第2話 波乱の舞踏会(2)


 出し物が終わり、おしとやかな演奏が流れる。踊り始める人々が出てきた頃。


「あの」


 メニーが声をかけられ、振り向いた。知らない少年だ。


「こんばんは」

「……こんばんは」

「それ、君の猫?」

「はい」

「可愛いね」


 紳士が微笑む。


「僕、リック」

「……」

「あの、よかったら一曲踊れないかな? その後、ちょっとお喋りでも……」

「こんばんは。レディ」


 横から少年が割り込んできた。


「踊るなら、僕と踊らないか? 素敵な夜にしてあげよう」

「おい、割り込むなんて良くないぞ。こんばんは。レディ。少し僕とお喋りでもしないかい?」

「君だって割り込んでいるじゃないか。やあ、レディ」


 この感じに慣れているメニーが冷ややかな目をした。


「こんばんは。レディ。良かったらダンスを」

「いいや、この僕と」

「俺と踊れ」

「レディには優しく。さあ、僕と」

「僕と」

「この僕と」

「どうか僕と」


 メニーが口を開きかけるが、紳士達がその隙を与えない。


「この僕と」

「この僕と」

「いいや、僕と」

「どうか僕と」

「俺だ」

「僕だ」

「失礼」


 その時、メニーよりもうんと背の高い人物が間に入った。少年達は自分と同じくらいの背丈に、もしかすると自分よりも背の高い人物に驚いて、目を丸くする。


「レディが嫌がってる。しつこいのは感心しないな」


 間に入った少女はにこり笑い、振り向いた。


「メニー、行こう」

「うん」


 メニーの手を握って、優しくエスコートをしていく。


「どうもありがとう」

「どういたしまして」


 ヒールが鳴る。


「合流出来て良かった」

「うん」


 二人が歩く。


「ドロシーも喜んでる」

「……お城はペットだめよ?」

「お母様が交渉したの」

「もー」


 少女が屈んだ。


「ドロシー」

「にゃあ」

「うふふっ」


 手袋で隠す義手の指を突っ込ませて、優しくドロシーを撫でた。


「テリーは?」

「あっち」

「あっち?」


 声が聞こえて、あたしは振り向いた。赤い瞳と目が合う。


「っ」


 赤い瞳が緩んだ。


「っっ」


 赤い瞳がハートに変わった。


「っっっ」


 少女の頬が赤くなった。


「っっっっ」


 少女が胸を押さえた。


「ああ、いた」


 あたしは手を振った。


「トールルビィ」

「テリー!!」


 ああ、なんということかしらね。トールルビィめ、突っ込んできやがった。全力で体を抱き止める。ふんぬ! 抱き止めれば、リトルルビィが尻尾をちぎれんばかりに喜んで抱き締めてくる。


「テリー! はあ! 可愛い! テリー! どうしてそんなに可愛いの!? テリー! ああ! 私のテリー! ぎゅぅううううううってしてあげる!!!!」


(……義手が痛い)


「無事に合流出来たのね」

「何とかね」


 メニーが眉をへこませた。


「リトルルビィを捜してたら、なんか人が集まってきちゃって」

「男の子が多いところに行けばメニーがいるの。うふふ! わかりやすくて私は大助かり!」

「私は結構……」


 メニーがうんざりと息を吐き、ニクスがきょとんと瞬きした。


「リトルルビィ?」

「ふへ?」


 リトルルビィがニクスを見て、ぱっと笑顔になった。


「わあ! ニクス! 久しぶりね! 元気だった!?」

「久しぶり……。リトルルビィ……」


 あたしを抱きしめるリトルルビィを、まじまじと眺める。


「……大きくなったね……」

「伸びたの!」


 リトルルビィがあたしを離して、ピッ、と背筋を伸ばした。


「160センチ!!」


 吸血鬼って成長するっけ?


「髪の毛も切ったんだね」

「あのね! テリーが13歳の時に、髪を切ってたの!」


 リトルルビィが首にかけてたロケットを開いた。そこには、13歳のあたしの写真が入っている。


「はあ……可愛い……」


 優しく撫でる。


「はあ……可愛い……」


 リトルルビィが写真にキスをしてから蓋を閉めた。


「だから私もお揃いなの。ふふっ。どうかな? 可愛い?」

「うん。イメージチェンジには素敵。ドレスも似合ってるよ」

「ありがとう。ニクス!」


 リトルルビィが再び私の横に並んだ。


「ねえ、テリー、このリボンどう思う?」

「ん?」


 ドレスに巻き付けられたリボンを見せられる。あたしは首を傾げる。


「可愛いと思うけど?」

「……このドレスね、あのね、リボンだらけなの……」

「……ふーん」

「その、……どう思う?」

「可愛いと思うけど?」

「……テリー、実はね、うふふ、あのね、これ……」


 リトルルビィがもじもじと体を揺らした。


「ほら、今日、テリーの誕生日だから……」

「……」


 リトルルビィのドレスには、リボンが沢山巻き付けられている。まるでプレゼントボックスみたい。――というところを想像すれば、顔が引き攣った。


「まさかあんた、私がプレゼントだ、なんて、ベタなこと言わないでしょうね」

「テ、テリーったら、なんてこと言うの!」


 リトルルビィの頬が赤らんだ。


「なんでわかったの!? きゃっ!」

「当たってるんかい」

「きょ、今日は、私、テリーのものになる……。……ううん! これからずっと、テリーのルビィになるの……。はっぴー……ばーすでー……」

「メニー、リトルルビィがお酒を飲んでる可能性があるから水を持ってきて」

「もうここにある」

「ありがとう。リトルルビィ、お飲みなさい」

「く、口移しで!? なんてえっちなの!? きゃっ!」

「お黙り。飲め」

「こくこくこくこく」


 リトルルビィが水を飲んだ頃、ニクスがテーブルに指を差した。


「ね、テリー、あのパン食べた?」

「どれ?」

「あれ」


 ニクスが指を差す方向に、たくさんの種類の動物型のパンが並んでいる。


「あれを作った人は腕がいいんだろうね。とっても美味しかったよ」

「……」


 ――ねずみの形のパンがある。


「……」


 何食わぬ顔で皿に運んで手袋を脱いでいただく。


(……ふむ。悪くないわね。もぐもぐ)


「メニー、このジュースも美味しいよ!」

「リトルルビィ、それお酒じゃないよね?」

「違うもん!」

「ふふ。二人もおいで。このパンも美味しいよ」


 ニクスがメニーとリトルルビィに歩いていく。


(……美味)


 あたしはゆっくりとねずみパンを味わう。


「姉さん、うさぎの形のパンがあるわ! これは食べないと!」

「アリス、あまりはしゃがないの」」


 声に気付いて、目を向ける。


「でもね、気を付けて。こういうパンはね、どこから食べるのかが大事なのよ。あら、可愛いうさぎちゃん。ハロー。姉さん。この子はね、食べられるために生まれて来てるの。だから私は食べてあげないといけないの。どれだけ可愛く見つめられても、この子を食べないとこの子が生まれた意味が無いの。だから私は食べるわ。食べてみせるわ。さあ、どこから食べようかしら。耳? 顔? でもね、顔はやっぱり可哀想。だから私は耳から行くわ!」

「鼻から行けば?」

「鼻だなんて、随分といかれた発想だわ。ん? 今の誰?」


 アリスが隣に居たあたしに振り向く。手を振れば、アリスが驚いて肩をびくっと揺らした。


「あら! うふふ! びっくりした!」

「こんばんは」

「こんばんは! ニコラ! ハッピー・バースデー!」

「どうもありがとう。乾杯する?」

「あ、待って。だったらジュースを取ってくるから!」

「ニコラちゃん」


 カトレアがあたしに微笑んで、美しいドレスを掴んだ。


「アリスだけじゃなくて、私の分までどうもありがとう」

「とんでもないです。カトレアさん。いつも美味しいお菓子を作ってくださるお礼もかねてですので。サイズは大丈夫でしたか?」

「ぴったりだったことに、アリスも私も恐怖したくらいよ」

「だって、私達、サイズはこれくらいですって言って、その時の体のサイズを測ってもらっただけなのよ? なのに、ここまで完璧に出来るなんてすごいじゃない。あそこのお店の人達はすごいわね」

「そうよ。ベックス家はいつもあそこで頼んでるの」

「ねえ、ニコラ。このドレスすっごく素敵で、私、とてもニコラにお礼を返したいの。そこで考えたわ。どうかしら。無償で帽子を作ってあげるっていうのは」

「アリス、残念だけどアリスが作ってくれる帽子にはお金を払うわ。……あたしが家無しの貧乏になったら、話は別だけど」

「うふふふ! そうなったらうちで働けばいいわ! ニコラには、私の帽子のモデルになってもらうんだから」

「じゃあ、お礼はそれでいい。あたしが困ったら、その時助けて」

「いつだって助けるわ。ニコラは私の大切な親友だもの」


 あたしに微笑むアリスは、本来、この時点ではいなかった。彼女は牢屋の中で、ジャックと共に悪夢の世界へ旅立っていたのだから。


「わかった。じゃあ、また今度、……そうだわ。美味しい喫茶店で、ランチをご馳走するわ。……三月のうさぎ喫茶っていうの」

「ふふっ。ちょっと、あんな安い所に行くの?」

「社長も奥さんも、サガンさんもニコラに会いたがってたわ。ね、『テリー』じゃ行けないだろうし、暇を見て二人で行きましょうよ」

「わかった。せっかくのお誘いだもの。ご馳走になろうかしらね」


 二人で笑えば、アリスのつけているお洒落なヘッドドレスが目に留まり、つけるはずだったヘッドドレスのことを思い出した。言い訳にはなるけれど、一言説明しておきたい。


「そうだ。アリス、作ってもらったヘッドドレスなんだけど、また別のパーティーで使わせてもらうことになったの」

「あら、そうなの?」

「ごめんね。本当は黒いドレスの予定で、それに合わせてつけようと思ってたんだけど、なぜか赤いドレスが届いちゃって」

「私は全然いいのよ。それに、そのドレス、すごく素敵。ニコラのためだけに作られたみたい」

「あたしのだけじゃないわ」


 アリスの手に手を重ねる。


「今夜のアリスもすごく素敵」

「ふふっ。当然よ。ニコラに見繕ってもらったんだから」


 アリスがあたしの後ろを覗き込む。


「ニコラ、友達を紹介してくれるんでしょう? 引っ越しちゃった子だっけ?」

「そう。来てるの」

「姉さん、ちょっと行ってくる!」

「迷子になっちゃ駄目よ」

「姉さんも悪い男に捕まっちゃだめよ!」

「アリス!」

「うふふ! 行こう、ニコラ! 姉さんに怒られちゃう!」


 けたけた笑うアリスに押されて、三人の元へ歩いていく。


「ニクス」


 呼ぶと、ニクスが振り向いた。きょとんとしている。


「……あの……」


 アリスの背中に手を置く。


「……友達のアリス」

「初めまして!」


 アリスが微笑んで、ニクスの手を掴んだ。ぶんぶん振る。


「ニコラのお友達なんでしょう? 私、アリスっていうの! よろしくね!」

「うふふ! ニクスです。アリス」


 手が離れる。


「テリーから聞いてます。すごい帽子のデザイナーだって」

「まだまだ見習いよ。上司にね、すごくいかれた変な人がいるのよ。その人の下で勉強してる段階だから、まだデザイナーとは言えないかな」

「でも、色んな帽子が作られてるって」

「今年になってから少しずつね。でも、まだまだよ。私、姉さんがいるんだけど、こういう時は図に乗らないで、自分が考えたものを親切に買ってもらってるんだって思いなさいって言われてるの」

「素敵な考えた方。調子に乗っちゃいけないってことだね」

「そういうこと」

「テリーから写真を見せてもらったことがあるんですけど、とても素敵でした」

「ありがとう。今度ニクスにも作ってあげるわ! お友達特別安価格でご提供するわよ!」

「楽しみにしてます!」


(……なんか……)


 アリスとニクスが喋ってる。


(なんか……)


 あたし達、三人仲良しコンビみたいじゃない?


(……。……。……。……。……。……。……)


「……メニー、テリーが怖い顔してる」

「お姉ちゃん、また緊張してるのかな?」

「にゃー」

「テリー、大丈夫だよ? 落ち着いて」


 リトルルビィに背中を撫でられた。アリスとニクスの会話は続く。


「ところで、ニクスはニコラのこと、どこまで知ってるの?」

「うーん。……アリスはどこまで知ってるの?」

「深いところまで」

「婚約者とか?」

「結構」


 ニクスとアリスがあたしを囲い、アリスがあたしの肩を抱いた。


「ねーえ、ニコラー?」

「ん?」

「ちょーっと訊いてもいい?」


 耳元で囁かれる。


「いつキッドと結婚するの?」

「しない」

「またまた。こいつめ」


 アリスがあたしの頬をぷに、と押してきた。


「ニクス、ニコラったらキッドとすっごく仲良しなのよ」

「ああ、やっぱりそうなんだ」

「毎年、雪祭にも行ってるみたいだし」

「誘拐されるのよ」

「バレンタインはあげた?」

「誘拐された」

「リトルルビィのお誕生日も一緒にお祝いしたものね」

「偶然あいつもいたのよ」

「ニクス、この舞踏会の妙な噂はご存知?」

「聞いてるよ」


 二人の王子様のお相手探し。


「だからあたしもテリーに訊いたの。いつ結婚するのって」

「ニコラ、今のうちに確保しておかないと、キッド取られちゃうわよ。さっきね、えっらそうな顔したご夫人が、こーんな顔して、自分の可愛い娘達に、全力で色気を使って王子様にアタックしてきなさいって言ってたの、耳を大きくして聞いたんだから!」

「アタックされたらいいのよ」

「でも、テリー、キッドさんも12月で19歳になるんだし。来年は20歳。この一年二年でリオン様かキッドさんが王様になるかもって言われてるんだよ」


 レディ達は獣のように目を光らせている。


「キッドさんも、そろそろ結婚相手を見つけないと」

「それ、あたしじゃなくてもいいわけでしょ?」


 肩を抱いてくるアリスに頬を擦らせる。


「あたし、王子様の結婚よりも、二人とこうやってお喋りしてる方がいいわ」

「またまた可愛いこと言うんだからこの子は! でも、アリスちゃんは放っておいてほしい習性だから、いつまでも一緒は嫌よ!」

「あたしもやだ」

「……」

「「睨まない」」


 二人に言われて目を逸らす。


「ニコラを無理に説得するつもりは無いわ。でも、キッドが大切ならそういう素振りも大切よってこと」

「ええ。肝に銘じておく」

「それじゃ、この話題はここまで。とりあえず……」


 三人でグラスを持つ。


「テリーの生まれた日をお祝いして」

「新たな友達も出来たところで」


 ニクスとアリスが言って、三人でグラスを傾けた。


「「乾杯」」


 三人で声を揃えてグラスを当てた。



(*'ω'*)



 しばらく食べて、飲んで、喋った後、ニクスがトイレに行きたいと言ってきたので、あたしがニクスをトイレに連れて行く。城のトイレは考えられないほど広い。入って間もなく、ニクスが顔を引き攣らせた。


「これ本当にトイレなの?」

「扉を開けたらさらに奥があるから。その奥が個室の個室になってて、さらに奥があって、そこよ」

「迷子になりそう」

「大丈夫よ。あたしもいるから」


 別の扉に入り、個室で用を済ます。戻ってみると、ニクスはまだ戻ってきてないみたいだった。


(お化粧直そう)


 鏡の前にポーチを置く。別の扉から人が出てくる。あたしは気にせず口紅をつけ直した。


(この色可愛い。選んで正解だわ。サリアみたいにうまく塗れないけど、すごくいい)


 誰かが隣の鏡の前で立ち止まる。あたしは唇を咥える。んーぱ。ってやれば、唇に塗った部分がいい感じに馴染んでいく。


「……」


 あたしは前髪を整える。完璧。


(これでいいわ。ニクス、可愛いって言ってくれるかしら)


「とっても可愛い」


 横から耳に囁かれ、ぞわっと鳥肌が立つ。


「今夜も恋しいよ。テリー」


 くすす。


 ――その笑い声で、あたしの目が動く。黄金の目が光る。


「ぐっ!」


 ちかりと目眩がしてふらつくと、腰を支えられた。


「危ない」


 化粧品が床に落ちる。


「大丈夫? お嬢さん」

「……この……」

「綺麗なリップ」


 顎を優しく掴まれる。


「キスしてって、誘われているみたい」


 ソフィアが微笑んだ。


「ハッピー・バースデー。テリー」

「……お黙り」


 足を地面に立たせ、ソフィアを押しのける。


「友達がいるの。あんたみたいな女と知り合いだなんて思われたくないから、さっさとどっか行って」

「君はそれを待ってる?」

「そういうこと」

「時間は有効活用しないと。待ってる間、美人なお姉さんとお喋りをしよう」

「いい」

「私の演奏はどうだったかな?」


 ソフィアが屈んで、落ちた口紅を拾い、あたしに渡した。それを乱暴に受け取り、ポーチにしまう。


「そうね。笛は良かった」

「笛だけ?」

「笛だけよ」

「演奏者は?」

「紳士達がこぞってあんたに夢中だった」

「おかげで後処理に追わされた。鼻の下を伸ばした野ねずみどもの相手なんて、疲れるだけなのに」

「そう。で? 彼氏は出来た?」

「勘違いしないで。野ねずみは、所詮、ただの野ねずみ」


 ソフィアが顔を近づけさせた。


「私にはテリーだけ」

「残念ね。あたしは女よりも男がいいわ」

「それはどうかな?」


 ソフィアの体が近づく。


「試してみたら、案外、女の方がいいかも」

「結構よ。興味ない」


 ソフィアの豊満ないやらしい胸があたしの腕に押し付けられた。


「テリー」


 横に逃げる。追ってくる。


「しつこい」

「しつこいのだけは得意分野でね」

「でしょうね。ねちねちしてるのって女の悪い所よ」


 横に逃げる。追ってくる。


「あたし、さばさばしてる方がいいと思うの」

「残念。私、根本的にさばさば出来ないんだ。嫌だなって思ったことは、ずっとねちねち根に持つタイプなの」

「そう。だったらあたし達相性は最悪よ。あたしもそういうタイプだから。同族嫌悪ね」

「テリー、いつになったら私を君のものにしてくれるの?」

「うるさい」

「ねえ、テリー」

「お黙り」


 逃げるが、体が壁にくっついた。この時点であたしの頭の中で黄色いサイレンが鳴り、イエローカードが上げられた。これは逃げるべきか。ポーチを抱えて足を一歩出したところで、その行く先をソフィアの足によって邪魔された。


「ひっ!」

「どこ行くの?」


 壁の隅に閉じ込められるが、あたしは強気にソフィアを見上げる。


「は、話はここまでよ! お退き!」

「くすす。なに怖がってるの?」

「怖がってなんかなくってよ! お退き!」

「怖くないよ」


 ソフィアが屈んで、顔が近づく。


「ちょ、近っ……」

「そんな近くないでしょ?」


 黄金の瞳が近づいてくる。


「だから、近いって……」

「今日は可愛くお化粧してるんだね。素敵だよ」

「当然よ。あたしはね、いつだって素敵なのよ」

「化粧ってどうしてするか知ってる? 自分を良く見せて、人を魅了するためなんだよ」


 赤い唇が近づく。


「どうやら、君は一人、魅了してしまったようだ」

「だから、近っ……」


 顔を逸らす。


「あっ……いやっ……」

「テリー……」


 吐息が首にかかる。


「恋しい君」


 唇が触れてしまう――寸前に、




 扉が開いた。




「何なの、ここ。どうしてこんなに扉が多いの? こんなの学校に置いたら下着の汚れる人が続出するよ。ああ、でも一人になりたい時はかなりここはいいかもしれな……」


 ニクスがきょとんとした。


「……テリー?」


 首を傾げる。


「その方は?」

「あのーーー!」


 ソフィアの両手を握って楽しくダンスをするあたしをぽかんと眺めるニクスに、ぐいとソフィアを押し出して、笑顔で紹介する。


「この人、図書館の司書のお姉さんなの!」

「くすす。どうもこんばんは」

「ああ、どうも。初めまして」


 ソフィアとニクスが握手する。


「あれ、もしかして、さっき笛を吹いてた方ですか?」

「ええ」

「わあ。そうでしたか。とても素晴らしい演奏で感動しました」

「それは良かった。どうもありがとう」

「あたし、ニクスって言います。テリーとは友人でして……」

「……ああ」


 ソフィアが、以前、キッドから聞いた話を思い出した。


「そう」


 過去に、中毒者の協力者がいたそうな。その少女は、あたしと友達で、遠くに引っ越してしまっていると。

 ソフィアが天使の笑みを浮かべた。


「初めまして。ニクス。怪盗パストリルです」

「え?」

「ソフィアさんっていうの!!」


 ニクスからソフィアを引き剥がす。


「ソフィアお姉さん綺麗でしょーー? あたし達、ちょー仲良しなのー!!」

「そうそう。ちょー仲良しなの。恋しくなるほどね」

「おほほほほ! 人をからかうのを取り得としているお姉さんだから気にしないでーーー!」


 ソフィアの背中を強く叩けば、ソフィアがあたしの腰を抱いた。あたしはその手を振りほどいて、ニクスの肩を掴み、出入り口へと押し込んだ。


「ニクス! もう行きましょう! あたし、お腹空いて大変なのー!」

「あ、なら、ソフィアさんも……」

「いいから! 行って! 早く! あんな女見なくていいから!!」

「えっと、あれ、テリー、お化粧のポーチ……」

「ソフィアさーん! あとで届けてねー! おねがぁーい!」


 くすすと聞こえる笑い声を背に、内心、中指を突き出し、トイレから出る。


「テリー。なんか怒ってる?」

「怒ってないわよ。全然怒ってない」

「……あたし、何か怒らせるようなことしちゃった?」

「……何言ってるのよ。ニクス」


 足を止めて、ニクスだけを見つめてニクスの手を大切に握り締める。


「ニクスは何も悪くないわ。悪いのは泥棒よ」

「え、テリー、泥棒に会ったの?」

「あたしの清々しい気分を奪ってしまう悪い泥棒なの。だから、ニクスは何も悪くないの」

「うーん。よくわかんないけど、そうなの?」

「そうなの」

「わかった。じゃあ、引き続き舞踏会を楽しむことにする」


 ニクスがあたしの手を握り返す。


「もうちょっと、あたしに付き合ってくれる? テリー」

「……そうね。付き合ってあげないこともなくってよ」

「うふふ。良かった」


 繋がれた手が揺れる。まるで、12歳の頃みたい。


「行こう」

「……ん」


 手を繋いだまま一緒に会場へ戻る。そこでは、リトルルビィとアリスが背比べをしていて、それをメニーとドロシーが微笑ましそうに眺めていた。


「リトルルビィ、160のうちのどれ?」

「160.3センチ!」

「嘘でしょ。私が負けるなんて……! 仕方ないわね。トールの座はルビィにあげるわ! 今夜からあんたは、トールルビィよ!」

「リトルだもん!!」

「ドロシー、リトルルビィの身長伸びたねえ」

「にゃあ」

「……あ」


 ニクスとあたしを見つけて、メニーが微笑んだ。


「お帰りなさい」

「ただいま。メニー。良い子にしてた?」

「ニクスちゃん、すごいんだよ。リトルルビィってね、アリスちゃんよりも大きいんだって」

「……成長したね」

「他に何か変わったことはなかった?」

「お姉ちゃん、あれ見て」


 メニーが指を差した方に振り返る。そこはダンスホール。クロシェ先生が誰かと踊っていた。クロシェ先生だけじゃない。国中のレディが紳士にエスコートをしてもらって美しく踊っている。アメリもいつも電話しているダーリンと笑顔で踊っていた。眺めて、メニーがため息まじりにつぶやいた。


「素敵」

「あんたも踊って来れば?」

「私はいいの。ここにいる」


 メニーがあたしとニクスの間に入り、両方の手を繋いだ。


「ニクスちゃん、いてもいい?」

「もちろん」

「あの、失礼。お暇ですか?」


 ニクスが声をかけられ、振り向いた。


「え?」

「ああ、どうも。初めまして」


 メニーがニクスの手を離した。ニクスが同い年くらいの紳士と向き合う。


「こんばんは」

「はい。こんばんは」

「遠くから見て、可愛いなと思って」

「うふふ。お上手ですね」

「その、良かったら、一曲踊ってくれませんか?」


 紳士が照れ臭そうに目を泳がせ、――硬直した。


(……お前……)


 あたしの目が光る。


(あたしのニクスに、なに話しかけてるのよ!!!!!)


「……あの……」


 顔を引き攣らせた紳士が後ずさった。


「……すみません。急用を思い出しました」

「え」

「さようなら……」


 ふん!! この程度で逃げる男が、ニクスに声をかけるなんて。甚だしいわ!!


「何だったんだろうね?」

「さあ?」


 メニーが首を傾げ、ニクスがあたしに振り向いて肩をすくめさせた。


「ちょっと勿体なかったな」

「急用って何かしらね?」


 薄い笑みを浮かべて、あたしは扇子を扇ぐ。


「ニクス、ケーキが置いてるわ。一緒に食べない?」

「あ、クッキーもいる」

「私も食べる」


 三人でおやつを美味しくいただく。アリスとルビィは楽しそうに談話している。こういう空気って好き。安心するんだもの。


「……金平糖はないの?」

「美味しいね。テリー」


 微かに聞こえた声を無視して、ニクスに微笑む。


「……暇すぎておかしくなりそう。屋敷でお留守番しておくべきだったかな」


 猫が欠伸をした。



(*'ω'*)



 暇を持て余したあたし達は、とあるものを見つけて、それを掴んで構えた。


「手加減は無しだよ。テリー」

「上等」


 あたしはにやりと笑う。


「ニクス、賭けは好き?」

「大好き」

「あたしが勝ったら、明日、屋敷に遊びに来て」

「じゃあ、あたしが勝ったら、テリーがあたしの宿泊先に遊びに来て」

「絶対よ」

「もちろん、いいよ」

「怪我しないようにね。ニクス」

「そっちこそ」


 メニーとアリスとリトルルビィが息を呑んだ。――サッカーのボードゲームが動き始める。


「「おらおらおらおらおら!!」」


 あたしとニクスの手が乱暴に動く。サッカーボールはころころ転がっている。


「きた! ボールはあたしのものよ!」

「甘いよ。テリー! そうは問屋が卸さないってね!」


 ニクスがサッカーボールを奪い取る。


「シュート!」

「だめ!」


 だめ、と言葉を吐いても、ボードゲームというのものは、手を動かして防がなければ点が入ってしまうもの。つまり、そう。ニクスのシュートが決まったわけである。


「まだまだ!」

「来るか!」


 今度はあたしが華麗なるシュートを決めた。しかし、これもニクスが手を動かしたことによって防がれてしまう。


「ニクスのばか!」

「ゲームだから!」


 点数に差がついていくごとに、勝負は白熱してくる。アリスが拳を握った。


「ニコラ、諦めちゃ駄目よ。ファイト」

「ドロシー、寝ちゃった?」

「暇だもんね」


 ドロシーはケースの中でぐっすり眠っている。


「シュート!」


 ニクスが最後の点を入れた。誰から見ても、勝負はニクスの完全勝利である。


「はい。あたしの勝ちー」

「……」

「拗ねないの」

「……明日、……遊ぶんでしょうね?」

「うん。一緒にお昼寝しよう」

「……なら許す」


 あたしとニクスの試合が終わった。メニーがニクスに拍手した。


「ニクスちゃん強い!」

「田舎って何も無いからね。こういうので遊んで暇を潰すんだよ」


 ニクスがアリスを見た。


「アリスやる?」

「私、こういうの苦手なのよねー」

「やらないの?」


 アリスの後ろから、にょこっと影が出てきた。


「では、私がやらせていただいてもいい?」


 その人物を見て、全員がぎょっと目を丸くした。ニクスが息を呑み、リトルルビィとメニーが背筋をぴっと伸ばし、あたしは扇子を背中に隠した。唯一、アリスだけが能天気に微笑んだ。


「あ、王妃様だわ。まあ、素敵なドレスに王冠!」

「どうもこんばんは」

「こんばんは!」

「あら、良いお返事」


 スノウ様がアリスに微笑み、ニクスに顔を向けた。


「私と勝負しない? お嬢さん」

「あ、えっと……」

「手加減は無しよ」


 スノウ様が手袋を脱ぎ、隣にいた自分の夫に手渡した。


「あなた、手袋持ってて。私は本気でいくわ」

「ああ、スノウ……。もう……。お前はこんな時でもマイペースなのだから」


 困り顔のゴーテル陛下に、全員が距離を置いた。ゴーテル様があたし達を見て微笑んだ。


「皆様、どうもこんばんは」

「こんばんは!」


 アリスが元気よく挨拶をして、あたし達はお辞儀をする。スノウ様が唇を舐めた。


「お嬢さん、お名前は?」

「……ニクスと申します」

「そう。ニクス。本気でかかってきなさい」

「……一回戦でいいですか?」

「ええ」

「それでは」


 スノウ様とニクスが構える。


「いきます」


 ゲームスタート。サッカーボールが転がる。周りの人々が王妃がボードゲームで遊ぶ姿を眺める。スノウ様の手が速やかに動く。ニクスの手も軽やかに動く。スノウ様が蹴っていたボールをニクスが横から奪い取った。手を動かす。足を動かすゲームなのに手を動かすなんて変な感じ。でも、手を動かさないとこのゲームは進まない。スノウ様がシュートを決めるが、ニクスがそれを見事に防いだ。ニクスがしめたと言いたげに速やかに手を動かし、確実にサッカーボールを操作していく。ニクスが指を弾かせた。


「シュート!」


 スノウ様がシュートを決められ、おどけた顔をした。


「あちゃあ。負けちゃった!」


 スノウ様が楽しそうに笑い、胸を押さえた。


「ああ、久しぶりにドキドキしたわ! ありがとう。ニクス!」


 手を差し出され、ニクスがその手を握り締めた。


「こちらこそ。王妃様と対戦出来て、光栄でした」

「ごめんなさいね。付き合わせて」


 周囲から拍手が起きる。ニクスが眉を下げた。


「いいえ、本当に光栄です」

「あなたは城下に住んでるの?」

「いいえ。うんと遠くの西の田舎町です」

「あら、そう。今日のためにはるばる来てくださったのね。どうもありがとう」

「お会い出来て良かったです」

「こちらこそ」


 手が離れる。スノウ様がアリスに振り返った。


「ね、あなた、さっきリオンに帽子を下さってた方ね?」

「はい!」

「あの奇抜な帽子を見て思い出したの。あなた、キッドの友達のアリーチェでしょ!」

「ふふっ。そのとおりです!」

「キッドがお世話になってますわ。いつもありがとう」

「とんでもないです。王妃様。こちらこそ、キッドがいつもうちの帽子を選んでくださってるので、宣伝効果になっていて、とても助かってるんです」

「どんどんこき使ってやって。あいつはね、こき使われるくらいがちょうどいいのよ」


 アリスがくすくす笑い、スノウ様がリトルルビィの前に立つ。


「ルビィちゃん。こんばんは」

「こんばんは。王妃様」

「また身長伸びた?」

「日に日に伸びてます。最近体中痛くて……」

「成長期だものね。牛乳を飲んで骨を丈夫にするのよ」


 リトルルビィの肩を撫でて、つづいてメニーの前に立った。


「メニー」

「ご無沙汰しております。王妃様」

「またお会い出来て嬉しいわ。今日は歌を歌ってくれないの?」

「大変恐縮なのですが、私はピアノ担当なもので」

「あら、そうなの? 歌だけではなく、あなたはピアノが弾けるのね。なんて素敵なのかしら。今度聴かせてちょうだいな」

「ええ。機会がありましたら、ぜひ」


 メニーに微笑み、最後にあたしの前に立つ。


「テリー」

「こんばんは。王妃様」

「テリー・ベックス」


 両手を握られ、驚いて、微笑むスノウ様を見上げる。


「リオンから聞いてます。今日、あなたも生まれた日だとか」

「はい」

「お誕生日おめでとう」


 スノウ様が優しい手つきで頬を撫でてきた。


「今度二人でお買い物に行きましょうね。欲しいもの買ってあげるわ」

「……スノウ様、お言葉ですが、この辺にしておいた方が。……王様が複雑そうにこちらを見てます」

「ああ、嫌な人。無視していいわ。一人ずつ挨拶に回ってて、気が立ってるのよ。とっても時間が足りなくてね」


 スノウ様があたしの手と頬を離し、一度お辞儀をした。


「それでは、皆様、楽しんで」


 それから夫の腕に掴まり、歩き出す。


「あなた、今度部屋にボードゲーム設置しましょう? 私、微妙に悔しくて。ね。いいでしょう?」

「……そうだな。また今度考えよう」

「今の言葉、忘れないでね」

「ああ」

「忘れないでね!」

「わかったから! 全く、どうしてお前は宝石とか、芸術品じゃなくて、いらないものを置こうとするんだ?」

「……いらないものって何よ?」

「……いや、あの……今のは、少し言い過ぎた。……すまん……。……悪かった」

「結構」


 スノウ様に睨まれて、文句を言ってたゴーテル様が手のひらを返したように謝り、また遠くに歩いて笑顔で人に挨拶をしていく。少しだけ、ゴーテル様の背中が寂しそうに見えた気がした。


「ああ、びっくりした」


 ニクスが胸を押さえてため息を吐いた。


「スノウ様お綺麗だったな。教科書より全然綺麗だった。どうしよう。あたし、握手までしてもらっちゃった」

「うふふ! スノウ様に勝つなんて、ニクスは明日の新聞に載るかもしれないわね!」

「アリス、面白がってるでしょ」

「そうなったらニクスは人気者でしょう? 今のうちにサイン貰わなきゃ!」

「俺が書いてあげようか?」


 声に振り向く。アリスが顔をしかめた。


「げっ」

「やあ。アリス」


 紫のスーツを着こなしたアリスの上司のガットが、にやにやとアリスを見下ろしていた。アリスが急いでリトルルビィを盾に隠れた。


「ガットさん、こんな所まで何の用ですか?」

「帽子業界のコンテスト関係者も参加していてな。あんたを紹介しようと思ったんだ」

「……私を?」

「うん? 何やら不服そうな顔だな」

「私、マナーとかわからないので、失礼なことしちゃうかも」

「そこは俺がいるから安心すると良い。あんたはにこにこ笑って俺の隣にいればいいんだ」

「はあ……」


 アリスがあたしに振り向いた。


「ニコラ、ちょっと行ってくる」

「転ばないようにね」

「うん。それ。本当になりそうで怖い」


 アリスがガットの隣についた。


「行こうか」

「はーい」


 ガットがアリスの腰に手を伸ばし――触れる前に、ガットの前にリオンが飛び出してきた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る