第1話 お財布事情


 月日が流れるのは非常に早い。季節は巡りに巡って、そろそろ雪が降ってもおかしくない肌寒い季節。


 あたしはかかとを上げて、散って真っ裸になってしまった木々を見て、息を吐く。


(外寒そう……)


 吐いた息が窓にモヤを作る。それを見ていると、半年前を思い出す。


(半年前……)


 あたしの記憶が蘇った。

 あたしはこの世界のあたしであり、この世界のあたしではない。


(だって、この世界は二回目の世界)


 宇宙は一巡され、一度目の世界が終わり、二度目の世界が始まった。この世界は、信じられないだろうけど、二度目の世界であり、あたしは二度目の世界のあたしなのである。


(一度目の世界のあたしは)


 死刑になった。


(あたしは)


 テリー・ベックス。

 お金持ちの貴族令嬢。ベックス家次女。上には長女のアメリアヌ。そして下には、義妹のメニー。


(将来、この国のプリンセスになる女)


 あたしたち家族はメニーの美しさに嫉妬をし、メニーを虐げる生活を送るのだが、メニーが国の王子様と結婚。プリンセスを酷く扱ってきたあたしたちは、天罰が下るように借金地獄の末、破産。無一文となり、くだらない理由から牢屋に入ることとなった。


 後に、ママが病死。アメリアヌが死刑。あたしも、死刑となった。


(だけど、)


 ギロチンに固定されて、もう首を切るだけ。後は運命に身を任せようと思った瞬間、世界の一巡が起きた。


(世界の隅に隠れ住んでいる魔法使い達によって)


 世界は一週した。そして、今、この現段階で、二週目の世界で、あたしは一週目の世界での出来事を思い出し、メニーのことを思い出し、将来の死刑回避のため、家族を説得し、無だったメニーとの信頼関係を築き上げた。それもこれも、魔法使いの提案の元。


 その名も、罪滅ぼし活動。


 一度目の世界でのあたしの罪を滅ぼし、死刑回避のために動くあたしのための活動名。


(大変だった)


 一つ一つ、ミッションを決めてはこなし、あたしは着々とメニーとの信頼関係を築き、メニーにあたしの事をお姉ちゃんと呼ばせ、家族と認識させ、こう言われるまでになった。


「テリーお姉ちゃん、大好き!」


 ああ、反吐が出そう。

 罪滅ぼし活動のミッションをこなしても、あたしはメニーへの恨みを忘れることはなかった。あたしを死刑にしたメニー。憎い。恨めしい。その感情は、様々なミッションをやり遂げても、消えることはなかった。


(それが、半年前の出来事)


 ミッションをこなしていくうちに、歴史が変わったのを目の当たりにした。

 あたしが被害に遭った誘拐事件が、あたしではなく、姉のアメリアヌ、もとい、アメリが被害者となったのだ。


 まあ、色々あって、事件は解決して、アメリは無傷で戻ってきてくれた。

 そして、その事件をきっかけに、あたしたち家族は、少し、ほんの少しだけど、まとまることに成功したのだ。


(例えば)


 一度目の世界であれば、三人だけの食事時。メニーは使用人同然で料理を運んだり、作ったりしていた。

 それが、今となっては歴史が変わり、メニーがその中に加わっている。あたしたち家族は四人で食事を行うようになったのだ。


 アメリがひそりと、バレない程度の声で、メニーに話しかけたと思えば、


「メニー、ニンジン食べないの?」

「……ん……」

「駄目よ。食べないと。ママに怒られちゃう」

「……食べないと駄目……?」

「メニー、お皿交換しない? わたしのブロッコリー食べてくれるなら、わたしもニンジンを食べてあげるわ!」

「……うん!」


 ちらっと見て、ママの視線が外れた隙に二人の皿が交換された。メニーがアメリのブロッコリーを食べて、アメリがメニーのニンジンを食べる。あたしはそれを黙って見逃す。


 こういうことが繰り返され、子どものアメリとメニーの距離が、驚くほど早く縮まった。半年前はあたしとしか遊んでなかったメニーが、アメリに連れ出され、最近は二人で遊ぶ方が多い。


「メニー、わたしのいらなくなったお人形、あげるわ!」

「本当?」

「お人形の家も使っていいわよ」

「やったぁ!」


 近頃あたしよりもアメリと遊ぶ数が多くなったことに、あたしは寂しさなどは感じず、ひたすら喜び、拳を握っていた。


(メニーの相手をしなくていい!)


 ああ! なんて充実した日々! 大嫌いなメニーの相手をしなくていいなんて!!


「お姉さま、そろそろカウンセリングの時間じゃない?」

「あ、そうだった」


 そうそう。アメリは誘拐事件からカウンセリングに行っている。半年経つとはいえ、誘拐されたショックはとても大きい。将来その影響が出ないように、ママが定期的にカウンセリングに行かせているようだ。


(ママ)


 説得には、本当に苦労した。頬を叩かれたんだから。でも、その甲斐もあり、ママは一度目の世界とは違って、メニーを使用人としてではなく、娘として扱うようになった。

 多少の僻みも、妬みも、まだ残っているだろうが、それでも、家族の一員としてメニーを受け入れることを決めてから、お買い物に行く時も、出かける時も、パーティーに行く時も、メニーを必ず連れて行くようになった。


「メニー」

「はい、お母さま」


 だが、二人にはまだ壁がある。それがママの心なのか、メニーの心なのか、見ているだけではわからない。メニーの父親と結婚したのはママだけれど、所詮は遺産目的。本当に愛が存在したのか、今でもわからない。


 そんなこんなのいざこざがあり、二人はまだ気まずそう。だが、そんなに悪い仲でもなさそうな気はする。まだ時間が足りないのだろう。


(ゆっくり、慎重に事を進めるべきだわ)


 罪滅ぼし活動を取り組むにあたり、時間の必要性がどこかわかってきた縁はある。家族の説得だって、時間がかかった。

 きっと、多分、もっと時間をかければ、ママとメニーの距離が縮まる未来もあるかもしれない。


 そのことに関しては、あたしは見守るだけ。



 ――こうして日々の時間は過ぎていき、あたしは無事11歳となったのだった。



(さて……)


 あたしは窓から離れる。

 気分転換したところで、『覚えている範囲で出来事を書き綴ったノート』を開いた。


 あたし 11歳 

 メニー 8歳


 ・月経が始まる。

 ・ヴァイオリンを習い始める。

 ・家庭教師が来る。


「あああああああああ……」


 あたしは頭を抱えた。


(月経。……生理が始まる)


 生理が始まる。忘れもしない。11歳。これって結構早い方なのかしら。

 当時、11歳のあたしは、女に必ずやってくる月経があんなに辛いものだとは思ってもいなかった。

 月に一度訪れる奴ら。

 トイレに行けば血だらけの光景。

 まるで殺人現場のトイレ景色。

 きりきりと痛くなるお腹。

 ホルモンバランスの乱れ。

 肌荒れ。

 イライラ。

 エトセトラ!


(生理なんて真っ平よ!!)


 けれど来るのだ。赤ちゃんを産むために必要なことだから。


(嫌だな……)


 一度目の世界のメニーは、味方が少ない中、よく生理になっても明るさを忘れずに健気に働いていたものだ。


(ま、あいつのことなんてどうでもいいわ)


 次に行きましょう。


(ヴァイオリンを習い始める)


 これはママの提案だった。将来、お金持ちの紳士の元へ嫁ぐなら、嫁修行として楽器の一つや二つ出来ないとだめだと。アメリは歌を。あたしはヴァイオリンだった。

 こうして世界一ド下手なバンドが結成されたのだ。


(提案されても断ろう。あたし、楽器の才能はないみたいだし)


 当時は大好きだった。ヴァイオリンってかっこいいし、持ってるだけで美しかったから。でも、あたしは本当に下手で、練習してもずっと下手だった。でも、にこにこしながら弾いていた。自分のことを『世界一すごい演奏者!』って思ってたから。

 囚人が働く工場で働きに出てから、本物を聴く機会があった。その時に痛感させられた。


 あたしは、無駄なことをやっていたのだと。


(別の楽器だったらどうだかしら。ピアノとかフルートとか)


「……」


(結果は同じか)


 鼻で笑って、次の箇条書きを見て、視線が止まる。


(家庭教師)


 あたしが11歳の頃の、家庭教師。


(ああ、この時期か)


 あたし、よく覚えてたわね。


(……忘れられるはずがない。あの先生だけは)


 ほんの一瞬のひと時の思い出。だけど、とても印象深かった、家庭教師の先生。


 すごく頭が良かった。

 勉強だけではなく、振る舞いが。

 行動言動全てが計算され、人間の構造をわかっており、心理を理解出来ており、当たり障りのない言葉をよく発していた。


 そうね。それと、若かった。


 先生というより、距離の近いお姉さん。

 あの先生だけは、嫌いじゃなかった。

 勉強も捗った。先生に気に入られたくて。


 だけど、先生は――。



「お姉ちゃん」



 はっと我に返ると、ドアが叩かれた。


「お姉ちゃん、いる?」


 ドア越しからメニーの声が聞こえてくる。あたしは慌てて声を出す。


「ちょっと待ってぇー!」


 すぐさまノートを隠し、急いで立ち上がり、地面を蹴飛ばして、ドアを開ける。その先には、予想するまでもなくメニーが立っていた。

 金色に光る髪の毛は太陽のように輝き、青く輝く目はアクアマリンのような深い浸水色で吸い込まれてしまいそう。今日は淡い彩りのワンピースドレス。動きやすそうなシンプルなデザイン。控えめな身だしなみ。だが、遠目で見てても十分美しい令嬢だ。

 顔も心もその体も、あたしよりはるかに美しく、綺麗だった。

 他人が見たら見惚れそうなメニーが、ドアを開けたあたしを見上げ、微笑んだ。


「ああ、いてくれてよかった。お部屋にいなかったら、『開かずの間』に行こうと思ってたの」


 開かずの間。あたしとアメリのパパの書斎だ。一度目の世界でドアが錆びれて入れなくなった部屋であるため、あたしはそう呼んで、メニーもそう呼んでいる。今の世界では、きちんと管理され、いつでも入れるようになっているのだが。


 だから、あたしが部屋にいない時は、大抵裏庭か、その開かずの間にいる。理由はきちんとある。


(あのいんちき魔法使いと、作戦会議をしなければいけないから)


 大きなとんがり帽子を被る少女の顔を思い出し、すぐに忘れる。今はそれよりも、目の前のメニーだ。


 あたしは口角をぐっと上げ、本日も優しいお姉ちゃんの笑顔を浮かべて、首を傾げた。


「あたしになにか用事?」

「お母さまがお買い物に行くんだって。だから、お姉ちゃんを呼んできなさいって」

「……また?」


 眉間に皺を寄せると、メニーがふふっと笑った。


「お姉ちゃん、貴族令嬢らしからぬ顔になってるよ」

「だって、ママってば、昨日も行ったじゃない」


(あたし、あんまり出かけたくないのよね……)


 特に、街は。


(だって、危険じゃない)


『あいつ』に見つかるかもしれないじゃない。


(ま、あれから半年も経ってるし、『約束』自体、自然消滅してる頃かしらね……)


 でも、だからと言って簡単に街に行くのは危険なのだ。顔見知りが多い街の子タイプのあいつが歩いてたらどうする。見つかったらどうする。肩をぽんと叩かれて、やあ、なんて挨拶されたらどうする。ほらね、良いことがない。街に買い物なんて頻繁に行かなくたって平気よ。平気。物は屋敷の中に宝のように溢れてるんだから。


(あたしは、もう少し時間を置きたいのよ。全部がちゃんと無かったことになったかもしれない、と思うまで、街には行きたくないのよ)


 半年前に、あたしは、とても胡散臭い契約を交わしてしまったのだ。とある、きな臭い少年と。


(この半年間、見つからないように街を避けてきたあたしを褒めてほしいわ)

(欲しいものがあったら隣町まで馬車を走らせて、避けてきた街)

(行きたくない)


「アメリは行くの?」

「行きたいって言ってたよ」

「メニーは?」

「わたしは行かない。昨日、お母さまに新しい本を買ってもらったから、それを読みたくて」

「そう。だったらあたしもいいかな」


 メニーが行かないなら、あたしがついて行かなくてもいいだろう。メニーが行くのであれば、ついて行って仲良くお喋りでもして親睦を深めることも出来たけれど。


(メニーがいないなら、そうする必要性もない)


 あたしは屋敷内で楽しむわ。寒い中でも可愛く育っている温室植物たちの様子を見に行かないと。


「お母さま、最近毎日出かけてるね」


 メニーがふとそんなことを言い出した。あたしはきょとんと瞬きして、頷く。


「……そういえば、そうね」


 確かに、ママは最近よく出かけてる。


(男でも出来た?)


 いや、待てよ。


(買い物に出かけてる)


 そういえば、最近、毎日買い物に出かけてる。帰ってくるたびに人気ブランドの鞄やらドレスやら装飾品やらを使用人に持たせて帰ってきている。


(そんな生活してるから借金が出来て破産になるのよ)


 破産。


「……」


 その単語を思い出して、あたしは黙り込む。今度はメニーがきょとんとする。


「お姉ちゃん?」


 破産。

 そうよ。ベックス家は破産する。

 将来、そうなることを、あたしは知っている。


「テリーお姉ちゃん?」


 破産になった理由ももちろんある。

 しかし、それは今年には絶対起きないことだし、だからと言って数年後にそんなことになるなんて誰も思ってなかったことだ。つまり、現時点では、全く予想がされていない出来事なのだ。


(だけど)


 破産は必ず起きる。事件が起きる。


(でも、その前に)


 破産を回避する手段は存在する。


(きちんとしたやりくり。貯金)


 そうよ。貯金よ。


(借金を上回る金額さえあれば、破産は回避出来る)


 ママがブランド物を漁ることなく、アメリが欲しいと思ったものを衝動買いすることもなく、きちんと決められた予算の中で買い物を使い、貯金をすることによって、破産の未来は回避できるかもしれない。


(おおおおおお!!)


 だって、メニーを家族にしたところで、結局借金を背負って破産する未来があるんじゃ、意味ないじゃない!


(ま、その頃にはメニーは既に城に移動してて、屋敷にはいないんだけど)


 チッ。


(でも、これで回避できるかもしれない)


 あたしはメニーと一緒に廊下へ出た。


「メニー、お姉ちゃんはやるべきことを思い出したわ」

「うん? やるべきこと?」

「そうよ」


 あたしは歩き出す。


「善は急げ」


 あたしは走り出す。


「あたしは、今回もやり遂げてみせるわ!」

「お姉ちゃん、廊下を走ったら怒られるよ!」


 後ろからメニーの声が聞こえたが、あたしのやる気ゲージはマックスまで上がっていたため、特に気にしない。


(怒られたって、破産する未来を回避できるならマシよ!)


 あたしの目が輝きだす。


(いざ! ギルエドの元へ!)


 あたしは執事の書斎に向かって、ぱたぱた走り出した。


「あら、テリーお嬢さま、ごきげんよう」

「ごきげんよう!」


 あたしはぱたぱた走る。


「おや、テリーお嬢さま、ごきげんよう」

「ごきげんよう!」


 あたしはぱたぱた走る。


「これはこれは、お嬢さま、ごきげんよう」

「ごきげんよう!」


 あたしはぱたぱた走る。


「まあ、テリーお嬢さま、ごきげんよう!」

「リーゼ! あとで植物小屋に集合よ!」

「はい!」


 あたしはぱたぱた走る。角を曲がると、白いエプロンが目の前に現れる。


(わぎゃ)


 ぼすっ、とぶつかる。しかし、あたしのボルテージは下がらない。一歩下がって謝る。


「ごめんなさーい!」


 クソガキの如く走り出すと、容赦なく襟を掴まれた。あたしの首が襟に引っかかる。


「ぐぇっ!」

「駄目じゃないですか」


 振り向くと、メイドのサリアがにっこりと満面の笑みで、あたしの襟を掴んでいた。


「テリーお嬢さま、廊下を走ってはいけません。このようにぶつかって、お嬢さまが怪我をしてしまいますよ?」

「サリア! それどころじゃないの!」


 あたしはぐぐぐーっと前に体重をかける。


「あたしは! 今! 今すぐよ! しなければいけない現実に立ち向かおうとしているのよ! サリア! これはとても大切なことなのよ! その手を離して!」

「とても大切なことですか。まあ、それは実に興味をそそられますね。どこに行くおつもりですか?」

「ギルエドに話があるのよ!」

「ギルエドさまはお仕事中ですよ」

「サリア、大事なことなのよ!」


 ぐぐぐー! と前に体重を乗せても、サリアの手が全く離れない。サリアがにこにこしながらあたしを見下ろし続ける。


「ギルエドさまに、どういったお話ですか?」


(ぐぐぐ……! サリアのことは嫌いじゃないけど、ちょっと過保護すぎるわよ! あんた!)


 あたしはサリアに振り向き、にこーーーっと無邪気に笑う。


「あのね! ママがお買い物ばかり行くの!」

「ああ、そういえば、近頃出掛けられることが多いですね」

「だからね! あたし、このままじゃ良くないと思ってね! ちょっとばかし提案しにいくの!」

「提案、ですか?」

「そう!」


 あたしは胸を張って発表する。


「ママに貯金させるのよ!」

「あら、まあ」


 サリアは変わらずにこにこしている。あたしは興奮から鼻息を荒くさせる。


「貴族だからって、お金を使いたいだけ使うのは違うと思うの! サリア! この提案はきっと将来あたしたちのためになるわ!」

「ふふっ。テリーお嬢さまは将来のことをきちんと考えられる、素敵なお嬢さまなのですね」


 あ、今は二人きりでした。


「テリー」


 サリアがあたしを呼ぶ。


「なんのために奥さまに貯金させるおつもりですか?」

「生活のためよ!」

「生活ならば、潤っているではありませんか」


(わかってないわね。この女)


 将来、借金を背負うことになるのよ!


「でも、ママってば、貯金してないじゃない! 貯金ってすっごく大切なのよ!」

「さあ、どうでしょうね? 意外としてるかもしれませんよ?」

「……してないわよ」


 だって、お金の管理出来なそうだもん。ママ。

 あたしのしかめた顔を見て、サリアがクスクス笑い出す。


「それでは、ギルエドさまに確かめに行きましょうか」


 サリアがあたしの手を握る。あたしはサリアを見上げた。


「サリア、仕事中なんじゃないの?」

「こうしていれば、テリーはもう走らないでしょう?」

「……こうしなくても走らないわよ」

「ふふっ。いいえ。心配なのでこのままギルエドさまの元へご案内します」


(……走らないわよ)


 しかし、なにを言っても離してくれそうにない。サリアがあたしの手を握ったままゆっくりと歩きだす。仕方なくあたしも歩きだす。サリアがあたしの歩幅に揃えて歩く。広い廊下を歩いていると、掃除道具を持ったメイドが前から歩いてくる。あたし達を見て止まり、お辞儀する。


「ごきげんよう。テリーお嬢さま」

「ごきげんよう」


 挨拶した際に、メイドの姿を見る。


(……腕細い……)


 羨ましい。


(あたしもエクササイズしてるのに、なんでこんなに太いのかしら。筋肉?)


 そんなことを考えながら歩いていると、また前からメイドが歩いてくる。あたしたちを見て足を止め、お辞儀する。


「ごきげんよう。テリーお嬢さま」

「ごきげんよう」


 チラッと足を見る。


(……腰細いわね……)


 あたしはサリアの手首をチラッと見る。


(……うん?)


 サリアの手首は細い。


「……」


 あたしは周りを見る。後ろを歩くメイドの足を見る。角を曲がる。前から男の使用人とメイドが歩いて来た。サリアを見て、あたしを見て、足を止め、お辞儀する。


「ご機嫌よう。テリーお嬢さま」

「ご機嫌よう。お嬢さま」

「ごきげんよう」


 言いながら首を見る。腕を見る。顔を見る。


(……)


 なんだか、やつれて見える。


「ねえ、サリア」

「はい?」

「みんな、ダイエットでもしてるの?」

「え?」

「あの……。……さっきから、みんな細く見えるの。げっそりしてるっていうか」

「ああ……」


 サリアが納得したように声を出した。


「そうですね。まあ、近頃は一日一食の方も少なくありませんから、自然とそうなるのかもしれませんね」

「へえ、一日一食……」


 あたしは眉をひそめた。


「一日一食?」

「ええ」


 サリアがなんでもないことのように頷く。あたしは再び訊く。


「なんで?」

「なんで、と言われましても」

「お腹空くじゃない」

「そうですね」

「なんで食べないの?」

「私たちは贅沢出来ない身ですから」


 サリアとあたしの手は繋がれたまま、お互いに足を動かす。


「みんな、節約しながらなんとかやりくりしてるんです」

「……」


 うん?


「サリア」

「はい」

「ママは、お金持ちよね」

「これだけのお屋敷を維持されているのですから、大金持ちなのではないかと」

「使用人たちは給料を貰って、節約してるの?」

「はい」

「ぎりぎりで切り詰めてるの?」

「はい」

「……」


 あたしの眉間に、皺がどんどんたまっていく。


「サリア」

「はい」

「ここのお給料ってどうなってるの?」

「ふふっ。まだ子どものテリーには早いですよ」

「あたし、そういうことにちょっと興味があるの。ねえ、教えてよ」


 子どもの可愛い笑みを浮かべると、サリアも優しく微笑んだ。


「そうですねぇ……。なんて言ったらテリーにも伝わりますかね……」


 子どもに簡単に説明できるように、サリアが考える。


「例えば、普通のお子さまの一ヶ月のお小遣いが、100ワドルだったとします」

「うん」

「それが、テリーの場合、20ワドルです」


 あたしは硬直した。

 サリアはにこにこ微笑んでいる。

 あたしは顔を青ざめた。

 サリアはにこにこ微笑んでいる。


「……え?」

「わかりました?」

「……え、それ、……え?」


 あたしは顔を青くして、サリアを見上げる。


「お、お給料、他の所の方が、貰える額が、多いってこと……?」

「はい」

「な、なんで……?」

「なんで……?」


 サリアが復唱して、目玉を天井に向けて考える。それから、ちらっとあたしを見て、またにこりと微笑むのだ。


「奥さまが管理しているからじゃ……ないですかね?」


 ママがお金を管理している。

 ママが使用人たちの給料を管理している。


(それって、つまり……)


 使用人たちの本来貰っていいはずのお金を使って、ショッピングに出かけているということ?


(え?)


 なにそれ。


(最低じゃない)


 サリアはにこにこ笑っている。


(え?)


 あたしはすぐに訊いた。


「みんな、なんで辞めないの?」

「テリー、世間では不景気が続いているんですよ」


 仕事が見つからないかもしれない世間。


「割にいいお仕事を見つけるのってすごく大変なんです。もちろんお役所に行けば紹介窓口もありますが、大抵割には合いませんし、とても時間がかかるんです。半年待たされることもしばしばだとか。だから、人の伝手だとか、街の掲示板に貼られたお仕事の募集広告を見たりとか、そういうのを辿って探すしかないんですよ。それがとにかく大変なので、みんな、解雇にされないように、頑張って働いてるんです」

「でも、貰えるお給料少ないんでしょ?」

「貰えないよりは、いいじゃないですか」


 その一言が、あたしの胸にぐさりと刺さった。


『貰えないより、いい』


(なにそれ)


 100ワドルが20ワドル?


(え? 80ワドルどこいったの?)


 なにそのブラック企業。


(ママはどこに行った?)


 お買い物。


(お金を持って)


 お買い物。


(使用人たちが貰っていいはずのお金を持って)


 お買い物。


(毎日街で)


 お買い物。


(それ)


 ……恨まれても、文句言えないんじゃ……。


(ああ……)


 あたしの体が震えあがる。


(ああああああああ……!!)


 裁判の思い出が蘇る。


(ああああああああああああああああああああ!!!)


 ――ベックス一族に、罪の償いを!!


「サリア!!」


 あたしはサリアにしがみついた。


「貯金どころじゃないわ!!」


 このままじゃ、大変な未来に向かってしまう!


「ギルエド! 早く! ギルエドに会いに行かないと!!」

「大丈夫ですよ。ギルエドさまは書斎でお仕事中ですから」

「早く! 早く行こうよ!」

「大丈夫ですよ。ギルエドさまは逃げませんから」

「サリアーーーーーーーー!!!!!」


 サリアを引っ張るが、サリアはにこにこしながらのんびりと歩くだけ。


「お願い! いそいでぇぇええええええええ!!!」


 このままでは、本当に取り返しのつかないことになる!

 あたしはサリアを引きずりながら、ギルエドの書斎へと向かっていった。


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