第2話 労働基準に目を光らせて


 屋敷の管理、土地の管理、食料の管理、使用人の管理、ママの持つ会社の管理など、その他もろもろ、ベックス家を長年に渡り管理している優秀な執事、ギルエド。


 一度目の世界でも、破産するぎりぎりまで、彼は屋敷にいた。そして、メニーの面倒を見ていた、メニーの唯一の味方であった人物。結局解雇になって、屋敷から出て行ってしまったが、仕事は非常に優秀そのもの。ママもギルエドのことはとても信用している。なにかがあればギルエド。アクシデントが起きたらギルエド。ギルエドはこの屋敷にいなくてはならない人だった。


 そのギルエドの書斎をノックする。ドアの向こうから、声が返ってきた。


「はい。どなたでしょうか」


 サリアがドアを開けて、あたしが先に書斎へと乗り込んだ。ギルエドが眼鏡を上げ、入ってきたあたしを見る。


「これは、テリーお嬢さま」

「ギルエド」


 あたしはギルエドの前で、仁王立ちする。


「相談があるの」

「相談ですと?」

「一度、お金の管理を見直してほしいの」

「お金の管理……」


 ギルエドがはっとして、次の瞬間、ふふっと笑い出した。


「なにをおっしゃるかと思えば、テリーお嬢さま、欲しいものでもあるのですか? 駄目ですよ。お小遣いは先日お渡ししたばかりではありませんか」

「ギルエド! あたしのお小遣いの話じゃないわ!」


 これは真剣な話よ!!


「使用人たちのお財布事情を把握してるの!? なんであんなにみんな、細いのよ! やつれてるのよ! ぎっそりげっそりしてるのよ! おかしいじゃないのよ! ご飯は食べさせてるんでしょうね!」

「は……?」


 ギルエドがぽかんとする。あたしは続ける。


「あたしは抗議に来たのよ!」


 あたしは急遽用意した看板を掲げる。


「低給料反対! 働いた分、給料払え! 給料上げろ!」

「また、これは……。テリーお嬢さま、何をおっしゃいますか」


 ギルエドが困ったように顔をしかめさせた。


「さては、変な本でも読みましたな? お嬢さま、ギルエドは仕事をしなければいけません。お部屋にお戻りを」

「ギルエド! あんたは高給料を貰っているからいいかもしれないけどね! 他の使用人たちはみんな大変なのよ! 首が細いのよ! 腕が細いのよ! 顔もやつれてるのよ! 使用人の管理は、執事の仕事でしょう!? なにやってるのよ!」

「体が細いから給料を上げろというのですか? 全く、どうされたのですか?」

「いいこと? ギルエド。これはベックス家の将来に関わることなのよ……!」


 あたしは充血した目をギルエドに向ける。


「いいから黙って使用人たちの給料を上げて」

「出来かねます」

「ギルエド!!」

「働いた分、我々はきちんとお渡ししております」


 不正などはございません。


「テリーお嬢さま、労働基準法により定められております給与管理は、わたくしがきちんと目を光らせております。大事なことですから。心配されなくとも大丈夫です」

「でも、ギルエド! ママはそのお金でショッピングに……!」

「何事ですか?」


 そのタイミングで、ママがギルエドの書斎に入ってきた。サリアが頭を下げる。ギルエドがママを見る。


「ああ、これは奥さま」

「忘れ物をしたのだけど」


 ママがあたしを冷たい目で見つめてくる。


「テリー、ここでなにしているの」

「ママ!」


 あたしはラスボスのママに振り向く。空気が重く濁っていく感覚だ。あたしはママを睨みつけ、看板を掲げる。


「低給料反対! 働いた分、給料払え! 給料上げろ!」

「ギルエド、すぐにお医者さまを呼んで。テリーを診せなくては」

「はい」

「ママ! あたしは真剣に話してるのよ!」


 あたしがママを睨むと、ママが呆れたようにため息を出した。


「使用人が貰っていいはずのお金があるでしょう! 手取りが少ないってどういうことよ! 全部聞いてるのよ!」

「……誰から聞いたの?」

「誰でもいいでしょ!」


 サリアとは言わず、あたしはひょいと話題をかわす。


「使用人の方々の体を見たことある!? ほっそいのよ! すっごくほっそいのよ! ご飯食べさせてるの!? 一日一食って聞いたわよ!? 国の労働基準法、わかってる!?」

「誰から聞いたの」

「誰でもいいでしょ!」


 そこで、頭を下げ続けるサリアが喉をタンでも詰まらせたのか、こほん、と咳ばらいをした。ママがちらっとサリアを見て、――見た途端、眉をひそめた。


「……」


 ママの視線があたしに戻る。


「テリー、使用人たちの労働に関しては、お母さまとギルエドが管理をしてます。誰になにを言われたのか知らないけど、変な言いがかりはおやめさない。みっともない」

「みっともない!!?」


 そこで、あたしの堪忍袋の緒がぷっちんと切れる。


「他の所と比べてベックスの屋敷の給料が低いって、恥ずかしいことだと思わないの!?」

「言ってるでしょう。十分に渡してます」

「ママにとっては十分かもしれないけど! 足りないのよ! もう少し使用人の方々のことを考えてあげなきゃ!」


 じゃないと、奴らとんでもないことしてくれるのよ! ママ! あたしは、ママを、この屋敷を、救おうとしてるのよ!!

 あたしは11歳の上目遣いで、愛おしくてかわいい眼差しをきゅるんとママにぶつけた。


「ママ、お願い。今すぐに考え直して。お給料上げてあげて。ね、毎日お買い物できる財力があるなら、それくらい容易いでしょう?」

「もう、なにを言ってるのよ。お前は」


 ママが頭を押さえた。


「ギルエド、お医者さまを呼んで。今すぐ。テリーを診せないと」

「はい」

「ギルエド! あたしは正常よ! 電話をするのをやめなさい!」

「はあ」

「いいえ。ギルエド、呼びなさい」

「は」

「ギルエド! あたしは健康よ!」

「は」

「テリー、いい加減にしなさい」

「えーと」

「なによ! ママのわからず屋!」

「わからず屋!? その言葉遣いはなんですか!」

「ママこそなによ! なんでわかってくれないのよ!」


 あたしは怒鳴った。


「だからパパにも逃げられ……!」

「テリーお嬢さま!!」


 あたしの言葉を遮るようにギルエドが怒鳴った。あたしは怒鳴るのを止める。ママが黙る。ギルエドがふー、と息を吐き、眉をへこませた。


「テリーお嬢さま、落ち着いてください」


 低い大人の声で、あたしを諭す。


「昔から、屋敷内の雇用規約は変わっておりません。それを承知の上で、皆さんには働いていただいております。そこにいるサリアも、もちろん承知の上です」


 あたしはギルエドを睨みつけた。


「つまり、娘のあたしがなにを言っても、抗議運動をしても、今現在の屋敷の雇用規約は変えない。そういうこと?」

「さようです」

「じゃあ、なに? ここで働く人たちは、このまま飢えて死ねって言いたいの?」

「死んだ者など見たことがございません」

「ギルエド、何かが起きてからじゃ遅いのよ」

「何も起きていないから、こうして続いているのです」


(起きるのよ!)


 裁判で、最悪のタイミングで、制裁が下されるのよ!


「テリー、何を心配しているのか、よくわからないけど……」


 ママがうんざりしてため息をついた。


「うちの雇用条件は、彼らからしたらとても良い方なのよ。最低限のマナーさえ心得ていれば誰でもすぐ働けて、お給料も生活も安定している。衛生面も充実している。何が不満なの。体が細いからなんなの。お腹が空いたのならば、パンを食べればいいじゃない」

「どこが安定してるのよ! 一日三食パンを食べれない人が、現にいるのよ!」

「だったらケーキを食べればいいわ」

「ママ……!」


(なんて、残酷な言葉を……!!)


 そんなこと言うから、酷い目に遭うじゃない!

 起こりうる未来の恐怖を思い出し、ぶるぶるぶると足が震え出す。


(このままじゃ、同じ未来になってしまう……!)


 あたしが、なんとかしないと!


(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)


「テリー、どこを探したって、ここ以上の場所はありません。採用された人たちは、喜んでここで働いているのよ」

「……給料が低くて喜ぶ人なんて、どこにいるのよ」


 もう、こうなったらなんとかするしかない。あたしは覚悟を決める。


「ママ、うちの労働条件は酷すぎるわ。恨まれても文句言えないレベルで」


 そうよ。だから裁判であんな目に遭ったのよ。


「他の所ではどうかしらね。もっとお給料高くて、さらに働きやすい環境の場所があるかもしれない」

「他所は他所、うちはうち」

「あたし見つけてくる。すごく充実した職場」


 そしたら、ママ、


「それを参考にしてくれる?」

「そうね。参考に出来るほどのものがあれば、参考にさせていただいてもいいかもしれないわね」


 ま、でも、


「無いと思うわよ。ここらへんで、ここ以上の場所なんて」

「ママ、ここは城下町よ」


 あたしはもう、あんな未来御免なのだ。

 使用人どもに恨まれて、あんな目に遭うくらいなら、


「絶対見つけてくる」


 もっと人が働きやすい環境が整われた場所を。

 そして、絶対使用人たちに恨まれないよう、仕事内容と割に合う給料を与え、ママに貯金させて、


(破産回避……!)


 あたしはぎゅっと拳を握った。


 それを見ていたサリアが怪しい笑みを浮かべていたことを、あたしは知らない。



(*'ω'*)



「君は馬鹿だねえ」


 金平糖を頬張りながら、緑の魔法使いが言った。


 夜空の光に照らされて輝く銀色のパンプスが、膝を伸ばしたり曲げたりすることで左右交互にきらきらと光る。風が吹くと、箒に乗った彼女のマントがひらひらとなびいて揺れていた。


 緑の魔法使い――ドロシーが、大きなとんがり帽子も風で揺らしながら、あたしを呆れた目で見下ろした。


「つくづく思うよ。君は正真正銘の馬鹿だ」

「だって、無視出来ないじゃない。これは非常に大事なミッションよ」


 ドロシーが顔をしかめさせる。


「難しいんじゃないかなあ」


 あたしは眉をひそめ、ドロシーを見上げた。


「そんなはずないわ」

「だって、聞いた話、この屋敷の雇用条件は法律にも違反してない。なかなか充実してる方なんだよ」


 最低限のマナーさえ心得ていれば誰でもすぐ働ける。字が読めなくても大丈夫。労働さえ出来ればその分給料は貰え、生活も安定する。


「いいじゃないか。なにが不満なの?」

「労働の割りに合わないのよ。うちはすごく低給料だって」

「いくら?」

「仲の良いメイドに教えてもらったんだけど、例で言うなら、同じ量の仕事をして、他では100ワドルのお給料が貰えるけど、ここでは20ワドルしか貰えないって」

「ん?」


 ドロシーの目が点になった。


「80ワドルはどこに消えたんだい?」

「決まってるでしょ! ママの財布の中よ!」

「それは、あの! そ、そいつは良くないね!」

「良くないでしょう!? そうでしょう!? 働いてる分貰えてないのよ!? だからあたしはこんなに必死になってるのに! なんで誰もわかってくれないの!?」


 このままいったら、


「使用人全員に恨まれる!!」


 あたしが顔を押さえると、ドロシーが眉をひそめた。


「そうだ。君、前もそんなこと言ってたね」


 使用人には好印象を与えないといけないとか。


「何かあったの?」

「何かどころじゃないわよ……」


 あたしは思い出す。指の隙間から、あたしの目がぎらりと光る。


「忘れもしない。ベックス一家断罪の何回目かの裁判で、証言人として昔働いてた使用人たちが呼ばれたのよ。その時に、あたしたちを牢屋送りにしたかったのか、あることないこと言われまくったわ。あたしが10歳で結婚詐欺をしたとか、アメリが一般人からお金を騙し取ったとか、メニーの顔をトイレに突っ込んだとか暴力したとか」

「わお! なに、その話。テリーが10歳で結婚詐欺はなかなかユニークだね」

「端から見たら、そんなの絶対に嘘って思うような発言も、裁判ではみんな通った。それくらい、あたしたちは嫌われていたのよ」

「まあ……、プリンセスを虐めてた家族、って評判だからね」


 その通り。あたしたちは憎まれていた。そして恨まれていた。


「つまり、恨まれさえしなければ、使用人たちは知ってる証言しかしなかった。証言人として裁判に出向くこともなかったかもしれない」

「なるほどね。……で、テリー」


 ドロシーが足を組み、宙に浮いたまま、にこりと微笑んだ。


「今回の罪滅ぼし活動のミッションは、決まってるのかい?」

「もちろんよ」


 今回の罪滅ぼし活動のミッション。


「『使用人たちと信頼関係を築く』」


 これしかない。ドロシーが首を傾げる。


「どうやって?」

「とりあえず、……うちと同じような環境で、もっと労働と給与が割に合ってるホワイト企業があれば、ママにそれを報告するわ。参考になるところがあったら参考にするって言ってたの。それでなんとか使用人たちの本来の給料を与えて……」


 ――テリーお嬢さまがお給料を返してくださったぞ!

 ――なんてお優しい方なんだ!

 ――一生ついていくぜ!

 ――テリーお嬢さま、サリアは感激でございます!

 ――リーゼも植物たちも喜んでおります! お嬢さま!

 ――テリーさま万歳! テリーさま万歳! テリーさま万歳!


「……ぐふふふふ……! ……これで……死刑回避……!」

「上手くいくかなぁ……」


 不安そうに呟くドロシーを見上げる。


「それでね、ドロシー、お願いがあるの」

「うん?」

「ほら、見て」


 あたしは自分のドレスを持ち上げる。ドロシーがきょとんとする。あたしはにこりと微笑む。


「こんなに素敵なドレスを着てる可愛くてか弱いお嬢さまが、労働調査なんて野蛮な行為、簡単には出来ないわ」


 やるならせめて、もっとぼろぼろな服装でないと。


「というわけで」


 ドロシーが顔を引き攣らせた。あたしはにっこりと笑顔を浮かべた。


「なんか魔法かけなさい!」

「一つ、君に忠告しておこう」


 ドロシーがあたしを睨んだ。


「魔法使いはなんでも屋じゃないんだよ!!!!!」

「なによ! いいじゃないそれくらい! このケチ!!」

「ケチ!? ボクがケチだと!? 欲深いのはいつだって人間じゃないか! ああ! 悲しいね! 話を聞いてあげればまるで奴隷扱い! 実に悲しいことだ! もうちょっと優しくしてくれよ! ボクは繊細なんだよ! わたあめなんだよ! 魔法使いってとてもレアなんだよ! レアレベル100くらいのレアカードなんだよ! もうちょっと労われ敬え優しくしろぉ!」


 ドロシーがどこからか看板を取り出して、掲げた。


「重労働反対! 働いた分、報酬払え!」

「しょうがないわね……」


 チッと舌打ちをして、腕を組む。


「いいわ。調査が上手く終わったら金平糖を二袋買ってきてあげる」

「三だ」

「わかった。三袋」

「忘れるなよ。絶対忘れるなよ!」

「はいはい」

「絶対忘れるなよ!!」

「はいはい!!」


 さっさとしろ!!

 睨むと、ドロシーが星のついた杖を持ち、くるんくるんと回す。


「小さな少女はお使いへ、老婆の元へとお使いを、寄り道しちゃ駄目、約束、ね!」


 杖から光の粉が溢れてくる。あたしの着ていたドレスに降りかかる。きらきらとドレスが光っていく。次の瞬間、光がは弾け飛んだ。ドレスがみすぼらしいボロのドレスに変わった。まるで、貧困な庶民が着るようなつぎはぎだらけのドレス。


「うわっ」


 あたしはぎょっとしてドレスを見る。


「なにこれ、うわ、最悪。ホームレスに戻った気分だわ」

「文句言わないの。せっかく魔法かけてあげたんだから」


 ドロシーが頬を膨らませてむすっとした。


「明日いっぱいなら、そのドレスはみすぼらしく見えるはずだよ」

「ふーん」

「ま、これも罪滅ぼし活動の一つだ。協力してあげるから、頑張ってくれたまえ」


 くるんと、再び杖を振り回す。粉はもう出てこない。


「テリー、いつものやつを復唱しておこう」


 さあ、言ってごらん!

 ドロシーの言葉にあたしを息を吸って、呟く。


「愛し愛する。さすれば君は救われる」

「メニーを愛し、使用人を愛する。貴族令嬢の言葉、確かに!」


 目を輝くドロシーは、どこか楽しそうだった。


(ま、いいわ)


 みすぼらしいドレスも用意してもらった。


(全ては死刑回避のため)


 今回も気合を入れてやるわよ。愛し愛する。さすれば君は救われる。


(絶対、救われてやる……)


 あたしは目を据えて、みすぼらしいドレスの裾を、ぎゅっと握った。

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