第2話 波乱の舞踏会(1)
その夜――。
数多くの馬車が門の中へと入っていき、城の前で止まる。着飾るレディ達がきらびやかな姿で赤いじゅうたんを踏んでいく。兵士達が廊下にずらりと並び、メイドと使用人達の歩く姿はおしとやか。ところが、一人、間抜けにも足を滑らせた。
「ぅおっと! あっぶね! 足がつるんといったべさ! ふーう!」
「ちょっと、コネッド! しっかりしてよ! 叱られちゃう!」
「大丈夫、大丈夫。転ばなければ何とかなるべさ!」
「コネッド」
「とか言ってたら見つかったべさ。はい。リリアヌ様。申しわけありません」
アメリがあたし達に振り向く。
「メニー、はぐれちゃ駄目よ」
「うん!」
「テリーもよ」
「あたしは迷子にならないわよ」
「どうだかね。そう言って、迷子になっちゃったりして」
「はいはい」
アメリとあたしがメニーの手を引く。人混みの中、三人で廊下を進みながらアメリがため息を出した。
「誘拐事件なんてもうこりごりよ。今度こそママにどやされるわ」
「誘拐されたのはアメリとメニーでしょ」
「何言ってるのよ。テリーだって人質にされたんでしょう?」
「大丈夫だよ。お姉様。お城の警備は強化されて完璧だって、リトルルビィが言ってた」
「ルビィね」
アメリがメニーに振り向いた。
「あの子、今日は来てるの?」
「いると思う」
「じゃあ、子守はしなくていいわね」
アメリがニッと笑う。
「ダーリンも来てるの。ね、挨拶が終わったら、私、捜しに行っていい?」
「どうぞご勝手に」
「私、もう一人で歩けるもん。二月で13歳だし」
「嫌だわ! テリーとメニーったら嫉妬してるのね! あんた達に彼氏がいないから幸せなお姉様を見て羨ましくて仕方ないんでしょう! おっほっほっほっ! ごめんなさいねえ! 幸せすぎて、私もおかしくなりそうよ!」
「メニー、こんな女になっちゃだめよ」
「お姉ちゃん、穏やかに……」
廊下から会場へ。相変わらず広いホールだこと。
「ドロシー、悪戯しちゃだめだよ」
「にゃあ」
ケースの中でドロシーが眠そうな返事をする。あたしは片手に持つケースを覗き込み、眉をひそめた。
(舞踏会って、猫、大丈夫なのね……)
「ドロシー、お母様が交渉してくださって良かったね」
「にゃあ」
「一緒にいようね」
メニーが微笑んで指を入れると、ドロシーが頬ずりした。会場にはどんどん人が入っていく。あっちを見てもこっちを見てもドレスとスーツの人間だらけ。アメリがあたしに目を向けた。
「テリー、ママがいるわ。向こう」
「クロシェ先生も一緒みたいね」
「クロシェ先生だって年頃の女だもの。参加必須よ」
会場はその言葉の通り、年頃のレディと少ない紳士で埋め尽くされている。
「これは、噂通りと言われても仕方ないわね」
「……想い人はいた?」
「ばか。これだけ人がいるのよ。ここからじゃ見つけられないわ」
人々が玉座を囲んでいく。
「あ、そろそろ始まるかも」
アメリがそう言うと、オーケストラが楽器を構えた。ラッパの音が響く。オープニングだ。
「おなーーーりーーーーー」
将軍が叫んだと同時に、馬鹿でかい両開きの扉が開かれて、ゴーテル陛下とスノウ王妃が入場する。人々が拍手で出迎える。二人が微笑みながら玉座へ歩いていく。――その後ろから、二人の王子様がついて歩いてくる。
「「っ」」
年頃のレディ達は息を止める。より美しく成長したキッドを見て、よりたくましく成長したリオンを見て、胸を弾ませているのだろう。
玉座に座るゴーテル陛下。スノウ王妃。左右に立つキッド、リオン。
小綺麗な格好をした老人が歩いてくる。マイクの前に立ち、ごほんと咳払いし、姿勢を正し、にこりと微笑む。
「えー。どうも。皆様。ようこそ。今宵は、我々が愛すべきリオン殿下の17歳の誕生日でございます」
老人がリオンに顔を向ける。
「お誕生日おめでとうございます」
「ふふっ。どうもありがとう」
とても普段はダサいブランドのミックスマックスの服を着ていると思えないほどのイケメンぶりを発揮して、リオンが笑う。少女達のハートがミックスマックスの使者によって射止められた。
「この日のために、国中の者達に来ていただきました。名を呼ばれた者は前に出てきて、国王様、王妃様、そして、王子様にご挨拶を」
老人が片方だけのレンズを目に近づかせて、名前を呼んでいく。
「それでは、まず一人目…」
名前を呼ばれたレディが歩きだし、王族に一礼。また二人目。三人目。四人目。ああ、怠いわね。これじゃあ、日が暮れてしまいそう。この待ち時間が地獄なのよ。あたしは扇子でぱたぱた煽る。案の定、隣にいたメニーも唇を尖らせていた。ちらっとあたしが持つケースを覗き込む。
「……ドロシー、一緒に遊ぶ?」
「にゃあ」
あたしはメニーを見下ろした。
「……しりとりでもする?」
「テリー、良い考えだわ。賛成」
横から聞いてたアメリから始める。
「しりとり」
あたしが続ける。
「リス」
メニーが続ける。
「スノウ王妃」
ドロシーが続けた。
「にゃ」
あたし達が淡々としりとりをしている間にも、レディ達の名前が呼ばれていく。
「レチェ・ウ・カーニャナル様」
見たことないレディが一礼する。
「ラビッツ・クロック姉妹」
カトレアとアリスが一礼する。頭を上げた時にキッドと目が合って、キッドが少し口角を上げ、アリスがくすくすと笑い出す。それに反応したリオンの影がゆらりと動き、リオンがばれない程度に足を動かしたのが目に見えた。
「アリス、笑っちゃだめじゃない。失礼よ」
「ごめんなさい」
カトレアに叱られるアリスは、どこか嬉しそう。また名前が呼ばれる。
「ルビィ・ピープル様」
着飾ったルビィが一礼した。また名前を呼ばれる。
「クロシェ・ローズ・リヴェ様」
着飾ったクロシェ先生が一礼した。美しい。
「ニクス・ネーヴェ様」
着飾ったニクスが一礼した。
(っっっ!!)
雪のような白いドレスを着たニクスが歩いている。
(……。……。……。……。……。……)
絶対に視線を外さない。
(……。……。……。……。……。……)
「……お姉様、お姉ちゃんがなんだか怖い顔してる」
「緊張してるのよ。メニー、手を繋いであげて」
「……お姉ちゃん、大丈夫だよ」
メニーがきゅっと手を握ってきた。
「ソフィア・コートニー様」
着飾ったソフィアが一礼した。紳士の数名が運命を感じて胸を押さえた。
「レイチェル・ウタ・レモネ・ガルダルダ様」
着飾ったレイチェルが一礼したのを見て、アメリがあたしに小突いてきた。
「あとで挨拶に行かないとね」
「あんた一人で行ってよ」
「ふふっ。何よ。いいじゃない。最近あんた達、仲いいでしょ?」
「……どうだか」
アメリの近況報告を、どうしてあたしが電話でレイチェルに言わなきゃいけないの。
(あの女、相当暇なのね……)
「そろそろ呼ばれるわよ。メニー、背筋をぴっ、よ」
「ん!」
アメリに言われて、メニーが背筋をぴっとした。アメリがケースを覗いた。
「ドロシー、あんたはここで待ってて。すぐに戻ってくるから」
「にゃー」
「良い子ね。……テリー、目を緩やかに」
「してるじゃない」
「もっとよ。あんたの目はきつすぎるのよ。愛しのリオン様に挨拶出来るチャンスなんだから、テープでも貼りつければよかったのに」
「お黙り」
何が愛しのリオン様よ。
(精神疾患持ちの王子様なんて、願い下げだわ)
「ベックス姉妹」
呼ばれて、アメリが歩き出す。あたしが歩き出す。メニーが歩き出す。
三人で横一列に並ぶ。アメリがおしとやかに微笑む。あたしは誰とも目を合わせない。メニーが緊張したように背筋をぴっとする。一礼。
頭を上げ、あたしの目が偶然リオンの目と合った。リオンがくすりと笑い、もう一方からは強い視線。
(……痛い)
目を合わせないまま振り返り、来た道を戻る。再び、レディの名前が呼ばれる。
「はーあ!」
アメリが胸を押さえた。
「ねえ、テリー! キッド様見た!? あの色気やばいわよ! 私、息が詰まるかと思った!」
「一生詰まってれば?」
「あんたは何も感じなかったわけ? はーあ! お子ちゃまね!」
「……」
(何も知らないって幸せね)
あとは全員の名前が呼び終わるのを待つだけ――何も無いはず――……本来、二年後のこのタイミングでメニーが現れたのだ。あたし達が挨拶している時に、後ろから、美しい少女がひょこりと現れ、リオンがそれに目を奪われ、突然歩き出すのだ。
「あ、リオン様……!」
あたしの方に来てくれるのかと思った。でも無視された。
「あ……」
向かったのは、美しいメニーのいる方向。――今は、
「お姉ちゃん」
手を握られる。隣を見ると、あたしと同じ身長のメニーが、自分は天使なのとでも言いたげな笑みを見せていた。
「早く行こう。ドロシーが待ってる」
「……そうね」
「きっと怖がってるよ」
「暇で寝てるんじゃない?」
あたしとメニーの結ばれた手が揺れる。この手に姉妹愛などはない。あたしにとっては、姉妹ごっこでしかない。
(早くこの手を離してくれないかしら)
お前の小さくて可愛い手すら、あたしにとっては憎たらしいものなのよ。
ケースを置いた場所へ戻ってみると、やっぱりドロシーは良い子に居眠り中だった。
(*'ω'*)
長い挨拶が終わり、リオン殿下様々のお誕生日会が始まる。美しい演奏が始まり、美しい踊り子達が舞を見せ、人々は美味しそうな食事を始め、談笑をする。
「じゃあね! テリー! メニーも楽しんで! レイチェル!」
アメリがレイチェルの方へと走っていく。レイチェルはアメリを見て、どこか嬉しそうに、でも素直になれずもどかしそうな顔をしていた。あたしはそんな様子を遠目で眺め、扇子で自分を扇ぐ。
「ああ、立ち疲れた。もう座りたい。もう帰りたい。あたし死んじゃう」
「お姉ちゃん、飲み物でも飲む?」
メニーにオレンジジュースを渡される。
「はい」
「ありがとう」
「テリーお姉ちゃんの誕生をお祝いして」
「はい。乾杯」
軽くグラスを上げて、一緒にごくりと一服。
「はあ」
「お姉ちゃん、具合悪い?」
「いいえ。今日はむしろ具合はいい方よ。この心地のいい布で作られたドレスのおかげかしらね。クッションに包まれてるみたい。でもね、メニー、あたしももうそんなに若くないの。あんたよりも疲れやすいのよ。ああ、ベッドが恋しかな」
「お姉ちゃん、まだ15歳でしょう? 動きたい盛りじゃないの?」
「ばかね。15歳になったら一気に衰えていくのよ。知らないの?」
「お姉ちゃん、15歳は成長期じゃないの?」
「テリー」
人混みの中からニクスが歩いてくる。あたしの目が一瞬で輝く。
「捜したよ」
にこりと微笑んだニクスを見て、――あたしの癖が出た。
「チッ」
「テリー、人前で舌打ちしない」
「……」
「でも手は繋ぐんだね」
あたしとニクスの手が繋がれる。ニクスがメニーを見た。
「久しぶりだね。綺麗なお嬢さん、さあ、あたしを覚えてる?」
「ニクスちゃん!」
「ふふっ。そうだよ。メニー。覚えていてくれて嬉しい」
「ニクスちゃん、また会えて嬉しい」
「一段と綺麗になったね」
「ニクスちゃんも」
「おっと、誰に仕込んでもらったの?」
「仕込まれてないもん」
「身長も大きくなった」
「成長期だもん」
「そっか。ふふ。テリーと同じくらいの身長かな?」
「追い越すのが目標なの」
「テリー、どうするの? このままじゃ、メニーに追いつかれちゃうよ?」
ニクスがあたしを上から下までよく見て、ため息を吐いた。
「とても綺麗。今夜のテリーは、あたしが初めて君を見た時よりも、何倍も綺麗」
「……当然よ」
扇子で顔を隠す。
「……ニクスも……きれい……な、気がする……」
「ありがとう」
「……」
「テリーが褒めてくれるなんて、すごく嬉しい。素直にね。あたしなんかを褒めてくれてありがとう」
ニクスがメニーを見た。
「あたしもここにいていい? さっき、クラスの意地悪メンバーを見かけちゃって」
「……どいつ?」
あたしは扇子から目を光らせた。
「あたしが相手になるわ」
扇子をぱたりと閉じると、ニクスとメニーから止められた。
「テリー、やめて」
「お姉ちゃん、ここはだめ」
「……チッ」
ニクスがやめてと言うのなら、騒ぎは起こさない。大人しくしててあげる。だけどね、覚えておきなさい。いじめっ子ども。あたしの親友に手を出したら、このベックス家の次女が許さないからね。ぶつって潰してやるんだからね。
あたしがまた扇子を広げて扇ぎ始めると、メニーが両手でケースを持ち上げた。
「ニクスちゃん、ドロシーとも挨拶する?」
「え? いるの?」
ニクスがケースを覗き込んだ。ドロシーがちらっと外を見る。ニクスと目が合った。
「こんばんは。ドロシー。覚えてる?」
「にゃー」
ドロシーが檻に顔を押しつけた。
「うふふ!」
手袋を脱いで、ニクスがドロシーの頭を指で撫でる。メニーがニクスの指に気が付いた。
「あ、ニクスちゃん、爪も綺麗になってる」
「これ、テリーにやってもらったの」
「すごい上手」
「うふふ。いいでしょう。見せる相手がいないと自慢も出来ないもの。メニーが気付いてくれて良かった」
「もっと見ていい?」
「どうぞ」
ニクスが優しく手を差し出してメニーに爪を見せる。ニクスの整われた爪を見て、メニーが頬を緩ませた。
「……綺麗」
「ありがとう」
(当然よね)
あたしがニクスのためにやったんだもの。
(当然よね)
鼻をふんと鳴らすと、ラッパが鳴った。みんなが振り向くとピエロが頭を下げた。
「リオン様、お誕生日おめでとうございます。これは私からのプレゼントで、ございます」
ピエロが芸で花を体から飛ばした。拍手喝采が起きる。
「わあ、すごい!」
「ニクス、ああいうのには適当に拍手してればいいわ」
「適当だなんて。すごいパフォーマンスじゃない!」
「そう思う?」
「テリーは思わないの?」
「ええ。なんともつまらないお出し物だわ」
スポットライトがステージに当たる。ステージには、グレゴリー様の娘達がいた。長女のセーラ。次女のマーガレット。セーラの手にはヴァイオリン。
(可愛いふりして生意気そうな顔)
親のせいで死刑になる未来が待っているだなんてね。
(可哀想に。でも、あたしは自分が助かることに精一杯なの。あんた達も自分の身は自分で守るのよ。お嬢ちゃん達)
……。
(セーラって、いい名前よね……)
将来出会うことを祈ってるねずみのセーラを思い浮かべながら、あたしはステージを見つめる。
セーラが誇らしげに口角を上げ、リオンに向かってお辞儀をした。
「リオンお兄様。お誕生日、誠におめでとうございます」
リオンが優しく微笑む。
「お兄様のために歌を練習してきました。どうぞ聴いてください」
マーガレットが歌い出す。その横で、セーラがヴァイオリンを弾く。
(……)
歌は悪くない。
(……むしろ、子供にしては上手い……)
きーーーーー。
(あーーーこれは楽器のせいだわーーー)
セーラが全部を邪魔してる。
(あんた長女でしょうが!)
妹のマーガレットは上手いのに、ヴァイオリンが全てを台無しにする。
(あーあ……もう……)
演奏が終わると、公爵家に拍手の嵐。
「素晴らしい!」
「ブラボー!」
(マーガレット様だけね)
あたしも黙って拍手する。セーラって名前がついてるからと言って、良い子とは限らないわ。
満足そうなセーラとマーガレットがステージの裏へ歩いていく。
「続きましては」
芸を見せる。リオンが感動した。
「続きましては」
唄人が朗読をプレゼントした。リオンが一瞬眠った。
「続きましては」
アリスが立った。
「リオン殿下」
リオンの影が目を見開いた。
「お誕生日、誠におめでとうございます」
見たことのないデザインの帽子が渡される。
「殿下を想い、製作させていただきました。どうぞ、お納めを」
「ありがとう。アリーチェ」
リオンが被る。
「似合う?」
「素晴らしいです!」
アリスが微笑むと、リオンの影が大きく揺れ始める。リオンが足を鳴らして歩き始めた。
「いやあ、素晴らしい帽子だ! アリス、よかったら君の店を宣伝したらどうだい!?」
リオンが影をじりじり踏む。
――……チェッ……。
影がようやく大人しくなった。
「エターナル・ティー・パーティーとブランド・チェシャをよろしくお願いしまーす!」
呑気なアリスが手を振って宣伝した。
「続きましては」
出し物は続く。
「続きましては」
踊り子達が踊る。
「続きましては」
武闘家が武闘を披露する。
「続きましては」
背の高い女が歩く。グラデーションに彩られたドレスが揺れ、目立つ金の髪がレディと紳士達の目を奪ってしまう。あまりの美しさに、紳士達の目には女神のように見え、レディ達は嫉妬を通り越して彼女と結ばれる未来が見えた。
「リオン殿下、お誕生日、誠におめでとうございます」
美しいソフィアが微笑む。
「私からは、一曲、演奏を」
光輝くフルートを持ち、ソフィアが演奏する。貴族の男達がソフィアに釘付けになる。美しい音色に人々がうっとりする。ニクスの目が奪われたので、あたしは膝で小突いた。
「いてっ」
「……あたしがいること、忘れないで」
「……テリー、なんで拗ねてるの?」
ソフィアの演奏が終われば、人々が感動で拍手を忘れる。静まり返った空気の中、ソフィアが一礼した。
「失礼致します」
ソフィアが歩き出すと同時に、とどろくような拍手喝采。
「テリー、あの人の演奏、本当に素晴らしかったね。プロの方かな?」
「けっ!」
「……なんで怒ってるの?」
リオンのための出し物は、まだしばらく続けられる。
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