……)


 寝ぼけた頭でトーストを噛む。カリッと音が出た。


(ああ、いい音)


 このバター美味しいわね。あ、玉子も美味しい。ニクスに食べさせたいわ。きっと口をリスのように大きくしてもぐもぐ頬張るのよ。


「美味しいですね。テリー」

「ドリーに同じ味が再現出来るように言っておいて」

「かしこまりました」

「今日はどこに行く?」

「私の目的地にまっすぐ行くだけなんてもったいないので、観光スポットを回りながら行きましょう」

「そうね。お土産も見ておかないと。店の事前チェックは大事だわ」

「今日は比較的ゆっくり出来そうですね。見て回って、部屋に戻ってくるだけですから」

「ランチはどうする?」

「テリー、朝食を食べてる最中ですよ」

「あたし、すぐにお腹が空くの。あたしのお腹は気まぐれだから。全く、どうにかならないかしら」

「ふふっ。生きてる証拠ではないですか」

「サリアはお腹空かないの?」

「昔から少食で」

「羨ましい。このままじゃあたし、おデブちゃんになっちゃう」

「まあ、丸いテリーだなんて。今よりもっと可愛くなりそうですね」

「どういう意味よ」

「ふふ。目は覚めました?」

「まだちょっと眠い」


 牛乳を飲む。あたしの舌が唸る。


「……濃厚な味わい」

「昨日街を歩く人が多かったので、歩きやすいようにガイドブックに印をつけておきました」

「舞踏会は明日でしょ。っていうことは、今日初めてタナトスに来る人も多そうね」

「より人が多くなる日でしょうね」

「ああ、動きやすいドレスを着ないと」

「歩きやすい靴も」

「きっと馬車も拾えないわ。歩いて観光しましょう」

「ええ。歩いた方が楽しいですから」

「海もゆっくり見られるし、最高」

「そうだ。今日はサーカスもあるそうですよ」

「人が多そう」

「でも楽しそう」

「いいわ。そこも行きましょう」

「私のガイドがあれば楽しめます。任せてください。テリー」

「大丈夫。サリアのことは信用してるから」


 あたしはもぐもぐとトーストを噛んで、飲み込む。


「おかわり」

「こちらに」


 サリアがトーストをあたしの皿に置いた。




(*'ω'*)




 今日もタナトスの海では船が浮かんでいる。いい感じの青空の下でカーニバル。町の人達の気分は最高でしょうね。サリア、あれを見てご覧なさいな。釣りをしてる人がいるわ。テリー、あちらをご覧ください。あれは何? あれはペンギンですね。見てサリア。なんかショーをやってるみたい。………にしてもあのペンギン、言うこと聞かないわね。テリー、おそらく、それを楽しむショーなのでは? ああ、なるほど。ふーん。変なショー。


 帽子をかぶり直して、サリアとレトロな建物が並ぶ道を歩いていく。レンガの道。レンガの建物。古びた建物。閉店してる? とんでもない。店は古いけど、置いてるものは新しい。アンティークな建物だこと。


 サリアと入る建物を決める。


「サリア! ワイン博物館ですって! よし! 行きましょう!」

「あと五年待ちましょうね」

「サリアアアアアアアア」


 違う建物にずるずる引きずられる。


「こっちの方がお土産も作れますし」

「オルゴール館?」


 上にも下にもオルゴール。商品棚のテーブルに、硝子のオルゴール、木箱のオルゴール、スノーグローブのオルゴール、ミニチュアオルゴール、ミディアムオルゴール、オルゴールの材料、オルゴール、オルゴールオルゴール――――。


 あたしはむっすりと頬を膨らませる。


「オルゴールだなんて、子供みたい」

「何を仰いますか。テリー。素敵じゃないですか」


 サリアがサンプル品のオルゴールの箱を開けた。音が鳴る。


「ほら、素敵な音色だこと」

「昔、ここで手作りのオルゴールを作ったわ。まだパパがいた時よ」

「そういえば、元旦那様が持ってたオルゴールも、ここで作られたものでしたね」

「………そうだっけ?」

「ええ」


 あ。


「ほら、テリー。これ」

「え」


 サリアがオルゴールの根本の部分を持った。


「この曲です」

「ん」

「ほら、巻いてみて」


 ネジを回すと、オルゴールが動き出す。


(あ)


 パパのオルゴールの歌。


「…………」

「テリー。せっかくですから、手作りしてみますか?」

「…………あたし、そういうの不器用だから……」

「じゃあ、一緒に作りましょう」


 サリアがあたしの肩に手を置いて、従業員に声をかける。


「すみません、手作りをしたいのですが」

「ああ、ぜひどうぞ! 材料によって、お値段が変わりますが」

「なるほど」


 サリアがあたしを見る。


「テリー、この曲で作ります?」

「この曲はやめておこう。サリア」

「あら、とても良い曲だと思いますが」

「パパのオルゴールは一つしかないもの」


 オルゴールの根本を元の場所に戻す。


「ではテリー、オルゴールの曲はどれにします?」

「んー。……サリアはどれが好き?」

「私ですか?」

「サリアと作るんだもの。サリアの好きな歌がいい」

「……でしたら」


 サリアが手を伸ばす。


「こちらで」

「何の歌?」

「昔の歌でして、アンナ様がマフラーを編みながらよく歌っていたんです」

「へえ。素敵」


 あたしは頷く。


「じゃあ、これで」

「テリー、オルゴールを入れる容器を決められるそうですよ」


 ガラスか箱か。


「ガラス可愛い」

「ガラスにしましょうか」


 サリアと椅子に座り、作業台でオルゴールを組み立てる。金具で固定して、ボンドでオルゴールをくっつけて、円型の台が出来上がる。


 小物の材料を並べる。


「テリー、どんなのがいいですか?」

「可愛いのがいい」

「そうですね、それでは…」


 サリアが円型の台の上にボンドを塗りたくり、オルゴールの飾り用に置かれていた人型の飾りを乗せていく。ドレスを着た女の子。向かいには大人の女性。あたしとサリアみたい。周りには海があって、魚が泳ぎ、船が浮かぶ。ボンドが乾いた頃に、サリアがネジを回す。


「さあ、ご覧ください。テリー」


 サリアが手を離す。オルゴールが鳴り出す。台がゆっくりと回り出す。あたしとサリアが踊ってるみたい。


「うふふ! なんだか海の舞踏会みたいですね!」


 サリアがくすくす笑い、あたしの顔を覗き込む。


「いかがです? テリー」

「ん。素敵なオルゴール」

「テリーのお部屋に飾っておきましょう。そしたら、テリーは毎日聴けて、私はテリーの部屋へ掃除に行けば聴けますから」

「じゃあ、そうする」


 オルゴールの音色に耳を澄ます。


「いい曲ね。サリア」

「ええ。素敵な曲です」


 サリアが微笑む。


「ばあばが歌ってたの?」

「鼻歌で」

「覚えてないわ」

「テリーが小さかった時ですもの」

「サリアはばあばと過ごした時間が長いのね」

「まあ、テリーよりは」

「これはサリアの思い出の歌?」

「ええ。拾われたばかりのことを思い出します。とても懐かしい歌です。それにしても、変な話ですね。私はタナトスで拾われて、城下町へ移って、ベックス家のお屋敷で初めてこの歌を知ったのに、タナトスのオルゴール館でその歌のオルゴールを組み立てているなんて、うふふ。縁を感じてしまいます」


 オルゴールが止まった。サリアと顔を見合わせる。


「包んでもらいましょうか」

「ん」

「すみません」


 サリアが声をかけて、従業員に手作りオルゴールを小さな箱の包みに入れてもらう。これで楽に持ち運べるだろう。サリアが手に持つ。


「皆さんにもオルゴールを買っておきますか?」

「……メニーとリトルルビィの分を買っておこうかしら」

「どれにしましょうか。どれも美しくて悩みますね」

「有名な歌のやつでいいわよ」


 あたしは手を伸ばす。


「えっと」


 ナイチンゲールのワルツ。


「………」


 あたしはその横のを取った。


「どんぐり割り人形。有名だわ」

「あら、いいですね」

「メニーが好きそう」


 さて、リトルルビィのはどうしよう。


(……ん)


 店の奥に顔を覗かせる。


(……何あれ)


 まるで一部が教会のような作りの場所。数人程度が椅子に座り、正面に設置されているパイプオルガンを眺めていた。パイプオルガンには既に演奏者がおり、掲げられた看板には、五分後に始まると書かれていた。


「……サリア、支払いの前に聴いていく?」

「素敵ですね。ぜひ聴いていきましょう」


 オルゴールを元の場所に戻してから、あたしとサリアも椅子に座り、店の天井まで届きそうなパイプオルガンを眺める。演奏者が手を叩いた。


「それではこれより、演奏を始めさせていただきます」


 拍手。


「今から演奏しますのは、歌劇、ハーメルンの笛吹きの歌。笛と共に始まる行進、です。どうぞ、ご視聴ください」


 そう言い、パイプオルガンに演奏者が向き合う。そっと手を動かすと、パイプから、オルガンの音が溢れ出ていく。


(……悪くないわね)


 教会でもパイプオルガンは何度も聴いているけれど、ここのパイプオルガンはまた素敵な音色だこと。


(……悪くない音色だわ)


 やがて演奏が終わる。礼儀として拍手をする。演奏者が振り向き、一礼した。


「リクエストを受け付けます。何か、演奏してほしい曲はありませんか?」


 演奏者が優しい笑みを浮かべて、きょろきょろと見渡す。ふと、この中で一番若かったあたしを見た。


「何か聴きたい曲はありませんか? お嬢さん」

「……んー」


 だったら、


「雪のワルツをお願い出来ますか?」

「おお、この季節に雪と来た。素晴らしい。ぜひお応えしましょう」


 演奏者が笑い、再びパイプオルガンに向き合う。ふっと息を吸って、手をオルガンへ。音色が響く。


(……ニクスを思い出す)


 ニクスの父親と戦ってたキッドが口ずさんでいた歌。


(……最悪。ニクスのことだけを考えたかったのに、あいつが出てきやがった)


 どこまでもしつこい奴ね。あたしの頭に居座るなんて。


(ただの庶民だったら良かったのに)


 頭の中で、キッドを思い出す。笑う。怒る。しかめる。小馬鹿にする。けたけた笑う。あたしを抱きしめる。


 ―――テリー。


(あれほど干渉しないと決めたはずだったのに)


 キッドと関わったらろくな目に遭わないと分かっていたはずなのに。


(自業自得よ)


 あたしは踏み込んでしまったのよ。


(知らなきゃよかった)


 知りたくなかった。


(キッドのことなんか)


 知らなければ、あたしが傷つくことはなかったのに。


(もし)


 もしも、キッドが平民だったらどうだっただろうか。

 キッドが王族ではなくて、ただの貴族だったら?

 キッドが王族に仕えている何か、兵士とか、そこら辺の地位の人だったら?


 そうね。それなら良かったかも。


 じゃあ、王族だから悪かったの?


(そうよ。王族だから悪かったのよ)


 だって、王族はあたしを苦しめるだけの集まりじゃない。


(キッド単体だったら?)


 あの時、キッドがキッドとして、倒れたあたしに手を差し伸べていたら?


「テリー」


 あたしは、その手を取ったのだろうか。


(くだらない。なんでこんなこと考えてるのかしら)

(あたしはキッドに復讐を決める女よ)

(揺らぎはない)

(恋も愛も存在しない)


 愛って、時にとても馬鹿な感情になる。

 だから、あたしはキッドなんかを好きになったのよ。


(出会わなきゃよかった)

(関わらなきゃよかった)

(半年間無視した時に、もっと無視しておけばよかった)

(キッドの家なんて、行かなきゃよかった)

(キッドの笑顔なんて、見なきゃよかった)


 無視すれば、

 関わらなければ、



 ―――全く、照れ屋さんなんだから、こいつめ!



 この胸は、こんなに苦しくなることもなかったのに。






「ありがとうございました」





 演奏が終わる。あたしとサリアは、演奏者に拍手を送った。


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